大地の祈り(3)
フェオドットは村に足を踏み入れた。
この不思議な旅路で初めてのことだった。
だがそれを村と呼ぶには少々の勇気が必要だった。
なぜならあたりの草原に家らしい家はなく小高い塚が並ぶだけだったから。
塚は小麦色の藁で覆われてなぜだか煙を上げている。
その匂いは埃っぽくて香ばしかった。
なるほど、と青年は思った。
これがゴーラに言われて追いかけてきた匂いの大元か。
彼の中で火を焚くのは人間と決まっていたから、それでここは村なんだと思うに至った。
すると彼の肩口から嬉しそうな声があった。
「火だ! 火の匂いがする!」
そう言ったのはもちろん炎の娘ルドゥーシュカだった。
「暖まらせてくれないかな。濡らされてからこのかた、ずうっと寒気がしてしかたがないんだ」
「じゃあ、おまえが――」
頼むんだぞ、とフェオドットは言いそうになったがぐっと飲み込んだ。
なにもこちらから彼女を激昂させなくともいいじゃないか。
「わかった。村人に聞いてみよう」
安請負をしたが、そこからが大変だった。
小塚の全ては何かの巣のようだったが、入口は赤子の顔ぐらいしかない。
面白いことに人間がするように扉も付いていて、開けようにも覗こうにもはいつくばらねばならない。
「誰かいないのか?」
一軒ずつ――塚を一つの家とするならば――声をかけても返事はない。
そうして顔と体中を土まみれにするうちに、日が落ちて夜が訪れた。
風に水の匂いが少しもしないので、星空をテント代わりに野営を組むことにした。
火を起こすのはフェオドットが今まで生きてきた中で一番簡単だった。
集めた薪の上にルドゥーシュカを置いてやるのだ。
彼女が薪に思い切り呼気を吹きかけるとそれが炎になる。
さあ、今日も赤々とした気持ちのいい種火が生まれた。
フェオドットはふと思った。
魔女リュスラーナのランプに必要な精霊の呼気はもう出せるようになったんじゃないか?
正直、これでいいじゃないか、と青年が言おうとしたところ、ぼそぼそとしたつぶやきがあった。
「……まだ、だめか……」
ルドゥーシュカがしょんぼりすると火元もだんだん小さくなった。
好戦的な態度をとり続ける彼女がうつむくのはなんだか嬉しいものではない。
「いいじゃないか」
思った通りに口が動いてしまい、青年はぎょっとした。
だが、出てしまったものは致し方ない。
「少しずつ調子が戻ればそれでいいだろ」
「おまえ、人ごとだと思って簡単に言うけどさ。自分らしくないってのはわりかし辛いことなんだぞ」
「ふうん」
フェオドットは娘の言い分を真面目に受け取った。
そして己の自分らしさを少し探してみた。
黒い髪と瞳に中肉中背。
この世の美から祝福も呪いも受けずどこにでもいそうな顔立ち。
はたして俺を俺たらしめているものは何なんだろう?
故郷の弟が俺に見ている勇者というのは?
薪が爆ぜるだけの焦げ臭さだけが漂うだんまりの時間がしばらく流れていたがそれは次第に騒がしさで埋められた。
木を打ち鳴らすような低いトレモロと鳥のように飽きずに続くおしゃべりとが揃って沸いて出てきたのだ。
ただし鳥の声と比べて随分低い位置から聞こえてきた。
「人間だ。お手伝いだ」
「お仕事やるぞ」
「ご褒美もらうぞ」
フェオドットが驚いて足元を見るとずんぐりむっくりの黒い塊がいくつもひしめいていた。
そして彼が持ち運んでいるわずかばかりの荷物に触れた。
「触るな!」
盗まれるかと思い、青年は思わず声を張り上げた。
そこにはルドゥーシュカの命を守るランタンがあった。
すると小さなおしゃべりたちはその手をピタリと止めてぎょろりと一斉に瞳をまわした。
「しない」
「言うこと聞いた」
「偉い。だからご褒美」
そうしてわらわらとフェオドットの体に群がりはじめた。
彼がいくら払いのけてもあきらめずに登ってきたので、フェオはついにそれらの顔を見てしまった。
彼らは大きな頭の下に同じぐらいの体をもっていて、細長い手足を四つ、あるいは六つ持っていた。
青年は、彼らがこの小さな村の住人だとすぐにわかった。
「そうか。ここはユールの村だったのか!」
焚き火の中のルドゥーシュカが納得に声を上げる。
だがそのせいでユールたちの視線を一身に集めてしまった。
「エルドゥールの子」
「かわいい。お嫁さん」
「ご褒美はあれがいい」
「それは駄目だ!」
フェオドットは小人を払いのけて、とっさに火の中へ手を伸ばした。
「あちっ!」
しかし、勇気が肌を強くしてくれるわけではない。
フェオドットが熱さにひるんだ隙にユールたちはルドゥーシュカを担ぎあげてしまった。
「こら! 離せ! ボクはおまえらのモノにはならない!」
そして彼女がわめいて暴れるのも気にせずに赤々と燃える娘を小塚の中へと連れ去ってしまった。
それを追って手を伸ばしたが何かにちくちくと刺されて突っぱねられ、とうとう扉が閉じられてしまった。




