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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
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84話 劇の幕開け

 夜の帳が降りきり、一寸先は闇。すぐ前を行く男の姿すら、うっすらとしか目に映らない。だが、その程度の情報の欠如など、フレイナたちにはあまり関係がない。


 彼女は人の発する気配から、その位置のみならず、腕の振りや重心の位置まで狂いなく読み取ることが出来る。これは一定以上の水準に達したこの世界の武芸者であれば当然のことで、『見る』前に『感じる』ことで回りの世界を把握する。視覚で得る情報はその確認に過ぎない。


 そして、彼女の目の前の男に至っては、そもそも『見る』必要すらない。


 そのため、普通なら灯りが必要な暗さであろうと、何の問題もなく二人は歩を進める。


 その様は、一見何の問題もない。


 だが、片方が発する剣呑な雰囲気が、その印象を粉砕する。


「いい加減何をするか教えなさいよ」


 焦れたように、押し殺した声が不自然に強く響く。


 目には映らなくとも、その強い視線は寸分の狂いなく男の背を射抜く。


「何度も言ってるだろう。ちょっと殺しに行くだけだ」


「だからっ! どこに、どうして、人を殺しに行くのかを教えろって言ってんのよ!」


 既に数えきれないほど繰り返したやり取り。強い言葉に相手を否定する意志が籠る。


 フレイナは詳しい情報を求め、それを令ははぐらかす。


 フレイナは、自身の立場から、誰かを殺すと宣言する令を放っておくことはできない。


 いきなり部屋に現れ、いきなり告げられた『殺害予告』。


 堕落したのかと自問するほど腑抜けた今の自分であっても、その言葉は見過ごすことはできなかった。


 ついていこうと、今の自分に出来ることが無いと、分かっている。


 このようについていっている時点で、この男の手に踊らされているのだと理解している。


 そんな中、無言に耐え切れず話しかけたのだが、それは無駄に終わった。


 そもそも彼女は男がどこに行くのかも、何をしようとしているのかも聞いていない。


 先ほどのように何度説明を求めても、暖簾に腕押し、全く手ごたえが返ってこない。


 どれだけ聞いても、巧に煙に巻いてしまう。


「なんだ。そんなに知りたいのか」


 と、いままでは違った手ごたえが返ってくる。


「当たり前でしょうがッ!」


 フレイナはそれに、半ば無意識に返していた。


 自分でも驚くほど、反応が早かった。


「ふむ。で、知ってどうする」


 その言葉に、今度は詰まる。


 結局、フレイナは自分は今の状況を把握するための情報を求めただけ。今の状況すら分からないのに、その先の見通しなど立てられるはずもない。


 だから、答えられるはずがない。


 これまでは。


「……それが正しい理由によるものでなければ止めるわ」


「ふむ。どうやって」


「どうやってでも」


 自分が答えを返せていることが予想外で、フレイナは意味が分からないまま目が回りそうだった。

 自分の口が勝手に動き、言葉を紡いでいく。


「私にだって、譲れないものが―――守らなければならないものがある。あんたを斬ってでも、止めてやる」


 脅しにすらならないと、理解している。


 自分の『力』は目の前の男と大差ない。むしろ部分的には上回っている。


 しかし、こと『戦い』という一点において、目の前の男が誰かに敗れる姿は、欠片も思い浮かばない。


 例え、圧倒的に格上の相手だろうと、あらゆる手を尽くし、あらゆる犠牲を踏み越え、その手に勝利を掴み取るだろう。


 そんな奴には、今の腑抜けた自分など障害にもならない。


 それでも、どうしても、それを見過ごすことはできなかった。


 『弱者を守る』。


 〈デルト王国〉の戦いに身を置く者が、はじめに学び終生貫くべき命題。


 令の提案は、理由次第ではあるがそれに真向から反するものだった。


 それを王族である自身が見逃すことが、在ってはならない。


 本来であれば、父や〈四剣〉に協力を仰ぐべきであるが、それを目の前の男が許すとは思えない。


 だから、自分がやるしかない。


 その結果として、殺されようが、犯されようが、彼女に退く気はなかった。


 そうしてしまったら、自分はもう、自分を許せないだろうから。


 そんな、覚悟を決めて令を睨み付けるフレイナ。


 令はその視線を真向から受け止める。

 

「この王都には」


 それを破るのは、やはり令。


「つい一週間前まで大小多数の犯罪組織があふれていた。麻薬密売、恐喝恫喝、詐欺偽装、暗殺強盗、そして人買いなどなど、ね」


「なッ」


 絶句した。

 突然の話題の転換よりも、その内容に。


「そして、ガイアス殿はそれを黙認していた。勿論、すべての組織をではないが。比較的善良な部類に入る義賊的な連中、潰すことが国家の不利益になるような情報や力、取引を持つモノ。あの人はそれらと交渉を重ね、被害を最小限に食い止めていた」


 さて、と。再び令はフレイナを見据える。


「貴女は、それを知っていたか」


 フレイナは目を逸らしてしまう。


「ならば、一度でも知ろうとしたか」


 顔を俯けてしまう。


 彼女には、それを知る機会がなかった。彼女の周囲が熟知していたその情報を、彼らはフレイナへ渡そうとはしなかった。


 渡す必要がなかった。


 そして、渡すことが出来なかった。


 未だ未熟なフレイナが、その後ろ暗い話を聞くことで、どう反応するのか分からなかったからだ。


 それを知らなかった言い訳には、彼女はしなかった。


 何もかも、自分が未熟なのが理由なのだから。


「まあ、今はそんな奴らも、殆ど全滅しているが」


 今度は、先ほどとは違う理由で言葉を失った。


 そういった組織たちは、例外なくそれなりの力を持っているはずだ。金。人。武器。情報。ツゴウノイイ手駒。それらは、例え国家であろうと軽視出来るものではない。


 それが、ほぼ壊滅したという。それもここ一週間ほどで。


 ありえない。という考えと、それと反対のまさか、という思いが胸に湧き上がる。


 常識的に考えて、不可能だという思いと、それを成し遂げかねない者が要るという事実。


 彼女は、その犯人であろう者を茫然と見つめる。


「これから向かうのは、その残った最後の一つ。『ダール』とかいうもともと王都に存在していた組織のなかでも、最大規模のモノだ。末端まで含めれば構成員は三桁を優に超えているほど、だったらしい」


 この言葉は、彼女の予想を確信へと変えると同時に、ある一つの事実を示していた。


「尤も。だとしたらもう『それら』の数は半分を切ってるが。随分念入りに本拠を隠しているものだから、蜥蜴の尻尾からじっくり情報を回収(・・)するのにかなりてこずらされた」


 どれだけ少なく見積もっても、一つの組織の構成員は十を超えるだろう。


 令は、それをどれだけの数減らしたのか。


 そして。どれだけ多くの。


「いやはや、この国の衛兵や騎士たちもその中に居たものだから驚いたよ。まあ、デルトほどの大きい集合体のなかでは腐敗する部分も出てくるのはしょうがないのかもしれないが」


―――どれだけの、人が、殺されたのか。


 気が付けば、フレイナは令の胸倉を掴み上げていた。


 闘気がもはや無意識的に身体を巡り、自分よりも大きい身体を持ち上げる。


―――その掴んでいるものが、持っている武器の分を差し引いても、不自然に重いということに、冷静さを欠いた今の彼女は気が付かない。


 令は突然の行動にも、涼しい顔で成すがままになっている。


 胸倉をつかまれるのも。


 今にも泣きだしそうな怒りと悲しみの入り混じった顔で見られるのも。


 多数の人命を奪うことすらも。


 まるで、これが日常の一幕であるかのように。


 しかし、フレイナがそれ以上の行動をとることはなかった。


 かつての彼女ならば、こんな悠長なことをせず直接ぶん殴っていただろう。

 

 だが、何をしても、今の自分には何も変えられないことが分かってしまった。


 どんな言葉も、行動も。


 決して今の事態を好転させることなどできないと、分かってしまっていた。


 無力。


 それを、今の彼女はかつてないほど噛みしめる。



「〈姫〉」


「何よ」


 唐突に、いけ好かない呼び方をされる。

 

 〈姫〉など、まるで自分が物語の無力なオンナノコだと言われているようで不快だった。


 そう考え、頭にむず痒い痛みが奔ったが、些細なことと無視する。 


「怒ってるのか」


 からかう音。


 今度こそ、フレイナは軋むほど拳を握りしめた。


 その、人の命を奪っておいて、嘲る様が我慢できなかった。


「戯れに老人を嬲り、気まぐれに婦女子を犯し、欲望から子供を浚う。そんなことをするモノが消えて、何か問題があるのか」


「それでも……!」


「それでも? なんだ? 殺すのはだめだ。殺してはいけない。離せば分かり合える。そうだ、俺たちには言葉があるんだから。そんな戯言を言うつもりか?」


 相も嘲る響き。


「そもそもだ」


 まだ心から湧き上がる激情が、次の言葉に冷や水を浴びせられたように冷えていく。


「『殺す』のは何がいけないコトなんだ」


 呼吸が止まった。


 男は止まらない。


「『殺す』のは、どうして悪いコトなんだ」


 同じような問いが繰り返される。


「……どういう意味よ」


「言葉のまま」


「それ、質問する必要も答える必要もあるの。それに、話をそらさないで。私は殺す理由を教えろって言ってるんだけど」


 彼女の中で、『殺してはいけない』理由など決まっている。


 『理由などない』。それが答えだ。


 考えるまでもなく、論じるまでもなく、『殺すのはいけないこと』。そういう決まり。法則と言い換えてもいい。


 それが物心ついてからこれまで、彼女の中から変わる事のない答え。


 そして、おそらく他の大多数の者もまた同じように答えるだろう。


 だからこそ、人は人を愛し、慈しみ、互いを尊重する。


「ふむ。なるほどね。〈姫〉の答えはそれか」


 フレイナの話を逸らすなという苦情も意に介さず、令は頷く。


「文句でもあるわけ」


「特には。ただ、貴女の『答え』はそれかと思ってね」


「じゃああんたは何だって言うのよ」


 そのフレイナの喧嘩腰の言葉に、令は応える。




「『定義』されているから」




 どういう意味なのか分からない。


「『殺すのがいけないこと』なのは、法律や公序良俗でそういうように『定義』されているから。だから殺してはいけない。そういうこと」


 その言葉を反芻し、フレイナは問う。


「まるで、それが無ければ殺してもいいというように聞こえるわね」


「そう言っているんだよ」


 自身の視線に、強い敵意が籠るのを自覚する。


 それではまるで、人間が規則が無ければ無秩序に暴れまわる『獣』と同じだと言っているように聞こえる。


「まあそう思うのも無理ないだろうな」


 令はそれを意に介さず、ひとり頷く。


 そして、あっさりとフレイナの拘束を振りほどく。


 相当な力を籠めていたにも関わらず、あまりにも呆気なく。


「そうだな、ついでにもう一つ聞いていいかな」


「何よ」


 こちらがどう答えようと、結局は無視して話すだろう。


 否定するだけ無意味なことをフレイナは悟り、先ほどのやり取りもあって不機嫌な適当に流す。




「〈人〉は、何故〈人〉を殺すのか」




 疑問のような問い。


 先ほどとは、微妙に違う問い。


 そして、決定的に異なる問い。


 殺す行為の是非を問うものと、殺す行為の理由を問うもの。


「殺しては駄目な理由がある。それを信じさせる建前もある。なのに人は、人を殺す。なぜか」


 令は両手を広げる。歌うように謳う。


「答えは簡単。どうしようもなく。疑いようもなく。ただ単純」


 嘆くように。悲痛を謳う。




「『楽』なんだ。殺すということは」




 その光景に、その様に。


「殺せばそれで終わり。痛みも快さも。苦しみも楽しさも。怒りも歓びも。過去も未来も。すべてを清算し脱ぎ捨てられる。殺しは何よりも安価で簡単で、どうしようもない『逃避』の手段だ。だから人は殺す。その相手を切り捨てるために。その相手を忘れるために」


 本来であれば、怒りを覚えるべきその言葉に。


「『人間』はどうしようもなく、『楽』を求める生き物で。殺しはそのための最適最善の選択で。そんな便利なものを人が捨てられるはずもない」


 だが、フレイナは何もいえなかった。


「だから、人は、人を、殺すしかない(・・・・)。それが己の利益につながるならば。相手がどんなに大切な者でも。自分のために」


 繋がっているようで、微妙にずれているように思える言葉を垂れ流す目の前の男が、只管、哀しく見えたから。


 フレイナは、何も言えない。


 令の冷たい空気に、言葉が出ない。


「俺がこの答えを導き出したのは、あらゆるを味わいつくした後、自分の今までを振り返り、知ったその瞬間だったよ」


 令は、フレイナをまっすぐに見据える。


「叫び、怒号を上げ。嘆き、悲鳴を響かせ。歓び、快哉を叫ぶ。そんなことを数えきれないくらい繰り返して、やっと、初めて、今の『自分』を、『答え』を得た」


 だから、と彼は続ける。


「さっきの貴女の発言が許せない」


「……え?」


「貴女は、この国のことをどこまで知っている」


「え?」


 その意味も意義も検討がつかず、フレイナは数瞬呆ける。


「人々は何を見て、何を聞き、何を思うのか。その身で得る希望は何なのか。その不運で味わう絶望は何なのか。―――つまりは、なにが彼ら彼女らの助けとなるのか。それを知っているのか」


 ゆっくりと、令の表情が変化していく。


「それを知らない限り、何を言おうが滑稽なだけだ。『守る』という耳障りのいい言葉に踊らされ、覚悟などという言い訳で思考を投げ捨てる。本当に大事なのはまさにそこなのに。それすら知らず、貴女は『守る』等と声高に叫んでいる」


 冷たいだけだった表情から、生気と呼べるものだろうか、それがゆっくりと薄れていく。


「それが、どんなに難しいのか。どんなに残酷なのかも知らずに、だ」


 今にも消えてしまいそうなほど、薄く儚く。


「ああ駄目だ。もうだめだ。これはダメダ」


 それでいて、鋭く(とお)く。


「こんなにキニイラナイのは、久しぶりだ」


 令の纏う空気が、洗練され、昇華されていく。


「だから、少しだけ手助けをしてやろう」


 そして、笑った。 


「これから起きることから、貴女は決して目を逸らしてはいけない。逸らすことはできない。それは貴女の今までの否定であり、そしてこれからの放棄であるからだ」


 不自然なほど無邪気に。


「これから起きることから逃げることはできない。逃げさせない。今の貴女はとても『不快』であり、とても気に入らないからだ」


 まるで、何もナイ赤子のように。


「だから、力づくで、あらゆる手を尽くして、見せつけてやるよ。この世界の『裏』、その一端を」


 唐突に。

 令は、脇の壁に拳を叩き込んだ。

 頑健な石造りの壁は、まるで飴細工のようにあっさりと砕け、その先にあった空間を白日のもとに晒す。

 そこにあったのは、長大な通路につながる空間だった。

 普通ならば有る筈の、光をとるための窓や、壊した壁から通路へとつながる扉は一つもなかった。


 そのことから、この空間が隠されたものだったということが分かる。


「その果てに貴女がどのような『答え』を得るのか。愉しみにさせていただきます」


 通路の奥から動揺の声が洩れ、次第に慌ただしくなっていく。


「さあ、誰も望まず、誰も救われず、誰もが目を背けずにはいられない。酷く、醜く、退廃的な一時を」


 令は蝋燭程の光源しかないその闇の先を見据え呟く。






「『惨劇』の幕開けだよ。観客諸君」





 




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