12 色のある世界
「萌百合さんは美大とか目指してるの?」
美術の於久田先生が、石膏像に向かってイーゼルの前で木炭を持っている静香に話しかけてきた。
静香は思わず怪訝な目で先生を見上げる。
「いえ・・・別に・・・」
「あ、先生。わたしが勧めたんです。とりあえず基礎だから、1回やった方がいいって。」
忍が於久田良荀先生に言い訳みたいな口調で言った。
部活は放課後に行うから、たいてい美術室を使わせてもらえる。
市民展に応募するという栗真佑先輩の邪魔にならないよう、静香と忍は美術室の方で石膏像の木炭デッサンをやることにしたのだった。
もう1人の男子1年生部員、高菜一樹は中間テストで見事な赤点を取って補習室に「勾留」されているし、他の2年生と3年生はまだ顔を出していないから、今のところ部室と美術室を合わせた広いスペースを3人で使っている。
静香はエプロンは持ってきていないから今日は制服のままで、木炭と紙とガーゼは忍に借りた。
「イーゼルとカルトンは部室にあるものを使えばいいから。」
忍はそう言って自分のカルトンをイーゼルに乗せ、木炭紙をカルトンにクリップで止めた。
静香もそれを見て真似をする。
忍がカルトンを開く時、以前に描いたらしいデッサンがちらっと見えた。
すごい。
黒い木炭で描いてあるのに、真っ白な石膏像に見える。
忍がそんな静香の視線に気がついた。
「ああ、これ。高校に来てすぐの頃に描いたやつ。あんま、上手くねーわ。お手本にはならないな。3年生のデッサンなんか、すごいのあるよ。でもまあ、こんなふうに描くんだよっていう見本くらいにはなるか・・・。」
それから忍は、木炭の使い方や構図の取り方、上手くいってないところはガーゼで木炭の粉を払い落とす、といったことをざっとやって見せながら説明した。
静香が驚いたのは部分の消し方だった。
「食パンで消すの?」
「そ。これがいちばんきれいに落ちる。ハイライトをつけるときにも使うよ。」
「もったいない・・・。食べ物を粗末にしては、いけないのでは・・・?」
「そう思うなら食っちまえば? わ———っ、やめろ! 冗談だってば! 腹こわすぞ?」
忍が顔を真っ赤にして静香の手の黒い食パンを取り上げた。
「おまっ・・・ふつう・・・いや、分かってないのか。・・・でも、面白いぞ!」
忍がなんだか嬉しそうな顔で静香を見た。
パンは私の肉であり、ワインは私の血である——。
そうか・・・。これは「普通」じゃないのか・・・。
於久田先生が準備室から出てきて静香のデッサンを覗き込んだのは、形をとって陰をつけ始めたばかりの頃だった。
「上手ですね。前にも描いたことが?」
「いえ、初めてだと思います。木炭の使い方も、パンの使い方も知らなかったですから・・・。」
忍が先生にそう言う。
「でも、形、きれいにとれてるな——。才能あんじゃね? 萌。」
「ああ、美大目指してるわけじゃないんですね。そうですか。でも、だったら・・・」
先生はそう言って一旦準備室の方に戻ると、パステルの箱を持って出てきた。
「これ、貸してあげますから、使ってごらんなさい。2人とも。」
「え?」
「え?」
「石膏像は真っ白だと思い込んでるかもしれませんが、よぉーく見るといろんな色がありますよ。」
先生はパステルの箱のフタを開けた。24色の淡い色が並んでいる。それを2人の間の机の上に置いた。
「デッサンの目的は、きれいに描き上げることじゃなく、発見することなんです。発見したものを紙の上に表現していく訓練なんです。」
そう言われて、静香は改めて石膏像を見る。
すると・・・。それまで白一色だと思っていた石膏像のいろんな部分に、それぞれ違った色があるのが見えてきた。
それまでとは違った意識で見ると、同じ白でも部分によって全く違う色をしていることに気がつく。光の加減、というやつだろう。あたりのいろんな色を映してるのだ。
首の影。鼻の出っ張り。目の窪み。頬の丸みの中にだって、無数の色が手を取り合っている!
これが、発見する、ということ!
思い込んでいたら、絶対に気がつかないもの——!
静香はパステルを手に取り、それを木炭紙に擦り付け始めた。
その瞳が、これまでになかった輝きを見せている。
静香自身は、その変化に気がついてはいない。
「そんなこと言ったって・・・。白は白だよぉ・・・。」
隣で困ったような忍の声が聞こえた。




