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魔女の煌めき屋【冬童話2026】  作者: 黒井ここあ


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小さな火口(ほくち)(3)

「ちょっと、いるんでしょ! 早く!」


 鼓膜を(つんざ)く高いソプラノが彼を急かしてくる。


「早くって言われても!」


 フェオはこういうのが苦手だった。

 言われてすぐに状況を飲み込めないことがしばしばで、見張りの先輩だけでなく十も離れた弟にまで時間をもらうほどだ。

 弟は逆に、落ち着き払っている兄を憧れのまなざしで見ているというのだけれど実際は違うのだ。

 それを思い出して情けなさが心いっぱいに広がる。


「この(とん)()っ! 言葉がわからないのかよ! 扉の模様をなぞれば開くから。さあ、さあ!」


 この際、口汚さは目をつぶることにし、フェオは言われた通りに扉へ手を伸ばした。

 模様と言われても。青年は一歩二歩、後ずさってほぼ真円の扉の全体を視界へおさめた。

 アルファベットのEか、あるいはΨか。とにかく文字のようなものがステンドグラスになっていた。

 赤、黄、橙、緑など、炎の色を宿したガラスを形として納めているのは黄金色の(リム)だ。

 模様とはこれのことだろうか? 確信を持てないまま、フェオは右の人差し指を伸ばした。


「わかる? 右上から、反時計回りにだよ!」


 まさに触れようとしたそのとき、少女の声がちょうどよいタイミングで指示をくれたので、青年は言われたとおりにした。

 ぴたりと指の腹を触れさせると、何も付いていない扉からふたたびあの、りんろん、かららん、という鐘の音が聞こえてきた。どうやら正解らしい。


「馬鹿じゃなくてよかった! そのまま指を離すなよ! リムをぐるっとなぞるんだ」


 フェオは眉をひそめた。

 明らかに自分よりも年下であろう少女からの侮蔑は誰にとっても嬉しくないものだ。

 だが、指がリムの道を進むごとにその軌跡がまばゆく輝きだしたので、青年は驚きに不機嫌をすっかりなくしてしまった。

 指先に感じる摩擦熱はいつもながらの微々たるものだ。

 そのはずなのに、フェオの指が通り過ぎた後には燃えるようなまばゆい光が宿った。

 思わず腕ごと指を離したくなる。

 だがそうすれば、姿の見えぬ少女からの罵声がふたたび飛んでくるだろう。

 フェオがゆっくりゆっくりと文字の炎をなぞり終えると、りんろん、かららん、の音が聞こえて、扉が壁の中へと転がっていった。

 隙間から溢れた暖かい色が青年を照らす。

 フェオは丸くくりぬかれている境目をおっかなびっくりにくぐる。

 店先よりも明るい部屋だ。隅々まで光の行き届いたそこはこんろやオーブンがあって普通のキッチンのようだ。

 その証拠に薪が小さく爆ぜる大きな暖炉には中身の入った鉄鍋がかかっていい匂いをさせているし、煙突は真っ直ぐに天井を貫いている。

 戸棚や調理台は、フェオの自宅にあるものとは違って角や足が丸く典雅な雰囲気がある。

 いや、と青年は思いなおした。いつかどこかで見た、人形の家のためにあつらえられたミニアチュアのほうが似ている。

 そう考えると、この〈煌めき屋〉全体に、どことなく人形の家のような印象があった。

 作家が隅の隅まで思い思いに趣向を凝らした風情があるのだ。

 壁や床に張り巡らされたつるりとしたタイルが光を跳ね返して空間を白ませている。

 その一枚一枚に、季節の花々が緻密に描かれているのが実に愛らしい。

 ふと触れてみたくなって、思いとどまった。

 ここは魔女の家だということを忘れてはいけない。


「ねえ、ねえ! こっちにきて! ボクを出して!」


 そういえば、と青年は思った。

 この声の主の姿が見当たらないのだ。

 あわてて首を回してみても人っ子一人いない。

 フェオの口がぱくぱくと空気を()む。


「どこだい?」


「ここだよ! ここ!」


「どこにもいないじゃないか」


「見えない? あんたの目、黒いから光を吸うの?」


「光?」


 青年の黒髪が冷や汗に湿り始めていたとき、同じ色をした彼の瞳がまばゆいものを捉えた。

 それは丸い部屋の中央に据え付けられた透明な花瓶だった。

 なぜかガラス製の栓がしてある。

 内側で、青や赤、黄や紫の火花がちかちかと爆ぜているそれは、まるで花火を活けているかのようだった。

 フェオが見惚れていると、弾ける光の色が細長く集束しはじめ、小さな人形が生まれた。

 少なくとも、彼にはそう見えた。

 生まれたそれは、小さな少女の形をしていた。

 瞳は彗星のごとき青で小さな宝石のように輝き、ふわふわと重力を無視して揺れる髪は赤く燃え盛る炎そのもの。心なしか肌もキラキラして見える。


「なんだ。見えてるじゃないか」


 人形の勝気なくちびるが動いて、フェオははっとした。

 これも魔女の家の不思議の一つだろうか。


「ねえねえ、男の人間。ボクをここから出しておくれ!」


 呆けないよう、目をしばたたかせたりこすったりする青年を見かねて、人形の娘が声を上げた。


「リュスラーナは悪い魔女なんだ! ボクを閉じ込めて、無理やり働かせているんだ!」


 きいきいわめくのと同時に彼女の髪が逆立ち、燃えている。火花がぱちぱちいう音さえ聞こえる。


「それは本当かい? 俺はそんな話、一つも聞いたことはない」


 と、言い切ったけれども、フェオドットは一つだけ嫌なことを思い出した。

 ランプの魔女はひと冬の明かりを与える代わりに、人間に「何か」を要求するということだ。

 その「何か」は人によって違うとも。

 誰も正確にはわからないのだ。

 もし、それが命ならば。

 青年の全身にぞくっとしたものが走った。


「ほぉら、黙った! 黙るのは、やましいことがあるときなんだよ! さ! 出して!」


「わかったよ! これでどうだ!」


 小さな娘が幾度となく捲し立ててくるのにフェオドットもいらいらした。

 だから、売り言葉に買い言葉、ついにガラスの栓を引っこ抜いてしまった。


「アハハ! やった! やったぁ!」


 少女はその姿を光の球に変え、思い切り花瓶から飛び出した。

 そして、部屋のあちこちを跳ねまわった。

 彼女が楽しそうに爆ぜた場所には火種が落ち、たちまち炎がフェオドットを包み込んだ。

 汗を浮かべ青ざめる彼を、火の玉が嘲笑う。


「ほら見ろ。ボクにはこんなに力があるんだ。ボクは一人前だ!」


 そのときだった。


「よいしょっと」


 小さな掛け声とともに、背後の扉が重たい音を立てて開いたのだ。りんろん、かららんとまたベルが鳴る。


 炎の小雨(こさめ)から逃げ惑うフェオドットが驚き振り返ると、そこではニット帽を目深にかぶった少女が扉をこじ開けていた。

 背丈からして、十二かそこら。弟と同じぐらいだ、と彼は思った。

 彼女のニット帽の形は青年の故郷でよく見るものだった。

 本当は四角く編まれているのだが、被ると猫の耳のように角が尖って見える。

 ただ少し違うのが、その二つの頂点に飾り房があることだ。それは少女が動くたびに揺れた。

 青年が手伝うべきか躊躇っているうちに、少女が入れるだけの隙間ができた。


「ルー! 大きいルー! 来たよ!」


 ランプを持ったまま器用に侵入した少女の声が、角のない部屋中を転がりまわる。


「あれ、いないやぁ」


 残念そうにする金髪の少女が頭と肩に降り積んだ雪を払っていると、その後ろから同様に白く冷やされた少年が現れた。

 彼は真っ先に眼鏡の曇りに取り組む。


「ソフィ、勝手に入ってはいけない。昔話にも書いてあるだろう。子どもは大抵、好奇心で身を滅ぼすものだと」


 ボーイソプラノに似合わない大人びた物言いに、少女はくちびるを尖らせた。


「大丈夫だよっ。お話はお話でしょ。それに、ルーは怖くないもん」


「僕だって怖くないぞ」


「えっ。エイノ君、怖かったの?」


「そんなことはない」


 言い合いむすっとしあう子どもたちは魔法の家にふさわしく見えた。

 だがフェオドットはたまらず声を上げた。そんな呑気にしていられる場合じゃない。


「き、君たち! 来ちゃだめだ! 危ない! 火事だ!」


 青年の制止は子どもたちに届かなかった。


「わあ、お兄さんもお客さん? じゃあ、ルーたちは忙しいねえ……って、小さいルー! お外に出られるようになったの?」


 ソフィと呼ばれていた乙女の顔の周りへあの炎の娘が素早く飛んで行ってちかちかと楽しそうに照らし出す。


「ソフィじゃないか! そうなんだよ! ボクもこれで一人前さっ!」


「わぁ、すごい! じゃあ早くランプ作って、作って!」


 金髪のソフィは喜んで飛び跳ねた。

 その拍子に落ちた帽子は、眼鏡のエイノ少年が拾った。

 彼は屈んだまま、ニット帽の下にある眉をぎゅっと寄せた。

 彼の頭はくすんだオリーブ色をしていた。


「これが魔女リュスラーナ?」


「むっ! 一緒にしないで! ボクは――」


「ルドゥーシュカ!」


 有無を言わせぬ声が足の裏から響いたと思いきや、冷たい空気があたりを支配した。

 その場にいた全員の背筋が凍り、全員が声の主を理解した。

 ブーツの踵が静かに青年の背中へ近づいてくる。

 フェオドットの体は、全く言うことを聞かず動かない。

 迫りくる炎と未曾有の脅威への対策を全く打てぬまま、彼は浅く早く呼吸を繰り返すしかできなかった。

 こんなに心臓が早く、あるいは遅く聞こえるのは初めてのことだった。

 その彼の頬に何かの滴が飛んできた。

 女がものすごい勢いでフェオドットを追い越して、ゴブラン織りのランプに似たスカートをひるがえし、水の入った瓶を思い切り振りかぶったのだ。

 フェオは目を疑ったが、それは真実だった。

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