おかあさんといっしょ
盆休みは時間があるはずと言ったな、あれは嘘だ。
お待たせして本当にすみません、完全に見誤りました。
考えてみれば、新盆の家の人間が暇なわけなかったんですよね…。
昨晩、就寝する前に『もしも何か困ったことがあったら』と、ルーの部屋とニーナさまの部屋の場所はそれぞれ教えてもらっていた。
もちろん、私にとって頼りやすいのも頼れるのも、言うまでもなくルーただ一人に決まっているのだけれど。
女特有のあれこれで頼られたってルーも困ってしまうだろうし、さすがにそれは私もいかんせん気まずいものがあるので(前世の私はともかくフィオナは年頃の女の子だ)、そういった諸々の事情込みでニーナさまの助けは私たちに必要不可欠なものだったのである。
とにもかくにも、そんなわけで二人の部屋の場所をしっかり把握していた私は、侍女との一悶着を終えたあとまっすぐニーナさまの部屋へと向かった。
別にこの件に関してはルーに助けを求めてもよくない? という声がどこからともなく聞こえてきそうな気がするが、当然、この人選にも理由がある。
というのも、私もつい最近――それこそ魔術の国から百獣の国へ向かう道中で初めて知ったことなのだが、ルーは実は寝起きが相当悪いらしいのだ。
これは本人の自己申告によってもたらされた情報で、ルー曰く『絶対に迷惑かけるから近寄ったらあかん』とのこと。
部屋の外から声をかけるくらいならギリギリセーフらしいけれど、室内に入ると被害……迷惑……などと言い淀んでいたものの、どちらにせよ、あまりよろしくない状況に陥ることは間違いない様子。
そこまで言うなら寝起きすぐのルーに近寄るのは避けておこう、と私が思うようになったのは当然の成り行きだったし、こうして朝イチのトラブルに関してニーナさまに頼るのもごく自然なことだった。
……いや、まあ、ルーの寝起きの悪さが親譲りという可能性もなきにしもあらずだけど。
昨晩の時点で『いつでも頼ってや!』と朗らかに笑うニーナさまが寝起きに関して何も言ってこなかったし、ルーも特に気をつけろとは言ってこなかった。
ということは、ニーナは寝起きが良いか、ルーほど悪くはないと考えられるはずで、そこまで警戒する必要もまたない。……はず。たぶん。
(大丈夫だといいなぁ……)
勝手に空き部屋に入って着替えるとか、身だしなみを整えるとか、さすがにちょっとね? と私も思うわけですよ。
『魔術の国なんてもうしーらね!』とか、『使えねー王太子が国のトップになって王侯貴族も平民もみんな困ればいいんだ!』とか、わりと人でなしの思考をする私だけども、最低限の礼儀くらいは果たすべきかなと考えたりする。
「あの、ニーナさま。起きていらっしゃいますか?」
「……え、フィオナちゃん?」
内心とてもひやひやしながらノックをして、恐る恐る扉の向こうに話しかける。
すると、どうやらニーナさまはとっくに起きて身支度も整えていたようで、驚きつつも扉を開けてくださった。
なるほど、ルーの寝起きの悪さは親譲りではなかった様子。
……なんて、斜め上の思考に走るのは、ひとえに張り詰めた緊張を誤魔化したかったから。
かなしいかな、いくら親友のお母さんと言えども、ひとたび芽生えた苦手意識はそう簡単になくならないのである(なにしろ私の周りにはずっと敵ばかりだったもので)。
「おはようございます、ニーナさま」
「えっ、ああ、おはようさん。こんな早い時間に大荷物でうちの部屋を訪ねてくるなんてどないしたん? ……もしかして、」
「えと、その、……実は、お借りした部屋が水浸しになってしまったので。身支度を整えるのに、別の部屋をお借りできないかと、ご相談に」
「――……なる、ほど」
私の来訪を受け、もしかして、と言った段階でかなり不安げだったニーナさまの表情。
その表情になんだかこちらまで申し訳ない気持ちになりつつ、遠回しに『そのもしかしてです』と私が伝えれば、なるほど、という返事が返ってくるまでに妙な間が空いた。
ニーナさまは額に手を当てて天井を仰いでおり、なんというか、とにかく『やっちまった』という雰囲気をひしひしと感じる。
昨晩、散々『さすがにないとは思うけど……』と話していた可能性が現実になったことに、おそらくニーナさまも言葉を失わずにはいられなかったのだろう、と察するに余りある。
……いやまあ、悪いのはあくまでもあの侍女であって、ニーナさまにはなんの非もないのだけれど。
もしも私がホスト側で、ルーに対して同じようなことが起きたとしたら、絶対に気に病まずにはいられない。
だからこそ、今のニーナさまには何を言っても気休めにすらならないだろうなとわかるので、あまり下手なことは言わないでおくことにした。
慰めがかえって突き刺さることもあるのだと、前世の経験が囁いているのも理由のひとつである。
「……ほんまにごめんねぇ。お客さんに使てもらえる部屋で、すぐ貸せるほど綺麗なんはあの部屋だけなんや」
申し訳なさそうに――あるいは頭が痛そうにしながら言うニーナさまに、そりゃそうだと思った。
いくら王宮に比べれば小さな離れと言えども、他人の手に頼らず、便利な家電もなく、ニーナさまが一人で管理するには広い建物であることに変わりはない。
そこへ事前の知らせもなく、いきなり『泊めてください』とやって来た私がすぐ使える部屋があったことに、本来であれば感謝してもしたりないくらいなのだ。
気軽に別の部屋を借りる相談をしようとした私の考えが足りなかったな、と内省する。
であれば、ここは大人しくあの侍女が部屋を片付けるまで待って、身支度はそれからにすべきか。
どうせ侯爵令嬢のフィオナ・ボールドウィンとしてではなく、ルーの学友である平民のフィオナとして、制服を着て皇帝陛下にはご挨拶をするつもりだったのだ。
そこまで華美な装いは必要がないし、短い時間でも十分な支度はできるはず。
……『ちゃんとしたドレスを着るべき』?
いやいや、今の私の曖昧な立場で分不相応な格好をするよりはマシでしょ。
学園を卒業したとはいえ生徒であったことに変わりはないし、あくまでも私とルーが学友という関係であることを強調するためにも、下手な格好はしない方がいいんだって。
変に着飾ったせいで勘違いする馬鹿が湧いて、魔術の国と百獣の国の外交問題に発展しても困るし。
「せやから、フィオナちゃんさえ嫌やなかったら、うちの部屋を使て」
「え!?」
――あれこれと巡らせていた思考は、ニーナさまの一言でまるごと吹き飛んだ。
( 自室に 他人を 招く ? )
ニーナさまからのとんでもない提案に、私は思わず声を上げてしまった。
なんせ、自分の部屋に赤の他人……それも出会って二日目の信頼関係も何もない相手を招き入れるなんて、政治に伴う詭計謀略とともに黒魔術が横行する魔術の国、それも王侯貴族の階級に属する人間であればまずありえない発想と申し出なのだ。
いくら文化の違う国だと理解していても、二十年近くの月日をかけて刷り込まれた思考や習慣は簡単に切り替わるものじゃないので、私がぎょっとしてしまいのも仕方のない話なのである。
……『お前はルーを寮の自室に招こうとしただろ』って?
いやぁ、そこはほら、だってルーだし?
ルーは私が嫌がることも私を傷つけるようなこともしないし、ぶっちゃけ私はルーのためになるならなんでもするし何をされても良いし、極論で言えば死ぬことだって本望なのでね。ルーの入室を断る理由がないなって?
……なんの話をしてたっけ?
ああ、そうだ。ニーナさまの部屋を使う・使わないの話だった。
あまりにも有り得ない提案をされたものだから、動揺しすぎて思考が変な方向に走ってしまった。
(軌道修正、軌道修正……)
「? 何か気になることでもあった?」
「その……気になること、と、言いますか」
首を傾げるニーナさまにしどろもどろになってしまうものの、ここは一度、きちんと話をしておくべきだと気持ちを奮い立たせる。
自分の部屋に他人を招くという行為が百獣の国ではなんら問題ない行為でも、魔術の国の人間相手にはそれはもう、とても、たいへん、危ないことなので。
いくら私にその気がなくとも、今後、そういった悪意をニーナさまに向けてくる輩がいないとも限らないのだ。
息子の友人だろうと、警戒するに越したことはないと伝えておかなくちゃ。
「ニーナさまは、黒魔術、というものをご存じですか?」
「黒魔術? ……あ。ルースからふわっと聞いたんやけど、もしかして死体が残ってると危ないやらなんやら、そういう?」
「はい。それも黒魔術の一種です」
ニーナさまの確認にひとつ頷いて、説明を続ける。
「黒魔術、というのは、いわゆる呪いのようなものです。魔術師が呪いたい相手の身体の一部や、その人の痕跡などの媒介を使って魔術をかけることで、人を傷つけたり殺したりする。簡単にまとめるとそういうもので、魔術の分類のひとつと思っていただくと、きっとイメージがつきやすいと思います」
「ふんふん」
「媒介になるのは、先ほど挙げていただいた死体であったり、血液であったり、髪の毛や爪なども身体の一部として含まれますね。人の痕跡という観点で言えば、足跡や、ベッドに横になった跡……シーツの皺なんかがそうです」
「なるほど?」
「……なので、ですね。魔術の国の人間、それも王侯貴族に連なる血筋を持つ人間ともなれば、黒魔術にも精通した魔術師ですから。そんな危険人物を、黒魔術の媒介になるものにあふれた自室には招かない方がよろしいかと」
実際に黒魔術を使う・使わないは関係なく、魔術の国の貴族たちは黒魔術に関する知識がある。
それはもちろん、対策や妨害のために元となる黒魔術をよく知っておくべき――という考えに基づくものであって、黒魔術を学ぶこと自体は魔術の国でも忌避されないことだったりする。
そりゃあそうだ、自分に牙をむく脅威の正体を知らずに、どうやってそれを防ぐことができるのだ? という話なので。
呪いと対策は表裏一体のものなのだ。
――とまあ、そういうわけで黒魔術の勉強自体に問題はなく、あの国で忌避されているのは『黒魔術を実際に行使すること』だけ。
しかもそれは呪いを返されるリスクだとか、黒魔術を使った術者にはデメリットが存在することに由来するものなので、そこをどうにか回避する術がある人間ならどんどんバシバシ使おうとするし、そこを肩代わりする黒魔術専門の魔術師なんて生業だってあの国には存在する(ただし当然、依頼主のあらゆるリスクを肩代わりするので依頼料は馬鹿みたいに高いらしい)。
……『黒魔術なんておぞましくて陰湿なことをするなんて有り得ない!』と貴族が言うのは、あくまでも建前なのだ。
なんせ、魔術の国の政治の歴史は黒魔術と共に歩んできているんだからね。
きれいごとを言いつつもその裏では……なんてことはザラなのだった。
……また話が逸れてしまった。修正修正。
「そっか。うちの部屋に入るのをフィオナちゃんが渋ってるんは、そういう理由があってのことなんやな」
「はい。ですから、」
「でもフィオナちゃんはそんなことせんやろ?」
「ええまあ女神に誓ってもしませんしありえませんがそういうわけではなくてですね……!」
へらっと笑うニーナさまに思わずツッコミを入れてしまったのは仕方がないことだと思うのよね!!
(うーーーーーーんこれは間違いなく母子!!)
ニーナさまの様子にルーの姿が重なって、とっさに頭を抱えたくなる。
……自分のことを棚に上げておいていったい何を、と言われるかもしれないけど、ならば私からも言わせて欲しい。
こちとらここまで手放しに信頼を向けてくれるひとはルー以外に皆無だった人生なのだ、疑われも嫌われもしないことがかえって不安だし困惑しかしないんだよ!! と。
いや本当、我ながら言っていて悲しくなりそうなことだなぁと他人事のように思うけれど、実際他人事というか、残念ながらこれが私にとっての当たり前なのよね。
そんなわけで、もはや悲しいとか虚しいとか、そんなレベルは私の中でとうに超えて過ぎ去った過去の話となっているのである。
(これだからニーナさまに対する苦手意識が拭えないんだよなぁ……)
心の中で苦虫を噛み潰したような顔になりながら、さぁどうぞ、と言わんばかりの笑顔で部屋への道を開けるニーナさまから私は視線を逸らして――
「どうして、」
「?」
「……どうしてニーナさまは、こんなにも私に好意的に接してくださるのですか」
とうとう堪えきれずに、その問いを投げかけてしまった。
だって、いくらなんでも昨日であったばかりの相手、それも既に(あるいはこれからもっと)隣国の厄介者である人間にここまで手放しで好意を示すとかおかしくない? おかしいでしょ?
昨日の時点でニーナさまにはハグをされて、頭を撫でられて、何故か『守る』宣言もされたし、就寝するまでの間も細々とたくさん気を遣ってくれた。
しかもその上、今日は今日で、黒魔術が使えるんだぞと言外に示した私を部屋に招こうとするんだから、なにこれ絶対ありえなくない??
……などといった具合に、私が軽くパニックに陥るのもやむなしといいますか、……ね?
いくら私と息子が友達だと言っても、果たしてそれだけの理由で、母親はここまでの好意を私に示してくれるものなのだろうか。
少なくとも私は父の友人や同僚だからと言って気を許すつもりはさらさらないし、むしろ警戒レベルを引き上げる方向で行動するに違いない。
だからなおさら、ニーナさまから感じ取れる感情の変化がよくわからなかった。謎だった。
昨日、ニーナさまとご挨拶した直後、ルーが席を外している間に二人で話した時のように、ルーを私が傷つけてはいないかと――私をルーの敵だとみなして警戒される方が、よっぽど自然なことだし私としても安心できるのに。
実際には、その感情が百八十度正反対の方向を向いているのだから、私だって身構えずにはいられないのである。
(我ながら末期だなぁ)
好意を向けられるより敵意を向けられる方が安心する、なんて、果たして人としてどうなのか。
そう、内心では自嘲の笑みを浮かべながら、ニーナさまの答えを待つ。
「なんで、と言われても……」
「……」
「ルースのこと、あんなに好きでいてくれるフィオナちゃんを、嫌いになんてなれるはずあらへんわ」
やがてニーナさまは困ったように、あるいはどこか、気恥ずかしそうに。
顔の横に垂れる髪をくるくるといじりながら、そう言って笑った。
「うちら狐の氏族がこの国でどういう立場なのか、扱いなのか、ルースからは聞いとるやろ」
「はい。……百獣の国が建国されるきっかけになった内紛での一件が原因で、ほかの氏族から疎まれ蔑まれているとか」
「うん、その通り。せやからうちも、うちの両親も、おじいちゃんおばあちゃんも、そのまた先のご先祖さまも――みぃんなこの国では孤立して、同じ氏族の仲間たちと身を寄せ合って暮らしとったんやけどね。そんな状況を変えたいって、うちを皇室に迎えてくださったのが先帝陛下やった。……まあ、反発が大きいのはお互いにわかっとったけど、それでもどうにかしたかったんよ。先帝陛下は国を良くしたかったし、うちは仲間たちの暮らしをもっと良いものにして、堂々と国内を歩けるようにしたかった。利害の一致、というやつやね」
自分たちの利害の一致だと、政略結婚のようなものだとニーナさまは言うけれど。
彼女の柔らかい表情から、お二人の関係が決して悪いものではなかったことは、部外者の私にもなんとなく読み取れた。
「でもねぇ、やっぱり、数十年、数百年と長い時間をかけて根付いたイメージは、そう簡単に変えられるようなものじゃなかった。……そのせいで、ルースにはほんまに辛い思いをさせてしもたと思う。氏族の里に生まれていたら、少なくとも傍に仲間がいて。里の中に閉じこもってさえいれば、なんて注釈がついてまうけど、もっとのびのびと暮らせてた。大人の優しさに触れることができたはずやし、同年代の友達やってたくさんできてたと思う。……でも、あの子は皇室に生まれてしもたから。ほかの子どもたちとは比べ物にならんくらい、たくさんの悪意のなかで育ってきた」
もちろん、先帝陛下がニーナさまやルーを守らなかったわけじゃない。
でも、あの侍女のように『狐の氏族には何をしても許されるんだよぉ!!』……みたいな、ろくでもない思考をしているお馬鹿さんは王宮に山ほどいて、先帝陛下の目を盗んで二人に危害を加えるヤツは多かった。
やがて二人にとって一番の後ろ盾だった先帝陛下が崩御すれば、お馬鹿さんたちの抑止力はなくなったも同然。
若い皇帝陛下にお馬鹿さんたちを完全に統制しきるだけの力はなく、ニーナさまがたった一人でたくさんの悪意からルーを守り続けるのもまた難しくて。
怪我をしたり、理不尽に泣いたり、怒ったり、酷い時には暗殺されそうになって、死にかけたことだって一度や二度の話じゃなかったと、ルーが前に教えてくれたっけ。
「あの子を守れるのは家族だけ。あの子を愛してあげられるのも家族だけ。でも、うちらがルースを守れば守るほどそれを上回る数で傷つける誰かがいて、愛すれば愛する以上に疎んじる誰かがいたから。……うち以外の全部を拒絶した方が楽やって、あの子はそういう結論を出したみたいで。実際、留学に行くまでのルースはずっとそんな言動だったんよ」
「今は、違うんですか」
「そりゃあもう!」
それまでずっと憂い顔で、何かを後悔するような表情を浮かべながら話していたニーナさまは、わたしの問いかけに一転。
にこりと笑顔を浮かべて、言葉を続ける。
「名前こそ出て来ぉへんかったけどね、ルースの手紙にフィオナちゃんの話題が出ない時の方が珍しいくらいやったわ。フィオナちゃんとこんなことしたとか、あんなことがあったとか……そりゃあ最初はどないな風の吹き回しかとびっくりしたけどね? だんだん嬉しくなって、手紙が来るのが楽しみになっとった。だってあの子がうち以外の『誰か』に目を向けて、『誰か』と友達になるなんて、そないなこと初めてやったから」
「……そう、ですか」
「しかも」
「『しかも』?」
「時期的に、フィオナちゃんとお友達になったあとからやと思うんやけど……皇帝陛下との手紙のやりとりが、報告書じゃなくなったみたいなんよ」
「?」
いまいち話がよくわからないでいる私に、ニーナさまはより詳しく話を聞かせてくれた。
なんでも、留学中のルーはニーナさまだけでなく皇帝陛下とも手紙のやり取りをしていたらしいのだが、最初の頃は陛下との文通がただの報告書とも言うべき内容だったらしい。
簡潔に、最低限、箇条書きで書かれた授業内容や知り合った貴族の名前。
そこにプラスアルファ、家ごとどういった特色があるか等のおまけの情報を補記されたものが届いていたそうで、なるほど確かにそれは報告書だなと私も納得する。
ちなみに皇帝陛下自身は普通に近況を問うお手紙を書いていたそうなので、ルーは本気で陛下と言葉を交わす気がなかったんだなとか、もしくはちょっとした嫌がらせでもしたかったのかなとか、ちょっとだけ余計なことまで考えてしまった。
けど、ニーナさま宛ての手紙に私の存在が出てくるようになってしばらくした頃から、陛下宛ての手紙にも変化が現れたらしい。
報告書があることには変わらないけれど、そこに便せん一枚分にも満たない量ではあるものの、日常を綴った手紙が添えられるようになったそう。
……そもそも私は陛下とルーが文通をしていたことすら知らなくて驚きだったけれど、うん、その過程を知るとそっちの驚きの方が強いかもしれない。
何かしら、ルーの中で心境の変化が起きたのは間違いないと思う。
「それにな、昨日の様子もそう。夕飯を作りながらルースから直接話を聞いて、二人が仲良しやってわかったのもあるけどな。それ以上に、フィオナちゃんがルースのことをとびっきり大事にしてくれとるのがようわかったわ。……愛称で呼び合うなんて、ほんまに仲がええんやねぇ」
「……愛称は、その、ルース殿下からで」
「うそ、あの子が言い出したん? ……はあぁ、驚いた。ルースがフィオナちゃんのことめちゃくちゃ気に入っとるのは知っとったけど、……なるほどなぁ」
へーふーん、と何やら意味深に頷いて見せるニーナさま。
もしかしたら関係を邪推している(されている?)のかもしれないが、私たちはあくまでもただの友人関係であって、そこに色恋が混ざっていないのは紛れもない真実だ。
……いやまあ、ただの友情にしては感情が重すぎだろと言われたら、確かにその通りだし否定できないんだけど。
ぐうの音も出ないくらい言い負かされてしまうのだけど。
「とにかく!」
ぱちん、とニーナさまがいきなり手を叩いた。仕切り直しか、総括か。
話の流れ的に後者だろうかと思いながらニーナさまを見つめると、彼女は目元をゆるりと緩めて弧を描く。
「あれっっっだけルースのことを大事にしてくれて、いい方向に変えてくれたフィオナちゃんやもん。あの子の母親として、フィオナちゃんを好きになることこそあれ、嫌いになるなんてありえへんから! ね!」
「っ、わ!」
ニーナさまとのおしゃべりに気を取られていた私は、トランクを携えていた手を取られ、引かれて、あっという間に彼女の部屋へと引き込まれた。
……完全に気を抜いていた、としか言いようがないのだけど。
それはそれとして、ニーナさまのその細腕のどこに今の力があるのだろう……?
私を引き入れたのに体幹が全然ブレてないし、なんならちょっと力をこめただけですけど~みたいな雰囲気じゃなかった? 今……。
獣人は男性も女性も力が強い、とはよく聞く話だけれど、もしかして今のもそれなのかしら。
ううむ、初めて魔術について知った時、魔術も魔術でよーわからんなと思ったものだけど、獣人のパワーも不思議なものだなぁ。なんて、完全に現実逃避の思考である。
「んふふ、入っちゃったねぇ?」
「……入ってしまいましたね」
楽しげにくふくふ笑うニーナさまに、私も観念するしかないかぁ、と困り笑顔を返した。
今だって、そんなにちょろくて大丈夫なのか? と思う気持ちがなくなったわけじゃない。
いくら獣人が五感に優れ、力が強くても、魔術は不可視の力だから。
警戒するに越したことはないし、むしろ、しすぎるくらいがちょうどいいというもので。
いっそ私を軟禁あるいは監禁・監視するのが、こちらの国としては安心・安全なんじゃないかな、とか、考えたりもする。
いくら皇弟の友人で、隣の国の元貴族であったとしてもね。
本当はそうするのが、国としては正しいんだと思う。
……ただまあ、その、ルーとの仲の良さを認めてもらえたからだと思うと、うん、それはやっぱり嬉しいな。とか。考えたりもするわけで。
別に他人にどう思われようが気にしないし、私たちの仲が良いことに変わりはないけど。
ルーの大事な大事なお母さんに認めてもらえるのは、素直に安心するし、とても幸せなことだと思うから。
親友のいっとう大切な人に受け入れてもらえるのは、ありがたいことだから。
だから、そう、いつまでも頑なに突っぱねているのは、きっとかえって失礼なんだ。
そんな風に、礼儀礼節を言い訳にしなくちゃ行動に移せない私は、やっぱり弱い人間なんだけど――
「申し訳ありません、ニーナさま。……お部屋を少し、お借りします」
それでもちょっとくらい、手を伸ばしてみようかと。
はにかみながら笑って、その気持ちに甘えさせてもらうことにした。
Tips! 【黒魔術師】
読んでそのまま、黒魔術を専門とする魔術師。
ハイリスクハイリターンの黒魔術を、依頼者の代わりに行使することでお金を稼いでいるひとたち。命懸けの仕事なので当然、依頼料は高額になりやすく、呪い返しのリスクが高ければ高いほど依頼料はつり上がっていく。
好き好んで黒魔術師になる人は少なく、大抵はお金に困って追い詰められている人や、身寄りのない人が就く仕事。ごく稀に、マッドな研究者や黒魔術そのものに魅せられた人など、風変わりな黒魔術師もいるらしい。
本作は毎日更新ではなく、(大体)週1ペースでの更新を予定しております。
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