66 アンガストの治療
「全員整列! 誰も欠けることなく本日も巡視を終えた。では明日までゆっくりと休むように!」
ナーニョは整列している騎士たちに向けて範囲回復魔法ヒエストロを軽く掛けた。怪我をしているわけではないので魔力もほぼ使わない。
「皆様、お疲れ様でした。また明日もよろしくお願いしますね」
「ナーニョ様!! ありがとうございます!」
私は軽く会釈をしてから護衛とともにフォード伯爵の邸へと向かった。
「先触れもなく申し訳ありません。あれから伯爵の体調はどうでしたか?」
門番に話をすると家令がすぐに出てきて対応してくれた。
どうやら皮膚がチリチリとした擦り傷の痛みが残っている状態だが、背中の深い傷がなくなった分、気持ちの落ち込みも落ち着いてきたらしい。
その変化は家令も驚いたと言っていた。
「ナーニョ様、どうか今日もケインズ様の治療をしていただけないでしょうか?」
「えぇ、もちろん構いません」
家令の突然の申し出に私はそう返事をすると家令は喜び、すぐに邸の中へと案内された。
家令は「今日の伯爵様は精力的に朝から執務に励んでいる」と主人の回復を喜んで涙ぐみながら話をしていた。
「フォード伯爵、ごきげんよう」
「!!! ナーニョ様!」
「突然お邪魔して申し訳ありません。体調はどうですか?」
「え、あ、はいっ! かなり楽になっております」
「家令の方から少しピリピリとした感じが残っていると聞いたのですが、少し見せてもらってもいいですか?」
「もちろんです!」
フォード伯爵はすぐに立ち上がり、松葉杖をついて机の前に置いてあるソファへと座った。
私も隣に座り、伯爵の手を取り魔力を流してみる。昨日回復させた背中の傷は大丈夫そうだけれど、少し私の魔力が残っている。
そのせいでピリピリとしているのね。そのまま私は集中して魔法を唱え、残りの足を生やした。
「!!! 足が! 両足が揃った!」
「治せて良かったです。ただ、私も今まで気づかなかったのですが、伯爵は私の魔力が身体に残りやすいようです。魔力の残ったところがピリピリと痛んでいたかもしれません」
「そうなんですね」
「多分、二、三日で魔力は抜けきると思いますが、痛みが引かないようなら神殿に来てくださいませんか?」
「ええ、もちろんそうします! ……あ、あのっ。ナーニョ様」
「どうされましたか?」
「私個人のわがままで申し訳ないのですが、息子の怪我も治療していただけないでしょうか……」
「そういえばご子息も怪我をされていたと神官様は仰っていましたが、どのような怪我を?」
伯爵は眉を下げ、悲しそうな表情で話し始めた。
「私たちは代々この街を守るために領主自ら魔獣の討伐に出るのです。五年前、息子といつものように討伐に出た時、魔獣が予想以上に強く私が先に背中に怪我を負ったのです。
そのまま敵は私の足に噛みついて引きずられ、死を覚悟しました。
息子はそんな私を必死に助けようと魔獣に斬りかかった。魔獣は邪魔をしてきた息子に怒り、息子を攻撃したのです。
息子は頭を強く打った。そして身体を引き裂かれ……」
伯爵はその当時の事を思い出し、言葉に詰まっている。彼の言葉で先ほどの雰囲気が重いものに変わった。凄惨なものだったに違いない。私は伯爵の様子を見て過去を思い出し、心が痛んだ。
「……すみません。なんとか護衛たちの協力で魔獣は倒せたのですが、私は片足を無くし、息子は生きているのが不思議なほどの大怪我を負いました。それ以来、息子は、目覚めていないのです」
伯爵の重い言葉に家令も沈痛な面持ちをしている。
「分かりました。子息に会ってもよいですか?」
「ぜひ、お願いします。息子はこちらです」
伯爵は裸足のまま立ち上がり、歩き始めた。問題なく歩けているのを確認しホッとする。
伯爵は片足だけ裸足のせいでヒョコヒョコとバランス悪く歩いているが、本人は自分の足で再び歩けるという喜びであまり気にしていないようだ。
「アンガスト、入るよ」
伯爵が部屋に入ると、そこには伯爵夫人が子息の身体を拭いているところだった。
「ナーニョ様、こっちが妻のアンナ、ベッドに寝ているのが息子のアンガストです」
私は夫人に軽く会釈する。夫人はどことなく不審な目でみていたが、伯爵の足を見て驚き、わなわなと体を震わせながら涙を流しはじめた。
「あなた、足がっ」
「ああ、アンナ。凄いだろう?こちらのナーニョ様に治療していただいたんだ。ナーニョ様がアンガストも見てくださる」
「ほ、本当ですかっ。……ナーニョ様、どうか、どうか、息子をお助け、下さい」
消え入るように涙を拭いながら夫人は言葉を溢す。
私はベッドの傍まで来てと、彼の状態を目で確認する。
子息の状態は見た目からしてかなり悪い状態だ。
顔面に攻撃を直接受けたのだろう。そして胸元は大きな傷跡が残っている。確かに生きているのが不思議なほどだ。
彼は小さく息をしているのが微かに聞こえている。彼は生きたいと願い、必死に戦っているのだと感じた。
一人でも多く私の魔法で助けることができるのなら私は全力を尽くしたい。
私は真剣な面持ちで口を開いた。
「伯爵、辛い言葉になると思いますが、はじめに言っておきます。人の頭はとても繊細です。たとえ魔法で傷ついたところを修復しても記憶は戻らないかもしれない。もっといえば全てを忘れているかもしれない。親としてそれでも支えていけますか?」
獣人の世界でもたまにはあった話だ。回復魔法で回復させても全ての記憶が元通りになるのはほんの一部でしかない。頭の治療は本当に繊細で難しいのだ。
欠損を治療する時に患者の記憶を利用して欠損を治していく方法を取っているが、生まれた時から欠損していたら魔法は使えない。
別の治療方法が取られるのだとか。
教科書にはそう書いてあった。
私はまだその治療をしたことがないのであくまで知識としてあるだけだ。
伯爵の肩はその言葉にピクリと反応した。
「もちろん構いません!」
「こうして生きてくれているだけでも奇跡なのですから」
二人とも真っ直ぐな視線を私に向けて答えた。
夫婦の強い言葉に私は安心する。
親の愛を感じることができて少し胸が詰まる。
上級回復魔法ヒロエスターナの指輪をそっと触れた後、魔法を唱える。
慎重に魔力を流していく。
彼は相当強い衝撃を受けたのだろう。顔を中心に光が傷口を包み癒していく。
彼も伯爵と同じように魔力が残りやすいとすれば更に注意しなければいけないだろう。
ゆっくりと時間をかけ治療を終えた。
「治療は終わりました。もうすぐ彼は目覚めるでしょう。数年間寝ていたため体力までは治療できないのでその辺りは徐々に身体を動かしていくことでまた元の生活に戻れると思います」
子息はまだ眠っている。治療した顔は伯爵とそっくりと言えるほど優しい顔つきだった。
夫人は顔も身体の傷も治った息子を見てありがとうございます、ありがとうございますと何度も言っていた。
「では私は神殿に戻ります。何かあればお知らせ下さい」
私は伯爵たちに軽く会釈をしてから部屋を出た。家令の案内で邸の玄関まで来ると、家令は感謝の言葉と共に籠いっぱいの食べ物を渡してくれた。
どうやら神父様から魔法を使うとお腹が減ると聞いたようで準備してくれていたのだとか。
家令にお礼を言いつつ、私は神殿へ戻った。




