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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
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72話 <神器>と《魔剣》

「そもそも、『強い』というのは何を指すのかな」


 男は雲混じりの晴れた空を見上げている。


「敵を組み伏せるほど力が強ければいいのか。相手を置き去りにするほど速ければいいのか。すべてを圧倒するほど技量が高ければいいのか。なるほど。確かに強いと言えるのかもしれない。個人での強さはそれがあればいいのかもしれない」


 軽く背伸びなどして、欠伸を漏らす。


「だが、群体での強さでは? 全体の連携や練度。それが生み出す友情親愛。それらを支える努力。そして一人一人の確固とした信念。それを蓄えた一団が群れをもって一騎当千の勇士を打倒したとき、それはどちらが強かったと言えるのかな」


 手に薄い氷の結晶を生み出し、それをクルクルと弄ぶ。


「そして、集団でいるというのは果たして強いと言えるかな。だが一方で、独りでいることは果たして強いのかな」


 上に軽く放り投げ、頂点に達する。


「このように、強さなんて千差万別。互いに比較できるようなものではないのに、互いで比較するしか見つける術を持たない」


 重力に牽かれ、落ち行くそれを受け止めようと手を伸ばす。 

 

「矛盾。理不尽。それでも人は強くあろうとする。どうやら強いということは、それほど魅力的なことらしい」


 手に収まる刹那。氷は溶けるように掻き消えた。


「それがたとえ、儚い幻であろうとも」

 

 何もない手を、握りしめる。しばらくその手を見つめる。


 そんな彼を、横合いから凄まじい衝撃が襲う。


 だが、青年はそれに小揺るぎもしない。


「ああ、なんて健気。そんな貴女は『強さ』をどう思いますか?」


 薄い笑みを浮かべて顔を向ける彼の目に、自身を親の仇のように睨み付ける少女の顔が映る。


 燃えるような紅い髪も相まって、凄まじい気迫を感じさせる形相。


 容姿が飛び抜けて端麗なだけに、こうして怒りに崩れると迫力は並ではない。


 そんな紅の彼女の斬撃を阻むのは、皮肉にも彼女と同じ『紅』。


 彼女とは違う、血のような『紅』。


「無視なんて酷いな。涙があふれそうだよ」


 よよよ、と泣きまねなどし、彼女、フレイナの怒りを煽り続ける目の前の男。


 それにフレイナは歯噛みする。


 さきほどから絶えず、斬りつけ続けている。


 だが、ただの一度も通らない。


 男の背中から『生えた』、氷の翼に阻まれて。


「くっあっ!?」


 斬撃を左の翼で受け止められ、そこから体勢を立て直す暇もなく右の翼が回り込み横凪ぎに振るわれる。


 咄嗟に剣で防ぐも、その衝撃に両腕が痺れを訴え、身体は大きく弾かれる。


 受け身をし、派手に飛ばされた割に身体への影響は少ない。


 だがそんな事実は、彼女の動揺を抑えるのに役に立たない。


「何よ、何なのよそれッ!?」


 悲鳴にすら聞こえる誰何が飛ぶ。


 だが、それも仕方がない。茫然自失としないだけ、彼女は余程優れている。


 翼、と呼ぶしかない形状。


 薄い氷の板が幾重にも重なり、雄大に左右へ広がる様は、まるで鳳のようだ。


 端から端までが、闘技場の半分まで達しそうなほどの巨大さ。


 たかが氷でありながら、斬鉄どころか斬鋼まで可能な彼女の手でさえ傷一つつかない強固さ。


 戯れのような一振りで身体ごと弾き飛ばされるほどの剛力。


 普段の速さでは避けきれないほどの速さ。


 だが、それの異常さを物語るのは、翼が『生きている』という事実。


 規則的に、ギシリ、またギシリと、脈動を繰り返す。


 氷のなかに微かにみえる右翼五本左翼六本の金属と糸<グリモワール>が骨を形作り、脈動を繰り返す無数の紅い管を神経とし、氷が肉としてそれを覆う。


 それを男は背負うのではなく『生やして』いる。


 背の肩甲骨の辺りから、皮膚を突き破り、その自らの『肉体』へと血を提供し続ける。


 その対価として、その『肉体』は宿主の敵を滅ぼそうとする。


「ッッ―――!」


 それは、恐らく攻撃の意志すら籠められていなかった。


 まるで、鳥が水浴びをした後に身体を震わせて水気を落とすかのように気軽に―――その場で翼が一回転した。


 だがフレイナとしては、そんなかわいらしい表現で済ませられない。


 ただそれだけの動作で、闘技場のおおよそ四分の一の地面が崩壊した。


 ただの一撫でで地面は深く抉れてしまい、もはや修練の場として機能することはないと断言できるほどの惨状だった。


 フレイナは、<飛燕>で何とか回避できたが、目鼻の先を通り過ぎた暴力に、背筋を冷やす。


「疑似生体装氷<血晶>。形式<紅翼(くれつば)>」


 そんな彼女の耳に、どこか誇らしげな声が届く。


「剣に限らず、一般の金属で精錬されたあらゆる武具は、闘気や魔力に対する親和性が非常に低い。それも当然。それらは本来、『生きた』ものの放つエネルギーだ。無生物に馴染むわけがない」


 令は、自身の抉られた脇に触れて未だ止まらない血を掬う。


「逆に、その論法で行けば植物なんかの生物由来の素材は親和性が高い。しかし、この場合は素材そのものに十分な強度がないために武具として扱うには心もとない」


 令はその血を滴らせながら、真横に血塗られた手を伸ばす。


「さて、ここで疑問が生まれた。では『金属並の強度を持つ物体に、生命体並の親和性を付加したらいったいどうなる』のだろう」


 次の瞬間、令の身体の傷口を氷が覆い、出血が止まる。


 肩の傷も、全身に及んでいた細かい裂傷も完全に塞がる。


「これがその答えだ」


 全身を凍てつかせながら、令は不敵に笑う。


 満身創痍だった彼の姿は、今は全身を斑に紅い氷に包まれており、その威容はフレイナの緊張を高めるには十分過ぎた。




 疑似生体装氷<血晶>。


 氷の内部に意図的に微小な管を設け、そこに血液を流し込み、疑似的に生物の常態を『再現』したもの。


 氷というものは、その状態次第では、硬度は鉄をも上回る。


 氷内部の分子配列。空気の含有量。意図的な不純物の混入。そして温度。すべてを理想的な条件で揃えたその氷は、鉄以上の硬さと粘りを誇る。


 生体に極めて近い構造を再現したその物体の、闘気と魔力との親和性は、ざっと見て普遍金属の――― 一〇倍以上。


 それを、令は《魔界(クリフォト)》の影響下であるために自在に生成できる。


 上位魔法《魔界(クリフォト)》。


 その効果は、術者の操りうる範囲における、空気中の水分と熱量の支配。


 その範囲は術者の精神状態に支配され、増減するが、概ね彼の<固有領域>内となる。


 一見、とてつもなく強力に見えるが、<固有領域>の関係上、相手への直接な干渉は出来ない。


 故に、本来であれば、これの用途は空気中の水分から熱を奪い氷を生成するか、熱を与え物質を燃やすかの二択となる。それならば、その用途の魔法を使った方が余程効率が良い。


 だが、令の血晶を生成する技術と相まれば、この魔法は無双の力を発揮する。




 翼が振るわれ、それに押されてフレイナは距離を取らざるを得なくなる。


 そして、ある程度離れたところで、追撃が止む。


 そして、令はその場を動こうとしない。


 いったん距離をとることで、少しだけ頭が冷えたフレイナは、努めて冷静に状況を吟味する。


 今ここで、追撃を仕掛けてこない理由はない。


 にも関わらず、令はその場を動こうとしない。


 憶測と推測を重ね、彼女は一つの結論を降す。



「その翼、重いの?」


「あ、気づいたか。そうだな、大体四トンといったところか。正直結構きついね」


 令は軽口を崩さない。自信の技術の欠点が一つ、見破られたとしても。


 これだけ巨大な翼となると、その重量も馬鹿にならない。


 そもそも水と言うものは、体積を空白なく埋め尽くすために、他の物よりも重量が増す。


 そして、端から端までが片翼おおよそ八〇メートルにもなるこの翼となると、とてつもないものとなる。


 片翼がおおよそ二トン、それが両方で倍。


 その重量を、令は全身を強化することで何とか耐えている。


 とはいえ、それは全力疾走を常に続けているようなもので、生命力は常に削られ続ける。


 翼そのものの動きは機敏だが、翼の重量のためそれを支える令はその場を動くことが出来ない。


 だから、フレイナは一度身を引いた。


 離れれば相手からの追撃は来ない。


 あの様子からして、<血晶>とやらは、血液の供給のために令の身体から切り離して生成することはできない。できるならば、わざわざ背中に重荷を背負う必要はない。


 そして、令のこの装備は長期戦に弱い。


 時間が経てばたつほど、令の身体は摩耗していく。


 ならば、一度引いて対策を立てる時間を稼ぐ。


「で、気づいたらやっぱりそう来るよな」


 令が苦笑を浮かべる。


「気を付けるといい。欠点を一番理解し得るのは本人だ」


 そして右手を伸ばすと、いつの間にか親指ほどの小瓶を指の間に挟んでいた。


 手が一動作するごとに。一つ。二つ。三つ。と増えていき、最後には四つが握られる。


 魔法<書庫>の内部に保管されていたその中には液体が満たされている。


 どう見ても武器には見えないそれに、フレイナの顔が訝しげに歪む。


 近寄ればその行動を妨害できただろうが、それができない今はただ見ているしかない。


 令はそれを放り投げる。


 すると小瓶を氷が包み、みるみる肥大化していく。


 歪な球体から突起が伸び、それが太く、あるいは細く、歪な摩擦音をたてて変形をつづけ、最後にはある形が出来上がる。


 ―――氷でできた、人形が。


 だが、それは明らかに観賞用でも玩具でもない。腕にあたる部分は先が手ではなく、槍穂先のように鋭く尖り、その足には武骨な棘がいくつも突き出している。


 どう考えても、それは『戦い』を想定した姿だった。


「形式<紅人(くれびと)>。<血晶>に必要なのが俺の血液な以上、確かに基本的には身体から切り離しての運用は出来ない。だが、こうすればそんな理屈はどうとでもなる」


 フレイナが瞠目する中、人形は徐々に変容していく。


 中央、人間でいえば心臓に当たる位置の小瓶から、人形へ紅い筋が伸びていく。腹、肩や足の付け根、そして手足の末端へ。


 そして、最終的に、その姿が真紅に染め上がる。


「―――状況、さらに悪化。というやつだな」


 主が皮肉に笑うと同時に、人形たちは駆け出した。


 その様に、フレイナは焦る。


 彼女の知る知識にも、このような人形、あるいは無生物を操作する魔法は存在する。


 だが、それらと比べ、この人形は見たことがないほど動きが滑らかだった。まるで人間と称しても差し支えないほどに。


 驚いている間にも、人形は彼女に近づき、その槍碗を突き出してくる。


 その動きは、彼女からすれば大したものではなかったが、一流に足を踏み入りかけた冒険者程度のものはある。


 その程度であれば、彼女の敵ではない。―――相手が一体であれば。


「この……っ!」


 この人形たちは、恐るべきことに戦術というものを心得ていた。


 二体がフレイナの前に陣取り彼女をけん制し、残りの二体が相手の死角へ常に回り込む。


 その役割は固定ではなく、状況に応じて抑えのものが攻めに回る、後ろを取るものが石を投げてくるなど、その行動の幅が広い。


「はっはっは。気をつけなよー。ほら右にもいるぞ。……あ、ごめん。俺から見て右だった」


 そのうえ、令から飛んで切る野次が的確にうざい。


 額に青筋が浮かぶのをなんとかこらえながら、フレイナは対策を考える。


 とにかく行動を起こす。


 攻勢の一瞬の隙をついて、人形の一体へ切りかかる。


 先ほどの翼との攻防からして、ただの攻撃ではこの氷は壊せない。


 だが、何事も穴はある。


 フレイナは剣を、その人形の肩の関節部へ叩き込む。


 衝突し、甲高い音が響き、数瞬ののちに罅が走り砕ける。


 関節ならば、その構造上氷が薄く、どうしてもその強度は劣る。


 そこをフレイナは突き、そして達成した。


「ああ。そういえば言い忘れてたけど」


 喜色を露わにする彼女の耳に、そんな声が。


「下手に壊すと大変なことになる―――もう遅いがな」


 突然、腕を壊された人形が爆発した。


 しかも共鳴するように、彼女を囲んでいた三体の人形まで連鎖して爆発する。その爆風と弾けた氷の破片が彼女をズタズタに切り裂く。


 爆炎が晴れると、彼女は膝を着き、全身を血に染めていた。


 深い傷はないが、その裂傷の多さからの激しい痛みに顔を顰め、肩で息をしている。


 爆風に散々身体を打ちのめされ、剣を支えにして何とか立っている状態だ。


「その人形の欠点を一番理解してるのは術者。つまり俺だよ。何の対策もしていないとでも?」


 令は追い打ちをするように嗤いをもらす。


 フレイナは歯を食いしばり、感情を抑える。


 気にするな、あいつはこうしてこちらを煽っているのだ。思う壺になる必要はない。


 ―――こちらの準備も、整ったのだから。


 全身を闘気で活性化し、傷口からの出血を止める。


 力技で強引に塞いだことで傷口の痛みが全身を蝕むが、血が出るほど歯を噛みしめることで耐える。


 剣をついた体勢で息を整え続けていた彼女は、その見た目とは裏腹に心身が充実している。


 故に、今ならば自分の最高の性能(パフォーマンス)を発揮できる。


 彼女の持ち味―――速さを。


 次の瞬間、彼女は令の目の前に出現していた。

 

 《飛燕》。


 彼女が、父の《轟刃》を参考にして磨き上げた、彼女だけに許された絶技。


 闘気を脚に集中し、さらに足裏でそれを爆発させることで、桁外れの推進力を得る歩法。


 簡単に聞こえるが、闘気の極めて繊細な運用と、僅かの誤差も許されない身体への配分比率が必要となる。もしほんの些細な狂いでもあろうものなら、見当違いな場所へ爆進するか身体が負荷に耐えきれず崩壊してしまう。


 しかも、彼女のそれは、極めて静かで、そして中途での滑らかな方向転換すら可能とする。


 父であるガイアスの《轟刃》も原理は同じだが、それは直進に限られ、しかも発動の際に大きな音を伴うことから、ここぞという場面での切り札としてしか使えない。


 フレイナの《飛燕》は違う。場所と場面を選ばず、いつでも自由に神速を再現できる。その利便性は計り知れない。


 それは、このように不意打ちのような形でも抜群の効力を発揮する。


 突如目の前に出現したフレイナの姿を見ても、令の表情に焦りはない。


 すでに散々検証して分かっていた。彼女の力では、<紅翼>を突破できない。


 血晶兵器<紅翼(くれつば)>。術者の機動力を完全に殺し、その代わりに無類の翼そのものの強度と機動性、そして様々な『仕込み』を内包している。


 《血晶》の力を、余すところなく練り込んだ、令の技術の最高峰。


 それゆえ、令はそれなりに(・・・・・)この装備を信用している。


 だがそんな考えは、眩い輝きを放つフレイナの剣に打ち壊される。


 まるで太陽のような輝きを放ちだすそれに瞠目するも、翼は令の思考を即座に読み取る。フレイナの両側から彼女を打ちのめそうと動く。


 令は『守り』を知らない。


 故に、相手の攻撃を止めるのではなくたたき伏せる。


 ―――そして、翼は剣の一振りで砕かれる。


 フレイナの剣が脈動するように輝き、獣の唸りのような鈍い音を出し始め、そして、翼と接触した瞬間にまるでただの氷のようにあっさりと砕かれた。


 今度こそ心の底から驚愕する令。そして致命的な隙を晒す。


 令の身体が、肩から足まで大きく引き裂かれる。


 令の身体に付着していた《血晶》をもあっさり切り裂き、上段から下段まで、一直線に切り開かれ今までにない量の血が噴き出す。


 剣はそれにとどまらず、地に衝突するとその切っ先が延長したかのように地面を大きく割り開く。


 フレイナは、令が目を見開き地に斃れていくその光景を固い顔で見守る。


 フレイナの持つ<神器>。銘を、<ラディラ>という。


 かつては父、ガイアスが使っていたもので、代々デルト王家の継承者に譲り渡される。


 彼女ら王族と、<四剣>に選ばれた超人のみが保有している神器。彼らしか知らないことだが、一つ一つが絶対破壊不能の特性。闘気と魔力の完全親和。固有の破格の能力を保有している。


 彼女が持つ<ラディラ>が持つ力は、『触れた闘気の吸収および解放』。


 相手を切る。闘気の通った武器と鍔迫り合いする。そうすることで、対象の闘気を奪う。


 つまり、相手に触れることで体力を奪い続けることができる。


 令の闘気障壁が上手く機能していなかったことも、これによる。


 展開した障壁に剣が触れた途端、その闘気を『喰い』破っていたのだ。


 これだけでも、剣士などの戦士には厄介だが、その真価はもう一つの力、『解放』にある。

 

 吸収して蓄えた闘気を自らのものと混ぜ合わせ、絶大な攻性エネルギーとして放出する。


 その際、<ラディラ>を纏う闘気は吸収した相手の闘気と同質のになっている。さて、同じ性質の闘気をぶつけ合うとどうなるか。


 答えは、相手の闘気を『すり抜ける』のだ。


 つまり、その対象が剣であろうと、なんであろうと、その対象の闘気による強化分を無視し、素材へ直接攻撃できる。


 しかもその時は、<ラディラ>は持ち主の自前の闘気による強化分が残る。


 強化した剣と、強化していない素のままの剣。どちらが折れるかなど分かり切っている。


 この場合、持ち主の力と相手の力により二重に強化されているのだからなおさらである。


 いくら令でも自前の闘気同士の衝突を試した経験などなく、このことを知る筈もなかった。


 だから、この結果も当然と言える。


「―――へえ。面白いな『それ』」


 令がまるで、新しい玩具を見た子供のように目を輝かせるのは。


 明らかな重症の中、予想外の反応と言葉に、思わずフレイナの動きが止まる。そして彼の倒れ込みながらの拳を食らう。


「ぐっ……ど、どうして……?」


 数メートル転がり、痛みに顔を顰めながらも立ち上がる。


 どれだけ控えめに見ても、令の傷はこれ以上戦っていられるものではなかった。にもかかわらず、男は動いている。


「……え」


 そして、フレイナの思考が停止する。


 令は大きく服が切り裂かれ、血みどろになっていた。


 だが、付けたはずの傷がどこにもない。


 肌蹴た服から除く素肌は、血に染まっていても一つの傷も見当たらない。


「今のは明らかに一般的な武具の闘気の許容量を超えてたな。それだけの量を籠めても一切変形しないか。しかもこっちの闘気が完全に無効化された」


 令は服を払い、先ほど切り裂かれたはずの皮膚をなでる。


 そこでフレイナの視線に気づいた。


「む。ああ、傷がないのが不思議か。じゃあ種明かしと行こう。答えはこの服と、あとその剣」


 令はフレイナの<ラディラ>を指さす。


 令は襤褸切れになった服を脱ぎ、ひっくり返して見せつける。


 そこには、細かな文字が無数に犇めいている。


「この服の裏地には、<文字魔導>を大量に書き込んでいてね。それが原因で魔力に反応して人間の身体を修復する機能が付いている」


 フレイナはもはや言葉もでない。回復する魔法をものに籠めるのは分かるが、通常、それは金属に刻み込むものであって、服のような柔らかく陣が変形しやすいものには使われない。


「とはいえ、それだけではさっきのような大き目の傷を治すには至らない。そんな便利なものではないんだよ。せいぜいが血止めや痛みどめの気休め程度の代物でしかない。だがその剣のおかげ、正確にはその剣の唯一の欠点に救われた」


 <神器>に弱点や欠点などない。それが彼女の常識だった。


 令はどういう意味なのか分からず困惑する彼女に、唯の布になった服を無いよりはましと着込みながら皮肉気に笑う。


「切れ味が鋭すぎるんだよ」


 令は説明を続ける。


「まあ、簡単に言えば錆びついた剣のほうが新品のものよりも傷の直りが遅いのと同じ理屈だ。その剣はあまりにも『切る』ことに特化しすぎている」


 本来であれば、斬られた箇所は傷口の組織がつぶれることで回復まで組織の新生を待たなければならない。


 だが、<ラディラ>あまりにも切れ味が鋭すぎる。鋭すぎて傷口の組織が一切潰されないほどに。


 これだと細胞同士を再結合することで容易に傷は塞がる。


 それだけならば服の魔式で治すことができるのだ。


「それとだ。この翼<紅翼>だがね」


 令はそのことを気にせず、話を変える。


「生成に必要なのは空気中の水分だけだ。《魔界》の影響下ならば、いくらでも再生できる」


 その言葉とともに、みるみるうちに翼は伸びていく。


 砕けた先から草木が伸びるように、あっさりと。


 再び元の威容を取り戻した翼。


 いや、違う。


 元通りなどではない。


「あとだ。これだけの血が流れれば大気中に俺の魔力が満ち満ちる。いかんよ。俺のようなものを下手に傷つけると」


 薄刃を重ね合わせたような猛禽を思わせる見た目は同じ。


 それが、四つ。


 大人一人分ほどと小ぶりだが、より鋭く攻撃性を増した外見。


 新たな二翼が加わり、二対四翼の血の紅を広げた様は、まさに神話に登場する『悪魔』を想起させた。


 血が流れれば、動きは鈍り、頭の巡りは悪くなる。


 だから、戦うものにとって血を流すこと、傷を負うことはなるべく避けるべきことだ。


 だが、目の前の男は違う。


 この、『守り』を知らない存在は、自らか傷つくことを避けない。厭わない。




 ―――傷つけば傷つくほど強くなるのだから、その『必要がない』。




 彼にとって、身を守る行為は自らを陥れることでしかない。だから彼はそれをしない。




「とはいえ、今はもうこの翼に用はないんだが」


 そして、男は四枚羽を切り離した。自重により落下したそれは轟音を立てて地に埋まる。


 その行動が理解できず、フレイナは尚も固まったままだった。


「<紅翼>の装甲を突破できるならば、動けないことはあまりにも大きい。まあ、四枚羽なら手数で圧倒できるかも知れないが、少々確実性に欠ける。―――血も流しすぎたからな。無駄に傷つくわけにもいかない」


 確かにそうだろう。


 壁を突破するだけの攻撃力があり、こちらよりもはるかに速く動くことが出来る。


 そうなると、動けない固いだけ男など、ただの得物に過ぎない。しかも、あまりに自然体だから忘れていたが、令の出血量は尋常ではない。よく見れば、顔色が悪いようにも感じる。これ以上血を流しては命に関わるかもしれない。


 その合理性に寒気すら覚える。


 フレイナが取ろうとしていた対処は、あくまで『出来そう』なだけであって、確信ではなかった。手数が増えたなら、こちらの接近に合わせて迎撃をすることも不可能ではない。


 まだ十分に役立つであろうものを、少しの危険のために令は何の呵責もなく切り捨てた。そんなことは普通できない。


 だが、ある意味で好都合。結果的に、こちらが優位だった状況に戻っただけ。自身は傷ついているが、その傷口は塞がっていて出血も大したことはない。


 心に迷いはない。戦う意志もくじけていない。


 これならば、そう彼女は意気込む。


「だから、より確実な手を取ることにしよう」


 そして、それが甘い考えだと思い知る。


 令は両手にナイフを持つと、こちらへ駆けてくる。


 その動きはこちらが圧倒したときのものと変わらない、かなり速い程度のもの。


 行ける、そう考えた途端、令が消えた。


 突然の事態に驚き、その瞬間をつかれた。


 頭上から、蹴りが顎に飛んでくる。


 それをフレイナは避けたが、その結果、とんでもないものを見た。


 何もない空中に悠然とたたずむ、ひとりの男。


 その男は、空中を縦横無尽に駆け巡り、フレイナを襲う。


 刃で、蹴りで、拳で。全方位三六〇度から間断なく。


 一撃一撃は、御世辞にも上手くない。


 重心の配分が甘く、動きにも無駄が目立つ。そして威力がない。


 だが、それらが揃っていた最初の手合せよりも、確実に手強い。


 上手くはない、才能がない。だが、相手に手傷を負わせるだけの根本は確実に抑えられている。武器の刃筋を立てる。蹴りで筋を傷めない。拳を握る。その程度だが、逆に言えば、それだけでも抑えられていれば人は害せる。


そして、令が使う武器、<クラウンズ>は一二本のナイフ。

 

 ナイフは町のチンピラがよく持っている武器だが、その理由は手に入れやすいから、そしてなにより、扱いやすいからだ。


 剣の振りでは才能の有無、修練の有無がはっきりとでるものだが、ナイフはその軽さと大きさから、素人でもある程度扱うことが出来る。


 才能のない令には、御誂え向きの武器と言える。それを理解している令の動きは、決して侮っていいものではない。


 特に、頭上という死角を取られたことが大きい。


 通常、戦いというのは平面の戦いだ。人間は空を飛べない。地に潜れない。仮にできても、そうする利点がない。だから頭上と足元は意識的な死角となる。


 だが、令は空中を『跳ぶ』。『飛ぶ』にはない急激な方向転換、一〇〇から〇へ、〇から一〇〇への停止と全速の高速転換。それが、死角から降ってくるのだ。


 フレイナは、一応令が空を歩く場面を隠れて見ていたので、警戒はしていた。だが、見ると感じるでは、これは天地の差がある。


 そしてなにより、令の動きそのものも変質している。


 溜めと振りかぶりのない、無拍子の動き。それがどうしようもなく厄介だった。


 其処ら中に転がる、<紅翼>の残骸が彼女の足場を妨害していることもあり、非常に動きにくい。


 それが彼女の常識の動き――予備動作ありの動き――との齟齬を生み、彼女の認識を狂わせていた。


 今までに令に感じなかった伸びやかさ。まるで檻から出た動物のような躍動感に溢れている。


 確信する。これがこの男の本来の戦い方だと。


 ―――今までは手を抜かれていた。


 その意識が、フレイナのに火を灯す。


 怒りの源泉は自分。勝手に相手の限界を勘違いして、見下していた自分への怒り。


「手を抜いていたというのは語弊があるな。そもそも俺には、決まった戦い方というものがないのだから」


 それを見透かしたかのように、令は蝙蝠のように逆さにぶら下がりながら言う。


 なぜそんなことが出来るのか、それは令が使う闘気の障壁の応用である。


 そもそも、闘気障壁は盾ではなくただの壁なのだ。それを足場にし、空中での自在な動作を可能にする。今は足の甲に引っ掛けるように生成することでこのような芸当も可能。


「俺が技能の習熟に使った場所を考えれば、このおかしな戦い方の方に慣れるしかなかったというべきか。そっちの強さを測るためにあえて慣れてない方で戦っていただけだ。別に手を抜いてはいない」


 令が鍛錬を重ねたのは、森の中。木々が乱立し、足場の枝が無数に存在する立体の迷路のような空間。


 そこで戦いになれば、その利用になれるのは当然のこと。


 故に、令は平面的な動作よりも、立体的な動作の方に自然と慣れてしまった。なにせ、あそこでは頭上から蛇のような魔獣が降ってきたり、突然地面から虫なり土竜なりの魔獣が引っ切り無しに襲ってくるのだから。


 唐突な戦い方の切り替えに、フレイナが戸惑いから立ち直るのに手間取っている。


 その間も、令の言葉は止まない。


「お前は、世間で『天才』と言われる人種だろう。剣の。体捌きの。まるで戦うために生まれたかのような存在」


 令の分析を、フレイナは苦い顔で受け止める。


 その賛辞は、今までに何度も受けてきた。お前は天才だ。貴方は素晴らしい。


「だから常々思うよ、天才は可哀想だと」


 そして、続く言葉はおかしなほどフレイナの心を波打たせた。


「可哀想ですって……?」


「そう。『才能』があるものは才能に縛られる。才能から逃げられず、才能に殺される。何とも気の毒なことだ」


「そんなことは……」


「よく言う。お前が一番、自分の才能を恨んでいるくせに」


 反論を封じると、令はフレイナへと逆さのまま近づいていく。


 無造作に、無防備に、何の警戒もなく。


 ただそれだけなのに、フレイナはそれが恐ろしかった。


 そして、フレイナの目の前で立ち止まると腕を広げて両手の武器を取り落す。


「どうした。今切りかかれば勝てるぞ。なんで何もしない」


 疑問のようで、それには僅かの疑念もない。


 ただ手を広げて佇む令に、フレイナは気圧されてしまう。


「さあ。どうした」


 その言葉を引き金に、フレイナの身体は勝手に動いていた。


 迫る令に圧力に耐え切れなくなったのか。それともまた別の理由か。


 脚を踏み込み、十分に威力の乗った剣が令へと向かう。


 狙いは肩。


 そこを突き刺し、相手の戦う起点を奪う。


 いくら令でも、腕を切り落とされれば治すことはできないはず。


 そして、その一撃は令に届くことはなかった。


「……どう……して」


 肩へ向かっていた剣先は、令の左胸の前でとまっていた。


「何を考えてるのあんたはッ!?」


 何のことはない。剣が令を切り裂く直前に、令が狙いをずらしたのだ。致命()から必殺(心臓)へと。


「いや、想像以上に血を流しすぎたらしい。身体がふらついてしまってね」


 あまりにも白々しい言葉。


「お前は、俺を『殺せない』」


 フレイナは、真っ青な顔でまた何かを吐き出そうとするが、令が自分の横を通りすぎながらの言葉が胸に突き刺さる。


「PTSD。心的外傷後ストレス障害。お前がかかっている精神病の名前だ」


 令は歩き、フレイナから離れていく。


 多大な精神的なストレスを原因とし、その原因となったことに心身が過剰に反応して恐慌状態へと陥る病。それがPTSD。心的外傷後ストレス障害。


「お前の場合、その引き金は相手を『殺す』行為。もしくは命に係わる重傷を負わせることも含まれるのかな」


 令は瓦礫の前で立ち止まる。


 そしてその中に手を突っ込む。


「お前ほど、『才能』と自身の『望み』がかみ合わない人間は初めて見た。自身はだれかを傷つけることを拒否するのに、自身に与えられた『才能』と『立場』がそれを許さない。何とも哀れなことだ」


 そして、令は腕を引き抜く。


「俺の場合は、それがない」


 その手に何かを持っている。


 布に包まれた、大きな板を。


「俺は<無才>だから、何かをする上で才能が邪魔をすることはない。当然だ。俺にとって『才能がない』、『向いていない』という言い訳は通用しない。それは何かしらの才能があるものの言葉だからだ」


 令は、その布を解く。


「だから、『何でもやれる』」


 その下から出てきたのは、岩だった。


 岩のように武骨な、全く切ることを考慮していないゴツゴツした分厚い刀身。あれでは野菜を切ることすらできないだろう。


 それに長めの柄が伸び、柄尻には刀身を包んでいた布がぶら下がる。


「己が望むことを、望むままに。好きなことを好きなだけ。やりたいことをやるというのは、あらゆる『才能』に勝る『意志』だ。どうして嫌いなものを極められる? 高められる? 才能など、邪魔なだけ」


 令はそれを構える。


「<無才>は、俺にとって唯一の、そして何にも勝る『才能』だ」


 その言葉とともに、令が動く。


 身の丈ほどもある大武器を手にしながらその速さは先ほどと大差ない。


 そのまま振られた横合いからの一撃を、令の発言に動揺したままのフレイナは剣で受け止める。


「え?」


 その顔は拍子抜けしたように呆ける。


 だが、空中を蹴って移動され、今度は反対側から、その次は上段からの振り下ろし。


 それらをフレイナはあっさりと受け止め、そして疑問にまみれた声を出す。


「何よこれ。どうしてそんなに軽いの?」


 手に伝わる感触が、異常なほど軽い。


 こうして上段からの振り下ろしをたやすく止められたことからそれがよく分かる。


「魔重剣<アロンダイト>。これは特殊な金属で出来ていてね。異常なほど軽いんだよ。この大きさでそこらの鉄剣ほどの重さもない」


 だからこそ、令はこんな大きなものを持ち走ったり、今のように動きに精彩が欠けることもない。


 だが、一撃が軽いというのは、どう考えても大剣としては失敗作だ。


 大剣の売りは、その巨大さゆえの一撃の攻撃範囲の広さと重さにある。


 相手の防御を貫通し、一撃で相手を沈める超威力。それが肝だ。


 なのに、この令の剣は、その範囲はともかく、一撃一撃は片手剣よりも軽い。


 そのため攻撃の回転速度が上がり、手数が増えて一本の武器でもフレイナと渡り合っている。


 だが、慣れてくればその認識に身体が追いつく。


 そして、無拍子の動きは、その速さは素晴らしいが、欠点として一撃に威力が乗らない。


 溜めや振りかぶりは、何も無意味ではない、力を溜める動作であり、それが攻撃に威力を与える。


 だから令の動きは、フレイナに《飛燕》を行使させる溜めを作らせないという結果となっているが、それ以上のことはできない。


 攻撃力がないならば、フレイナの防御を抜くことはできない。


「ああ、だめだね」


 令は<アロンダイト>を振りかぶる。


 上段からの振り下ろし。


 フレイナは慌てることなく剣の腹で、これから来るであろうそれを受け止める構えをとる。


 振り下ろしは剣の重量をと重力を最も働かせる、極めて強力な攻撃法である。


 だが、大剣が軽い今ならば、その脅威は半減する。


 だから、令の言葉による動揺から立ち直りかけていたフレイナは、受け止めたあとに隙だらけの令に追撃を加えようと身構え―――ようとした。


「自分の常識を、『戦い』という異常に持ち込んだらだめだよ」


 ―――大地が鳴動した。


 剣が解き放たれ、地に到達した途端、地面は巨大なクレーター状に陥没し、立っていられないほどの局地的な地震が発生した。


 闘技場は瓦礫を超えて砂と変わり、もはや、最初の原型を留めている場所の方が少ない。


「へえ。よく避ける気になったものだ。あれだけ駄作だと見せつけたのに」


 剣を片手で持ち肩に担ぎ、離れた一角に令は目を向ける。


 フレイナは無事な闘技場の壁に背もたれていた。


 その身体は、あまりの脅威を見せつけられた恐怖に微かに震える。


 フレイナが受けるではなく避ける選択をしたのは、令にしてはあまりにも単調だったから。


 その怪しさから念のために専守に回ったことが彼女の命を救った。


「まあもういらないと思うけど、一応言っとくな。すまん。説明は半分しかしてなかった。<アロンダイト>は異常に軽いが、闘気を籠めると信じられないほど重くなる」


 令が自ら、<星銀竜(ステラリザード)>の外殻から作り上げた武器。魔重剣<アロンダイト>。その名前は、掛詞になっている。


 魔獣(・・)から作り上げた()


 そしてもう一つ。()法のような()さの()


 普段は極めて軽量だが、闘気を籠めることでその質量は跳ね上がる。その幅は片手でも持てるほどの重量から、民家一棟ほどまでという馬鹿げたものだ。


 そんなものを受けてしまえば、人の手による防御など紙のように打ち砕いてしまう。


 令は、わざと闘気を籠めない状態で何度も打ち付け、それで油断したときを狙って解放した。


 もしフレイナが《飛燕》で遠くへ逃げていなければ、今頃彼女はこの世に原型を残していなかっただろう。


「お前、俺の攻撃に威力がないから油断しただろう。そんな『常識(もの)』いくらでも覆せるんだよ」


 図星だった。令の動きを、フレイナは厄介とは感じていても、『脅威』とは思っていなかった。


 その認識はもはや、通用しない。


 令が再び向かってくる。


 軽い剣を振るい、フレイナはそれを避ける。


 受けることはできない。


 もし受けてしまえば、その瞬間令は剣を強化し、膨大な破壊エネルギーが彼女を襲うだろう。


 だから避けることしかできず、そして剣を警戒しすぎるために、相手への攻撃に意識を向ける暇がない。


 恐怖に震える身体を叱咤し、フレイナは剣を構え続ける。


 一瞬で、自分が追い込まれた文字通りの一撃必殺。


 そして、それにこれから自分は挑み続けなければならない。 


 その恐怖は計り知れない。


「これだけ動けて才能がないとか、なんの冗談よっ!」


 その恐れをごまかすように、フレイナは悪態をつく。


 それは別に答えを求めた問いではない。令に才能がないということは、彼女自身が戦って一番よく知っている。


 ただ、それでも言わずにはいられなかった。彼女の常識では、才能が無くてはどうしようもないことだったから。


 そして、自身に才能があるのなら、たとえ自分が望まなくてもそれを揮わなければならない。それがもつものの義務。そう彼女は、教わってきた。


 彼女の感じる、不可解な苛立ちがそれを吐き出させた。


「俺には才能はないよ。そうだな。例を上げてみようか。俺が闘気と魔力の習熟要した期間は、半年」


 ふざけた事実だった。少なくとも、彼女からすれば。


 彼女が闘気に慣れ、《飛燕》という武器を編み出すのにかかった時間は六年。


 それを令は、その一〇分の一以下の時間で渡り合える域まで到達したという。


 虚言としか思えない。




「そしてその間で、二〇〇〇回は死にかけた」




 言葉の意味が頭に入ってこなかった。


 それは、単純計算で日に一〇回以上死にかけていたということ。


「心筋の活量を増大させた時なんか最悪だったね。配分間違えて、血液の運搬量に全身の血管が耐えきれなくて紅い肉塊になるところだった。よく生きてたと自分でも思うわ」


 そんなこと、物理的に不可能だ。そう彼女は否定しようとして―――気づいてしまった。


 そんな不可能が、矛盾なく成り立ってしまう方法が。


 ある意味、誰もが思い付き、だが実行などできないし、したくもない手段。


『身体が壊れたら、それを無理やりに『直して』、また壊す』


 それならば、日に一〇回死にかけることも不可能ではない。


 それを心が許せば、だが。


 そんなことを続ければ、身体が大丈夫だとしても、心が持たない。


 身を割く痛みに、終わりのない絶望に、精神が先に終わってしまう。


「……無理だわ、そんなこと」


「何故だ? 現に俺はそうして、このように『強さ』を得た」


 令の、心底不思議そうな顔に、フレイナは慄く。


「分からないんだよな。どうしてお前たちはそうやって諦める。それに言っただろう。俺には才能がない。向いていないという言い訳も通じない。だから、やるしかなかった」


 どうして、そんな顔ができるのか、分からない。


「身体を壊して、それを直す。それを参考に調整して失敗して、また直す。推奨し、実戦し、検証し、実感する。ほんのわずかずつでも前に進み続ける。そんなこと、人間が有史から今に至るまで延々と続けてきたことだ」


 その顔は、日常によく見る、世間話でもするようなもの。


「それなのに、なぜ、お前たちは『諦め』、『切り捨てる』。あらゆるものを。自分の『望み』すら」




 なのに、彼女が見たあらゆる表情の中で、一番『コワレテ』いた。




 ―――そして、彼女は自分の勘違いに気付かない。


 いや、その場の誰もが、そして令を知る誰もが、その事実を知らない。


 令が語っていた異名の意味を。


 その異名を得たのが、『この力を得る前だった』と令自身が語っていた意味を。


 そして、気づいていたとしても、防ぐことなどできない。


 そちらへと意識を割く余裕は彼女にはないからだ。


 これまで、令は仕込みを続けていた。


 力を分かりやすくひけらかし、相手を煽り、そして言葉で余裕をなくす。




 フレイナは、完全に自分を『狂わ』されていた。




 力など、令にとっては、おまけに過ぎない。


 この程度の戯言など、彼にとっては遊びに過ぎない。


 彼にとっての、最大の武器。


 もとの世界で、『悪魔』とすら呼ばれる原因となった最悪の兵器。


「そういえばさ」




 ―――それは、この『口撃(こうげき)』なのだから。



 

「どうしてそんなに、人を『殺す』ことを忌避するんだろうな。お前は」


 令は攻撃の最中に唐突につぶやく。


「生まれてからお前は、戦うことを念頭に置いた教育を受けてきたはずだ。<デルト>の王族であるならば。そしてその才能もある。普通はそんなことにはならないだろう」


「……何が言いたいの」


 フレイナは、この時点で気付いていた。


 この男の言葉を、聞いてはいけない。


 すぐにその口を封じなければならない。


「PTSDには、原因が存在する。誰かを『殺す』のを身体が拒否する。この場合、考えられる原因は二通りある」


 言葉に意味も上手く理解できないまま、<ラディラ>を振りかざす。


 そしてがむしゃらに斬りつける。 


 相手の反撃も考えず、ただ、その言葉を止めたかった。


 耳をふさぐことに意味はない。


 フレイナの身体はもはや、令の言葉を絶対に無視できなくなっている。


「誰かを殺されたか」


 だが、令はそれを受け止めるだけで、隙だらけなのに反撃もしない。


 それも当然。


 令にとって、相手を最も傷つけることが出来るのは、この『言葉』なのだから。


「誰かを殺したか」


 わざわざ、威力の低い手段に訴える必要はない。


「ところで話は変わるんだが、デルト王国第一王女フレイナ=デルト=エルデルフィア」


「やめて……」


 相手が何をしようとしているのかも気付かず、フレイナは全身が震えだすのを感じる。


 無意識に確信する。


 これから来るのは、自分を確実に『壊して』しまうと。


「お前さ―――」


「やめてぇっ!!」


 悲痛な叫びが、青空に木霊する。











「―――母親は、どうした?」 












 フレイナの耳に、あまりにも平坦で、悪意に満ちた言葉が届く。


 それは耳から頭へ、そして、心へと伝播する。


 そして、すべてを壊した。


「アアァァァァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 人間の声帯から出たとは思えないほど、高く、そして痛々しい音。


 フレイナの<ラディラ>が、持ち主の意志に呼応するように強い輝きを放つ。


 令の持つ、あらゆる攻撃を強制的に捻じ伏せる、間違いなく『最強』の一撃。


 それを出さなかったのは、これには《飛燕》と同じく若干の溜めを要するからだ。


 令の縦横無尽の乱撃の中では、繰り出す暇がなかった。


 その勘定すらできないほど、フレイナは惑乱していた。


 令はそれの発動が終わるのを黙って待つ。隙をつけばそこで終わっていたのに、しない。


 ―――そして、迎え撃つは『最悪』の一撃。


「<神器>か。本当に素晴らしい」


 <アロンダイト>は、それを真向から受け止める。


 その時の令の姿は、異様の一言に尽きる。


 両腕に幾何学的な模様が浮き上がり、剣をしっかりと握る。


 そして、肝心の<アロンダイト>は、『暗い』闇に包まれていた。


 『黒い』のではない。


 そこだけ光が喰われたかのように、剣の周囲だけ、宵のように昏くなっていた。


 そして、すべてを壊すはずの一撃は、それにしっかりと食い止められている。


 だが、それが間違いだと直ぐに分かる。


 ピシッ。


 微かに、聞こえてしまった。


「どれだけの負荷にも耐えられる強靭な<素体>。絶対に壊すことなどできない。―――普通ならば」


 またひとつ、ピシッ。


 破滅の音が、鳴る。


 「『力』も。『技』も。『速さ』も」


  ベキリッ。


 その音は、少しづつ大きく、そして鈍くなっていく。


「『鍛錬』も。『友情』も。『努力』も。『信念』も。―――そして、<神>すらも」


 そして、令は<アロンダイト>を振りぬいた。











「俺にとっては、等しく『無意味』だ」










 向こうの世界で、令を相手にしたものは、その意味を残らず思い知らされた。


 どんなに力があっても、関係ない。どれだけ尊くても、問題ない。


 彼の逆鱗にふれたものは、その存在を許されない。


 彼の敵は、誰もが最後には共通の認識を持つ。


 他者の人生を『狂わ』せ、あらゆるものを『壊し』、『悪徳』を為す『魔王』。






―――すなわち、<狂い壊しの悪魔>と。











 クルクルと。フレイナの頭上を何かが飛んでいく。


 それは遠くの方で、軽い音を立てる。


 理解ができない。


 ―――今、何が飛んで行ったのかも。


 そして。




 ―――なぜ、<ラディラ>の剣身が半分になっているのかも。




 理解できないまま。彼女はその場に尻もちをつく。


 まるで無力な町娘のように、力なく、呆けていた。


「………………『これ』で切れた。つまりは、そういうことか」


 後ろで男が、苦々しい様子で呟いているのが、やけに近く聞こえた。


 彼が近づいてくる。


 そして目の前で立ち止まる。


 フレイナは、彼をぼんやりと見上げる。


 そんな彼女をみて、一瞬だけ、ほんの微かに令が顔を歪めたのをフレイナは見た。


 だが、今の彼女にその意味を理解することはできない。


 そのまま、令は剣を掲げる。


 フレイナは、その様をぼんやりと眺めていた。


 このままでは自分が死ぬことも、分かっている。


 だが、彼女はそれをただの『事実』としてしか受けとれず、『避ける』ことを考えられなかった。


 ただ、それを黙って見ていた。


 そして、令の身体を何かが突き飛ばす。

 

 令は『それ』に押し倒され。右腕は杖の石突きに貫通され、地面に縫い付けられる。


「戦いの最中に邪魔とはひどいな」


「……これが、これが、戦いだと?」


 『それ』は、灰色の長髪を波打たせ、怒りに満ちた形相で睨み付ける。


「こんなものはただの蹂躙です。戦いでもなんでもない」


 彼女、フレイナにとっても姉のような存在であるアリエルは、だれのめから見ても分かるほど怒り狂っていた。


「もう終わりです。こんなふざけた催しは。でなければ私がお前を殺しても止めます。ガイアス様が止めても、ガルディオル様が諌めても、お前をどんな手でも使って滅ぼしてやる」


 フレイナは、これほど彼女が感情に激したところを見たことがない。


 その理由が、自分だということも彼女には分かった。


 そのことが嬉しく、フレイナの壊れた心が少しだけ震える。


 令は、地面に縫い付けられたまま、不思議そうに顔を白黒させている。


「魔法を使おうとしても無駄です。私の<クラケルス>は触れたものの魔力を霧散させる。今のお前は魔法を使えない」


 魔法が使えない。


 それは、戦士が相手であれば、あまり効果はない能力だろう。


 だが、対象が限定されるからこそ、その相手にたいしては凄まじい力を得る。


 そして、魔法を多用し戦闘を組み立てる令は、その対象となる。


 回復もできず、実のところ、血が不足したことで喪われた体力を魔法で身体を操作することで無理やり動かしていた令なのだから、それが使えなくなってはうまく身体を動かせない。


「まあそう急くな。―――アリア=エル」


 絶体絶命の中、それでも令は余裕を崩さない。


「<四剣>が一。<幽姫>アリエル。本名をアリア。デルト北部の辺境領の寒村で生を受ける。その後、七歳にして魔獣の群れに生まれた村を襲われ家族を失う。数えるほどの生存者である少女は魔獣の討伐隊として赴いた部隊の隊長に引き取られる。その後、王都に在住し、養父に師事し、杖術を習う。一四の時に養父が病没し、その才能を元手に軍に入る。その後、嫉妬や偏見による様々な妨害をすべて跳ね飛ばし、六年という短さで平民ででは異例の王国最高戦士の地位<四剣>を拝命。第四位『エル』と、アリアという名を合わせ、以降『アリエル』と名を変える、をまだ幼かった王女の姉替わりを務めながら、今に至る」


 クスクスと笑う令を見て、アリエルの顔にはっきりと不審が宿る。


 いきなり見ず知らずの男に、自分のことが知られていれば、誰でも同じことを思うだろう。


 この男は、何なのだ。


「知っていますか。熱力学的には、熱量は不変なんですよ」


 そして、唐突に理解できないことをほざきだす。


「凍る。融ける。それらはすべて、熱の移動が原因となる。熱を与えられた物質は温度が上がり、奪った物質は温度が下がる。そして全体の熱量の総量は不変である」


 あまりにも突然過ぎて、アリエルの思考が止まる。


「さて、ここで問題です」


 そして、それが致命的な隙となる。


「《魔界(クリフォト)》は、熱量を操作する魔法です。―――さて、これだけの氷を生成するのに使われた熱量は、どこに消えたでしょうか」


 その意味を理解する前に。


 彼女の意識は曙光に焼き尽くされた。









 その様を、フレイナは、まざまざと見せつけられた。


 アリエルに、太陽から光が降り注ぐのを。


 いや、正確には、彼女たちの視界からは太陽と重なって見える位置に置かれた、膨大な熱の塊が降ってくるのを。


「アリ……エル……?」


 茫洋とその名を呟く。


 それが、だんだんと彼女の意識を起こしていく。


「アリエルっ!?」


 走り、彼女へ駆け寄る。


 その手には、もはや習慣からか《ラディラ》が握られたままだった。


 アリエルの常態は、ひどいものだった。


 命はあるが、全身を覆う火傷が、一目で重症だと分かる。中には部分的に焦げている部位すらある。


 令は腕から杖を引き抜き、立ち上がる。


 ここで、周囲に広がっていた《紅翼》がすべて砕け散り、その骨となっていた<グリモワール>を令は回収する。


 フレイナはそんななか、アリエルの身体を抱きしめることしかできない。


 力なく横たわる彼女に、必死の声を掛け続ける。


 死ぬ。


 このままでは、彼女が死ぬ。


 『母』と同じように。


「攻性六芒星<ダビデの新星>―――」


 そして彼女には。悩む暇すら与えられない。


「―――不完全展開(・・・・・)


 彼女の視界に、巨大な魔方陣が映る。


 だが、依然見たそれとは明らかに違う。


 五本の<グリモワール>を起点に展開する、頂点が一つ欠けた、六芒星。


 見るからに不安定で、陣の其処ら中から稲光があふれている。


「《魔炎(ボルガノン)》固定放置。および、攻性六芒星<ダビデの新星>不完全展開。《魔月(ルナ)》固定放置」


 そして、それがもう一つ。もう五本の<グリモワール>を起点に、立ち上がる。


 どちらも、今にも弾けてしまいそうなほど大気を震わせる。


 そして、その二つの魔方陣の中間に、<アロンダイト>を突き立てる。


「―――<魔式統合>」


 <アロンダイト>の剣身が淡く輝き、その二つの陣を繋ぐ。


 三つの物体の光が、呼応するように輝きを強めていく。



 魔重剣<アロンダイト>は、掛詞である。


魔獣(・・)から作り上げた()


()法のような()さの()


―――そして、()法を()ね合わせる()



「……止めて」


 フレイナの口から、自分のものとは思えないほど弱弱しい言葉が漏れる。


「もう、やめてよっ!」


 自分のことはどうでもいい。


 だが、これを食らえば、自分もろともアリエルも消える。


 こんな自分を助けるために、こんな傷を負ってくれた。そんな人が居なくなる。


 ―――嫌だ。


 その叫びに、令は苦笑を苦い顔をする。


「覚えておくといい。弱ければ、己の意志すら徹せない」


 そして湧き上がるのは、天を衝く劫炎。


 この世をそのまま包み込んでしまいそうな大火は、彼の意志に沿う。




「《魔剣(レイヴァテイン)・業炎(・ボルガニア)》」

 



 かつてない脅威の中。フレイナは一つの思いにとらわれる。


 あまりにも追い詰められ、あまりにも恐ろしい。


 自分と親しいものが、消えてしまうことが。


 それが、嫌だ。


 他のことなど、どうでもいい。


 それだけは許せなかった。


 自分のせいで、誰かが死ぬ。


 『母』と同じように。


 二度目など許せるはずもない。


 ただ願う。


 自分などどうでもいい。


 この先どうなろうと、構わない。


 大切なものを『守る』ことを。









 そして意識が焔に呑まれるなか。








 ―――微かに、《ラディラ》の残骸が、震えた気がした。

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