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魔女の煌めき屋【冬童話2026】  作者: 黒井ここあ


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20/21

リュオス(3)

「ロフケシアの夏。夏至を含んだ白夜の時期をひっくるめてリュオスと呼ぶことがあるだろう。あの人はそれを知らずに出かけて行ったような気がする」


「そうだねえ。意外と知らない人、多いのかもねえ。わたしも他の子に言っても信じてもらえなかったなぁ。今は冬の始まり、常夜の――ミュルクルの時期だよね。ってことはあのお兄さんは夏のロフケシアまで――過去まで歩いて行ったの? それとも未来まで?」


 窯のなかで焼かれるランプを見ながら、ソフィがぼんやりと言った。

 繋ぎにつかった泥が焼き固められるまでしばらく時間がかかるというのに、彼女ときたらずっと窯の戸の窓ガラスを覗いているのだ。

 ちなみに窯はこの家全体を暖めるストーブの役割もはたしていた。

 赤々と燃えている様子が、目にも暖かい。

 エイノはというと、魔女が快く貸してくれた本をめくりながらソファの上で足を伸ばしていた。

 靴は揃えず脱ぎ捨ててある。

 めくるページには不思議な言語が並んでいるかと思いきや、よく見知ったロフィック語が使われていた。

『母の味百選』という題のとおり、中にはロフケシアの郷土料理のレシピが綴られていた。

 どれもおいしそうに見えるので、小腹の空きはじめた少年には目の毒だった。


「そんな。時間を好きに移動は出来ないはずだぞ」


 自分の言葉を反芻(はんすう)しながら、少年はふと思索に耽った。

 時間の波を逆らって行けるなら、あるいはその先へとこぎ出せるなら。

 病に臥し、闇夜に死を重ねて怯えている幼馴染のために未来から医者を連れてくることもできるかもしれない。

 まだ子どもの少年は、彼女と日がな一日、一緒にいることはできない。

 だから、エイノが離れている間も彼女を照らしてくれる魔法のランプが必要なのだ。

 恐怖と言う心の闇を照らしてくれる、消えないランプが。


「ピーリャ、待っているだろうな。僕がランプを持って帰るのを……」


 エイノとソフィがランプを手にして帰るには、あのフェオドットとかいう青年が炎の精霊を完全な姿で連れ帰ってこなくてはいけない。

 それを待つしかないというのは、なんとも歯がゆいものだった。

 僕が大人だったら行ったものを。

 子どもたちが橙色の魔女の家で思い思いに過ごす間、ランプの魔女はというと自分の仕事をしに部屋へ籠っていた。

 エイノたちは暇つぶしにそれを邪魔するほど幼稚ではなかった。

 それに、エイノには本があれば十分だった。

 目が疲れたら天井からシャンデリアのつもりでぶら下がっている光るオブジェを観察すればよくて、彼としては大変居心地がよかった。


「んー。クッキー入れたら一緒に焼けたかなぁ。ねえ、エイノ君、それにジンジャーブレッドのレシピない?」


 ソフィがとてとてと絨毯を踏んでやってきて、首をかしげる。

 彼女は暇つぶしのアイデアを持たないようだった。


「何の話だ?」


「ん? その本の話」


「僕たちは今、リュオスとミュルクルの話を――」


「ジンジャーブレッド!」


 とびきり高い叫声のあと、リュスラーナが隣の部屋から、扉を軽々と開けて現れた。


「いいわね、ジンジャーブレッド! しばらく食べていないのよ!」


 真っ赤な瞳を爛々と輝かせながら、ランプの魔女がずかずかとやってきて、眉をひそめたままのエイノが持つレシピ本を上から奪い取った。


「どうして忘れていたのかしら。あんなに好きだったのに」


 頬を上気させてページをめくるリュスラーナに、ソフィが驚いた。


「ええっ。〈ヨウル〉には絶対必要なのに?」


「だって、随分とミュルクルに行っていないから。必然的に〈ヨウル〉にも行っていないのよ」


「ええっ! そんなっ!」


 少女がエイノの代わりに反応してくれるので、彼は彼らしく、眼鏡に隠された胡桃色の瞳を丸めて、静かに驚くことができた。


「きらきらのランプにあったかいグロッキ、ベリーのコーディアルにスパイスティー! てっきりルーは〈ヨウル〉が大好きで、だからずっと〈ヨウル〉が終わらないお家にしているんだと思ってた!」


 少女が言うのに、はたと、魔女がページを繰る手が止まる。


「……そうね」


 一瞬、呆気にとられたかと思いきや、リュスラーナの表情がきりりと引き締まった。


「常昼の国リュオス、常闇の国ミュルクル。どちらにも、いつでも行けるランダメリにいるだけで、どこへも行かないなんて。私、なんて損臭いことをしてたのかしら」


 そう言うと、彼女はあわただしく身支度を始めた。


「えっ? おでかけ?」


 ソフィが戸惑いに問うと、彼女は笑った。


「ええ。私の〈きらきら〉を迎えに行きましょう。あなたたち、コートはいらないわ。帰ってくる頃にはオーブンのランプも出来上がってるはずよ」


***


 飲んだり踊ったり、それはもう賑やかに夏至が祝われた。落ちぬ日と濁らぬ青空、そしてそれを喜ぶ人々は白夜に狂うのだ。

 だが、その人々のすみっこで、フェオドットは気が気でない思いを揉みながらしばらく座っていた。時計を持っていなかったので、どれほど時間が経ったのかはわからない。

 ましてや、太陽が天空を支配し続けているので空に問うこともできない。


「大丈夫だよな……」


 小さくてもルドゥーシュカは炎の精霊だった。

 彼女が燃やしたいと思ったものは全て火の肥やしになったし、彼女自身が炎の中に座るとき、たいそう居心地がよさそうに見えていた。


「でも、燃えてしまうまで……って」


 忌まわしい言い回しだ。

 最後の最後まで心をかき乱す娘だと、彼は思った。

 人が燃えるとき、それはすなわち死を意味していた。


「はあ」


 青年の肺からため息が溢れ、地面に落ちる。

 燻された肉、あるいは木の焦げた匂いが涼しい風に乗ってフェオドットの鼻に届く。

 湖にひたひたと満たされた水は空を映して青い。

 炎の赤がまぶしくてフェオドットの黒い瞳が潤んできた。

 ふいに、長いようで短い旅路で出会った精霊たちのことを思い出す。

 大地から這い出てくる土の精霊ユール。

 彼らは今日も、見えぬところで人間のために働いているのだろうか。

 気まぐれな風の精霊ヴィンドゥール。

 気に入った人間にはそよ風をくれるんだろうか。 今日の気持ちのいい風のように。だとすれば、嬉しい。

 柔らかでしたたかな水の精霊ヴァトゥン。

 酔っ払いだらけの今日なんて、人間をだまくらかして湖へ飲み込むには絶好の機会じゃないだろうか。

 熱情に溢れる炎の精霊エルドゥール。

 そういえば、口を開けば言いあうだけで彼女について俺は何も知らないんだ。


「ルドゥーシュカ……」


 心にこみ上げてきたものがいっぱいになると、喉を通りこして涙になった。

 それをフェオドットは初めて知った。

 ものさみしさが、こんなに熱く心を支配することがあるなんて。


「せっかくのコッコなのに、泣いてたらつまんないよ。はい」


「……ありがとう」


 青年は、少女が差し出してくれたハンカチをありがたく借りて、目頭に当てた。

 気付けば、彼の周りに人の気配があった。顔をあげてみると、まず、金髪の少女の新緑の瞳と目があった。

 魔女の店にいた、確かソフィという名の娘だった。


「君は……! どうして、ここに――」


「ルーが、さっと飛んで、連れてきてくれたんだよ」


 ソフィはそう言うと、夏草の間に咲く白い野薔薇を青年に差し出した。

 断る理由もないので受け取ると、爽やかなリンゴに似た香りが訪れた。

 少女の髪は日差しの下で、金の糸のように輝いていた。


「リュスラーナ……!」


 日の下で見る魔女は、アトリエで見るよりもずっと若々しく見えた。

 彼女の持ち上げた頬がバラ色なことに、フェオドットは初めて気付いた。


「いじわるをしてごめんなさいね。でも会ったときのあなたには〈きらきら〉が無かったんだもの。無いものをよこせとは言えないじゃない」


 青年は首を振った。


「本当は、旅をするのは初めてだったんだ。〈煌めき屋〉に行くのにもとてつもない時間をかけて無い勇気を絞り出してから出発した。でも不思議だな。出会った人の全てが今、俺の心の中で暖かい思い出になって、苦境もあったけれどどれもいとおしい。でも終いにはあなたが大切にしていたルドゥーシュカを見捨ててしまった……」


 膝を抱えたフェオドットの隣に、誰かが腰を下ろした。

 大きな眼鏡の奥に、理知的な瞳が輝く。

 ソフィの友人で、エイノという少年だった。


「大丈夫だと思う。彼女は炎の精霊だし、コッコは再生の聖なる炎だ。落ち着いて考えれば、わかることだろう」


 少年が腕に置いてくれた手のひらの暖かさが、フェオドットの心に染みる。


「エイノの言うとおりね。でも、私だったら独りで見送れなかったと思うわ。フェオ、あなたは強い人間だわ。自分が思っているよりもね。さあ、待ちましょう。その間にあなたの〈きらきら〉を私に聞かせてちょうだい」


 ソフィがベリー摘みのためにエイノを連れて行ってしまうと、フェオドットは〈煌めき屋〉からリュオスまでの道のりを話して聞かせた。

 リュスラーナの相槌が上手だったのもあり、思い通りに情景を伝えることができた。

 そのお陰で、いつもよりも堂々と話せていたようにも思える。

 青年の隣に腰を下ろした魔女は、赤い瞳を熟れたてのイチゴのように艶めかせながら聞いてくれた。

 真っ直ぐに瞳を逸らさないで話者と真剣に向き合ってくれることがどれほど嬉しく、誇らしく感じるか。

 フェオドットの心はまた違った暖かさで満たされた。

 道のりは長いようで短く、旅の話も終わりを告げようとしていた。

 土の精霊に振り回された一件はつい先日のことだった。けれどもだいぶ前のことのようにも感じる。


「そう、そこで助けてくれた魔法使いから、君宛ての手紙を預かったんだ」


「誰かしら。珍しいこともあるものね」


 リュスラーナがそわそわしながら手紙を開くのが、青年の目にはかわいらしく映った。

 そして、魔女のほころんだ口元から、ゆったりとため息が出た。


「手紙には、なんて?」


「今年の〈ヨウル〉に――」


 その時だった。

 ばちばちと景気よく爆ぜる音がしたと思いきや、焚き火の木々が大きな音を立てて、崩れた。火の粉が薄紫色の空へ花火のように散るのを、人々が喜ぶ。

 フェオドットはとっさに立ち上がった。

 燃え盛るがれきの中から誰かが伸びをしたのを見つけたのだ。

 その人物が勢いよく立ちあがると、近くの薪がさらに弾けた。

 周りで踊る人々から上がった驚く声が上がる。けれども炎をひと目見るや、また思い思いに手を取り合った。

 彼らには、コッコの中にいる何かは見えていないようだ。

 ふわりと熱気にあおられている髪が、色とりどりの炎を宿して煌めいている。

 それは、白夜の帳の中で燃えて、白んだ太陽よりも激しく輝いていた。

 煤の中から人込みをするりと抜けて歩いてきた少女は、人と同じ背丈をしていた。

 青年の隣で、魔女が口元を押さえている。


「ただいま」


 生まれ変わった精霊の娘が、青い瞳を輝かせた。

 フェオドットは知っていた。

 燃える炎は、赤よりも青のほうが熱いのだと。

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