始まりの朝
本戦の日は、いつもより静かな朝だった。
「よし」
朝食を終えた後、俺は自室で準備をすませる。部屋にある姿見で、改めて装備を確かめる。
まず服装。これは俺がこの世界に来てから同じである青い衣装と、ブーツ。肌着に関しては耐刃なんかに優れている物に変更しているが……見た目は、最初と変わりがない。
次いで、右手首に目を留める。そこにはずっと勇者レンの力を制御するためにブレスレットが着けられていた……けど、今日はもうない。リュハンから「もう必要ない」と昨日言われ、俺もまた決心しそれを外した。
代わりと言ってはなんだが、俺の首には白い石がはめられたアミュレットがある……これは、アーガスト王国で制御に困っていた時、リミナが役立つだろうと思って購入した魔力を増幅する特性のある物。
リュハンが言うには「こうした物が大きな力になる場合もある」とのことで、今回初めて身に着けた。
次に剣に目を向ける。俺が腰に差すのは英雄アレスが使用していた聖剣……ただ鞘が透過する程綺麗な緑色であり、このままだと一発でバレてしまうため、今は鞘を白い布でグルグル巻きにして、なおかつ茶褐色の革製の鞘で覆っている。ちなみに革も大会に際し丈夫な物にしてあり、破壊されないよう配慮している。
他に必要な物は……俺は少し考え大丈夫だと思うと、部屋を出た。
廊下は静かで、俺が立てる足音だけが耳に響く。準備に多少時間を掛けたため、おそらく玄関ホールには全員集合しているだろう――
そうした予想をしつつホールに辿り着くと、考えていた通りそこには俺を除いた全員が待っていた。
「悪い、遅れた」
「そんなに時間も経っていないし、大丈夫だよ」
語ったのは玄関扉を背にして立つセシル。
「それに、最初から正念場を迎えるレンとしては、精神統一だって必要だろう……もういいの?」
「ああ」
「なら、行こうか」
セシルは告げると俺達に背を向け、屋敷の外へ歩き出す。
「いってらっしゃいませ」
そこにベニタさん他、メイドの人達が見送る。俺は彼女達に「行ってきます」と告げ、セシルに続き屋敷を出た。
とうとう闘技大会本戦の日――俺はカインとの試合を行うべく、通い慣れた道を通り闘技場へと向かう。
「レン、本戦についてはどの程度把握している?」
道すがら、俺の横を歩くセシルが問い掛ける。
「把握……?」
「本戦について、どの程度知識があるのかってこと」
「そういえば、人数とトーナメント方式だというくらいしか知らないな……質問、いいか?」
「どうぞ」
「まず、今日一日でどれだけ戦うんだ?」
「一回戦はブロック単位で一日消費する」
となると、今日はAブロックだけだから……八試合かな?
「だから今日戦えば、数日間は休みが取れる……勝ったらその間に体調を取り戻し、二回戦に備えることができるわけだ?」
「そうか……で、俺達は控室で待つのか?」
「普通は本戦出場者が集まる部屋があるのだけど……ま、ここは任せておきなよ。良い場所を用意する」
言って笑うセシル。
「一応僕は、頭に統一はつかないけど闘技大会を連覇した身だからね……この人数でも入れる部屋を用意できるわけだよ」
「普通の控室じゃなくて、そういう場所があると」
「そういうこと……ま、そこで観戦し、本戦出場者の戦力分析でもしようじゃないか」
そんな風にセシルは述べ――俺と後方にいるノディを見る。
「一回戦の相手だけど、僕とノディに関しては油断しなければ大丈夫なはずだ。けれどレンだけは……」
「ま、なるようにしかならないさ」
そんな風に返答する……というか、そういう風に思うしかない。
「訓練はしてきた。この成果を発揮できれば、勝てるさ」
「自信、というよりはそう確信を持てと言われたって感じだね」
「……まあな」
「弱気を出せば、カインには絶対勝てないだろうからな」
告げたのは、最後尾にいるリュハン。俺はセシルに「そういうことだ」と言った後、息をつく。
「ともかく、そんな感じだ……心配しなくていいさ」
「そうかい? なら、じっくりと観戦させてもらうよ」
セシルがにこやかに告げた時、いよいよ闘技場へと辿り着いた。そこは既に人で埋め尽くされており、会場の時を待っている。
「さすが本戦初日……すごい人ですね」
真後ろにいるリミナが呟いた。俺は心底それに同意しつつ、セシルに訊く。
「で、どこから入るんだ? あの調子だと真正面からは入れなさそうだけど」
「こっちだ」
セシルは指で示しながら移動。俺達はそれに追随し、やがて闘技場横へと近づいていく。
「いつもは正面から入っていたみたいだけど、今回は裏口から」
「裏口……」
「さすがにあの混みようでは無理だしね」
会話の間に俺達は闘技場横にある別口から中へ。室内はどこからか人の声が聞こえ、準備をしている最中なのだと推測できた。
「ここでナーゲンさんと合流する予定なんだけど……」
セシルは言いつつ周囲を見回す――と、通路の一角からナーゲンの姿が。
「待っていたよ」
俺達に近づくと、まずはそう告げた。
「ここで話すと迷惑になるだろうし、先に部屋へと案内しよう」
「頼むわ」
ロサナが応じると、ナーゲンは小さく微笑み俺達を先導。そうして俺達は闘技場内を歩き始める。道中準備を進める闘士などとすれ違い……大会の裏をほんの少し垣間見た気がして、なんだか得した気分になる。
やがて、俺達は部屋に辿り着いた。結構な大きさの部屋で、この場にいるメンバーを全員集合しても十分な広さがある。
その中で特徴的なのは、扉と反対側の壁面が全面ガラス張りになっていること。そちらに近寄り確認すると、ここが一般席の上にある場所だとわかった。
さらに俺は、ガラスの向こう側にあるものに目を見張る――正面に存在する円形の闘技場だ。これまで観戦してきた闘技場と比べ物にならない大きさであり、なおかつ観客席もそれに準じて大きい。
今はまだ観客がいないため静まり返っているが、本戦が始まれば席が人で全て埋まる……そう考えると、なんだか緊張してくる。
「私も君達と一緒に観戦させてもらうよ」
ナーゲンは言うと、手近にあった椅子に座った。
「時間はまだ多少ある……もしよければ食事でもとるかい?」
「いえ、大丈夫です」
俺は応じると、セシルとノディへ目を移す。二人は眼下の闘技場を眺めているところだった。
「とりあえず、ここにいるってことで大丈夫なのか?」
「ああ。まだ時間もあるし、ゆっくりしてもいいはずだよ」
「君達がここにいることは伝えてある。時間が来れば控室に案内される」
これはナーゲンの言葉……それなら、と思い俺はガラス近くにあった席の一つに腰掛けた。
そしてこれから目の前の舞台で行われる戦いについて想像する……何より問題なのは、その一番手が俺であること。場の雰囲気を掴むこともできないし、完全に出たとこ勝負という状況だ。
不安がないと言えば嘘になるのだが……ジタバタしても始まらないのは確か。俺はあきらめたように小さく息を吐き、連絡が来るのをただ待つことにした。
「レン」
ふいに、セシルが俺に呼び掛ける。
「敵の策略に踊らされたのは癪だけど、それだけ嘆いていても始まらないし、何よりそんな暇もない……そして」
「あれか? セシルと戦うまで負けるなとでも言いたいのか?」
予測して尋ねると彼は「まさしく」と答えた。
「決勝で戦うという望みは叶わなくなったけど……この際だから、我慢しよう」
どの口で言うのか、こいつは……苦笑しつつ俺は「善処する」と答え、再び広い闘技場へと視線を移した――




