26 阿形忍
萌百合静香は学園祭の2日間、一度も姿を見せなかった。
学園祭が終わって先輩たちと後片付けをしながら、忍は静香の描きかけの2枚のキャンバスを眺めていた。
萌のスペースも取っておいたのにな・・・。
結局、あいつ何も展示しないまま学祭休んじゃった。
新しい作品じゃなくても別にいいのに。
どうしたんだろう?
一度家に行ってみようか・・・?
あ・・・でも、宗教かぶれのお母さんが出てきたら、ちょっと嫌だな・・・。
忍は静香のことを気にかけながらも、積極的に行動を起こすのは躊躇っていた。
静香はあれから、学校を休んだままだ。SNSでメッセージを送っても、既読さえつかない。
そんな忍に衝撃の情報が入ってきたのは、学園祭からしばらくした日の夕方、自分の作品を整理しようと美術部の部室にいた時だった。
部室の入り口から、担任の浜中が声をかけてきた。
「阿形、ちょっといいか?」
「はい。何ですか?」
だが、浜中は眉をひそめたまま手招きするだけだ。他の部員には聞かれたくない話らしい。
何か嫌な予感を抱きながら、忍は部室の外に出た。
「萌百合、おまえンとこ行ってないか?」
浜中が声を落として言う。
「え? なんですか、それ?」
「いや・・・、行ってないんなら、いいんだ。」
「ちょっと! 先生、どういうことですか?」
浜中は、ふん、と1つため息みたいな息を吐いてから、なんでこんなにオレのクラスでばかり問題が・・・という顔をした。
「萌百合が行方不明なんだ。昨日の夜、家を出たままらしい。おまえたち、仲良さそうだったから、ひょっとしておまえン家に転がり込んでたりしてないかな、と思ってな。」
「萌・・・萌百合さん、家出したんですか?」
部室にいた2人の部員が一斉にこちらを見た。
「大きな声で言うな。まだはっきりとはしない。保護者から問い合わせがあったんだ、学校に——。出てるか、って。ここしばらく、あいつ来てなかっただろ? 保護者からは一応、しばらく休ませるって連絡は受けてたんだけどな。その保護者からの問合せだからな。」
やれやれといった態度丸出しで、浜中は言った。
忍はすぐスマホで静香にメッセージを送ってみた。
「なんか連絡あったら、教えてくれ。」
それだけを言って、浜中は大儀そうに歩いていった。
メッセージには、いつまで待っても既読はつかなかった。
3日ほどして、母親から警察に静香の捜索願いが出されたという話を忍は耳にした。
踏み込みが足らなかった・・・。
なんでもっと早く家まで行かなかったんだろう・・・?
三谷がいたら、もう1歩踏み込んだだろうに・・・。
わたしは、いつもこうだ。
へっぴり腰で、ここ、という時に踏み出せないで後悔ばかりする。
もしも、萌が・・・。もしも萌が・・・・考えたくないけど・・・、そんな最悪のこと・・・。
忍は既読のつかないメッセージを見ながら、今さらのように鈍かった自分を責めている。
萌が三谷くんの死を悲しんでいないはずなんかないじゃない!
涙も流さない、とか言ってる子がいるけど・・・。於久田先生は言ってた。
「人は、本当に悲しみが深いと、涙なんか流せないものです。」
萌まであっちに行ったりしないでよね!?
三谷がいなくなっちゃっただけでも、わたし・・・・。
三谷のばかやろお! なんだってハイキングコースなんかで、足滑らせてんだよ!
萌は、あんたのこと・・・。
気がついてたんだろお?
萌! 戻ってきてよお! 返信くらいくれよおお!
ああああああああああああああああああ!!
忍は誰もいない部室の扉と窓を閉め切って、叫んだ。
あの赤い鬼の顔が、不意に瞼に浮かんだ。
ああ。萌はこんなだったのか・・・? こんなぐちゃぐちゃな感情を、あの絵に叩きつけていたのか・・・?
コンコン。とノックの音がしてふり向くと、部室の扉のガラスから於久田先生が覗いていた。
「入ってもいいですか?」
忍は恥ずかしさで汗が噴き出した。
「せ・・・先生・・・。いたの・・・?」
於久田先生は入口をからりと開けて、入ってきた。
「す・・・すみません。大声出しちゃって・・・。」
「いいんですよ。大丈夫です。」
「心配ですよねぇ。あんなことがあった後ですし。でも、きっと大丈夫です。」
於久田先生は、自分にも言い聞かせるみたいな感じで忍に話しかけた。
「スケッチブックが無いんですよ。」
「え?」
「この2枚の油絵も、油の道具も、全部ここに置いたままですけど、スケッチブックだけは無いんですよ。持っていってるんです。」
先生は、部室に手がかりがないかと思って調べてみたのだそうだ。
すると、静香はあの合宿の時のものと描きかけのスケッチブック、それに水彩絵の具だけは持っていっているらしいことが分かった、という。
「あの子は生きようとしてます。決して全てを捨てようと思っているわけではないと思うんです。そうでなければ、描きかけのスケッチブックを持っていくはずがない・・・。」
「私はね・・・。」
と於久田先生は言う。
「信じて待ってみようと思います。あの子が、萌百合さんが新しい風景を見つけてここに帰ってくるのを——。」
その後、忍はニュースを気にして見るようになったが、忍が恐れているようなニュースは、何ひとつ目にすることはなかった。
いつの間にかメッセージに既読だけはついたが、返事はなかった。
萌は、生きてはいるんだろう。どこかで・・・。
ヘンなところに捕まってなきゃ、いいけど・・・。
連絡くらい、寄越せよお——。




