第8話
弦の鳴る音が公園中に響き渡る。
その瞬間、音の範囲内にいた全ての御霊の姿が揺らめいた。
まるで、蝋燭の火が風で揺らめいたかのようだった。
そういえば、日本の何処かで弓を鳴らし、鎮魂や退魔を行なう鳴弦ノ儀という儀式があると聞いた事がある。
もしかして、吉川さんはその関係者なのかな?
そんな事を思っていたら、また弦の鳴る音が響いた。
その音と共に、御霊の姿がまた揺らめいた。
そして、先程よりも、僅かながら御霊の色が薄まったように見える。
もしかしたら、このまま色が薄まり、透明になったら、浄化できるのだろうか?
また弦の音が響き渡り、さらに色が薄くなった。
流石に、そこまでの影響があると御霊も見逃してくれる訳はなく、こちらに意識を向けてきた。
本間君が僕の肩を叩いた。
「さあ行くぞ。御霊が吉川さんに届く前に、俺達が相手するぞ」
「うん!」
僕が本間君に返事をすると同時に2人とも、御霊に向かっていった。
僕達は御霊に走っていったが、陸上競技みたいな走り方ではない。
足裏が極力、地面から離れないように摺り足で走っていた。
強いて言うなら、摺り足で行なう競歩みたいな感じだ。
これは、古流武術では『歩法』と呼ばれている技法だ。
格闘技の足運びと言うと、ボクシングとかのフットワークを連想する人が多いだろうが、フットワークとは、小さなジャンプを繰り返すようなモノだ。
つまり、「回避行動の出来ない滞空時間」が発生するようなものだ。
初心者や実力の無い時は、それは大した問題でもないが、実力が付いてきたら、そのジャンプの繰り返しは、回避できない明確な隙になってしまうのである。
それに対して歩法は、摺り足を行なう事によって、滞空による回避不能時間を無くす事が出来るのだ。
普通に走った方が、早く進めるのだが、それではいざという時に一瞬、反応が遅れてしまうのだ。
だが歩法なら、走るスピードが遅くなる代わりに、全方向に対して対応が出来るのだ。
だから、僕達2人は戦闘においては、歩法の方を選んでいるのだ。
僕より前を進んでいた本間君が、先に御霊の前に相対した。
その瞬間、本間君の持っていた槍が一閃した。
御霊の胴体を貫いた槍は、引き抜かれたと思った瞬間に、御霊の左胸を貫いていた。
槍に貫かれた御霊は、煙や霧が微風によって散るように霧散していった。
その動作には、微塵も恐怖を感じてはいないかに見えた。
以前、本間君に聞いた話によると、退魔の家系として、幼い頃から修行していた事によって、精神防御が出来るようになったと言っていたが、どうやら、嘘ではないらしい。
そして、ホントだったら、凄く羨ましい。
でも、僕も羨ましがってばかりはいられない。
僕も御霊に肉薄した。
目の前の御霊が鍬を振り下ろしてきた。
僕は、前に出そうとしていた左脚を右脚の後ろに下げる。
それだけで、身体の向きが御霊に対して横向きになり、鍬が目の前を通り過ぎる。
それを認識すると共に、右脚を前に出しながら、刀を横薙ぎにする。
「くっ・・・」
その瞬間、冷静さを無くしそうになる位の恐怖が、僕の全身に襲い掛かる。
また、あの時みたいに逃げたくなってくる。
胴を斬られた御霊は、まだ動けたようだ。
振り下ろされた鍬を横殴りに振るってきたのだ。動きの止まっていた僕には、それを避ける事が出来ず、殴り飛ばされてしまった。
「中山!」
「英奈ちゃん!」
2人が心配する声を上げてきたが、
「・・・大丈夫です!」
僕は返事を返し、素早く身を起こす。
刃の部分ではなく、運よく柄の部分で殴られた為、打撲程度のダメージで済んだ。
僕は殴られた所ではなく、左手で、刀を持っている右手に触れる。
右手が震え、持っている刀がカタカタと音を鳴らしていた。
さっきの斬撃の時の恐怖で、手の震えが収まらないのだ。
「まだ大丈夫だ、まだ大丈夫!」
まだたったの一撃しか入れてないし、前回は何回も攻撃できたんだ。
しかも、今回は吉川さんによって、御霊の力が弱まっているんだ。
ここでギブアップなんか出来ない!
「中山!後ろ!」
本間君の声を聞いた瞬間、前回り受け身の要領で前転し、起き上がると同時に、後ろ側に身体を向ける。
そこには、鍬を振り下ろした御霊がいた。
御霊は鍬を再び振り上げようとしたが、その前に詰め寄り、袈裟懸けで斬り下ろす。
その一閃で、御霊は霧散していった。
怖い!
やっぱり怖い!
僕はあまりの怖さに目に涙が溜まる。
それでも僕は逃げる訳にはいかない。
腕で涙をグイっと拭う。
御霊はまだまだ居るのだから、1人でのんびりなんかしていられないし、そんな事をしたら、皆に迷惑が掛かってしまう。
本間君が近くに寄ってきた。
「中山、大丈夫か?」
本間君が心配そうな顔で聞いてくる。
「うん。まだまだ大丈夫だよ」
出来るだけ気丈な態度でそう答える。
僕はホントに色んな人に迷惑ばかり掛けてしまうよな。
顔を上げて、周囲の状況を確認すると、もう半分くらいの数が減っていた。
つまり、本間君が殆ど1人で倒していったという事だろう。
僕って、役に立っているのかな?
吉川さんの方を見ると、また弓を鳴らしていた。
僕達もそろそろ再開しないと、吉川さんに危険に迫ってしまう。
そう思った時、何か聞こえたような気がした。
「本間君、何か言った?」
「いや」
本間君を見ると、やっぱり何か聞こえていたのか、周りを見回している。
「ママ~!」
やっぱり、聞こえた。
声の聞こえた方に顔を向けたら、子供が、男の子がいた。
公園外周部の茂みから出てきたばかりの様に見える。
「な、何であんな所に子供がいるんだ?立ち入り規制がされてあったはずだろ?」
本間君は慌てたような声を上げていた。
でも僕には、そんな事を気にしている余裕は無かった。
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和子様がお泣きになっている。
その手には木刀が握られていた。
和子様はお館様と剣の稽古をしていると、いつもお泣きになって帰ってくる。
それでも、和子様はお館様との稽古を止めようとなさらない。
お館様から稽古を付けられているから止められないというばかりではない。
和子様は負けず嫌いなのだ。
だから、和子様はお館様に勝てないのが悔しくて泣いていらしたのだ。
そんな泣いている和子様を宥めて差し上げるのが私達の勤めの一つなのだ。
そして、泣き止んだ和子様は、翌日にはまたお館様との剣の稽古に励まれるのだ。
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《和子様》
「和子様!!」
私はお泣きになっている和子様の元に行く為、走り出した。
「え?おい!中山、待て!!」
本間君が呼びかけてきたが、そんな事を気にしている余裕はなかった。
私は、お泣きになっている和子様の所に行かなければならない。
周りには危険な御霊が何人もいるのだから。
だから、一秒でも早く、一瞬でも早く進むために歩法なんか使っている場合ではない。
「邪魔!」
和子様に向かう進路上の妨げになっている御霊を斬り捨てる。
《守らなきゃ》
「守らなきゃ!こんな事で怖がってなんかいられない!」
心に襲い掛かってくる恐怖を気合で押し返す。
その他に居る、進路上の御霊も全て一刀のもとに切り捨てて、和子様に向かう。
怯えている和子様の目の前にいる御霊に、走っている勢いのまま、突きを放つ。
なんとか間に合った。
「和子様、御無事ですか?」
私は、滑り込むように和子様の前に立ち止まる。
「え?お姉ちゃん?誰?」
つい先程まで泣いていた和子様は、キョトンとした表情をされていた。
私は、素早く身体に怪我が無いかを確認したが、特に怪我をしている訳ではないようだ。
私は思わず、ホッと一息つく。
「よかった。・・・ホントに無事でよかった」
私は和子様を優しく抱きしめた。
この温もりが守れてよかった。
嬉しさに、私は思わず目に涙が浮かんできてしまう。
だが、そんな態度は戦場では隙でしかなかった。
「お姉ちゃん!後ろに!」
和子様の声に後ろを振り向くと、鎌を振り上げていた御霊が2体立っていた。
拙い。
これは避けられない。
私は咄嗟に和子様を庇うように覆い被さり、振り下ろされる痛みを待った。
だが、いつまで経っても、襲い掛かる痛みは無かった。
訝しげに上を見上げると、御霊の振り下ろした鎌は、1本の槍に遮られて私には届いていなかった。
その槍が引かれると同時に、御霊の1体を刺し貫いていた。
そして、殆ど同じタイミングで、もう1体の御霊に、矢が続けざまに刺さった。
それが最後の御霊だったのだろう、槍の使い手である本間君が緊張を解いた表情を浮かべていた。
でも、何でだろう。
本間君の顔には徐々に怒気が表れてきていた。
そんな本間君が息を吸い込んだ。
「この!・・・馬鹿野郎、何考えているんだ!!」
本間君の怒声が、私の鼓膜を破るんじゃないかという位に響いた。
あまりの大声に思わず両耳を塞ぐ。
そして、その拍子に刀を落としてしまう。
「な、馬鹿ってなんだよ!」
いきなりの大声に、僕は言い返した。
「馬鹿を馬鹿って言って何が悪い!」
「何でそんなに馬鹿馬鹿言われなきゃいけないんだよ!」
「そんな事も言われなきゃ分からないのか?戦闘中は常に周囲全てに意識を向けていなければならないんだぞ。なのに、何も考えずに走る馬鹿がいるか!」
「仕方ないだろ!走らなきゃ男の子の所に間に合わなかったんだから!」
「仕方なくないだろ。もっと優先準備を考えて行動しろって言っているんだよ」
「それは、男の子を見殺しにしろって言うのか?」
「そんな事言ってないだろ」
「同じ事だろ!男が女子供を護るのに理由は要らないだろうが!」
こんな風に、僕が本間君の言葉に反論していたら、本間君はハッとした顔をした後、何か思いつめたような顔をし、顔を背けながら、ポツリと呟いた。
「・・・そうか、そういう事なのか」
やっと、僕の言いたい事が伝わったのだろう。
「まあ、言っている事は古臭いけど、嫌いではないよな。その考え方は」
本間君が何故か顔を背けながら、そんな事を言い出した。
何か知らないけど、やっと僕の言いたい事を理解してくれたようだね。
そんな僕達の言い争いの間に、吉川さんが近づいてきていたのだろう。
本間君との言い争いに夢中で、男の子が僕の手の中から離れていた事に気付かなかった。
その男の子は、片膝立ちの吉川さんに抱きしめられていた。
「英奈ちゃん。英奈ちゃんの言いたい事は分かるけど、本間君の言いたい事も私は分かるわよ。英奈ちゃんは無茶が過ぎるのよ」
・・・確かに無茶だったのは確かなんだよな。
「うっ、その、無茶をした事で心配かけたのは、その、御免なさい!」
僕は本間君に頭を下げた。
そうだよな。心配をかけたのは悪かったよね。あんなに怒ったのだって心配してくれたからなんだろうしね。
「それと、心配してくれて有り難う!」
僕は頭を上げて、本間君に微笑んだ。
そしたら、本間君は何故か難しい顔をしだした。何でだろう?
僕が首を傾げていると、吉川さんが僕に話しかけてくる。
「そういえば、英奈ちゃんって、さっき男言葉使っていたわよね?」
ギクッ!
「え?そうですか?」
ここは誤魔化しておこう!うん!
「そうよ。さっき、本間君と言い争っていた時にね」
背中に冷や汗が伝う。
「そうですか?私は覚えていないんですけどね」
でも、吉川さんは追求を緩めてくれなかった。
「かなり熱くなっていたから、覚えていないんでしょうね。でも、しっかりと言っていたわよ」
ダラダラ!
「で、でも、それなら無意識で言っていたのであって、ワザと言っていたわけではないんだから・・・、ね?」
ここは、可愛らしく首を傾げておこう。
「無意識で言っていたのなら、意識の中では、まだ男として話していると言う事よね」
ダラダラダラダラ!
「・・・・・・・・・」
「つまり、意識の方までお仕置きしないといけないわよね」
吉川さんの目が笑っているよ。
「これは、しっかりと開発しないといけないわね!」
開発?何を?誰を開発?
僕の脳裏に、今までの吉川さんとのやり取りが思い出されてしまう。
そうしたら、顔が赤くなった後、
これからの惨状を想像して、青くなってしまった。
「さ、帰ったら楽しい時間を始めましょうか!」
吉川さんは、満面の笑顔で宣言してきた。
僕は、太腿を閉じ、両腕で自分の身体を抱きしめるようにしながら、顔を左右に振る事しかできなかった。
因みに、公園の奥にあった小さな祠が破壊されてあった。
そして、その近くにはサッカーボールと数人の学生の死体が発見されたのだった。
おそらくは、ここの祠に封印されていた御霊が解放されたのだろう。
読み難いというか、理解しにくい描写が有ったと思いますが、良い表現方法が思いつきませんでした。




