61 出立の日
「ケイルート兄様、今大丈夫ですか?」
ケイルートの部屋は執務室とは違い、領地に関することや貴族、政治に関する本棚が置かれており、私には一生かかっても理解できない難しいものばかりだ。
「あぁ、待っていた。ナーニョ、そこに座ってくれ」
私はソファにちょこんと座った。
兄の従者は私の好みを知っている。私が座ると、いつも飲んでいるお茶とドライフルーツがテーブルの上に置かれた。
兄様はいつになく真剣な表情で向かいに座り、私に尋ねた。
「ナーニョ、エサイアスに付いていくというのは本当なのか?」
「ええ、本当です」
「何故なんだ?」
「兄様とお話した後もずっと悩んでいました。自分のやりたいこととは何だろうと。その答えは今もまだ出ていません。
自分はどうしたいのかも分からない、ずっと思っていたんです。だけど、ローニャから泣きながら兄様が怪我をしたと聞いた時、自然と走り出していました。
大怪我をしている兄様を見て、助けなきゃって強く思ったんです。兄様を治療している時に思ったの。もう家族を死なせたくないって。家族が居なくなることの辛さや悲しみをもう味わいたくないの。
私が、魔獣を狩って、魔力を持つ人見つけ出せば、兄様たちが戦いで怪我をする必要はなくなるはずです」
「……ナーニョ。辛い思いをさせてすまない。俺はこの通り元気だ。俺だってナーニョが怪我をするのを我慢できない。血は繋がっていなくても大事な妹だ。巡回に付いていかなくてもいいんだ」
「兄様、エサイア様に付いていけるのは私だけです。魔力持ちの人間を探せるのも。兄様にとってエサイア様は大事な友達なのでしょう? 私が行かないと彼は死にに行くようなものです。私が同行すれば彼は無理しないし、無事に戻る確率も上がります」
ケイルート兄様は顔を歪ませ、右手を額に当てて一息つき、口を開いた。
「……ナーニョの意思は固いのか? ローニャのことはどうするんだ」
「兄様、ローニャはとても賢い子。人々の機微にも聡い。ローニャは上手に立ち回れると思いますが、私一人では守り切れないこともこれから起こるかもしれません。
兄様、私よりもローニャのことを気に掛けて欲しいです。私はローニャのためにも頑張ってきます。私たちは教会で孤児として育ってきたから人間の貴族の世界を知らない。どうか、お願いします」
ナーニョは深々と頭を下げた。
「……分かった。全力でローニャを守ることを誓う。だが、ナーニョ、本当にそれでいいのか?」
私は微笑みながら兄様に頷いた。
「決めたのです。私は、周りが言うような聖女では全くありません。聖女という言葉が似合わないほど邪で傲慢な考えで行動しているのです。わがままな妹でごめんなさい」
「……そうか。出発まで時間がない。万全の準備を怠らないようにしないとな」
「はい」
この日から兄様も忙しく動くようになった。騎士団の再編成をするとかどうとか。
ローニャも忙しく動き回っている。
夜になると、私たちは隣の部屋同士で魔法を使って話をしている。
私が巡視に参加することが決まってからエサイアス様は巡視に参加する人数を絞り、準備をしっかりとしていたようだ。
侍女はいないが、私に女性の護衛をしっかりと付けられた。
出立の日がやってきた。
晴れ渡る空の下、武装された馬車が王宮前の広場に並んでいた。騎士たちも整列し、国王陛下の命を受け出陣式が行われた。
「お父様、お母様、お兄様、ローニャ。行ってまいります」
生きて戻ってこれるかも分からない。
でも、自分にしかできないことだ。
不安がないとは言い切れない。
逃げだしたい、本当なら何もせずローニャと遊んでマーサさんたちと穏やかな暮らしをしたかった。
でも、ローニャをはじめ、大切な人たちを守りたい気持ちが私にはある。
私は騎士服を纏い、エサイアス様と共に巡視に旅立った。




