大地の祈り(4)
「……うそだろ……」
炎の精霊がいなくなったので、威勢の良かった炎も熾火になってしまった。
くすぶる焦げ臭さと夜がフェオドットを包み込む。
そう、全てが一瞬で終わってしまった。
ルドゥーシュカは憎まれ口ばかり叩くわがままな娘だ。
しかし、こうしてわけもなく引き離されるのはさみしいものだった。
フェオドットは共に歩む道連れがどれだけありがたかったか気付いた。
それに彼女は大切な預かりものでもある。
どうにかして取り返さねば。
方法はさておき、そう決意したフェオドットの頬を、柔らかな風が撫でた。
「風に呼ばれて来てみれば。おやまあ。なんと間の悪い。土の精霊に褒美を手渡してしまったようだね、君」
木の幹のようにどっしりとしたバリトンが、フェオドットの耳に届いた。
驚いて首を回すと、あちらのほうから顔を見せてくれた。
「いくら働き者のユールでも褒美は壁越しと相場が決まっているんだが。知らなんだか」
熾火に薪をくべて新しい炎を生み出した彼は、音もなくフェオドットの正面に現れた。
男は人間のように見えた。
常昼の国リュオスへ向かう不思議な旅に出てから初めて出会った人間だとフェオドットは思った。
「あなたは?」
「うむ、それが正しいぞ、青年。まず、問うべし。簡単に己の名を与えてはいかん」
埃っぽい身なりをした初老の男は満足げに頷いた。
そしてさも思い出したかのようにつけたした。
「私はキールヴェク。魔法使いだ。君は?」
ほほ笑んだ男の頭からは白い髪の毛がピンピン跳ねている。
名前を教えるべからずと言ったのを魔法使いが簡単に覆したのでフェオドットは怪しんだ。
「『魔法使いは嘘使い』……?」
「ほほう! それは知るか! よろしい、よろしい。助けるに値する」
諺とはいえ嘘つき呼ばわりをされたのにもかかわらず、キールヴェクは嬉しそうに顔をしわくちゃにした。
「助ける……! ルドゥーシュカを助けてくれるのか!」
文字通り突然降ってきた幸運にフェオドットは思わず腰を浮かせた。
魔法使いが助太刀してくれるのなら、百人力に思えた。
「いいともさ。あの子は娘の〈きらきら〉だからね。さて、色々方法はあるぞ。たとえば窓から水をたっぷり注ぎ込んでやるとかな」
「とんでもない。ルドゥーシュカが死んでしまう」
魔法使いは頷く。
「うむ。では、村もろとも掘り返してやるのはどうだろう?」
「それもいけない。ルドゥーシュカ一人のためにユールたちのすみかを壊すのは気の毒だ」
再び頷かれ、青年も気付き始めてきた。どうやら俺は試されているようだ。
「うむうむ。ではここで君に問おう。対案はあるかな?」
「……風をおもいきり吹きこむ……。いや、そうしたらかえって扉を塞がれてしまう……」
フェオドットは考えた。
炎の精霊も土の精霊もどちらも傷つかずに分かつことはできないか。
考えることに力み過ぎてフェオドットの額から汗がだらだらと落ちてくる。
それを拭うと顔がとんでもなく熱くなっていた。 こころなしか体中にも汗が滲んでいたので青年はよく燃えている焚き火からお尻一つ分、後ろへ退いた。
それでピンときた。
「キールヴェク、ユールたちは文字が読めるのか?」
「ああ。彼らは〈契約者〉のために働くのが喜びだから、当然学んでいるよ」
魔法使いはそう言いながら、紙とペンをどこからともなく取り出してフェオドットに手渡してくれた。
青年は、炎の明かりを頼りに簡単な手紙を書くと、それを畳んで炎をすっかり踏み消した。
「おや。魔法使いの力は要らないのかね?」
「たった今、欲しいものを欲しいタイミングでくれたじゃないか」
キールヴェクが面白がって言うのでフェオドットも笑ってしまった。
「でも、最後に一つだけ頼まれてほしい」
***
フェオドットが静かになったユールの家の扉を人差し指でとんとんと叩くと、扉の小窓から黒々したビー玉のような瞳が二つ飛び出した。
「なに」
「仕事を頼みたいんだ」
青年が畳んだ手紙を小窓に差し込むと、細長い枝のような手が我先にと伸びてきて、手紙はみるみるうちにユールの家に吸い込まれていった。
いささかの不安は残るが、フェオドットはその場を後にして今はもう消えた焚き火の傍で魔法使い同様にマントにくるまってうずくまった。
そうしているうちに、わしゃわしゃと木立がこすれ合うような話声がまた押し寄せてきた。
「お仕事もらった」
「火をつけよう」
「人間寒い。暖めよう」
フェオドットとキールヴェクの二人は示し合わせたようにがたがた震えて見せた。
「ああ、寒い、寒い」
「凍えてしまいそうだ」
野宿が可能なほどの心地よい夏の夜に、二人がわなわなと腹と声を震わせる。
しかしユールたちはよし来たとばかりに火種を家々から持ち寄って、彼らの消えた薪にくべていった。
しかし種火は消えるばかりで一向に燃えあがる気配がない。
「火がつかない」
「お仕事ならない」
「ご褒美ない」
「どうしよう」
「ご褒美欲しい」
そして口々に不安を溢れさせた。
キールヴェクが言った通り、彼らは褒美を目当てにして働くことが好きなようだ。
フェオドットはうまくいきそうな予感に、にやつきそうになるのをぐっとこらえた。
それから、さもしんどそうに歯の隙間から声を漏らした。
「ああ。焚き火を水で消さなきゃよかった。エルドゥールなら燃やせるのになあ」
青年の哀れな願いを聞き届けたらしく、小人たちは一か所に固まって何やら相談を始めた。
しばらくすると解散したようで、辺りはしんと静まり返った。
しかしそれもすぐに終わり、再びわあわあとフェオドットたちの近くに押し寄せた。
「今度は一体、何なんだよっ! うわっ、冷たいっ!」
青年が寒気に震える演技をしながら瞳を開くと、水で消火された薪の上にルドゥーシュカが載せられているところだった。
「さあ、お仕事」
「人間暖めよう」
「はあ? こんな夏の日に?」
ルドゥーシュカの釣り目がふとフェオドットとかちあった。
青年が頼むよと言えない代わりにウインクを送ると、彼女は腕を組み息をついた。
そして、たっぷり息を吸い込むと、口をすぼませて吐きだしながらその場でくるりと一回転した。
まるでバレリーナがするような完璧なターンだった。
フェオドットがうっかり見とれていると、湿っていたはずの薪が再びぱちぱちと音を立て、赤い炎をまといはじめた。
それを見てユールたちは手を叩いて喜んだ。
フェオドットがたまらず起き上がると、小人は口々にせがんだ。
「火がついた」
「ほれ、あったまったろう」
「さあご褒美」
「まあ、待てよ。必ずやるから。さあおいで、ルドゥーシュカ」
「……」
青年はもうユールが怖くなかったので、おもむろに立ち上がるとランタンを手に取り、その中へルドゥーシュカを誘導してやった。
そこにいたユールの誰もが文句を言わなかった。
そもそも彼女が誘拐されたのは、ユールに対して褒美を渋ったからなのだ。
代わりが用意されればそれでいいに違いない。
そうフェオドットが考えたのは正解だったようだ。
「俺たちはこれから常昼の国リュオスに行きたい。近道を教えてくれれば、旅立った後に褒美が届くよ」
青年の言葉にユールたちは飛び跳ねて喜んだ。
そして飛び跳ねついでに集まると、大地の上に大きな矢印を作ってくれた。
今すぐ旅立てるようになったフェオドットは魔法使いを探した。
けれども彼の姿はすでになかった。
彼が本当に約束を果たしてくれるか不安になったとき、フェオドットの懐に違和感ができた。
不思議に思ってそれを取り出してみると、折りたたんだ紙がでてきてそこにはこう書いてあった。
「ご褒美のミルクは買ってから必ず届けよう。それから、ランプの魔女に手紙を頼まれてくれ」
安心した青年の手にはもう一通の手紙があった。
宛名を読んでフェオドットは驚いた。
リュスラーナ・ドラコナヴァと書いてあったからだ。




