56 ナーニョの目覚め
「お姉ちゃん!!! ここを開けて! 助けて! お願い。あたしじゃ駄目なの!! 兄様を助けて!!!」
ローニャが泣き叫びながら扉を叩く音でハッとし、扉を開けると、涙で顔を濡らしたローニャが抱きついてきた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい。私じゃ、私じゃどうしようもできなくてっ。お兄ちゃんが、兄様が助けられないのっ。兄様が死んじゃう!!」
「……どういう事!? ケイルート兄様が怪我をしたの?」
「うん。大怪我で運ばれたの。私じゃ助けられないっ」
「分かったわ。今すぐ向かうわ」
私は部屋着を脱ぎ捨て、ズボンを履き、シャツのボタンを止めながら部屋を出て走った。
兄様が大怪我?
まさか魔獣退治に出たの?
疑問と不安が一気に押し寄せる。
早く、早く行かなくちゃ。
兄様が、兄様が死んじゃう。
急げ、急げ、もっと走らなきゃ。
四つん這いになり尻尾を上げて私は全力で医務室まで走った。張り裂けそうになる心臓を抑え、息を切らしながら医務室に飛び込むと、突然現れた私にザイオン医務官は驚いていた。
「ナーニョ、様」
「ケイルート兄様が怪我をしたと聞きました」
「は、はいっ。ケイルート様はこちらの部屋に」
ザイオン医務官を驚かせてしまって申し訳ないと思いつつ、兄様の運ばれた部屋に向かう。
……ここは重篤な患者が運ばれてくる部屋だ。
その部屋の前ではエサイアス様の時のように怒号が飛び交っている。
ケイルート兄様。焦げた匂いに混じった血の匂い。
泣きたくなる感情をぎゅっと押さえつける。
ベッドで寝かされている兄の姿が目に入り、私は息を飲んだ。
治せるわ。
私なら治せる。
お父さん、お母さん、私は逃げないから、どうかケイルート兄様を助けて。
心の中で何度も復唱するように言い聞かせるように兄様の元へ歩いていく。
「兄様、遅くなってごめんなさい。今、治療しますね」
「ナーニョ、こん、なに窶れて。無理は、しないほう、が、いい」
ケイルートは絞り出すようなくぐもった声でナーニョを労わる。
……兄様はこんなにもみんなのために頑張っているのに私はなんてちっぽけなんだろう。
こんなにも傷ついている人たちが大勢いるのに、自分の世界に閉じこもっていた。
こんなにも助けを待っている人たちがいるのに自分は何をしていたんだろう。
「……ザイオン医務官、上級の指輪ヒエロスターナを」
「畏まりました」
ザイオン医務官は命令に従うように頭を下げた。
ヒエロスの指輪では間に合わない。
私はそう感じ、全回復の指輪を選んだ。
辛そうに浅い息をしている兄の手をそっと取り、差し出されたヒエロスターナの指輪をつけて言葉を紡ぐ。
ゆっくりと魔力を流し込む。
酸のような液体を被ったのか、全身の皮膚が溶け、焼かれていた。水で流した後が見受けられるが、酸はとても強力なものだったのだろう。
指先は失われ、足も骨の一部が欠けていた。
ゆっくりと、ゆっくりと炎症を抑えながら再生させるように魔法を掛けていった。
「兄様、もう大丈夫です。痛いところはありますか?」
「!! 無い。どこも痛くない、ナーニョ。ありがとう」
「兄様が生きていて良かったっ。心配かけてごめんなさい。私はもう大丈夫。ローニャだけでは治療が間に合わないわ。他の方の治療も行っていきますね」
私は治療が成功したことにほっと胸を撫でおろした。
この場にいた重症患者は十名ほどだ。
みんな酸で攻撃されたようだ。やはり一度での治療は難しい。
「ザイオン医務官、ヒエストロの指輪を」
「畏まりました」
私は指輪をつけなおし、範囲回復魔法を唱える。数日間使っていなかった魔力は嬉々として指輪を通し広がっていく。
消え入りそうな命を繋ぎ、治療していく。
魔法を掛け終わると何処からともなく感嘆の声が上がった。
「一度で全ての方の治療が出来ず、申し訳ありません。明日からまた少しずつ治療に入ります」
私が頭を下げると、私に感謝する声が聞こえてくる。
「ナーニョ様、医務室へ。こんなに窶れては倒れてしまいます。あちらで一度、診察しましょう」
ザイオン医務官は私の姿を見て心配し、声を掛けてきた。
「ナーニョ! 俺も行く」
咄嗟にケイルート兄様は立ち上がり、医務室について行こうとしたが、フェルナンドたちに止められた。
「ケイルート殿下、自室に戻りましょう。治療してすぐに動いてはなりません。静養が必要です。それにナーニョ様の裸が見たいと仰るのですか? いけませんよ。例え妹とはいえ、年頃の女性は裸を見られたくないですよ?」
「!! そ、そうだな。分かった」
「そこの者、担架を持ってこい。殿下を部屋までお運びしろ」
「お、俺はもう歩けるっ。担架などいらん」
フェルナンドの指示で護衛騎士は嫌がるケイルートを否応なく担架に乗せ、彼は部屋へと運ばれて行った。
私はザイオン医務官の診察を受ける。
「ふむ。怪我や病気はなさそうですね。ですが、食事を摂らなかったせいで食が細くなっているようだ。これ以上痩せては命に関わります。少しずつでも食べる量を増やしていきましょう。気持ちの方は落ち着きましたか?」
「はい、先生。ご迷惑をお掛けしました。色々悩んでいましたが、ケイルート兄様が怪我をしているのを見た時、私の悩みよりも大切なものがあるのだと痛感しました」
「……あまり無理はせぬようお願いします」
「……そうですね。明日からまた医務室に治療をしにきます」
私は着のままで医務室に来た事を思い出し、慌てて部屋に戻った。侍女にも夕食から食堂で摂るように伝える。
「お姉ちゃん、もう大丈夫なの?」
部屋に戻ると、ローニャは侍女に戻ってきたのを聞いて部屋に勢いよく飛び込んできた。




