#21 流儀
──霧縫屋敷・武錬場──
「むぉっ……!?」
フゲンの肉体が、アルムの体を中心をぐるりと回転する。
青年であっても、少年のアルムにとっては二回りほど大きい巨体とも言える差。
畳に叩きつけられたフゲンは、わずかに呻き声をあげてアルムを見上げる形となる。
「そこまで!!」
「っしゃあ! フゲン兄貴から一本とれた!」
先生より魔導と魔力操法の教示を受け、老師から肉体と魔力の合一を学んだ。
妖精種と吸血種の血を1/4ずつ継ぐ、種族にも由来する成長期のアルムの才覚と楽天的な遊び心は、理論と技術を真綿のように吸収していった。
「がっはっは、やるじゃねえかぁアルムぅ、こんガキぃ……」
苦々しい顔を浮かべるフゲンに対し、ドウゲンが呆れたように口を開く。
「フゲン……この放蕩息子が、当然の結果だ。そしてアルム──美事であった、基本である"霧縫"と"霧影脚"もかなり身についていると言ってよい」
「ありがとうございます、師父」
義父であるドウゲンに珍しく褒められたことに、アルムは恐縮した様子で返した。
「チッ、っとばかし遊びすぎたか。いまだに魔術もロクに使えないガキにやられるとはよ」
「むっ──俺はッ!! 使え、ない! けど……」
アルムは思わず魔導のことを口走りそうになったが、いらぬ諍いを招くとして、先生より堅く口止めされていた。
「魔術が使えなくても、武術でフゲン兄さま勝てるなら十分すぎるよね?」
「うっせノエ! おまえらみたいな才能に恵まれたやつと違って、凡人って奴ぁなあ……苦労してンだよ」
「わたしだって努力してるもん」
「ほっほー偉いなあ、まあオレは最近してねーんだけどな! だっはっははははっ!!」
笑うフゲンの背後から、音もなくドウゲンの拳が迫るも……振り向きざまに受け止められる。
「……どうやら完全になまっているわけではないようだな」
「ったり前よ。危ねぇなあ……ったく、親父殿は油断も隙もあったもんじゃねえぜ」
「つまり思っていたよりもアルムの成長が早く、ノエともども優秀な証左。棗家に奉公に出し、その才能を伸ばすことも視野に入れねばならぬな」
ドウゲンは腕組みながら、養子を見つめる。
「あーらら、アルム可哀想。"テンゲン"の兄さんと同じ目に遭っちゃう」
「フゲンよ……お前も一度、鍛えてもらうとよいかも知れぬな」
「霧縫家に泥を塗ってもいいんなら」
調子の変わらない次男坊に、ドウゲンは大きく溜息を吐いた。
「まったく……どこで育て方を間違えたのやら」
「へーへー霧縫家の麒麟児たる兄と妹に持つ、弟の苦悩ってのを知ってほしいね親父殿」
「口の減らぬやつよ……。それはそれとして、そろそろよい機会か。フゲン、ノエ、アルム──改めて語るとしよう」
ドウゲンはその場に静かに座り、3人もそれに倣うようにその場で正座をした。
「開祖"霧縫シンゲン"は群雄割拠の戦国の世で……乱波として生き、その実力をもって小大名に召し抱えられたことから端を発する。防諜に暗殺から戦争まで、あらゆる場面で霧縫流を練磨し、実戦を通して高めていった。しかし甲斐なくその小大名は敗北した──のだが、結果として流浪の雇われ忍びとしての名声をより高める結果となったのは……あるいは皮肉にして幸運だったと言えるのやも知れぬ」
先祖代々伝えられていることをドウゲンは語って聞かせているだけだが──何か思うところがあるのか──どこか実感の込められたような言い回しであった。
「霧縫は忍びとして市井に紛れて情報を収集する傍ら、多様な知識や技術のみならず血を取り入れ、一族として霧縫をより強固としていったのだ」
「にしては親父殿、霧縫は由緒正しい割に分家とかねーよな? 他の名家は割とあるのに」
「増えすぎればいずれ不和の種になることを、最初の小大名の頃より学んでいたからだ。ただし他家に嫁がせることは、縁を結び人脈を広げる為に余念はなかったがな」
それが霧縫の徹底した秘匿主義、実戦性を育んでいくことになった。
「そうして八代目当主"霧縫ヤゲン"の時代──上総大名の棗家と共に、"傾国の魔女"と呼ばれた兇人の封印に大きく貢献し、その功をもって霧縫は取り立てられて武家と相成った。それまでの隠剣術を"霧縫流・小太刀勢法"と改め、忍びではなく武士として生きるようになったが……積み上げてきた忍びとしての矜持、その流儀までを捨て去るには至らなかった。よいか、お前たち……」
ドウゲンの声に一層の熱がこもる。
「──武家であっても我らの根は忍び。平穏の世にあっても影に生き、いざ混沌の世となっても即座に適応すべく、その血と技を継承していく必要があること……決して忘るることなかれ」
フゲン、ノエ、アルムは真剣ではあるがそれぞれ異なる面持ちで、その言葉を受け止め飲み込む。
「敵は人間だけに非ず。かの"血喰童子"をはじめ、"石牙虎"や"毒絡女郎蜘蛛"といった魔の者もまた時に巷の脅威とならん。そういった存在を調伏するのも務めなり」
「いやいや親父殿、伝承の"血喰童子"とか……もはや戦争じゃねえか」
「大陸の風聞においては、そういった怪物を単独で討ち果たす者もいるそうだ。人の可能性というものを感じられるだろう?」
「嘘臭ェ……」
多くはないが怪異・妖魔といった類の生物が存在する。
「疑うことは悪くない。確たる真実は少なく、移ろうものであり……同時に操るものであること──しかと覚えておけ」
ドウゲンは音もなく立ち上がり、道着の帯をグッと締める。
「さて、踏まえた上でだ──フゲン、ノエをどう思う」
「は……? あーーー、語ったのはそういうことか。まっ継承してくには、いい頃合なんじゃねえの? ノエの才能なら並行しても問題ないだろうし」
フゲンは妹を見つめながら、実父へそう返した。
「うむ。ノエ──」
「はい、父上」
「それにアルム」
「はい、師父」
呼ばれた2人が返事をしたところで、フゲンは目を見開いて疑問をぶつける。
「……は? まっさか親父殿、アルムを使う気なのか?」
「無論。養子にしたのも、最初から理由の一つよ」
「まあたしかに、外の血だから問題ねえのか。かつ身内でもあるから秘中にすることもできる」
フゲンは顎に手を添え、うんうんと納得したようにうなずく。
「その通り、二人とも──今夜から"大伯母さま"より指南を受けてもらう」
「父上、それはなんのご指南でしょうか」
「"房中術"だ。大伯母さまも年齢が年齢ゆえ、教えるにも早いほうがよいのでな」
「承知しました」
「ぼーちゅーじゅつ?」
ノエはうなずくも、アルムには初めて聞く言葉であった。
「人を誑し込む業よ」
「アルム、夜に教えたげる」
「"くのいち"のみならず、アルムお前もまた女をこますことを覚えることで得られるものがある」
「こます……よくわからないけど、押忍!」
「霧縫が培ってきた術、絶やすことなく精進するのだ。ノエ、アルム、二人とも期待しているぞ」




