33 一時保護
「オン!」
5人に囲まれて退路を断たれたような状態になった静香が、怯えた目を見開いたまま奇妙な音をその口から発した。
「バサラマギナウミロク・・・」
教団の秘文とされる破邪文だ。ほとんど無意識であった。
もちろん、他の人には何を言っているのかも分からない。ただ突然、わけのわからないことをしゃべり出した、という感じだ。
普段の静香と違って、声が大きい。
何かが取り憑いたような感じでさえある。
5人が一瞬、怯んで後退りかけた。
「なんだよ、こいつ? 薬でもやってんのか?」
「マサト、おまえ、何拾ってきたんだよ?」
「いや・・・何って・・・」
「ヒラア! コトヒラオンゴロ!」
田舎娘、と値踏みした少女の目が据わっている。
さっきまでオイシイ獲物だったはずの小動物が、何か得体の知れないものに変化したように見えて、マサトの目の中に戸惑いが生まれた。
「ちょっと、あなたたち。何してるの?」
そんなマサトの虚を突いたように、背後で声がした。
他の4人がマサトに目くばせしている。
マサトがふり向くと、中年のオバサンが2人立っていた。明らかにパトロールだ。
「あ、いや・・・。なんかこの子、変になっちゃって・・・」
愛想笑いを浮かべながら、静香とオバサンの間から身を抜けさせようと横に移動する。
「この子、未成年みたいに見えるわねぇ。あなた、年いくつ?」
オバサンの1人が静香の顔を覗き込む。
あ・・・・
静香は、その顔を見て我に返った。
わたしは今、何を・・・?
「あ・・・」
「こんなところで何してるの?」
これはまた、別の意味でまずい状況なのでは・・・?
静香の頭の中でその考えが焦点を結ぶまでに、しばらく時間がかかった。
その間に、他の5人は逃げた。
2人のオバサンはそちらは追わない。明らかに彼らは「スカウト」で、この少女が毒牙にかかりかけていた、と見えたからである。
静香は咄嗟に逃げるという行動が取れない。
それは静香の世間知のなさに依るのだが、むしろこの場合は静香の身を救ったといえるかもしれなかった。
静香は「保護」された。
連れていかれた警察署で、捜索願いが出ていることを知った。
「どうして家出したのか、話してくれない?」
女性の警官が、優しく静香に訊いてきた。
「い・・・家には連絡しないで・・・」
「うん。ちゃんとあなたのお話聞くまではしないから大丈夫よ。よかったら事情を話して。力になれるかもしれないから。」
静香は知らなかったが、これは別にこの人が特別優しいというわけではない。
家出の理由には虐待する親からの逃避というケースもあるから、まずは本人の話をよく聞いてから、親から保護するか、親元に帰すか、の判断が必要になるのだ。
児童相談所との連携も必要になる。
捜索願いが出ているから親は子供を愛している、とは限らない。子供よりも世間体を気にしている、というケースも意外にある。
「帰ったら・・・鞭で打たれる・・・。」
このひと言が、まわりの大人の目の表情を一変させた。
「どういうこと? いつも? もしよかったら、別室でわたしに体見せてくれる?」
「あ・・・いえ・・・」
顔を覗き込んだ女性警官に、静香は困った表情を見せた。
「そ・・・そういうことでは・・・」
静香は誤解を受けたことを悟った。
これは・・・場合によっては母親が逮捕されるかもしれない。
迂闊なことをしゃべった。
いや、それより体に何の傷もなければ、自分が嘘をついているとみなされ、問答無用で親に連絡されるだろう。
それがどういう結果を生むか——。
静香は、中学の時の母親のあの狂態を思い出していた。
「あ・・・あの・・・。いつも、ではなくて・・・、まだされたことはなくて・・・でも、教団の教えで・・・わたしが・・・悪いことしたから!・・・・」
「教団?」
とまた警官の目が変化する。
女性警官とその上司らしい男性警官が、ちらと目を合わせる。
「なんという教団か、教えてくれる?」
静香は、なんだか罠にはまってゆくような不安を覚えた。
教団名を言うと、次はどうなるのだろう?
もしかして、この人たちは教団とつながっていて、直接教団に連絡したりするんだろうか・・・?
静香は、自分の置かれた立場が分からなくなりつつある。
「あなたを鞭で打たせたりはしないから、教団の名前を教えてくれる?」
女性警官が、子どもを相手にするような声でもう一度言った。
静香は観念した。
どのみち、ここに連れてこられた時点で、もはやこの人たちに身を任せる以外の選択肢はなくなってしまっているのだ。
「宇宙の真理・・・。」
静香のその言葉で、再び警官たちの目が変わった。2人の警官がお互いに顔を見合わせる。
「今テレビで騒がれてるあの宗教団体か・・・。」
男性警官が独り言のように呟いた。
テレビで・・・? やってるの?
静香は全く知らない。
「児相に連絡する。」
男性警官が厳しい声でそう言った。
「君は、この子の体に虐待の跡がないか調べてくれ。」
「はい。」
「さあ、ちょっと別室に行きましょ? わたしが見るだけだから大丈夫よね?」
静香は促されるまま、女性警官に従った。
「あの・・・テレビって・・・?」
「ああ知らないのかぁ、あなた・・・。お部屋で話してあげる。」
陽名田と名乗った女性警官は、下着姿になった静香をざっと眺めてからすぐにシャツを肩にかけてくれた。
もちろん、静香の体にはアザも傷もない。
「取り込まれてたのね。よく逃げ出してきたわね。」
陽名田巡査は、静香が服を着直している間に、ここ1週間ほどの間にテレビで報道された『宇宙の真理』の問題を簡潔に話してくれた。
高額な献金で崩壊した家庭がいくつもあること。「悪魔を追い出す」と言って子どもを虐待しているケースが数多くあること。・・・などなど。
「あなたのお母さんは、そこまでじゃないのね? だったら目を覚まさせるのはそんなに大変じゃないかもね。児童相談所に行ったら、弁護士の先生ともよく相談してね。決して早まったことしちゃダメよ。」
静香は『保護』された。




