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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
72/84

69話 『戦い』

 深く深く。


 『それ』は微睡む。


 夢を見るほどの自我もなく。


 望みを抱くほどの意志もない。


 長い、永い眠りの時は、それらを奪うには十分過ぎた。


 眠りにつく前では考えられないほどの時間は『それ』を、『それら』を、ただのオキモノへと貶めた。


 それでも、眠り続ける。


 そうするしかないから。


 それしかできないから。


 いつまでも、眠り続ける。




 ―――『契約』を果たす、その時まで。










 目を開けると、最初に視界に入るのは朝日を浴びて淡い光を放つ青だった。


 次第に意識が舞い戻り、習慣の寝起き自己体機能検診をしながら、女性が自分の顔をのぞき込んでいるのだと察する。


「なにやってるんですか」


「あ、その、えと……な、なんでしょうね……?」


「私が聞いてるんですけど」


 声を掛けると彼女、セフィリアは慌てて手を身体の後ろに隠し、しどろもどろになる。


 まさか落書きでもしていたのかと思い、正面に水の鏡を作り出し顔を映す。


 だが特におかしなところは見当たらなかった。


 もしそんなことをしていたら相手が泣き出すまで弄ってやろうと決めていたのに、その道が閉ざされたことに令は舌打ちを漏らす。


 一方、セフィリアはなぜか九死に一生を得たような不思議な達成感を味わい首を傾げていた。


 令はとりあえず、自分に害がないのなら他の人の行動まで咎めることはないと結論を下し、意識を切り替える。


 昨夜、彼は『作業』を終えてから帰って眠りについた。


 さすがの彼も、この激動の二日で疲労がたまっていたのか、すぐに意識を落とすことができた。

 だが、そうなると当然問題になることが。


「とりあえず、私は人目につかないところで身体洗ってきます。貴女はどうしますか?」


 汗でべたつき、決して衛生的とはいえない身体をどうにかしたかった。


「……私は昨夜のうちに身体をお湯で拭いておいたので大丈夫です」


「では私一人で行ってきますか。数分で戻るので」


 令は布を手に持ち部屋を出ていく。


 扉が閉まり、遠ざかっていく足音を耳にしながらセフィリアは手の中のものに目を向ける。


「本当……。なんでもなさそうにしてくれますね」


 手にした湿ったハンカチを仕舞う。


「貴方のそんなところが、私は死ぬほど気に入りません」


 俯くその表情は、誰にも見えない。


 そのまましばらくそうして佇んでいた彼女だったが、令の手荷物が点滅していることに気が付き顔を上げる。


 少しの逡巡ののち、彼女はその中身を探る。


 そして手の中に納まるのは一枚の紙切れ。


 以前令から教わった通りにその符を『通話』状態にする。


『聞こえるか。朝早くに失礼する』


 耳に届くのは覇気のある男性の声。


「おはようございます、陛下。……あいにくグランドさんならば今留守にしておりますが」


 少し考え、あちらに令のことを知っている人間以外の者がいたときのことも考えそう口にする。

 ガイアスがそんな簡単なことに配慮していないとは考えにくいが、危険は少ないに越したことはない。


 向こうは、令が居ないということに少し考えるように沈黙し、そして用件を告げる。


『では、戻ってきたら連絡を入れるよう伝えてくれ。一つ頼みがある』











 <デルト王国>には、その国風に沿う形で武技や練兵の施設が豊富に存在する。

 今彼らが居るこの王立闘技場もその一つ。普段この場は、向上心あふれる兵たちが研鑽に励み、活気にあふれているのだが、いまだけは貸し切りにし封鎖したために閑散としていた。


 ここで訓練する気でいた兵たちには、代わりに普段禁止している城の中庭と庭園を解放しているので、広さは幾分下がるものの特に問題はないはずだ。


「立派なものですね。さすが戦士の国」


 壮大な広さと堅牢さで佇む闘技場の真ん中で、純粋な賞賛が漏れる。


 令は興味深そうに辺りを見回していた。


 令の格好は、昨日と同じ藍色の着流しに似た上に、裾の広い袴のような下。一見涼しげな格好にみえるが、ガイアスたちはその裏に馬鹿じゃないかと疑いたくなるほどの凶器を仕込んでいることを知っている。


 そして、背中の布に包まれた巨大な板のような代物が、彼の姿を物騒の極みに達させている。


 彼らからすれば、どの場にも持ってきておきながら一度もその中身を見たことのないそれが、気になって仕方がない。


 そして、ガイアスはその正体をもうすぐ知ることになるだろうと予測していた。


 気心のしれた、とまではいかないが、相手が余計な前置きなど気にしない性格だとわかっているために、彼も謝罪や挨拶を飛ばして用件のみ伝える。


「しかしこちらから申し出ておいてなんだが、本当にいいのか? 正直、この件はお前に利益があるようには思えんが」


 ガイアスの声は微かに硬い。


 令はそれに気付いても、敢えて触れない。


「構わない。どうせ今日やろうとしてたのは後回しにしても問題ないものだったし。それに、何が有益かは私が判断することです」


 そして、こちらを睨んでいるフレイナに目を向け、笑う。


「―――というわけで、お手柔らかにお願いいたします。『おひめさま』」


 清らかな笑みの中に紛れ込ませた毒に、フレイナは顔を歪める。


「……そうね。御託はいいから早くやりましょう。そのにやけ顔に一発叩き込みたくて仕方ないわ」


「おや、手厳しい」


 『戦気』をみなぎらせて睨むフレイナに、『稚気』を震わせて笑う令。


 とても居心地の悪い空気が出来上がる。


「あの、お二方。今からそんな険悪にならなくても―――」


「よし、ならばお互い準備が必要だろう。今から三〇分後にここに集合してくれ。それまで各自好きにしろ」


「……私の扱い、段々雑になってる気がするんですけど気のせいでしょうか」


 空気を和らげようと気を使い、がんばって声を出したセフィリアだったが、その言葉はガイアスに遮られる。


 そして誰もそれを気に留めようとしないことに彼女の顔の影が一層濃くなる。


 気の毒と言えば気の毒であるが、二人が敵意を向け合い、二人が渋面をつくり、二人が心配そうに見守り、最後の一人が戦いたそうにそわそわしている場では、一般人でしかない彼女の意志が呑まれてしまうのも無理はない。


 彼らには、彼女の言葉に反応するだけの余裕はないのだから。


 令は背を向け、時間を潰すために出口へ足を向ける。


 セフィリアは溜息を吐きながらそれに従う。


「レイ」


 その背中に、ガイアスは声を掛ける。


「二人だけで、話がしたい。少し時間をもらえるか」


 その目に、悲愴な覚悟を載せて。








 ガイアスが今朝、令に申し出たこと。


 それは、令とフレイナによる『戦い』。


 ガイアスは、断られることを覚悟の上でそれを令に伝えた。


 戦うということは、手の内を晒すということ。


 令という存在が練り上げた技量、編み出した技術、積み上げた技能、そしてそれを効果的に組み立てる戦術眼。それを見せて見ろと言うことに等しい。


 それを得られれば、ガイアスたちにとってはこの上ない利益となる。


 対して、令にはそれに見合うだけのものは得られない。


 フレイナの実力を見て、それに対する対策を立てることくらいはできるだろうが、ガイアスたちはそもそも五人いるのだ。一人の対策が取られたところでどうとでもなる。


 だから、ガイアスは、伝えた次の瞬間に返された了承に耳を疑った。


 そして、その時の裏返った驚きの声を令に散々弄られた。


「あの会話が終わったときの父様、少し怖かったわ」


「思いっきり青筋立てておられましたからね」


 当時のことを思い出し身体を震わせるフレイナに、アリエルは持ってきた水筒を手渡し苦笑をこぼす。


 フレイナはその中身の、ひと肌程度の塩水を呑み一息つく。


 味よりも発汗などによる失われた水分を補うことに重点を置かれた生理食塩水は、美味しいとは言い難いが、緊張を多少弱める効果はあった。


 そんな彼女たちに、朝からずっと不安そうに顔を歪めているオルハウストが声を掛ける。


「殿下。今からでも考え直してはいただけませんか」


「嫌よ」


 もはや聞きなれたその言葉に、フレイナは声に苛立ちが乗りそうになるのを必死に抑える。


 いくら鬱陶しくとも、自分のことを心配してくれる人間を相手に、その反応はひどいだろう。


 まあ、そう考えたところで断る事には変わりはないのだが。


「ですが手の内を探ると言うのなら、ガルディオル様が一番適任です。それでなくとも私やザルツ様、分が悪いかもしれませんがアリエル殿でも問題はない筈です。何も貴女でなくともよいではないですか。」


 令の手を探るという目的を考えた場合、どんな手で来られようと対応するのは実戦経験が最も豊富なガルディオルが望ましい。


 正面対決となるとアリエルは分が悪いが、それは比較対象が『四剣』だからであり、そこらの一流をはるかに凌駕する力を持っているため、それでもかまわない筈だ。


 わざわざ、王女が危険を冒してまで前に出る意味が、彼には分からなかった。


 その諫言に、フレイナは首を振る。


「オルハウスト。私が戦うのはあの男の力を見るのが主目的じゃないの」


 予想外の言葉に目を瞬かせる彼を、フレイナは真っ直ぐに見やる。


「私がそうしてみたいと思ったから。手の内を探るのは二の次三の次。私が、あの男と戦ってみたいからなの」


 それを聞いたオルハウストは数瞬呆気にとられ、怒ったように捲し立てる。


「そんな理由、なおさら認められるわけがないでしょう! ガルディオル様ではありませんが、貴女はもっと自分の立場というものを自覚して―――」


「その辺にしとけよオル坊。お前が何言っても無駄だぜ」


「ザルツ様!? 貴方まで何を」


「姫さんがこうなったら誰がなんと言おうと、止まったりはしねえよ。それに何より、俺らの大将がそれをもう認めちまってるんだ。俺ら下っ端がその意見を覆せるわけねえだろ」


 それに、と彼は続ける。


「内心はどうあれ、この件に明確の反対を示してるのはお前だけだ。だろ? ガルさん」


 話を振られたガルディオルは、渋面のまま不動を貫く。


 だが、ここで否定を入れないということはそれは肯定も同じ。


 フレイナのことを実の妹のように構っているアリエルでさえ、不安そうな顔で無言を貫く。


 一番この件に反対を示しそうな厳格極まる存在と、情の深い存在が、容認している事実にオルハウストは愕然とする。


 その反応に耐えられなくなったというわけではないだろうが、ガルディオルは視線を前に向けたまま口を開く。


「正直そこの小娘を殴り倒してやりたいが、これも必要なことだ。手を出すわけにはいかん。そして、お前たちにも手は出させん」


 有無を言わさぬ気迫が籠められた言葉に、オルハウストだけでなく誰もが身体を強張らせる。


「と、とにかく誰が何と言おうと私が出るわ。そこを変える気はないから」


「それなら私が役に立つ助言を差し上げましょう」


 空気を換えるつもりか、フレイナが大きく声を発する。

 するとそれに同調するものが一つ。


 フレイナは動きをとめ、居心地悪そうに目を逸らす。


「……で、どうしてあなたがここにいるの」


 今まで不思議に思いながらも、敢えて誰も触れずにいたことに、とうとう無視できず話しかける。

 すると話に乱入してきたセフィリアは顔を俯ける。


「あちらは二人だけで話をしたいそうなので。私は邪魔らしく追い出されました」


「それは、まあ……お気の毒に」


 ないとは思うが敵情視察かと軽く疑っていたのだが、想像以上に可哀想な理由だったので言葉に困る。


「と、言うわけで」


「え、あれ? ねえ、この手は何かしら」


 と思ったらいきなり顔を上げてフレイナの肩をつかむ。

 突然の奇行にフレイナの顔が引きつる。


 止めるべきはずの『四剣』たちも呆気にとられ行動が遅れていた。


「あの男が少しでも長く苦しむように、助言をさせてください。というかさせなさい。お願いします」


「いや、その、あの」


「すげえ。あの姫さんが調子を崩されっぱなしだ」


「近年稀に見る変事ですね」


「姫様は基本的に振り回すほうですから、振り回されるのには慣れていないのでしょう」


「いい薬だ」


「と、とりあえず手を放しなさいっ!」


 周りの無責任な声に叱責を掛ける暇もなく、フレイナはセフィリアを引き離す。


 一歩分距離を保ち、姿勢を低くし次は抵抗できるよう警戒する。


「ああもう。あなた、度胸あるわね。下手したら不敬罪で斬首ものよ」


 態度に怯えが混ざるのを悟られないように、強気な言葉を返す。

 とはいえ、その言葉は間違いではない。

 彼女自身にその気はないが、場が場なら体裁を取り繕うためにそうなってもなんらおかしくない。


 このような態度をとってくるのは、度胸が座っているからか、それともこちらがそれをしないと見抜いているからか。


「あの『魔王』に一泡吹かせるためなら甘んじて受け入れてやりますとも。大体なんですか昨日あんなことをして大丈夫か心配しているというのにそれを分かっていながらこっちの気持ち全無視してくるんですよあの人でなしはしかも私がそういう態度をとればとるほどどんどんどんどん態度が硬化していくし今日のここに来るときなんか何の説明もなしに『行きますよー』ですよどこにですかなぜですか言葉が足りないどころかそもそも無いなんて経験初めてですよそして進んだ先に居たのが貴方たちでしたあの人は私が対面して緊張のあまり腰を抜かしたことを知っていてそのほとぼりすら冷めないうちにこの仕打ちですよだから考えましたとも怒りましたともあの男の鼻を少しでも明かしてやろうと決心した次第でございます」


 違った。唯の八つ当たりだった。


 一息で暗い顔で捲くしたててくる女性から、フレイナは無言でさらに一歩身を引く。


 そうしたことで、セフィリアの前身が視界に入ったために、フレイナはセフィリアの脚が震えていることに気付いた。


 どうやら、こちらの面子に怖れを抱いていないわけでも、自分の行動がどれだけ危険なものか分かっていないわけでもないらしい。


 つまり、それと天秤にかけても勝るほど、目の前の女性はあの男に一矢報いたいと。


 それも、そこまでやってできるのがただのいやがらせ。


 というか、そこまで恨まれるとかあの男は本気で普段この女性をどう扱っているのだろうか。


 そしてなぜ自分は『魔王』という名でごく自然にあの男を当てはめ、しかも疑問に思わないのだろうか。


 一体なんだこれは。この混沌とした現状は。


 フレイナはその内心の苛立ちを無理やり飲み込む。


 そのまま何度も深く呼吸を繰り返す。


「……申し訳ありません。少し取り乱しました」


「少しって。……いえ、まあいいわ」


 するとセフィリアも間を開けたことで落ち着いたのか、正気に戻る。


 少しどころではないだろうと思いはしたが、話を蒸し返したくないので自粛する。


 ……気性が荒いと自覚しているはずの自分がそうすることに違和感が拭えなかったが。


「でもそんなことをしていいの? あいつと仲悪くなると思うけど」


 誰だって、自分と近しい者がこれから敵対する者と仲良くしてあまつさえ対策を漏らしていい顔などしないだろう。


 その意味をこめて、フレイナは遠回しに気乗りしないことを伝える。


 彼女の目的はいくつかあるが、その一つが自分の力であの男を打倒してみせることだった。


 ただの助言とはいえ、仮にその結果勝てたとしたら、素直に喜べるかは微妙なところであり、その上、彼女本来の気性からしても、誰かの手を借りるのは面白くない。


「ああ、それなら大丈夫ですよ。どうせあの人はそんなこと気にも留めないでしょうし。私がなにしてもああそうですかで終わりです」


 そんな裏を知ってか知らずか。セフィリアは否定の言葉を入れる。


 それはいくらなんでも卑下しすぎではないかと思うが、フレイナはそれを否定する材料がなく引き攣った笑みを漏らすしかない。


 そしてセフィリアは、これは私の私見ですけど。そう前置きをし、続けた。




「そもそも、そうしないと『戦い』にならないと思いますので」




 あまりにも正確に、彼らの誇りを傷つける(ことば)を。


 言い終わり、セフィリアが瞬きを一つする間。


 それだけの間に、彼女の首筋に現実の刃が突きつけられていた。


 比喩でも何でもない、文字通りの『一瞬』を体現して見せた『剣姫』の顔に怒りはない。


「それは、どういう意味かしら」


 ただ冷厳に、目の前のモノが己が切るべき対象かのみを確かめる。


 そこに先ほどまで翻弄されきりだった『おひめさま』の姿はなかった。


「……言葉通りです。ですが、誤解なきよう。何も貴女や、貴方方に力不足だと言っているのではありません」


「その言葉で他にどう解釈しろって言うの」


 睨み合う紅と青。


 どちらも退こうとはしない。


「…………で、その助言って?」


「……いいのですか?」


 それを解いたのは紅の方。


 首に突き付けていた剣を引き、聞いてくる彼女に、セフィリアは虚を突かれたような顔をする。


「そうね。誰かの力を借りるのは確かに私の性に合わないわよ。自分の力を試す意味合いもあるから本当なら絶対に聞きたくない」


 フレイナは仏頂面で目を逸らす。


「でも、私の心配してくれてる人の気持ちを無碍にするのはもっと嫌」


 セフィリアは口を開けて呆ける。


 そして、しばらくそうしているといきなり吹き出した。


「な、なによ」


「い、いえ。なんだかどうやって説得しようかといろいろ考えていたことが馬鹿らしくなっちゃいまして」


 口を手で押さえ、笑いを終えると、セフィリアはフレイナに優しく微笑む。


「お優しいですね。フレイナ様は」


「んなっ!?」


「相手のことを思いやることができるのは、人として素晴らしいことですよ」


「な……な……なあ……」


 顔を真っ赤に燃やし、フレイナは羞恥から身体を震わせる。


 口を何度も開閉し、両手をわたわたと彷徨わせ、最終的に彼女は。




「にゃに馬鹿にゃこと言ってるかあ!?」



 爆発した。









「ふむ……」


「さすがに嫌か。そんな役回りは」


 令は、眼前の男からの話を顎に手を当てて吟味する。


 その様子にガイアスは自身の頼みに気乗りがしないのだと考えた。

 正直な話、自分でもあまりに厚かましい願いだとわかっているからだ。


 それでも、彼はそうするのが最善の道だと考え、腹の内にたまる自分への怒りを抑え込みながら形にした。


 令は手を解くといやいや、首を横に振る。


「別に構いませんよ、私がやるのが一番手っ取り早いですし。ですが―――」


 言葉を切ると、彼は真っ直ぐにガイアスを見つめる。


「貴方は、それでいいのか」


 ガイアスは目を伏せる。


「……いずれは、穏便な手で分からせるつもりでいた。だから今まで、それに耐えられるだけの下地を作らせることしかさせてこなかった。だが、ことこうなってしまえばもはや悠長なことは言っていられん。それもこれも、すべて俺の責任だ。今更、俺の好悪で判断するわけにはいかんだろう」


「……大変だねえ。『王』というものは。いや、ここは『親』というものは、というべきか」


「……俺から言わせてもらえば、両方だな」


 そうして、二人は笑う。


 どこか自嘲するように。


「じゃ、ガイアス殿。ことを遂行するにあたってお願いがあります」


 令は手に筆を持つと、メモ帳を取り出し何かを書き込んでいく。

 手先を残像を残しそうなほどの速さで動かし続け、それを破る。


「これに目を通して、良ければ何も言わず流してください。駄目なようでしたら話合いましょう」


 ガイアスは手渡されたそれを裏返しで受け取る。

 そしてそれを持ち、しばらく紙を眺める。


 そのまま畳み、懐にいれた。


「なあ、レイ」


「なんでしょう」


「この世に、不条理を感じたことはあるか」


「年中無休現在進行形で実感してます」


「そうか」


 ガイアスはよく晴れた空に目を向ける。


 蒼い天を、斑に白雲が覆う吸い込まれそうな広さ。


「俺もだ」


 彼が、憎たらしく感じるほどに。


「俺が『王』としての現実を突き詰めれば突き詰めるほど、俺自身の理想からは離れていく。公人としての立場を極めれば極めるほど、私人としての想いは削られていく」


 その想いを晴らすように大きなため息が漏れる。


「今もそうだ。『娘』のことなのに、あいつをそう扱ってやれなんだ。『娘』である以前に『王女』という立場を優先せねばならん。そうして今まで生きてきた。『あれら』を、家族をそれとして扱わず」


 目を上げた彼の目には、一つの感情が燃える。


「歯がゆい。辛い。苦しい。万の言葉を尽くしてもこの念は語り切れん。この、自分と『世界』に対する念は」


 すなわち、『怨』。


「一体幾度。こう生まれたことを後悔したか」


 ガイアスはそれ以上言葉が続かない。

 形にしようとしても、口が開いても、それが空気を震わすことはない。

 

 たとえ冗談でも、言うことは許されない。


 地位の呪縛。


 それを改めて実感し、ガイアスは下唇をかみしめる。


 口に出せばその刹那、彼は自身のすべてを失う。


 信用も、縁も、これまでのすべてと、これからのすべてを。


「……まあ、これは私の持論なんですけど」


 令は手持無沙汰にナイフを弄びながら、独り言のように口にする。


「そんなことはこの世の誰もが考えてることだろう。そして、考えても仕方のないことと割り切り、内に秘め日常を歩む。これでいいんだと自分を誤魔化して」


 赤みがかった銀色の刀身に顔を写す。


「ああ、糞くだらない」


 その顔が、嘲笑の形に歪んだ。


「人は確かに、生まれを選ぶことはできない。貴方が『王』として生まれたことも、彼女が『王女』として生まれたことも。それらは純然とした事実であり変えようがない」


 令は嘲り、嗤い、蔑む。


「だが、それからどう『生きる』かは当人の自由だ」


 そのような些事で、『自己』を歪め、望まぬと嘆き、妥協に浸る『人間』を。


「生まれがどうあろうと。過去がどうであろうと。それはこれからへの道筋を狭めることはあっても遮ることはない。自身の『意志』さえあれば、どうとでもできる」


 ここで初めて、令はガイアスと正面から向き合う。


「だからかな。俺は、あの『おひめさま』がとても気に入らない」


 ガイアスはそれを黙って聞いていた。


「今回の件を引き受けたのは、それも理由の一つですよ。いまのあれは、正直見るに耐えない」


「それを言うなら、俺もではないのか?」


 自身も『王』という立場い縛られ、葛藤を捨てきれていない。


 令がフレイナを嫌うのであれば、自分もまた同じではないかと思った。


 だが、目の前の男は首を振ってそれを否定する。


「違いますね。貴方の場合は、それをすべて理解した上で、それでもその立場で得られる利権で目的を果たすために、自分の『意志』でそれを選んだ。同じに見えて、あれとは根幹が違いすぎている」


「そうか」


 理解はできない。


 だが、どこか腑に落ちるものを感じた。


 だから、ガイアスは言葉を断ち切った。


「さて。おしゃべりはこの辺りで」


「そうだな。時間が来た」


 二人が目をむける先には、こちらへ歩いてくる剣を腰に下げた燃える髪の女性。


 その眼には明確な戦う意志が窺えた。


「レイ。すべての責任は俺が負う。頼んだことを果たしてくれるなら、結果がどうなろうと構わない」


 ガイアスは令に背を向けると、一国の元首としてあるまじき言葉を告げる。


 それを令は受け取る。


「ガイアス殿。私はね、『終わり』が嫌いだ」


 背中合わせになった背中に、令もまた言葉を落とす。


「好きだった本が終わりを迎えたときとか、きにいった番組が打ち切りになったときとか。そんなとき、どうしようもない虚脱感を感じた。どうも個人的に、私はそういうものを受け付けないらしい」


 だから、と令は背負ったモノの柄を握る。


 人の背丈ほどもある、布に包まれた板のようなもの。




「何でもしますよ。『終わり』を終わらせるためならば」




 そして、それを振り下ろした。











 物見席へと移動する彼らと別れ、フレイナは頭の中で、結局受け取ることになった女性の助言を持て余していた。


 彼女が伝えたのは、酷く端的なもの。


『彼が目に入ったらもう危険ですから、絶対に警戒を解かないでくださいね』


 フレイナが受け取った助言はそれともうひとつだけ。


 正直、一から十まですべて口出しをするような内容であれば、相手の気遣いと分かっていても従う気はなかったのだが、この程度のものであれば何の問題もない。


 だが、それがどういう意味であるのかは掴めない。


 危険とはどういう意味なのだろう。


 そう思慮に暮れながら歩いていると、男が目につく。


 黒い髪と瞳に、見慣れぬ意匠の服をまとった、彼女の敵。


 これから戦う相手。


 そのことを想い返し、彼女は一層奮起する。


 気持ちで負けないように、心を強くする。


 そんな彼女の目につく相手は、背に負った何かを抜いた。


 自分の身体をたやすく隠せてしまえそうなほどの大きさの得物に注意が移る。


 ―――彼女がそれを躱せたのは、偶然。


 助言通りにいつでも動けるように心身を充実させていたのと、それに目を奪われ注意を引かれていたから。


 身体を引き、横に逸らす。


 刹那、彼女の顔の直ぐ脇を暴風が過ぎ去った。


 それは、その籠められた運動エネルギーのまま彼女の背面の闘技場の壁に激突し、轟音を上げる。


 石づくりの頑丈な壁に、それは深く深く突き刺さっていた。


 その一角だけ、大災害が起きたように場が崩壊していた。


 あまりの出来事に、言葉が出てこない。


 この結果が、彼女に何が起きたのかを何よりも明確に語っていた。


 ―――奴は、武器を投げたのだ。


 ある意味では、誰もが考えることかもしれない。


 だが、それが生み出す危険を考慮して、絶対にやらないはずの行為。


 戦場で無手になるなど、正気なら絶対にやらないだろう。


「おや。外れたか。予想外だったなこれは」


 男は意外そうに顔を驚きを張り付けている。


 その様子には、自分が為した愚行を悔いる様子が全くない。


「あんた、気は確か?」


 危うく、戦いが始まってすらいない状態で人生の幕を引きそうになったフレイナは、対照的に顔を怒りに染める。


 令はそれを軽く流す。


「有効な手だろう。最も賢い選択は、そもそも戦いすらしないということだ。どんな戦いで合っても、そこには時の運や調子と言ったものに左右されるのがままある。今のが決まっていればその時点で終わりなので、そういった不確定要素には左右されない」


「違うわよ。私が言ってるのは、開始の合図がまだなってないのにこんな真似をしたことを言ってるの」


 飄々とした令に、フレイナはさらに怒りを燃やす。


 通常、こういった場では見届け人が戦いを仕切ることになっている。


 決闘の開始、そしてその終わり。それを明確にするために。


 そうでなければ、どちらかが死ぬまで『戦い』続けるような事態になりかねない。


 それがないまま一方的に攻撃をしてくるなど、公的に許されない。


「何を馬鹿なことを」


 なのに、令はそれを聞くとつまらなさそうに鼻で笑う。


 それにさらに怒りをあおられ捲し立てようとしたところで、令の冷やかな声が飛ぶ。


「『戦い』で開始の合図なんてあるわけがないだろう」


 この場は、いったいなんの場であったか。


 今日この場は、何と言って集まった場であったか。



 『戦い』。


 だれも、『決闘』や『果し合い』とは言ってはいない。


 それに、セフィリアの言葉。


『そもそも、そうしないと『戦い』にならないと思いますので』


 彼女は分かっていたのだろう、勘違いしてもおかしくはない、『戦い』と『決闘』の微妙で、決定的な差を。


 だから、助言をしたのだ。


 彼女がその意識の違いに飲まれてしまい、『戦い』が成立しない、ということがないように。


 いや、他の者たちも分かっていたのかもしれない。


 苦い顔をしていたアリエルにガルディオル。必死に止めようとしていたオルハウスト。平然と容認していたザルツ。


 そして、彼女の父親である、ガイアスも。


「……それでも、正々堂々と戦う気がないっていうのはどうかと思うのだけれど」


 それを理解し、その上でフレイナは挑発する。


 自分が子供じみたことを言っているとは分かっている。


 だが不意打ちをするなど、令が実力で劣っていることを認めているようなものではないか。


 強い自身があるならば、そもそも正面からぶつかればいいのだから。


「御託をどーも」


 令はそれを受け止め、嗤った。


 まるで何もわかっていない子供を相手にするように。


「だがね。言いたいことがあるなら結果で示したまえよ。そんなんじゃあ誰もお前のことを認めはしないぞ」


 フレイナは、その言葉を流す。


 そんなこと、言われずとも分かっていた。


 だがそれでも、このような問答をしたのは、予想外の行動に動揺した心を落ち着けるため。


 そして、いまその必要もなくなった。



「それもそうね」


 だから彼女は己の力を示すために。そのために。


「―――征くわよ」


 ―――駆けた。



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