影の領域
その剣戟は、おそらくファーガスにとって渾身のもの。加え、壁を超える技術が乗せられているのだとしたら――高位魔族にも十分通用した斬撃だったのかもしれない。
「怒りに身を任せ、仕掛けるとは愚かな」
けれど目の前で相対する魔族は動じなかった。そればかりか影を操作し刃を生み出し、その剣を、受けた。
僅かな時間、二つの刃が噛み合う。もしファーガスの全力が届かなければ――そういう不安が俺を襲った時、
最初に限界を迎えたのは、彼の持っていた剣だった。
パァンと、弾けた音と共に剣が砕ける――彼は俺によって剣が折られ、ナーゲン達が集めた武器に切り替えていたはずだ。それを、いとも容易く魔族は破壊した――
「無意味ですよ、全て」
告げた直後、ファーガスの体に刃が刺さる。俺は思わず声を上げようとしたが――その前に、彼の体が力を失くした。
そして刃が体を離れ、ファーガスは倒れ伏す……そんな、彼まで――
「ふむ……やはり人間の魔力というのは味気ないものですね」
そうして魔族は語る――もしや、剣を突き差し魔力を吸収しているのか?
「傷を負わせながら魔力を吸い……絶命させているというわけですか」
吐き捨てるようにリミナが言う。それに魔族は「ええ」と軽く反応した。
「少し興味が湧いたので魔力を吸ってみたのですが、あまり良いものではありませんね。とはいえ――」
魔族の目が光る。瞳の奥に、妖しい雰囲気が生まれた。
「人を殺めるには効率の良さそうな手段なので、使わせて頂きますか」
魔族が歩む。それに合わせるように影は轟き、こちらへにじり寄る。
俺は倒れるファーガスを一瞥する……ピクリとも動かないその姿を見て、怒りと同時に自制しろという警告が頭の中に響いた。
目の前の魔族は、間違いなく強い。一番厄介なのは影の刃……見た所彼女の周囲五メートルくらいまで侵食し、蠢いている。
逆に言うと、それ以上は広がらない……もしや、距離に制約条件があるのか?
「気になりましたか?」
魔族が告げる。恐ろしい程綺麗な微笑を浮かべ、俺と目を合わせる。
「忌々しい魔法のおかげで、私の『領域』はこの程度となっているわけですね」
「領域……?」
「そう、『領域』」
影の刃が使える範囲をそう呼んでいるらしい……彼女が歩み寄るたびに近づくそれを、俺は警戒の眼差しを送りつつ少しずつ後退する。
「あなた方二人は賢明ですね。私の実力を完全に把握していないにも関わらず、怒りに身を任すことなく自制している……さすが勇者と、その従士」
褒めるような言葉と共に、彼女はさらに歩む。俺は彼女が大きなアクションを起こす前に離脱すべきかと考えた時、
「……このまま膠着というのも、芸がありませんね。露見した以上、楽しまなければ」
魔族がふいに呟いた……それはまるで、狩りでもするような雰囲気。
「逃げ出す前に、少し遊びませんか?」
そう言うと同時に、魔族が動いた。大きく一歩踏み出すとすかさず影の刃を生み出し、
何本も束ね、螺旋を描くように収束させ――槍状にして俺へと放った。
魔族の性急な動作に対応できず、俺は相手の攻撃範囲に入ってしまっている――反射的に渾身の力を込め、剣の腹でそれを受けた。
衝撃が全身を襲う。けれど剣が破壊されるようなこともなく、防ぐことに成功した――
そう思った矢先、突如体が宙に浮く。
「え……!?」
何が起こったのかわからないまま、後方に飛ばされる。俺は全力で相手の攻撃を防いだはずなのに、受けた衝撃だけで吹き飛ばされ――
刹那、背中に鈍い衝撃が走った。同時に呻き声が漏れ、一瞬呼吸ができなくなる。
「――勇者様!」
正面からリミナの声……俺はそれに答えられないまま膝をつき、
同時に後方から軋む音が聞こえた。見ると、俺の真後ろにあった木が半ばから折れ、倒れようとしていた。激突して、こうなったらしい。
……木々に当たると思ったため、背面に結界を全力で形成していた。それがなければ無事では済まなかっただろう。
「さすが」
魔族は嬉しそうに笑みを浮かべる。顔にはありありと余裕の表情が浮かび、俺を恐怖に陥れる。
――勝てる要素が無いと、俺は悟った。とてもじゃないが手に負えるレベルの敵じゃない。
少なくとも、マクロイドやルルーナといった戦力が――
「そちらの女性はどうなさいます?」
その時、魔族の矛先がリミナに向けられた。途端、マクロイドの弟子やファーガスが倒れた時のことを思い出し、総毛立った。
逃げろ――口が何かを言う前に、リミナは大きく後方に移動。けれど魔族はそれと同じ距離だけ素早く歩み、逃さないようにする。
「詠唱は済んでいる様子……なら、試すのも一興では?」
問う魔族――それに対しリミナは、踏ん切りがついたのか槍を空へとかざした。
「渦巻け――天空の炎竜!」
そしてガーランドへ発動した魔法を発動させる。上空で渦を巻いた炎は一気に魔族へと向かい、
「中々面白い魔法ですね」
魔族は言うと――影の刃を上空へと放った。それが渦を巻く炎と相対し――炎は、刃の応酬を受け、かき消えた。
「な――!?」
リミナは驚愕し、一瞬隙を見せた――それを逃さず魔族は彼女を攻撃範囲に入れ、刃を放つ。
「リミナ――!」
最悪な想像をして俺は叫んだ。直後リミナは槍をかざし、それを受ける。槍が破壊されることはなく、防ぎ切った――
そう思った瞬間、突如彼女の姿が消えた。
「え――!?」
目を見開きその姿を探そうとして……上だと気付き見上げたそこには、木々よりも高い位置に吹き飛ばされる彼女の姿があり――
麓の方角へ、彼女は消えた。
「おや、やり過ぎてしまいましたか」
魔族は淡々とした口調で述べる。
「ドラゴンの力をお持ちだったようなので、少しばかり力を入れたのですが……思ったよりも、対抗できなかったようで」
「……お前は」
俺口を開く。その段に至り、目の前にいる魔族の力をはっきり理解する。
今まで隠されていたが、多少の戦闘があり魔力が僅かながら露出していた。そこから感じられるのは……深淵とでも言うべき、果ての無い魔力。
感じられるレベルから考えれば、魔王軍の中でも幹部クラスか……?
「さて、残るはあなた一人となりましたね」
魔族は言いながらまた一歩近づく。俺は無意識の内に後退しつつ、近くにある麓へ続く道に目を向けた。
「逃げるのであれば、どうぞご自由に」
魔族が言う。追ってくる気はあるようだが、ここで俺を仕留めるという明確な気概は感じられない。
「……その力があれば、俺を殺すことも難しくないだろう? なぜ一気に襲ってこない?」
なんとなく尋ねると、魔族は微笑を見せた。
「私は、自分を滅す存在に注意を払っているだけですよ。先ほどまでなら油断していたので仕留められましたが、今はもうできそうにない」
語った魔族は俺――ではなく、俺の握る剣を注視する。
「その剣は、私を滅ぼす可能性のある武器……あなたが決死の特攻を行い、もし刃が届いたなら……そういう可能性がゼロではないでしょう?」
……石橋を叩いて渡っているということか。とはいえそんな確率、万突撃して一回成功すれば奇跡というレベルだろう。
影の刃――あれを潜り抜けて一撃当てるためには、俺一人じゃ駄目だ。いや、それ以前に当てて倒せる可能性があるのかどうか……傷を負わせる程度ならば、刃の群れが俺の体に突き刺さって終わるだけだ。
「どうしなさいますか?」
丁寧な口調で魔族は語る――俺は、そこで決断した。
足に魔力収束を行い、まずは麓へ続く道の前に立つ。そして、
「賢明ですね」
魔族が言った――直後、俺は踵を返し走り始めた。
瞬間、背後から途轍もない気配を感じる。プレッシャーを与えるつもりか……こちらはその気配を背中に受けながら、ひたすら坂を下り続けた。




