それは彼が間際に放った
「はははは、邪神の僕は解き放たれました。時を置かずしてこの領域の支配は我が手に移ることになるでしょう。絶望しなさい!そして我が神への生け贄となるのです!」
「・・・ぶつぶつ・・・」
台座の横に倒れ伏したダンジョンマスターが、聞き取れないほどの小声で何かを呟いていた。
「んん?意識が戻りましたか?・・ですが、詠唱ではないようですが・・」
「・・種族はたぶんスライム、色から判断してブラック・プディ・・・」
「ほう、見ただけで分かりますか。高位の冒険者でも出会えば骨も残らぬような凶悪な代物のはずですが・・」
打ち倒されたショックで、いまだ動かない身体のまま、そのダンジョンマスターは呟きを止めなかった。
「・・種族は不明、言動から人族でない可能性有り。想定LV9以上、11以下。接近戦は不得意。神聖呪文の使い手・・・」
今度は神官自身を計測しているようだ。
「それが何になるというのです。貴様に生き延びる術など無いのだよ!」
そう言い放って、呪文を唱えようとした神官の額に、何か堅いものがぶつかった。
「つっ・・・何かが額に・・・誰だ!」
睨み付けた部屋の隅には、いつの間にか黒焦げのスノーゴブリンが、立ち上がっていた。
「名乗るほどの者じゃないっす」
そう言ったスノーゴブリンの両手には、樽からこぼれて床に散乱した、皮を剥き終えたじゃが芋が握られていた。
「ははは、これは傑作だ。そんなものでは私に傷一つつけられませんよ」
「それはやってみなきゃ分からないっすよ」
その言葉が終わらないうちに、右手のじゃが芋を、手首のスナップだけで投げつけてきた。
神官は、反射的に避けた。ダメージは通らないが当たれば痛みは感じるからだ。するとじゃが芋は後方の見えない障壁にぶつかって、跳ね返った。
「・・接触によるダメージは無し・・ウォール・オブ・フォース(理力の壁)と思われる。破壊は不可能・・解呪もしくは現実変化系の高位呪文で対抗・・」
いまだ、意識は混濁しているようだが、倒れていたダンジョンマスターもスコップを支えにして立ち上がってきた。
「今度は穴掘り道具で近接戦闘をするつもりですか・・・どれだけ貧乏なんですか、貴方達・・・」
「「貧乏いうな!」」
条件反射で突っ込みを入れた拍子に、意識が戻ったらしい。目の前に神官服の男が立って居るのに気がついた。僕の横ではワタリが、全身黒こげのまま敵を睨みつけている。
ああ、ワタリは平気な顔をしてるけど、かなり危ない状態だね・・立ってるのが不思議なぐらいだ・・
僕自身も身体は思うようには動かせない。杖の代わりにしているスコップ軍曹が無くなったら、その場で転倒するに違いない・・・
それでもまだ、やれる事があるはずだ・・・
目の前の床には、禍々しい黒い剣が四方陣を描くように突き立っていた。そしてその中心には、コアが、光を失って囚われている・・・
「コアに何をした・・・」
叫びだしそうになるのを無理矢理抑えて、神官に詰問する。
「見ての通り、魔法陣で機能を停止しただけですよ。安心して下さい、破壊するのは貴方を我が神に捧げたあとです」
『破壊する』と言った瞬間に、軍曹で殴り掛かりかけたが、何らかの理由で、順番は僕が先らしいので、それまではコアは無事のようだ。今は情報の取得を優先しよう・・
「その黒い剣が魔法陣を構成する要素なのか?後ろで通路を封鎖しているのも同じ系列のようだけど、お前の後頭部を狙ってじりじりしているのは違うのか?」
「ははは、あれは票の取りまとめに失敗した結果ですよ。私が全てを受け継ぐのに反対のようです」
こいつはベラベラと良くしゃべるが、果たしてその情報を信用していいものかどうか・・・単に自己顕示欲が高いだけかも知れないけど・・・
「・・ちなみに、そこのゴブリンが魔法陣の剣を引き抜こうとしたらどうなる?」
「えっ?オイラがやるっすか?」
「それはお勧めしないね。邪神教団に入信していないものが、その剣に触れば、良くて即時信者扱い、悪ければ・・・だよ」
「それダメダメってことっすよね!」
「あんたが嘘をついてるって可能性もあると思うんだけど?」
「だったらご自由に・・・と言いたいところだが、下手に外からその魔法陣を壊そうとすると、中のダンジョンコアがどうなるかは私にもわからないのだよ」
「・・・」
「一部の機能が麻痺したり、記憶が消去されるぐらいで済めばいいが、虚無空間にでも転送されると、こちらも都合が悪いので忠告はさせてもらったよ。そこのスノーゴブリンが、どうしても試してみたいというのなら止めないがね」
これが、こいつが余裕を持っている理由みたいだ。ブラフの可能性もあるけど、それなら先に僕らを攻撃した方がリスクが少ないはずだ。
僕らがコアを助ける為に剣を抜くのを待っているようでもある。どちらに転んでもこの狂信者の望みは達成できるのかも知れない・・・だとしたら、どうすれば・・・
その時、何の前触れも無く、天井から何かが落ちてきた。
それは1本の包丁だった。
包丁は魔法陣の側の床に突き立つと、血糊のついた刃が一度だけ光を反射した・・・




