ひとりぼっちのお姫様 後編
王太子の婚約者で、いとこで、侯爵令嬢でもあって。
一見すればなんでも持っとるように見えるフィオナ嬢やのに、その実、近くで観察するとちっとも幸せそうには見えへんかった。
恵まれた境遇のはずの彼女は、むしろ、その立場にひどく苦しめられているかのようで。
いくら婚約者から蔑ろにされとるからって、それだけでこうも不幸と陰気をどろどろになるまで煮詰めたような、そんな印象を受けるのは心底わけがわからんくて。
事前情報を仕入れて多少、彼女のことを知っとっても、そんな風に俺の目に映るフィオナ嬢がずっと不思議で仕方なかった。
けど――その理由がわかれば、彼女の境遇や受ける仕打ちにおぼえがある身としては、納得しかあらへんわけで。
ただそこにいるだけで煙たがられ、嫌われ、疎まれ、憎まれる。
そんな理不尽な話があってたまるかと反発する俺が、鏡写しのようにそっくりそのまま同じ立場にあるフィオナ嬢を放っておくことができひんかったのは当然やと思ったし。遅かれ早かれ、俺はきっと、フィオナ嬢へ手を差し伸べるようになっていたんとちゃうかな。
そうして、『フィオナ嬢の友達』という免罪符を手に入れた俺の行動は早かった。
かつての俺が母さんにしてもらったことや、『誰か』にしてもらいたかったこと。そのすべてを、隙あらばフィオナ嬢に施すべく動くようになった。
意識的、あるいは無意識的に彼女が困っとる時には進んで助けたし、向けられる悪意から逃がしたり、守ったりもした。
とにかく学び舎で孤立するフィオナ嬢を独りにしないよう、できうるかぎり心がけて、ひとりぼっちの世界で生きる彼女に寄り添うように動き続けた。
いきなり『友達になってくれ』なんて言い出した挙句、余所余所しかった態度を友好的なそれに軟化させた俺を、フィオナ嬢は間違いなく怪訝に思っとったはず。
でも、彼女がそれを表に出すことはなく、むしろ恐縮しきった様子で「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」とか「ルース殿下のお手を煩わせるようなことでは」とか、そんなことばっかり言うとった。
……けど、日を重ね、助け舟を出した回数を重ねるうち、俺が本気で友達になりたいと言っとることがわかってもらえたんやろな。
不思議そうな困ったような雰囲気を醸し出しながらも、おずおずと謝罪ではなく感謝を伝えてくれたり、雑談に付き合うてくれるようになった。
ありがとう、と誰かに言われるのがあんなに嬉しいことやったんやって、彼女に言われるようになって俺は初めて気が付いた。
……友達としての雑談と称して、彼女の生い立ちを教えてもろて。俺とは違て親すら頼られへんフィオナ嬢の境遇に同情したり、お互いの境遇を比べてほの暗い優越感を抱かへんかったかと言われれば、それは嘘になる。
けど、そんな浅ましい気持ちよりも、俺と同じような立場におる彼女と――生まれて初めて、俺と同じ感情を共有してくれそうな相手と出会えたことの方がよっぽど嬉しかったし。
そんなフィオナ嬢やからこそ、純粋に彼女の力になりたいと思う気持ちの方が強かった。
誰にも守ってもらわれへんことの不安や、心細さは、俺かてよお知っとるつもりや。
小さい頃、皇位の代替わりのどさくさに紛れて母さんが殺されかけて、誰にも頼られへんかった数日間。
信じられる人が誰もおらんなかで、さんざめく悪意から必死に逃げ回った、悪夢のような数日間。
……たった数日間でもトラウマになるくらいの日々が、当然の日常なってしまったフィオナ嬢の心境を思うと、自分のことのように胸が痛くてたまらんかった。
せやから俺は、せめて、俺だけでもあの子の止まり木になれたらええのにと、そう思っていて。
「ほら見て、あれが獣人よ。本当に獣とヒトが混ざっているのね」
「ああいやだ。わたくし、あの耳と尻尾がなんだか気味が悪くて仕方ないの。あんな存在がわたくしたちと同じヒトだと言われているなんて、本当におぞましいったら……」
――俺が前にこっぴどくあの女たちを追い払った話を聞いたのか、あれ以来、直接話しかけてくる輩は男も女も減った。
せやけど、ああして遠巻きに俺たちを……というか、俺を見てひそひそと話している姿は見かけるし、獣人は耳がええからちょっと遠巻きにしとるくらいじゃ会話の内容だって聞こえてまう。
あいつらが獣人に対して無知すぎるのか、この距離なら聞こえんやろとタカをくくっとるのかは知らんけど、どちらにしたってええ気分やないことには変わりあらへんわけで。
「――ひっ」
「やだ、フィオナ様がこちらを見ているわ!」
「フィオナ様のあの目、いつ見ても真っ暗で何を考えているのかわからなくて怖いのよね……。何か言われる前に、早く逃げてしまいましょう」
はてさてどうしたもんかと俺が対策を考えとるうちに、陰口を叩いとった女たちは踵を返して逃げていった。
聞こえた会話の内容から察するに、どうやら真面目なフィオナ嬢はあいつらの発言を見過ごせずに圧をかけたらしい。
ほんまに律儀なことやなぁと感心しつつ、出会ったばかりの頃から一貫しとる彼女の態度に安心してみたりなんかもして。
ちゃんとお礼を言わなあかんなぁと、母さん以外の相手に自然と思うようになったのも、実際に行動に移すようになったのも、全部ぜんぶフィオナ嬢と出会ってからのことやった。
それまでは俺とちゃんと向き合うてくれる相手がいなかったからってのも、理由のひとつやけど……友達ならそうするのが当然のはずやって、そう思うから。
だからこそ、慣れないことにも挑戦するようになったってわけやな。
きゃらきゃらと、悪意を隠さない笑い声が次第に遠ざかっていくのを聞きながら、ほんま学習せんやつらばっかやなと呆れつつ。まあ、しょーもないやつらのことなんて考えるだけ時間の無駄やわと、すぐに思考から切り捨てた。
あんなやつらよりもフィオナ嬢の方がよっぽど大事やし、改めて、彼女にやかましい虫を追い払ってもろたお礼を伝えようと視線を向ければ……。
「……、どないした?」
なんとなく、フィオナ嬢の纏う雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。
何が違うのかと言われると、言語化するのはいささか難しいくらい微妙な違和感。
何がこんなに引っかかっとるんやろか。
どうしてこないに、胸がざわざわするんやろか。
妙な感覚に首を傾げながら、どうにも落ち着かへん気持ちに俺はモヤモヤとしたものを感じて――そのモヤモヤを吐き出すように、フィオナ嬢に疑問を投げかけた。
「……いえ、」
猫の氏族の連中が時折、何もない場所をじっと見つめる時のように。陰口を叩くやつらの声がした方を見つめていた彼女は、戸惑いを隠さへん俺の疑問に、ゆるゆると双眸をこちらに向ける。
こちらを見上げる真っ黒な瞳は、相も変わらず底が見えへんくらい真っ暗で、やっぱりいつもと同じに見えた。
……けど、その瞳の真っ暗具合が、今日はどこか『変』な気がして――
「お気になさらず。うるさい羽虫がいただけですから」
「……!」
ふるふると首を振りながら俺の疑問に答えたフィオナ嬢は、初めて――といってもほんのちょっぴりやけど、俺の前でその端正なかんばせに感情を滲ませた。
それは、彼女が言うところの羽虫に向ける、明確な嫌悪の情。
不快で、不愉快でたまらないのだと如実に告げる、鋭利で刺々しい感情やった。
決してポジティブな感情とは言えへんものの、彼女が初めて感情を発露を見せたことが嬉しくて、あいつらのせいで下降しかけていた気分がぐんっと上向いた。
しかもその上、彼女があいつらを嫌悪しているのは俺の陰口を叩かれたかららしいと、フィオナ嬢の発言から察することもできて。
『友達』が決して俺の一方通行ではないことがわかった途端、ぶわっと心臓のあたりが熱を持った。
「おおきに」
「いえ――いいえ。わたくしがただ、堪え性もなく、虫の羽音に我慢ならなかっただけですので」
……淡々と話す彼女にむず痒い気持ちになりながら、俺は口角が上がりそうになるのを必死に抑えこんだ。
(ああ、良かった)
俺の気持ちも、行動も、彼女の迷惑になってないかと不安やったけど。
きっと間違いやなかったんやと、苛立つフィオナ嬢に、ひどく安心した。
その一件があってから、フィオナ嬢は少しずつ、俺の前で感情を表に出すようになった。
鉄面皮やった表情が徐々に和らいで、喜怒哀楽とか、安心したり気を抜いたりしとるのがわかりやすくなったし、平坦な声にも抑揚がつき始めた。
情報交換以外のちょっとした雑談も増えて、軽口を叩き合ったり、冗談や愚痴を言ったり、ナイーブな気分になった時にはお互いを励ましてみたりなんかもして。初めて友達らしい下らないやり取りができた時なんか、どうしようもなく胸が高鳴って仕方あらへんくらいやった。
そんな中、特に一番大きな変化が現れたのは、あの真っ黒で真っ暗な底知れない瞳やと思う。
死んだ魚のようにどんよりと淀んでいた彼女の目が、ちょっとずつ、日に日に、俺を見つけると嬉しそうにきらきらと光るようになって。
俺がちょっとしたことでお礼を言ったり彼女を褒めたりするたび、照れくさそうに、気恥ずかしげにそっと目を逸らすところを見ると、無性に嬉しくて、幸せで。
「なんかこう、友達らしいことってほかにあらへんかな」
「友達らしいこと、ですか」
「フィオナ嬢はなんかある?」
「そう、ですね……。たとえばですが、ニックネーム――お互いのことを愛称で呼ぶ。とか、いかがでしょう?」
「愛称」
「はい」
「……なんやそれ、めちゃくちゃ友達っぽいな!」
「ふふ。ルース殿下もそう思われますか」
「思う。というか、あまりにも天才的発想すぎて軽く引く。そないなことぽっと思いつくとか、フィオナ嬢、実は天才やったん……??」
「恐れ入ります」
「フィオナ嬢やったら……せやなぁ、フィーとかどうや?」
「ん、んん。……いかんせん、わたくしには可愛すぎる気がするのですが」
「は? そんなわけあらへんやろ。ぴったりやと思うで」
「、そうでしょうか……」
「残念やけど、俺の中ではしっくりきてもうたから諦めや〜」
「………………仕方ありませんね。では、ルース殿下のことはルーさまと、」
「せっかくの愛称やのに、様付けなんてけったいなことはあかんよ?」
「えっ」
「どうせ俺たちが二人きりの時しか呼ばれへんねやろ。せやったら、呼び捨てでええやん。友達なんやし」
「なるほど。わたくしたちだけの内緒の呼び方、ということですか」
「ええなぁ、それ! いちいち俺のツボ押さえてくるフィーの言葉選びのセンス、めっちゃ好きやわ」
「……ふ、ふふ。ルーにそう言ってもらえると、わたくしもとても嬉しいです」
うっすらと頬を染め、はにかんで笑うフィオナ嬢……フィーの様子に、自然と俺も笑みをこぼす。
――日を追うごとに、俺の前でだけどんどん人間らしくなっていくフィオナ嬢が、一番大事な友達になったのは言うまでもない。
+ + +
「……ルー?」
「……ん?」
「じーっと見られるのは、さすがに照れる」
「じーっと見とった?」
「うん」
昔、というほど時間が経っとるわけやないけど、懐かしい思い出を引っ張り出して思い返すうち、俺はフィーのことを見つめとったらしい。
もにょりと唇を動かしながら、そわそわと落ち着かない素振りを見せるフィーはもう、出会ったばかりの頃の人間味のなさが嘘みたいで。俺の親友が今日も可愛ええ、とアホ丸出しな思考が覗いた。
(……このところ、一日一回はアホになっとる気がするわ)
「何か気になること、あった?」
「いや? ただまあ、ちょっとな。向こうでフィーと会った時のこと思い出しててん」
親友相手に簡単に語彙力というか、脳を溶かす自分のちょろさに危機感をおぼえて戦慄する俺に、フィーは不思議そうにしながらどうかしたのかと尋ねてくる。
……が、まさか俺が内心、フィーに対してめちゃくちゃ気持ち悪い反応をしとることを話すわけにもいかず(今更フィーに嫌われたら本気で生きていかれへんし、王太子に向けるような目を向けられたら死んでまう)。
ここは当たり障りないことを言って誤魔化しとくか、と方便を使う俺に、何故かいきなりフィーはキュッと眉を寄せ、唇をつんと尖らせた。
(は? なんやこの反応、可愛すぎるんやけど??)
「……あれは忘れて」
「? なんで?」
「はずかしいから」
「えー」
「はずかしいから!!」
眉間の皺を深くして、ギャンッとフィーが噛み付いてくる。
フィーが『恥ずかしい』と主張する時はいくつかパターンがあって、ほんまに恥ずかしがっとる時と、自分の不甲斐なさに自己嫌悪しとる時と、自分の言動を振り返っていたたまれない気持ちになっとる時のみっつ。
今回はたぶん、二番目か三番目……どっちかといえば二番目やろか?
俺としては、そんな気に病むことはないと思うんやけどなぁ。
「フィーはずっとひとりで、誰の助けもなく、自分の足で立つことに一生懸命だっただけやろ。それを恥ずかしがることも、自己嫌悪することもないと思うで?」
「……、うん」
「フィーはこっちがびっくりするくらい、自己評価が低いからなぁ……。どーしても気になってまうのかもしれへんけど、なんも気にすることはあらへんよ。俺が保証する」
「うん」
「……なぁ、フィー」
「なぁに、ルー」
「生きててくれてありがとうな。切羽詰まった状況やったとはいえ、無茶苦茶なこと言った俺に頷いてくれて、俺と一緒に来てくれて、ほんまに嬉しいわ」
「……お礼を言うのは、私の方だよ」
私なんてと、フィーはふとした瞬間に息をするように自分のことを卑下して、蔑ろにするきらいがある。
あっちの国におったころからその傾向はあったけど、王太子に婚約破棄されて、国外追放を告げられたあの日から――ご令嬢らしさが取り払われたあの日から、いっそう酷くなっとるように思う。
なんせ俺を見上げるきらきらした目が、時折、出会ったばかりの頃みたいにほの暗く澱んでいるのを見かけるから。
彼女が纏う穏やかな空気が、透明に溶けてまうんやないかと思うくらい、希薄になることがあるから。
……なんとなく、生きる気力、みたいなもんがなくなっとるように思えるから。
せやから俺は、彼女が俺の元から離れていかんように、言葉で、行動で、必死に繋ぎとめるようにしとった。
俺にはフィーが必要やから、フィーが隣におることが俺の幸せやからと伝えて、ふわふわと空に飛んで行ってしまわんように、『俺の親友』という立場に雁字搦めに縛りつける。
……今の会話も、そのひとつ。
俺もフィーも、自分の国での立場の難しさは、敵の多さは、嫌ってくらいわかっとるつもりやから。
俺と出会うまでの孤独な日々のなかで、ひとりぼっちのフィーがぜんぶ諦めて自死を選んだり、誰かに殺されたりせんでほんまに良かったと思うし。
あのクソみたいな卒業式の日に『これでおしまいなんて嫌や』と、『友達と今生の別れになるなんて嫌や』と我儘を言って駄々を捏ねた俺に、フィーが応じて手を取ってくれた奇跡を何度だって噛み締める。
俺を見つめるきらきらした瞳。
俺を呼ぶ蜂蜜みたいに蕩けた甘い声。
控えめに触れた手から伝わるやわらかな体温。
どれもこれも――フィーの存在そのものが、今となっては俺専用の麻薬みたいなもので。
今さら手放すなんて、フィーと友達になる前の状態に戻るなんてもう、とてもやないけど考えられへんし……それと同時に、誰にも触れさせたくないし、傷つけさせたくない、大事な大事な宝物でもあった。
(いっとう大切な、俺の、俺だけの親友)
幸せになって欲しいと思う。
笑っていて欲しいと思う。
泣いとるところなんて見たことあらへんけど、泣かないで欲しいと思うし、優しくされておっかなびっくりになるとこなんて――震えるところなんてもう見たない。
せっかく魔術の国から離れたんやから、心穏やかに、あたたかくてやさしいものだけに囲まれて、いつまでも笑顔でいてくれたら。
そんなフィーを見ていられたら、それだけで俺も幸せな気持ちになれる。
だからこそ。
(絶対、許さへんからな)
――フィーに向けた笑みの裏、ぐつりと胃の腑が煮える音がする。
あの王太子も、男爵令嬢も、取り巻きの連中も。
否、あの国でフィーの敵やった何もかもを、俺は絶対に許さへん。
フィーはあいつらのことを気にするのも疲れたから言うて、ちっとも気にする素振りが見えんけど。
身勝手にフィーを傷つけて悪びれず、それどころか責任も失敗も失態も、自分らで背負うべきもの全部をフィーに押し付けてのうのうと笑っとったあいつらを、俺だけは絶対に許さないと決めている。
(呪われろ。不幸になれ。――破滅して、その報いを受けろ)
俺の大事な大事なフィーを傷つけたもの。
それが故意の出来事やろうと、そうでなかろうと、俺にはなんも関係ない。
肝心なのは『フィーを傷つけた』という事実、その一点なんやから。
(あわよくば、どさくさに紛れて死んでまえばええのに)
はじめてできた、俺の友達。俺の親友。
彼女を傷つけたものすべてを、俺はいつだって呪っている。
ルース視点はここまでです。
ちょうどよく10話になりましたので、こちらのシリーズは一旦更新を止めて『魅了の魔法が解けたので。』の次章更新準備をしようと思います。
準備の息抜きに短編か何かを書いてアップするかもしれませんが、その時は読んでいただければ嬉しいです〜。
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遅筆ではありますが頑張りますので、応援どうぞよろしくお願いいたします!




