氷牙の間の戦い
ヘラジカの湖の北西に、アイスオークが住み着く氷河がある。クレヴァスを掘り広げた居住地は、多数の戦士に守られて、難攻不落の砦だった・・・
つい先日までは。
今は、年老いて戦えなくなった老人と、女子供しか居ない、歪な構成をしている。守り手のいない砦は、張子の虎に過ぎない。唯一、食料確保の為に出兵しなかった狩人達が、周囲の警戒と、狩りを同時にこなしていた。
あらゆる男手が足りなくなった砦は、外敵に対する対応力も低下していた。
故に、想定された東からの再侵攻ではなく、南側からの奇襲に、あっという間にツンドラエルフの侵入を許してしまった。
「トン子様、エルフが責めてきました!ブヒィ」
侍女の一人が息せき切って駆け込んで来た。
「見張りの狩人達はどうしています?」
外敵に攻められた時は、交戦せずに砦に撤退するように申し付けてあったけれど・・
「皆、族長の敵討ちと言って出て行ってしまいました、ブヒィ」
やはり女の私の命令は聞かないようですね。
「しかたありません、部族の残りの者たちをこの部屋に集めてください」
「でも、族長の間から外に逃げ出す通路はありません・・・」
俺は最強だから、脱出路など必要ないと言い続けていたあの脳筋に、今の状況の責任をとらせたいです。
「どうせ、全ての出口は封鎖されています。とにかく皆を早くここへ!」
「は、はい!ブヒ」
どうせ動きたがらない老人も多いことでしょうが、嫌がるものを無理に従わせても仕方ないですし。
私は、今できる事だけをやるしかないのですから・・・
トン子は自分が居る族長の間を見渡した。
氷河の最深部にあるこの部屋は、天井から幾つもの巨大な氷柱が連なっていて、正面から見上げると、大きな獣に噛まれるような錯覚を覚える。
確かにこの部屋に呼ばれたものは、その偉容から、ある種の畏怖を覚えるに違いない。それを同族の支配に利用していたなら、あの脳筋も少しは見直してあげても良い。
まあ、夢枕に立ったご先祖様の墓を守りに、部族の戦力の半分を送るとか、それが未帰還になると、残存戦力を全部繰り出して自ら出兵するとか、失策が多すぎて話しにならないけど。
「トン子様、皆、揃いました、ブヒィ」
やってきたのは、やはり女子供ばかりです。
「トン子様、この子達はどうなるのでしょうか、ブヒィ」
「怖いよー、エルフが襲ってくるよー、ブヒブヒ」
皆、不安のようです。
「これで全部ですか?狩人や、老人達は?」
答えはわかっていても聞かずにはいられませんでした。
「それが・・・狩人は皆、討たれてしまったようです。老人達は、自分の死に場所はここだ、と・・・」
彼らは死に急ぎすぎです。どうせなら私達の役に立って死ねば良いのに。
「わかりました・・・ここに集まった者は、私を族長の後継者の母と認め、私の指示に従ってくれますね」
辺りを見渡しても、頭の固い長老や、第一・第二夫人とその取り巻きの姿はありません。ここまで追い詰められても私に従うのを良しとしない人達の安全まで、請け負うほど余力があるわけでもないですし。
「「私達はトン子様に従います、ブヒィ」」
この部屋に集まった、20人程の部族員達が、膝をついて服従の礼をしてくれた。
この20人の生死が、私に委ねられた瞬間だった。
重すぎる・・・でも私一人では、我が子を守り通すこともできない・・・
あの人の忘れ形見を、族長にする・・・それだけが私の願い・・・
あの人との約束・・・
その時、部屋に通じる通路の先から、爆発音が轟いた。
「トン子様、エルフがすぐそこまで!ブヒ」
「全員、族長の椅子の裏に移動して!」
巨大な氷を削りだして造られた族長の椅子は、その後ろに20人のオークが隠れられるほど大きかった。
初めて見たときはその馬鹿馬鹿しさに唖然としたけれど、今はその巨大さが盾になる。
私以外の全員が椅子の後ろに移動を終えるとすぐに、通路から、ツンドラエルフの部隊がなだれ込んできた。
珍しいことにエルフの女騎士が先頭にいる。
その女騎士は、鋭い目つきで部屋の中を見渡すと、族長の椅子に腰掛ける私に話し掛けてきた。
「その椅子に座っているということは、貴女が現在の族長ということでいいのかな」
「「貪欲なる氷斧」では女は族長にはなれないわ。あくまで次期族長が決まるまでのまとめ役ってところかしらね」
「ほう、アイスオークの中にも女傑がいるようだ。しかし脳筋オークの中では暮らしにくかろう」
「貴女も苦労しているようね」
二人はお互いの腹のうちを探るように会話を続けていた。
「この部屋が氷河の最深部であるならば、貴女達が、部族の最後の生き残りとなるな」
「そう、貴女が全員殺して回ったのね」
少しだけ、女騎士の顔が歪んだ気がした。
「確かに、私が命令して侵攻が始まった。私が殺したのに違いはない」
「ここで命乞いをしても、助けてはもらえないでしょ」
再び、女騎士の表情が歪んだ。
「オークは殲滅せよ。それが長老会議の決定だ・・・」
「貴女もそれを望んでここに来たのではないの?」
「私は、兄の敵を討ちに来た。敵を討って家名の汚名を晴らす為に。しかしここに残っていたのは女子供と老人ばかりだ。彼らを虐殺して、果たしてそれが名誉に値するのか・・・」
女騎士は苦悩しているけど、後ろの兵士達は、覚悟は決まっているようだ。どちらにしろ私達を生かして逃がす気はないのだろう。
女騎士の後方から、歴戦の勇士と思われる士官が進み出てきた。
「うちの隊長を惑わさないでもらおうか。もう時間もないことだし、ここですっきり死んでくれ」
そう宣言すると、配下の兵士と一緒に切りかかってきた。
「!!」
女騎士が何かを叫ぼうとしたが、その前に私の奥義が発動する。
「メルト・アイス!」
氷を溶かす奥義により、天井から巨大な氷柱が士官達の上から落下してくる。
「ちいい、散開して回避しろ!」
士官の声でエルフの兵士達は安全地帯を探して逃げ惑う。
しかし1本が抜け落ちると、連鎖的に氷柱が落下を始め、この部屋全体に降り注ぎ始めた。
「残念ながら貴女の手にかかるぐらいなら、私達は自らの手で幕を閉じます」
「全員この部屋から退去しろ、全速だ!」
女騎士が降り注ぐ氷柱を盾で弾きながら、味方の兵士の撤退を援護していた。
最後に例の士官が、右肩を氷柱に砕かれながら脱出すると、女騎士も私に一瞥をくれてから部屋を出て行った。
「ごきげんよう・・・」
私の最後の言葉は聞えただろうか。
やがて全ての氷柱が落下し、部屋は氷の欠片で埋まってしまった。
けれど私の座る椅子の上には、1本も落ちてはこなかった。侵入者を撃退する罠で、族長が死んだら意味ないからだ。
この罠も最初は部屋全体に降り注ぐ仕様だった。脳筋は、全てを道ずれに死んでやるとか言っていたが、つきあっていられない。こっそりと改造しておいたのが役にたった。
椅子の後ろにも抜け道を造り、さらに下の階層に移動できる階段を作ってもおいた。
20人は先に降りて避難したはずだ。
私も椅子からすべり降りて階段に向かう。
「トン子様、ご無事でしたか、ブヒィ」
侍女が心配して待っていてくれたらしい。氷柱の落ちる轟音に生きた心地がしなかったろうに、心根の優しい娘だ。
これだけの忠義心があるなら、息子の世話を任しても大丈夫だろう。
「皆はどうしている?」
「不安がってはおりますが、騒ぎ出す者はいません、ブヒィ」
腹をくくったということか。
「ですが、飲み水はまだしも、食料の備えがありません、ブヒィ」
外にでるには崩れた氷をどかす必要があるし、エルフが見張っていたらそれこそ終わりだ。
「エルフが警戒を解くまでは、ここで暮らします」
「ですが・・」
「貴女には見せてあげましょう。私がここを避難所に選んだ理由を」
そう言って、分岐したトンネルを狭いほうに入っていく。
やがてトンネルの両側の氷壁に、何かが潜んでいるのが見えた。
「ひっ!トン子様、何かがいます!何かとても巨大な獣が!」
おびえる侍女を宥めるように解説する。
「あれは獣の死体です。何十年も前にここで凍りついて死んだ、マンモスという名の獣の死体なのです」
「死んでるんですか?でも、でも今にも動きそうブヒィ」
侍女の目には、見つかったら襲ってきそうにしか見えなかった。
「大丈夫、もう動くことはありません。そして、あのマンモスの肉は栄養があって、美味しいのです」
「では、この獣を食べて・・・」
「20人なら、10年は過ごせます」
私の指差した方向には、延々と続くマンモスの列が続いていた。




