21 学園祭前夜
「萌百合ってさあ、絵上手いよね。」
2つ目のプチケーキで頬っぺたをふくらませながら、歩夢が静香の風景画を見て言う。
「これ、下呂の風景? いいなあ。俺も行きゃあよかったかなあ・・・。」
「あんた、美術部員じゃないじゃん。」
忍がすかさずツッコんだ。
静香は思わず、クスッと笑う。
それを目の端で捉え、忍は三谷くんに来てもらって正解だった——と思った。
「オブザーバーっての、ありじゃね? あ、そういえば、俺この休み後半にさ、山岳部のイベントに参加して穂高行くんだけどさ。萌百合も行かない? まだ定員、余ってんだよ。」
「あ・・・」
静香はこんなふうに誰かから誘ってもらったことがない。これが初めてだった。
しかも誘ってくれているのは、三谷くん・・・。
「山登りって、ちゃんと訓練積んで行かないと危険なんでしょ?」
忍がびっくりしたように訊く。
「そんな危険なとこ行かないよ。参加者は素人ばっかだもん。初心者向けのハイキングコースだって。すげぇいい風景見れると思うぜ? 絵になるような・・・。」
歩夢は屈託のない笑顔で静香を見る。
行きたい。
景色はもちろんだけど、三谷くんが誘ってくれてるんだもの。
静香は危うく「行きたい」と言いそうになった。
でも・・・・。
お母さんはたぶん、お金出してくれない・・・。
「これ・・・、仕上げないと・・・。学祭までに・・・。」
実際、描きかけが2枚もあるのだ。
学園祭まで、あと1ヶ月少し。
* * *
その一報が入ったのは、夏休みも終わろうとしている8月24日のことだった。
静香は学園祭に向けて2枚とも仕上げるべく、美術室で奮闘していた。
その知らせは、まず美術準備室の於久田先生にもたらされた。
於久田先生は真っ青な顔で、幽霊みたいに準備室から出てきて、静香の顔を奇妙な目で見ると
「ちょっと・・・、職員室に行ってきます・・・。」
とだけ言って出ていった。
え? 於久田先生が、職員室?
何があったんだろう?
その後、校舎の外で、学校に慌ただしく乗り付ける車の音が聞こえ始めた。
それからしばらくして、忍からSNSのメッセージがきた。
『三谷くんが死んだ』
え?
何のこと?
何の話?
山岳部のイベントで穂高に来ていた高校生が、足を滑らせて転落。救助隊が谷底へ向かい、高校生はすぐ発見されたが、心肺停止の状態で病院に搬送され、病院で死亡が確認された。
死亡したのは、清和高校の1年生、三谷歩夢さん16歳。警察は安全配慮に問題がなかったかどうか・・・・
何のはなし・・・?
クラス全員の1人として葬儀にも行った。
白い花に囲まれて、笑顔の三谷くんの写真が飾ってあった。
なのに・・・・
何も実感がわかない。
涙も出ない。
女子はみんな泣いていた。
静香を除いて・・・。
「涙のひとつも見せないんだよね。」
「けっこう良くしてもらってたのにね。」
「心ってものが無いんじゃない?」
クラスの誰かがひそひそと言う声が耳に入る。
心、ないのか? わたし・・・。
悲しくないのか? わたし・・・。
本当に、涙のひとつも出ない・・・・。
「三谷くんの来世のために祈りましょう。」
母親はそう言った。
静香は、美術室で描きかけの絵にひと筆を置いては、ぼーっとしている。そして、しばらくしてまたひと筆を置く。
進まない。
学祭までに描き上げなきゃ・・・。
ミロク天使を描き上げなきゃ・・・。
誰のために?
明日から学園祭、という日の夕方。
仕上がらない2枚の絵を前に惰性のように筆を動かしている静香に、忍はそっと声をかけた。
「無理しなくていいよ。ほら、スケッチとかあの色付きデッサンとか飾ればいいし・・・。ただの学祭なんだから。」
「うん・・・。もう少し・・・。」
静香は、賽の河原の石でも積むような動きで、1筆、1筆、色を置いている。
忍には、その色に何か意味があるようには見えなかった。
「鍵、ここに置いておくから。帰りに警備室に返してってね。早く帰るんだよ?」
「うん・・・。」
忍が静香を見たのは、それが最後になった。




