91 ラーシュの街
「お父様! 今日からお客様が滞在されると聞いたのですが、来たのかしら?」
扉からひょっこり顔を出したのは幼さが残る女の子だ。
「こら、マリン。ナーニョ様の前だ。はしたないぞ」
「ナーニョ様? あっ、お耳と尻尾がある! 猫さんなのね!」
私の姿を見るなり、マリンちゃんは駆け寄りギュッと抱きついてきた。
「こら! ナーニョ様に失礼だぞ!」
伯爵は慌ててマリンちゃん引き離そうとするがぎゅっと抱きしめているマリンちゃんはイヤイヤと首を振っている。
そんなマリンちゃんを見ていると、幼い頃のローニャを思い出す。
「ふふっ。マリンちゃんっていうのね? 今日からセイン伯爵邸にお世話になるナーニョ・ヘルノルド・アローゼンよ。よろしくね」
私は優しく語りかけるようにした後、そっとマリンの手を繋いだ。マリンちゃんは満面の笑みを浮かべ『ナーニョ様、あのね、あのね』と話し掛けてきた。
伯爵は青い顔をしながらその様子を見ている。
私はマリンちゃんの手を引きそのままソファへと座らせてから護衛騎士たちに荷物を運び込むよう指示をする。
マリンちゃんは私のふわふわの尻尾を触ってご機嫌のようだ。
「マリンちゃん、ごめんね。いっぱいお話したいんだけど、湯浴みをしていないから身体中が埃だらけなの。先に湯浴みをしたいからお部屋で待っていてくれる?」
「分かった! マリン、いい子で待ってるね!」
マリンちゃんはピョイと立ち上がり、侍女と共に部屋に戻っていった。
「ナーニョ様、娘が申し訳ありません」
「セレン伯爵、謝らないで下さい。マリンちゃん、可愛いですね。今おいくつですか?」
「娘は今年四歳になります」
「可愛い盛りですね」
伯爵と話をしていると、侍女から声が掛かった。
「ナーニョ様、湯浴みの準備ができました」
「ではまたのちほど。エサイアス様が到着次第、明日以降の話をします」
「わかりました」
侍女以外は部屋からみんな出ていく。久々の湯浴みに心も踊る。
伯爵邸では侍女がお世話をしてくれるようで本当にありがたい。急いで準備しなきゃと思ってはいるけれど、湯船の気持ちよさについついゆっくりしてしまった。
何とか湯船から上がり、用意していた着替えを着る。時間が無いので髪は魔法で乾かしてしまったわ。
ふわふわな髪が更にふわっふわになってしまいちょっと恥ずかしいけれど、侍女は可愛いですと褒めてくれた。
「お待たせしてすみません」
私は案内された部屋へ入った。どうやらこの部屋はサロンのようだ。先に伯爵とエサイアス様、隊長二人が話をしていた。
私の姿を見てエサイアス様は笑顔で小さく手を振る。話し合いの途中だったのでそっと席に着いた。
どうやらラーシュの街へ続く街道は魔獣三体以外の脅威はないらしい。
だが、海に大きな魔獣が一体いるらしく、船を攻撃してくるのだとか。海に出られないため漁師たちは困っている。
魔獣はその名の通り、獣の姿を取っていることがほとんどで海にいるのは聞いたことがなかったからだ。
黙って聞いていると、海に住んでいる魔獣は巨大な毛玉姿で、伸縮する手のような物を出して攻撃してくるようだ。
いつも海の上に浮かんでいるらしい。入り江に近い場所を住処にしているようだが、攻撃しようにも船でしか辿り着けない。
船を出しても沈没させられるので攻撃もできないらしい。これには騎士団も手が出せないのではないだろうか。
各人腕を組み、うーんと知恵を絞るが良い考えが浮かばない。そうこうしている間に夕食の時間となった。
私たちはそのまま食堂へと向かうと、マリンちゃんがこっちこっちと手招きしている。
「ナーニョ様! 待ってたのっ。ふわふわだね!」
マリンちゃんの横にはお腹の大きな夫人も静かに座って待っていた。私たちが席に着くとすぐに運ばれてきた魚料理は、磯の香りと香草の香りで食欲をそそられる。
「美味しそう。このお魚は獲るのに大変だったのではないですか?」
私が質問すると、伯爵はニコリと笑って答えた。
「この魚は磯釣りで一匹一匹を竿で釣っているのです。手間はかかりますが、人命には代えられないですからね」
どうやら魔獣は船を攻撃するけれど、陸から竿を垂らしている人々に興味はないらしい。
魔獣の縄張りに入っていないということなのだろうか?
疑問に思いながらも初めての海の魚を口にする。
「!! とっても美味しいです。白身がソースと調和していて、口の中でホロッと溶けていくわ。香草の香りがとても上品に仕上がっていて本当に美味しい」
「お口に合って良かった」
「ナーニョ様!美味しいねっ。マリンね、ナーニョ様と一緒にこの後、絵本を読んで寝たい!」
「こらこら、無理を言ってはなりませんよ。ナーニョ様、申し訳ありません。邸に客人が来ることがないためマリンは嬉しくて仕方がないのです」
夫人は困り顔でそう話す。
「夫人、私は構いません。私にも妹がいますし、ずっと妹と一緒にベッドで寝ていましたから懐かしいくらいです」
「本当!? やったー! お母様、いいでしょう?」
「だけど、ナーニョ様は朝早いのよ? 一緒に起きられるの?」
「大丈夫だもん。ちゃんと起きれるから!」
マリンちゃんの必死に訴える姿に懐かしさを覚えてクスリと笑う。
エサイアス様もローニャのことを思い浮かべたようで笑顔になっていた。
私たちはマリンちゃんを中心に街の話をしながら食事を食べていく。魚介のスープもとても美味しかった。デザートには果実が出されたのだが、これがとても甘くて驚いた。
夫人の話では海が近いため、塩分を多く含んだ果実はこの地域でしか味わうことができないらしい。
あまりに美味しくてついつい食べ過ぎてしまったわ。食事を終えた後、私はマリンちゃんと手をつないで玄関までエサイアス様をお送りした後、客室に戻りマリンちゃんとベッドで話をする。
マリンちゃんは興奮して疲れたのかすぐに眠ってしまったようだ。
マリンちゃん付きの侍女が部屋に運ぶと言っていたが、起きて自分の部屋だったら悲しむだろうと私はこのまま一緒に寝ることにした。
懐かしい感覚を思い出しながら早めにベッドへ入った。




