小さな火口(ほくち)(4)
魔法の炎に腰を抜かしてしまったフェオドットは小さな精霊とともにずぶ濡れになった。
彼がぽかんとしているうちに物事はとんとんと進み、気付けば暖炉の前に座らされていた。
「ホント、ごめんなさいね。辺鄙なところまで来てもらったのに。お待たせした上にうちの子が失礼を働いて」
魔女は火の球だった炎の精をカンテラの中に閉じ込めると、家の中と客人を温め直すことに執心した。
具体的には暖炉の前に集めた客に温かい飲み物をたっぷりふるまってくれた。
体を乾かす青年より少し離れたところで防寒具を脱いだ少年少女がちょこんと座っている。
「お子さまにはコーディアルよ。はい、ソフィ」
「ありがとう、大きいルー」
リュスラーナは頬を持ち上げた。
どうやら二人は顔見知りのようだ。
「エイノ君。これがね、美味しいんだよ……あちっ」
得意げにカップに口を付けた少女だったが次の瞬間には舌を火傷していた。
「きちんと冷まさないからだ」
そう言う少年はカップの中身へ息を吹きかけ続けている。
「あなた、名前は?」
膝をつく魔女が青年を覗き込んできた。
彼女の夕焼け雲に似た色彩の金髪が揺れる。
その下にルビーのように輝く真っ赤な瞳があった。
瞳孔は黒く縦長で人のものとは似ても似つかない。
青年がまじまじと見つめてしまったそれがふいにふわりと緩んだ。
「フェオドット」
「そう。どうぞ、フェオ。怖かったでしょう?」
手渡された温かいカップの中には真紅の液体がたっぷり入っていた。
青年は血のように深みのある赤を見てぎょっとした。
けれども、よくよく見てみるとカップの底が見えるほど透明だった。
ひと舐めすればたくさんのスパイスの香味と甘酸っぱさが口の中に広がった。
それを飲み下すと喉から腹まで暖かさが通り抜けた。
すぐに分かった。
葡萄酒にたっぷりのスパイスを加えて温めた飲み物と言えばあれしかない。
「これ、グロッキだ」
「ええ」
リュスラーナはにっこりした。
飲み慣れた味わいに誘われて青年はカップをすっかり乾かしてしまった。
「リュスラーナ、猫かぶってやんの!」
フェオドットへの質問と答えは暖炉の隅っこに置かれた手提げのカンテラが奪っていった。
「この子に紹介させると誤解が生まれそうね」
魔女はその中にいる小さな生命体を一瞥すると立ちあがりクッションが三つも四つもひしめいている一人掛けのソファに腰を下ろした。
「私はリュスラーナ。ようこそ〈煌めき屋〉へ。ここはご覧の通りランプのアトリエよ。そしてこの子はルドゥーシュカ。精霊の吐息を入れるのは彼女よ」
「知ってるよー」
口をはさんだのは、確かソフィという娘だった。
魔女は手を挙げた少女に視線を移す。
「ソフィ、あなたはそうね。でもあなた、今日はどうして一人で来たの? ランプならこの間パパ・グーセンスと一緒に買いに来たじゃない――?」
「一人じゃないよ。エイノ君もついてきてくれた」
「それは語弊がある。僕は君のお守りではない。等しくランプを求める同級生として一緒に来ただけだ」
矢継ぎ早に主張が飛ぶ。
それは胡桃色の髪をした少年の口からだった。
少女も雪焼けの赤い頬を膨らませて負けない。
「エイノ君はもう同級生じゃないよ。学院を飛び級で卒業しちゃったじゃない。会うのも久しぶりだよ」
「それでも君のあわてん坊っぷりは変わっていなかった」
「ひどーい!」
子どもたちは売り言葉に買い言葉でどんどんと話を逸らしてゆく。
青年が見かねているとリュスラーナが彼らの空になったカップになみなみとおかわりを注いだ。
「はいはい。そこまでになさい。あとで一人ずつ聞くから」
ポットを机に、腰をソファに再びおろした魔女が腕を組む。
「それで、フェオ? あなたもランプが欲しいのよね?」
「あ、はい! そうです」
いきなり名を呼ばれるとは思わず青年は体をびくつかせた。
だが本懐を遂げねば家には帰ることができない。
フェオドットを慕う弟が心待ちにしているのだ。
伝説の魔女の家からランプを持ち帰る勇者を。
フェオは固く結んであった財布の中から、金貨を一枚取り出し手のひらに乗せた。
「一つ、ください」
「それはなに?」
「ランプの代金ですけど……」
リュスラーナは瞳を丸めて不思議そうに首をかしげた。
予想もしなかった静けさに拍子抜けしてしまった。
「それじゃあ、とてもランプと等価にはならないわ」
魔女が内巻きの金髪を揺らして否定した。
青年は愕然とした。
魔女はランプの代償を欲しがるものと聞いていたのに金貨でも喜ばないとは。
「私、お金には困っていないのよ。あなたうちを知っているくせにあの話は知らなかったのね。なんだったかしら。えっと――」
「『魔女リュスラーナは、ひと冬のランプと引き換えに、客の〈きらきら〉を要求する』」
彼女の話を滑らかに引き継いだのは利口そうな少年だった。
確かエイノと言う名だった、と青年が直近の記憶をなぞったそばでリュスラーナが満足げに頷いていた。
「それね」
「〈きらきら〉……?」
暖炉とランプで橙色に暖められている天井へ青年のぼんやりした声が上った。
「そうだよ。〈きらきら〉が無いとランプは持って帰れないんだよ」
金髪のソフィがさも当然というふうにくちびるを尖らせている。
そう言う彼女の髪こそ暖炉と照明の輝きを浴びて煌めいていた。
そんな漠然としたものがランプの対価だなんて。
フェオドットが理解できていないのかあるいは魔女にかどわかされているのか。
いずれにせよ何の見当もつかない。
文字通り頭を抱えてしまったフェオドットの耳にかたんと何かが倒れる音がした。
一同が振り返った暖炉のその端でカンテラが倒れていた。
「ルドゥーシュカ!」
リュスラーナが慌てて元に戻してやると中にいる精霊はぶすっとしていた。
その割に呼吸が粗くか細い感じがした。
「危ないじゃない」
「別に助けてほしくない」
おや、と青年は思った。
先ほどまで小さな彼女を包み煌めかせていたものが無い。
文字通り色を失っている。
「ルドゥーシュカ。あなた、さっき自分が何をしたか、わかっているんでしょうね。私が理由なく水をかけたりしないの、わかっているでしょう?」
母親のように諭す魔女の顔を炎の精霊は見ようともしない。
「でも、そのせいで風邪引きそう。死ぬかも」
そう言って彼女は本当にくしゃみをすると自分自身をこすり温める仕草をした。
「悪因悪果。眷属が主に逆らうとこうなるのよ」
「ボク、誰とも契約してないし」
「拾われっこ」
「おばさん」
「年なんて忘れたわ」
「むぐっ」
今度は魔女たちが口論し始めた。
それを少女が楽しそうに、少年が詰まらなそうに見ている。
ほとんどが初対面のはずなのにまるで親戚が集まったかのように和やかな雰囲気で、それがまたいたたまれなさを助長する。
「あはは! ルーたちは仲良しだねぇ」
「なぜ二人とも『ルー』なんだ? 君の感性にはついていけない」
「あ、あのう」
フェオドットの口が考える前に動いていた。
弟と約束したことを果たさねばならない。
雪が降る前に、故郷に戻らねばならないのだ。 しかし、と青年は思った。
つい先ほどやってきたこの子どもたちは雪を被ってはいなかったか?
夏の終わりに旅立ってからそれほどの時間が流れてしまったのか?
「リュスラーナさん。ランプを作ってもらいたいんです。その〈きらきら〉が何であれ、俺は支払うつもりがあります」
きっぱりと意思を表明した男に注目が集まる。
それが恥ずかしくてフェオドットは自分がどんどんと縮んでゆく気持ちがした。
灯火が作る影の中に溶けてしまいそうだ。
そして、ふぅ、と一つ溜息が落ちた。
それは魔女のものだった。




