38 軋み
学校での暮らしと同じように、家の方も表面上は「普通」の家庭に近づいているような感じがした。
たぶん、こういう感じなんだろう・・・と静香が思うような形に——。
が、母親はやはり週末になると教会へ出かける。
「しずちゃんも行かない?」
遠慮がちに声をかけるが、静香は首を横に振る。
そういう意思表示ができるようになったのは、毎日家に帰ってくるようになった父親の存在が大きい。
父親の常識は、母親のそれとは大きく違っているように見えた。
それもまた、静香にとっては新鮮な「家」のイメージにはなった。
ただ、父親の雄策は母親の心美には「それは違う」というようなことも言うが、静香に対してはいつも「静香がやりたいようにやればいい」と言うだけだった。
雄策は静香を縛りたくないのかもしれない。
だが、静香にとっては・・・・
むしろ困る。
母親と教団の「常識」の中に取り込まれていた静香にとっては、そうではない基準というものが、あやふやで分からないのだ。
父親が母親を諭している言葉からそれを探り出そうとするのだが、父親のそれはどうやら「会社員」のそれらしく、高校生の静香の年代では通用しないことが多い。
「オヤジくさい。」
と忍などは言う。
「静香は静香でいいんだから。もう強制されてないんだろ?」
そんな忍の言葉も、道しるべにならないのはどうしてだろう?
「なんか最近、阿形さんと萌百合さん似てきたよね。仲良いからかな?」
そんなふうに他人に言われると、静香は少し(気をつけよう)と思う。
口真似にはならないように気をつけてはいるけれど、また気持ち悪がられても、特に当の忍にそう思われたら嫌だし——。
そんな時、静香は、三谷くんならこういう時どう言うだろう、と考えてみる。
三谷くんはもうここにはいないから、新しい言葉も新しい表情も静香にくれることはない。
だから静香は、静香の知っている三谷くんを思い出すことしかできない。思い出すたびに胸のどこかが暖かくなる。
どうして死んじゃったの? ありがとうも言えない・・・。
静香は三谷くんの言葉や態度を思い出しながら、それを自分の言葉や態度に落とし込んでみる。
初めは明るく振る舞うのもなんだか気恥ずかしいような気もしたが、演劇をしているのだ、と思うことで、それまでにない大胆な表現をすることもできるようになってきた。
クラスのいろんな人を観察することで、自分が好きだと思える価値基準や表現を1つずつ自分の中に積み上げてゆく。
ゆっくりだけど、それが静香の中にいる「しずか」という小さな子どもを育て直す最良の方法のように思えた。
初めのうちこそ
「どした? 萌?」
と忍にからかわれたが、だんだん板についてくるに従って静香はそういうキャラだ——と思われるようになったみたいだった。
家の方は——というと・・・。
15年。という共有していなかった時間は、雄策と心美にとって長過ぎたのかもしれない。
父親の雄策は懸命にそれを取り戻そうと努力していたようだったが、母親の心美との間のすれ違いや摩擦は覆い隠しようがなかった。
父親はほぼ母親の言い分にすり寄るようにして優しく接していたが、しかし、母親の心美が再び教団にのめり込もうとすることだけは止めなければならなかった。
時おり、静香の目の前でも言い合いが起こった。
父親は静香にも気を遣った。
たぶん、家出をしたことが影響してるんだろう。
だが、静香にとってはその父親のへり下るような優しさもウザかった。
そしてある日の夜。
教団のことで父親と母親が言い争っていた時、ついにその言葉が母親の口をついて飛び出した。
「あなたが家にいない間、わたしはたった1人で静香を育てなければならなかったのよ!」
言ってしまってから、母親はハッとした顔で静香を見た。
その時、静香はどんな顔をしていたのだろう?
心美の口から飛び出してしまったその言葉は、みるみるうちに巨大な魔物となって萌百合の家全体を覆っていった。




