皇帝陛下にご挨拶
着替えを済ませたあと、私はニーナさまと朝食の支度にとりかかった。
ニーナさまは最初とんでもない、と言って私を座らせようとしていたけれど、それはこっちのセリフである。
昨晩は精神的にそれどころではなかったのと、人様のおうちの台所にズカズカ足を踏み入れるのはちょっと……と遠慮する気持ちもあって、ルーのお手伝いとしてお皿や食器を出したり下げたりすることしかできなかったけれど。滞在二日目だし、ニーナさまの方がぐいぐい押せ押せで来るものだから、それじゃあ私だってちょっとくらい開き直ってもいいだろうと思ったのだ。
あと単純に、訳アリとはいえ皇族を働かせて自分はふんぞり返るなんて真似、普通に考えて無理なんで。
むしろ本来、私の方がこき使われて当然なくらいなんで。
そう、私が身分を引き合いに出して食い下がれば、ニーナさまもノーとは言えなかったのだろう。
恐縮しきった様子で、それじゃあ……と私に手伝いを申し付けてくれたのだった。
お互いにペコペコ頭を下げながら謎の攻防を繰り広げる私たちはさぞ滑稽だっただろうが、まあ、誰にも見られていないのでセーフということで。
「おはようさん」
「おはよ、ルー。よく寝れた?」
「そりゃもう。久しぶりの実家やからな」
こちらの国では一般的な朝食だと言うお粥と、あとは付け合わせに何品か。
ニーナさまの指示を仰ぎながら手分けして準備を進め、もうそろそろ仕上がる頃合いか、というところでルーが起きて来た。
いつも糸目で目が開いているんだか閉じているんだか、なんなら前が見えているんだか見えていないんだかよくわからないルーだけど、なんとなく、『あ、寝起きで半覚醒の状態なんだな』と思った。
もっと具体的に言うなら、眠くて眠くて瞼の上と下がくっつきそうなんだな、という感じ。
いや実際どうなのかは、糸目だからやっぱりわからないのだけど。
なんとなくそんな雰囲気を感じただけ、という話なのである。
くあっと大きなあくびをひとつしたかと思うと、ルーは台所に立つ私を見てきょとんとしたようだった。
これまたあくまでも雰囲気的なものなんだけど、……うん、とてもわかりやすい。
久しぶりに実家に戻ってきたこととか、ここにはニーナさまと私しかいないこととか、寝起きだからとか、色々なことが相乗効果的に作用して気が抜けているのかもしれない。
こんなにわかりやすいルーは初めてで、だけどそれが嫌かと言われるとそんなことはなくて。
私の友達は今日もこんなにかわいい、と脳内で親友バカを炸裂させながら、私はくすりと笑みをこぼす。
「フィオナちゃん、卵焼き任せてもええかな?」
「はい」
最初は私が台所に立つことを心配していたニーナさまも、包丁さばきに慣れが見えると安心してくれたらしい。
今ではすっかり火の扱いも任されて、こうして一品作るよう頼まれたりなんかもして。
……いくら前世では一人暮らしをしていて、料理するのが好きで自炊が常だったとはいえ、ブランクが長いから自分でもちょっと心配だったのだけど。こうして頼ってもらえるくらいには、作業の手つきが安心して見ていられるものだったのかな? と思うと、私も胸を撫で下ろす思いだ。
どうせ食べるのは自分だけだからと手の込んだものは作っていなかったし、作れなかったけど、自炊してて本当によかった。
「……フィーが、母さんと普通に話しとる」
「朝の身支度の時に、ちょっとね」
「ふーん」
ようやく私とニーナさまが二人で台所に立っている、と認識したらしいルーが、わずかに驚いたような声音で呟いた。
ちらりと向けられた視線から、何があったのか気になっているのだろうなと察するが、さて、どうしたものか。
ルーが起きてくるまでに私たちの間で何があって、どんな会話をしていたのか、別に素直に話したっていい。
私は何も悪いことをしていないし、恥じるようなことをしたつもりもない。
でも、ちょっぴり刺激のある内容だという自覚もあるから、いくらルーがきちんと身支度を整えているとはいえ起き抜けの、それも朝食前にするような話じゃないよなぁ……と私としては思うわけで(きっとルーは話を聞けば怒るに決まっているし、せっかくニーナさまが用意してくれた朝食が不味くなってしまうからだ)。
ボウルに割った卵へ砂糖とお塩を加え、白身を切るように菜箸でかき混ぜながら、肩をすくめてへらりと笑う。
言葉を濁した私を一瞥すると、ルーはつまらなそうに鼻を鳴らして、それから『あとで詳しく聞くからな』というアイコンタクトが飛んできた。
……はいはい、わかってるって。
「ちょっと、ルース」
「?」
「アンタの寝起きが悪いんは今に始まった話やないけど、おめかししたフィオナちゃんに一言くらいあってもええやろ?」
「おめかし?」
のんびり――というよりは、むしろゆる~い空気でおしゃべりする私たちに、口を挟んできたのはニーナさまだ。
非難めいた声音と口調で話しかけられたルーはまたしてもきょとんとしたあと、『はて?』と言わんばかりに首を傾げる。
……私としては、別に気にするようなことでもないし、わざわざ感想をねだるようなことでもないと思うのだが。
どうやらニーナさまにとってはそうではないらしく、ルーのとぼけた反応がよほど腹に据えかねたのだろう。ただでさえ釣り目がちな目じりがどんどん三角に吊り上がっていくのが、私の立ち位置からよくわかった。
このまま放置すればニーナさまがドッカン爆発してしまうかもしれない。
そんな気配をひしひしと感じた私は、依然として寝起きでぽやぽやしながら首を傾げている友人に向け、そっと助け舟を出すことにした。
「たぶん、髪型のことだと思う」
「……そういえばいつもとちゃうな?」
「ニーナさまがね、やってくださったんだ」
「あーなるほど。なんか見たことある簪やと思たら、母さんのヤツやったんか。……にしても、いっつもフィーは髪をおろしとるから、まとめてあげとるのはなんか新鮮やわ」
「変じゃない?」
「全然。むしろ馴染んどるし、似合うとるよ。百獣の国の服に着替えたら……獣人やないから、さすがに馴染み切れんか」
「だねぇ。でも、この国の服は興味あるな。ニーナさまとルーが着てるのを見た感じ、肌触り良さそうだし、色味は綺麗だし、刺繍も丁寧で繊細だよね? デザインにしても、なんていうか、こう、すらっとした無駄のない感じで素敵だと思う。スタイルが良く、足が長く見えるから、可愛いと言うよりも綺麗とかかっこいいって言葉の方がぴったりかも。何より、動きやすそうなのがとってもいいね。優美なのに、いざって時には走って逃げられそう」
「あー……。まあ、けったいなドレスと違てズボンやから、逃げやすさは段違いやろなぁ。ま、走って逃げるような事態にならんのが一番ええんやけど、万が一ってこともあるさかい。フィーも一着くらい持っといた方がええか」
「両替できる? 無理そうなら、宝石の買い取りでもいいんだけど」
「どっちもできるけど、それくらい俺が用意したるから気にせんで」
「えええ? ただでさえ匿ってもらってるのに、それは悪いよ」
「フィーが俺のためになんでもしたい思てくれとるように、俺もフィーのためになんでもしたいんやって」
「……そう言えば私が何も言えなくなると思ってる?」
「実際、なんも言えんやろ?」
「言えないけど」
「それに、」
「『それに』?」
「単純に俺が、こっちの服着とるフィーを見てみたい」
「………………ほんと、そういうとこずるいと思う」
「ははっ、なんとでも!」
ぽんぽんとリズムよく言葉の応酬を繰り返して楽しんでいると、何故か百獣の国の伝統的な衣装をルーに買ってもらうことになってしまった。
アオザイに似たこちらの国の服は本当に素敵だけど、だからといって、それをルーに買ってもらうのは違う気がする。
でも、くすねてきた宝石を売って自分で買うと私が主張しても、ルーはそれをまったく受け入れてはくれなかったし――それどころか、完璧に私の反論を封じてくるのだから本当にずるい。
何もこんな変なところで本気を出さなくても、と思うものの、反論できなくされた私はぎゅむっと顔のパーツを中心に寄せたしょっぱい顔しかできなくて。
そんな私を見て、ルーはケラケラと楽しそうに笑った。
ちなみに……私たちの会話を聞いていたニーナさまはというと、満足げな顔をしたり、私と同じようにしょっぱい顔をしたり、最終的には口元に手を当てて『はわわ』と私たちを見比べたり、なんだかとても表情が忙しそうだった。
……こちらを見ているせいでお湯を沸かした鍋が今にも噴きこぼれそうになっているのは、果たして大丈夫なんだろうか?
なお、久しぶりに作った卵焼きはちょっぴり不格好だったものの、きちんと美味しく作れたことを報告しておきます。失敗しなくてよかった。
ベッタベタな、砂糖と塩を間違えるなんて使い古された鉄板ネタをやらかさなくて、本当に良かった……!!
+ + +
「――で、何があった?」
和やかに朝食を終えて、私とルーは陛下が待つ宮殿へと向かった。
私の謁見は陛下が執務に取り組まれる前の時間を使って非公式におこなわれる、ということだったので、移動するにはちょうどいい時間だったからだ。
ルーのエスコートを受けながら宮殿に向かうさなか、こそり、と彼は声を潜めて私に話しかけてきた。
既に使用人や宮殿に出入りする役人、貴族の目があちこちから私たちに向いているからだろう、声の大きさは囁く程度のもの。
……とはいえ、獣人は人間よりも五感が優れている、というのが通説なので、聞き耳を立てられやしないかと私が心配になるのも当然のこと。
視線だけで大丈夫なの? と問いかければ、ルーは小さく頷きながら微笑む。
なるほど、いくら耳が良い獣人でも、これだけ距離が離れていれば聞き耳は立てられないのか……。
そういうことなら、話の続きを始めようか。
「それはもう、手厚い歓待を受けたよ」
「へぇ」
「おかげで部屋が使えなくなってさ。身支度のために、ニーナさまのお部屋を借りることになっちゃった」
「髪もその流れで?」
「うん」
髪をおろしたままでは暑くて過ごしにくいからと、私の髪を簪で髪をまとめてくださったのは、ニーナさまのご厚意だとわかっている。
でも、もしかしたら、あの侍女がしでかしたことのお詫び……みたいな気持ちも、ほんの少し混ざっているのかもしれないな。とか。思ったりしている。
髪に触れるという行為は本来、魔術の国ではよほど親しい間柄であっても禁忌とされており、夫婦や親子でなければ許されないことだけれど。ニーナさまのお気持ちを受け取る……という意味を込めて、今回は享受した。
ニーナさまのことも信じられるようになりたいという、私なりの意思表示と、前進のつもりだ。
誰も彼もを信用するには、私はもう、人間関係に疲れてしまった。
それでもニーナさまはルーの大切な人だから、信じられるようになりたい、と思うのだ。
「フィーは?」
「?」
「部屋が使えなくなったくらいなら別にええ。そんなん、別の部屋を使えるようにすれば問題あらへん話やからな」
「うん……?」
「そんなことより、怪我は? 薬の匂いはしとらんみたいやけど、怪我しとるくせに、俺らに迷惑かけたらアカンとかアホなこと思て隠したりしとらんよな?」
「アホなことって、君ね……」
足を止め、じっと私を見下ろすルーは、きっと本気で私のことを心配してくれている。
それはわかるのに、しれっと挟まれた毒のせいでどうにも脱力してしまうというかなんというか。
なんだかなぁと思いながら半笑いで呆れを返し、それから私は、大丈夫だよとルーに笑顔を返した。
「お守りがちゃんとお仕事してくれたから。効果のほどはルーも知ってるでしょ?」
「つまり危害を加えられたと」
「結果的に未遂だからセーフ」
「やらかしてる時点でアウトやアホ」
「うーん手厳しい」
いや本当に、と肩を落とす私の隣では、ルーがとってもピリピリしている。
肌に感じる空気からやっぱり怒ってるなぁと内心苦笑いなのだけど、……まあ、私も私で怒っていることではあるので。やる気のないフォローはせず、陛下をお待たせするのは悪いからと、ルーに歩みを促すのだった。
ルーのエスコートで通されたのは、なんでも、皇族が私的な会談をするための部屋らしい。
なるほど確かに、部屋のしつらえは皇族の権威を示すような豪奢な造りをしておらず、むしろ落ち着いて話せるよう、居心地の良さを重視したシックな趣だ。
なんとなく、部屋の感じが離宮の雰囲気と似ていて、皇帝陛下の前にいるはずなのに安心感があった。
(実家のような安心感、はさすがに言い過ぎかな……)
百獣の国の皇帝であるフレディ陛下は、そわそわと落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っていた。
百獣の王、という言葉があるように、この国の皇帝は獅子の氏族が務めている。
陛下も例に漏れず獅子の氏族なので、獣人の耳も尻尾も、ルーのそれとはまるで違った。……尻尾の先のふさふさが気になって視線で追いかけてしまいそうになるが、ここは我慢。
「いらっしゃい、ルース。そちらがフィオナ嬢、かな?」
私たちが部屋に入ってきたことに気付くと、陛下はにこにこと穏やかに笑いながら声をかけてくださった。
明るい金茶色の髪に、ほんのり緑がかった榛色の瞳。
その色合いは確かに獅子を彷彿とさせるものがあるけれど、人好きのする笑顔だとか、丁寧な物腰とか、ふんわりした雰囲気だとか……そういったものは獅子のイメージとだいぶかけ離れていて、少しだけ驚いた。
ちなみに容姿はあまりルーに似ていない。
なんせルーはオリエンタルな面立ちだけど、陛下のお顔は彫りが深いので。
氏族間の違いなのか、単純にルーがニーナさまに似ているからなのか、判断するのは難しいところである。
「お初にお目にかかります、陛下。フィオナと申します」
「魔術の国からよく来たね。この国は遠かったろう」
「とんでもございません。ルース殿下のおかげで、あっという間の道のりでしたわ」
カーテンシーで挨拶する私に、非公式な場だからそう固くならず、と陛下は言う。
と言っても、身分差的な問題があるので、あくまでも形式的なものだろう。
こちらが礼儀を尽くす分には問題ないだろうし、室内に控えている護衛の人に付け入られる隙も与えたくないので、お嬢様モードはこのまま続行である。
「それにしても……」
「?」
「ルースもなかなか隅に置けないな。こんな綺麗なお嬢さんが友達だなんて」
「うっさいわクソ兄貴」
「殿下、口が過ぎます」
「――ハ。そうやって、皇族の私的な歓談に口を挟むお前の方が身の程知らずとちゃう? 何様やねん、お前」
依然としてにこにこほわほわしている陛下に対し、ルーの機嫌の悪さったら、もう、ね。
ただでさえルーは今朝の話で機嫌が下降の一途を辿っていたのに、この部屋に入ってからというもの、護衛たちの視線がどんどん神経を逆撫でしていく一方。
わざわざ意図して察する必要もないくらい、護衛が私たちに向ける視線は敵意や害意が明け透けなのだから、ルーがそれに気付かないはずもなく――おまけに侮蔑たっぷりの声と態度で口を挟まれれば、そりゃあ毒と棘がたっぷりの悪態を返したくなる気持ちもよくわかる。
私だって、自由におしゃべりできるなら、悪役令嬢ムーブ全開で護衛たちに向けて全方位射撃をしたいくらいには気分が悪い。
――護衛とは主人を守る立場なのだから、そういった振る舞いをすること自体、私も咎めるつもりはない。
けれど、普通はそれを警戒対象に気取らせないよう、隠すのが護衛としてのプロ意識ではないだろうか。
今朝の侍女にしてもそうだが、こんな露骨に態度に表れるようでは程度が知れている。
ほかの人はもっとちゃんとしているのかもしれないし、この護衛たちもルーとルーの客が相手だからとわざとこんな態度を取っているだけかもしれないが、まともな人材を見ていない私からすれば同じことだ。
(本当に、この国の皇族に仕える人材は質が悪いとしか思えない)
「フィオナ嬢」
「はい」
「この国はあなたの祖国に比べ、気候も勝手もずいぶん違うだろう? 何かお困りのことはないだろうか?」
「困っていること、ですか」
「ああ。魔術の国の侯爵家、それも王家直系の血を引くフィオナ嬢には、なるべく不便な思いをさせたくなくてね。困っていることがあれば、なんでも言って欲しい」
魔術の国の侯爵令嬢、それも王家直系の血を引く娘だと聞いた途端、護衛に動揺が走る。
そんな護衛たちにルーはやっぱり苛々していて、どうどう、と宥めたくなるところだ。……普段であれば、の話だが。
なにしろ今の私の意識は、陛下の発した言葉に釘付けだったからだ。
(今、なんでもって言った?)
貴族社会では言質を取られないように発言するのが基本である。
それは揚げ足を盗られないためであったり、自分の望まぬ方向に事を運ばれないためであり、いざという時に弁を弄して窮地を切り抜けるためであったり、とにかく理由はたくさんあるのだけど――それはどこの国の貴族であっても、なんなら貴族でなかったとしても、政治や金が大きく絡む立場にいる人間なら徹底していることだ。
なのに陛下は、なんでも、と言った。
私の前で、私以外にも証人が何人もいる場で、なんでもと口にしたのだ。
陛下だって言質を取らせてはいけないことくらい知っているだろうに、一体何故?
まさかとは思うけど、ルーのお兄さんはそこまでのポンコツだなんて言わないよね?
今の発言の真意を探るべく思考をフル回転させていれば、ふと、陛下の視線が護衛たちに向けられた。
――より具体的に言うなら、先ほどルーに苦言を呈した護衛へ、氷のように冷ややかで鋭い視線が投げられたのだ。
(……あらまあ)
ふんわりほわほわとした雰囲気の陛下が見せた、一瞬の剣呑さ。
そして、私がそれに気付いたことを理解した上で、にこっと笑う陛下に内心失笑した。
(獅子っていうか、むしろ狸? いや狐?)
ふふふ、と実際に笑みをこぼした私に、部屋中の視線が集まる。
陛下からの視線は変わらないけれど、隣のルーからは不思議そうな雰囲気が、護衛たちからは張り詰めた緊張感が伝わってくる。
うーん、なんともごちゃ混ぜで面白い。
というかぶっちゃけ、護衛たちの焦りと緊張がいい気味だと腹を抱えて笑いたい気分。
……いやまあ、侯爵令嬢としての振る舞いを求められているようだから、そんなことはしないけどね?
でも、うん、悪役令嬢ムーブは陛下に期待されているみたいだから、存分にやらせてもらおうかなー?
「格別のお心遣いありがとう存じます、陛下。困っていることなど、何も」
にっこりと邪気のない笑顔を見せた私に、護衛は安堵を滲ませ、陛下からはかすかな失望を感じ取る。
けれど、ただ一人。
ルーだけは驚いたように私を見つめ、そして――面白そうに愉しげな笑みを深めた。
「ふはっ。せやな? 朝もずいぶん、手厚い歓迎を受けたって言っとったもんなぁ……?」
「ええ。それはもう」
にこにことご機嫌に笑いながら会話する私たちに、陛下はおや? と片眉を上げる。
対する護衛たちはと言えば、そうでしょうとも! と言わんばかりに誇らしげに胸を張っていて、……今朝の出来事の当事者的には、なんとも滑稽なものだなと思う。
初対面の私はともかく、あれだけ蛇蝎のごとく嫌っているルーがこんなにも笑っていることに、彼らは違和感のひとつもおぼえないものだろうか?
(しかもこんなに、悪意満点の笑顔なのにさ)
あの護衛たちが鈍すぎるのか、ルー相手に色々とおざなりすぎるのか、はたまた私の素性に未だ混乱しっぱなしなのか。
正確な答えはわからないけれど、まあ、別にいっか。困るのはあっちであって、私たちには関係のない話だし?
「それはよかった。ちなみに、どんなもてなしを受けたのか聞かせてもらっても? 良い働きをした者はきちんと褒めてあげなくてはね」
「もちろんですわ」
なんとなく『悪い行いをしたものは罰しなくてはね』という副音声が聞こえたような気がしたけれど、それは私の気のせいだと思うことにして。
上手く乗っかってくれた陛下に感謝しつつ、今朝の件を詳らかにしていく。
「まずはそう、朝、陛下が遣わせてくださった侍女を待っていると、いきなり部屋に入って来られまして!」
「………………ええと、それは、入室前のノックもなく?」
「はい!」
にっこり笑って頷く私に、陛下がピシリと音を立てて固まった。
ついでにいうと、室内の気温が体感で二、三度くらい下がった。ような気がする。
「それから、顔を洗うようにと泥水を張った盥を用意してくださって。恥ずかしながらわたくし、こちらの国の事情にとんと疎いものですから、驚いてしまいましたの」
「…………」
「確か、盥の泥水を引っかけられそうになった、とも言っとったよな?」
「ええ。実は、あの、本当に申し訳ないのですけれど、その際、お守りが反応してしまいまして……」
「お守り、というのは」
「魔術の国の貴族は誰もが身に着けているものです。わたくしに害が及ばぬよう身を守るためのお守りなのですが、運悪く、泥水をそのまま侍女に返してしまったようでして」
せっかくの手厚い歓迎でしたのに申し訳ございません、と白々しくも真面目に謝罪する。
ちなみに陛下は表情を引きつらせているが、しっかり笑顔を保っているあたり、さすがは一国一城の主と言うべきか。
……護衛の人たち?
言葉を失った様子で天井を仰いでますね!
「ふ、くくっ……」
(楽しそうだなぁ)
冷え切った部屋の空気とは正反対に、ルーは楽しげに肩を震わせている。
図太い神経してんなーと他人事のように思ったが、よくよく考えてみれば、卒業記念パーティで死なばもろともをやらかした私も似たようなものか。
似た者同士って言われて嬉しいかどうかは相手によるところも大きいけれど、ルーと似てるって言われたら、私は嬉しい。
「……ちなみにその侍女は、何か言っていたかな?」
「そう、ですね。最初はルース殿下の遣いだとおっしゃっていたのですが、よくよく話を聞いてみれば、自分は殿下ではなく陛下の遣いだと声高に主張されていましたわ」
「――」
「今朝の歓迎は陛下からの格別のご配慮であることを、わたくしに勘違いして欲しくなかったのでしょうね。護衛の皆様といい、陛下に忠実な方ばかりで羨ましい限りですわ」
「そう、かな?」
「はい。わたくしの周りには、忠義に欠けた使用人ばかりでしたから」
頭が痛そうにしながらも、陛下が遠回しに『何か侍女をしょっ引く証拠ある?(意訳)』などとおっしゃるので、そういうことならと私が聞いた話をそっくりそのまま伝えることにした。
ついでににっこ~! と、お嬢様らしさ全開のいい笑顔で皮肉を言えば、『なんでも言ってくれ』と私に言った手前、陛下は何も言えなかったらしい。
いよいよ額に手を当て、深く深くため息をついて「そうか」と呟いた。
うーん、内憂事項がたっぷりで皇帝陛下は大変ですね。
早くルーが気を張らずに過ごせるよう、ぜひとも速やかなお掃除をお願いしたい限りである。
「もうええやろ? フィーはアンタに気ィ遣てああ言ったけど、長旅で疲れとらんはずがあれへんのや」
「……ああ。無理を言って悪かったね、ルース。フィオナ嬢も、こちらに滞在する間はゆっくり身も心も休めて欲しい。私がなんとかするからね」
獅子と狐の兄弟のその会話で、どうやらこの会談はおしまいになったようだ。
改めて陛下には時間をとっていただいたことと、滞在を許してくださった感謝を懇ろに伝え、ほな行こか、と再びエスコートしてくれるルーに寄り添って退室する。
陛下の告げたなんとかする、の言葉が、決してリップサービスではないことを祈って。
今回のお話はずっと書きたくてウズウズしてました笑
Tipsはおやすみ(のつもり)ですが、もしかしたら今後、追加するかも…?
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