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婚活します  作者: 木野華咲
story8
19/21

嫌いではないから、困ります(後)

「問題解決へ向けてまず行わなければならないのは、できるだけ正しく、詳細に、多くの情報を得ることです。私が今日ここに呼ばれた理由は、ただ話を聞き、相槌をうつためではないと捉えているのですが、違いましたか?」


弘樹から由佳の方へとゆっくり視線を動かし、奈月は問う。話し方も、話す内容も、奈月の外見から由香が勝手にイメージした奈月と本物の奈月では、何もかもが違っていた。だからこそ由香は、心の準備が整っていなかったと言っていい・・・


「最後に・・・これは非常に大切なことなのですが、由佳さん自身は、現状の何処を、どのように、変えたいと考えておられますか?」


何かが変わるなんて、何かを変えたいと考えたことだって、一度も無い。由佳が今の夫との結婚生活に希望を抱いたことは、ただの一度も、無いはずだ。

けれど・・・

もし夫が由佳の作る食事に手をつけてくれたら、もし日々の生活に会話が加わったなら・・・ 奈月に訊かれて、ふいにそんなありえもしない想像が頭を過ぎったぐらいだから、全く期待が無かったわけでは、ないのかもしれない。


それに気づいた途端、由佳は胃に強烈な不快感を覚えた。血の気の引いた顔で、思わず口を覆う。


「おい由佳、真っ青だぞ? 大丈夫かよ?」


慌てた弘樹が声をかけてくるが、それに答えるどころではない。顔を顰めて首を小さく左右に振る。

そんな由佳の前に、コトリと、水の入ったグラスが置かれた。いつの間にか席を立っていた奈月が、持ってきたものだった。


「落ち着いて。水を飲んでから、深呼吸を」


奈月に言われるがまま、冷えた水を一口のみ、深呼吸を繰返す。そうしているうちに胃の不快感は、少しずつだが和らぎ、気分も落ち着いてきた。


「ごめんなさい、由佳さん。急かしてしまって・・・」


眉尻を下げて謝る奈月を、責める気にはなれない。


「大丈夫・・・です」

「続きは今度にするか?もう相談どころじゃねぇだろ」


弘樹の言葉に頷きたいのは山々だったが、唇を軽く噛んでから、由佳は奈月に向って口を開く。


「私が向き合っていれば、何か一つでも考えて、行動していれば・・・変わったの?」

「変わるかもしれません。けれど、何も変わらないかもしれません」


奈月は正直に答えた。


幸いなことに、由佳とその家族は現在、あまり連絡をとっていない状況にある。相談内容も、夫との関係についてが主で、家族にはほとんど触れていない。それはつまり、由佳の中でも、離れている家族より、共に暮らす夫との問題の方が、優先度が高いということだ。

話を聴いた限り、圧倒的に会話が足りない夫婦の間には、最初から関係がまるで成立しておらず、他人が介入する隙があるように奈月は感じた。他人同然にはなれても完全に他人にはなれない血縁者と違い、紙一枚で繋がる夫婦は、いつでも他人に戻ることが可能であり、子供がいないのであれば、それは尚更容易い。離婚経験者の友人がいて、同じ大学出身の、その手の相談に強い知人を持つ奈月なら、力になれるだろう。

ただ、

そこまで一気に進めてしまうのは、時期尚早な気もしたのだ。この夫婦には会話が足りない故、互いに誤解が生じている可能性があった。夫側の話を聴いたわけではないので、当然、逆の可能性もあるし、誤解が解けたからといって、ハッピーエンドで終われないケースも多々ある。それを踏まえた上で、本人の意思がどこにあるのか、確認しておきたかった。最終手段を考えるのは、それからでも遅くはない。

弘樹も言っていたではないか。知っていれば分かることも、知らければ分からない、と。


奈月は意識して柔和な顔をつくり、微笑む。


「私は医師でも学者でも法律家でもありませんから、根拠のあることは何一つ言えませんが、由佳さんが今より少しだけでも、楽に生きることができれば良いと思います。その為に必要ならば、私の力と知識が及ぶ範囲内で、お手伝いをする心積もりもあります。直接でも橘さん経由でも構わないので、そのときは声をかけてください」


バッグから名刺入れを取り出し、中の名刺の裏にケイタイ番号を書くと、奈月はそれを由佳に渡した。由佳は受け取った名刺を、ジッと見つめる。


大丈夫だよ、何とかなるって

何でも相談して、力になるから


高校を留年する前、由佳の元友人達は、平気な顔でそんな優しい嘘を吐いた。荒れていた由佳を本気で心配し怒ってくれた、弘樹が示した道でさえ、嘘だった。だから由佳は信じない。優しい嘘も、希望溢れる未来への道も。

そんな由佳を見透かしたように奈月の言葉は優しくなく、具体的でもなければ、希望に溢れてもいない。そしておそらく、嘘もないから、しっかり蓋を閉じ、鍵まで閉めた内側に入り込む。

あの尋問のような質問の嵐も、意味を知ってしまった後なら、さっきまでとは違う見方ができた。由佳は今日まで自分が視野が狭い人間だと思ったことはないが、実際はそれを奈月に、教えられるはめになったのだ。


どうしてこう、上手くいかないのだろう?

けれど今回だけは、上手くいかない方が良かったのかもしれない。


「奈月さんって・・・何歳なんですか?」

「27になりました」


由佳は声を上げて笑った。笑うしかなかったから。



「奈月さん、これ」


弘樹と奈月に見守られながら、由佳は自分のバックから紅色の小箱を取り出し、テーブルの上に置いた。


「私が買取ったの。と言っても、ランチを奢っただけなんだけどね。奈月さんがこの間一緒にいたイケメンさんが、それでいいって言うから」

「・・・はっ?」


低い声で眉を顰めた弘樹には目も向けず、由佳は、若干瞳を大きくした程度の反応しか見せない奈月に、苦笑する。


「ちょっと奈月さんに意地悪しようかと思って。だけど、もういい。奈月さんの好きなように処分して」

「いいんですか?」


そこでやっと眉を寄せた奈月には、由佳の言いたいことが、したかったことが、伝わっているのだろう。分かっていないのは・・・


「うん。どうせ奈月さん、つまらない反応しかしてくれないし」


お前な、と今にも声を荒げそうな弘樹の気配を察し、由佳は素早い動きで、軽くなったバッグを手に立ち上がった。


「さぁ、もうこんな時間だ。帰らなきゃ。兄さん、おくってくれるよね? 兄さんの軽トラ2人乗りだけど」


にっこり笑う由佳に、弘樹はムッとした顔をする。しかし、


「おくってあげてください。私は近いので、一人で帰れます」


由佳を援護するように奈月までがそう言うから、物凄く渋々ではあったが立ち上がることにした。とはいえ弘樹は、テーブルの上に置いたままになっている小箱が、気になって仕方が無いのだ。中身はおそらく・・・いや間違いなく指輪で、それも重要な意味のある代物である。知りたいのは奈月がそれを、どうする気なのか、だ。


「そうだ、由佳をおくってから戻ってくっから、奈月はそれまで」

「いえ、結構です」


せっかくの名案も奈月に一刀両断されて、弘樹は力なく項垂れた。そんな弘樹の腕を掴み、由佳が早く早くと急かす。


「奈月さん、またね」

「はい、また」


立ち上がった奈月には笑顔で手を振られ、由佳にはぐいぐい引っ張られ、鉛のような足を引きずりながら弘樹は3人分の会計を済ますと、由佳と一緒に店を出た。



残った奈月は軽く溜息を吐き、再び席につく。

テーブルの上の小箱に手を伸ばし、ベルベットの感触を指で確かめながら蓋を開いて、もう一度溜息を吐いた。


「嫌いではないから・・・困るんだよね」


カップの中には、まだ半分以上のコーヒーが残っている。

けれどそれを飲み干す気にもならなければ、食欲もすっかり失せてしまっている。蓋を閉じた小箱をバッグにしまって、そのまま席を立とうとした時、初めて伝票がないことに気がついた。


「・・・ホント、困るよ」


出来る出来ないは別にして、ポーカーフェイスが得意なんて人、いるのだろうか?



end


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