恋のライバル出現ですか?(中)
この後、駅で待ち合わせをしている彼が、何故ここにいるのか?
その答えは結局、本人に直接訊くことでしか、得られないのだろう。
向かいの席には、落ち着きのない仕草を見せる、元彼であり、最近まで関係のあった男、啓太が座っている。けれど奈月の意識はどうしても、啓太の後ろの、一回り大きな背中と金髪の持ち主の方へ向く。
目立つ人。
噛み殺したつもりが笑い声が漏れて、啓太が怪訝な顔を奈月に向けきた。これは少し、いや、かなり厄介な状況だ。
大事な話があるから、直接会いたい
そう、啓太からメールが来たのは、前回奈月が弘樹の家を訪問した、その夜のことだった。
勿論、一度ならず二度三度と断ったし、着信拒否や受信拒否も考えた。けれど、メールと留守電に残された啓太の必死なメッセージや、定食屋での、何故結婚も考えられない男と付き合っていたのか、という弘樹の質問が何故か頭に引っ掛かり、そこまでは出来なかった。
今日啓太と会うことにしたのは、なにも偶然予定が重なったわけではない。何故なら日時と場所を指定したのは、奈月なのだから。
電話では話せないと強情に言い張る啓太が何を考えているか分からない以上、奈月は奈月で、何らかの手を打っておく必要があった。だから言い方は悪いが、弘樹を保険にした。
それにしても、
啓太と弘樹が背中合わせで席についている現状は、全く想定外であるし、不可解だ。啓太は奈月しか目に入っていない様子だが、おそらく弘樹は、こちらに気づいているのだろう。大きな背中から、ビシバシと緊張が伝わってくる。
「それで、話って?」
「そう急かすなよ・・・」
「啓太くん、さっきも言ったけど、本当に時間ないんだよね。先に話を済ませてくれないかな?」
恋愛にも、彼氏という存在にも、興味がある年頃だった。
友達がカッコイイと騒ぐアイドル顔の啓太に声をかけられて、少しだけ浮かれていた自分もいる。
けれど、実際に付き合いを始めてみれば、不安と不満の毎日で・・・。
一緒に外を歩くと 釣り合わない、という目を他人から向けられる。数日おきに耳にはいる、啓太と他の女との不快な噂。楽しい時間がなかったとは言わないが、それも最後には黒く塗りつぶされてしまった。
未練があったわけではないと、思いたい。啓太と別れてから、容姿を磨くことに必要以上にお金をかけたのは、あくまで、苦い記憶を消すため、同じ失敗を繰返さないため。それでも、再会した啓太に容姿を褒めちぎられたとき、複雑な心情の中で、喜びも感じていた。
再開後の啓太との関係は、楽だった の一言に尽きる。良いところも、悪いところも知った後だから、深入りさえしなければ、見たくないものには先に目を瞑り、やり過ごすことは容易い。
二度とあんな思いをしなくてもいいように。
だからこそ、結婚相手は・・・恋人ですら、啓太では駄目だった。
「分かったよ」
渋々頷く啓太を見ながら、そうなんだ・・・と、奈月も心の内で頷く。
「あれから考えたんだけど、奈月、俺はやっぱり奈月のことが、」
啓太の目に熱が点ったその瞬間、向こうの席から、ドスッと鈍い音がした。
立ち上がった大きな背中が回転し、険しい顔が奈月のいるテーブルの方を向いた。長身を生かした広い歩幅で、数秒とかからず奈月の隣まで移動して来た弘樹に、啓太がポカンと口を開く。
「奈月、行くぞ」
いつもより数倍低い声だが、初めて名前を呼び捨てにされた。あんた、以外で呼ばれたのも久しぶりだ。座ったまま弘樹を見上げた奈月は、勝気な瞳でにっこり微笑む。
「約束の時間まで、まだ20分以上ありますよ?」
「それまで黙って待ってろって?」
「無理ですか?それならそれで構わないですけど。大体用件は分かりましたから」
「無理だ」
「分かりました」
バッグを手に取り奈月が腰を浮かすと、
「奈月」
「兄さん」
同時に二つの声が、かかった。
一つは慌てた啓太が奈月に対して向けたもの。そしてもう一つは、
「わりぃ、由佳。話は今度聞くから、今は勘弁してくれ」
弘樹に向けられたもの。
「兄さん・・・」
「行くぞっ」
急に腕をとられてふらついたが、何とか体勢を立て直し、奈月は弘樹の後に続く。店を出る直前、もう一度振り返り、立ち尽くす二人の男女の姿を視界におさめた。
「よかったんですか?橘さん」
店を出た後も、弘樹は奈月の腕を引き、様々な店が軒を並べる通りを歩き続ける。 歩幅の違いなど完全に無視だ。それだけ感情的になっている証拠なのかもしれないが、非常に歩きにくい上に、そろそろ息も上がってきた。
「何が?」
帰ってきた返事は短く、不機嫌そのものだ。これだから厄介なのだと、奈月は内心、大きな溜息を吐く。
「彼女、置いてきてよかったんですか? 大事な話があったのでは?」
行くあてなくも進んでいた弘樹は、奈月の質問を受けて、ようやく足を止めた。言われるまでもなく、由佳を店に残してきたことは気になっていたが、あの時は、それどころじゃなかったのだから仕方がない。
「あんたは・・・よかったのかよ」
強引に連れてきた手前、奈月と目を合わせられずに、弘樹は俯いてボソリ呟く。
「私は構わないと、言ったはずですが?」
開き直っているのか、後ろめたいことがないから、これだけ気丈な態度をとれるのか、どのみち、まだまだ付き合いの浅い弘樹には判断の下しようがなかった。下から注がれる強い視線にさえ、どんな顔を向ければいいのか悩むぐらいなのだから。
「訊いても・・・いいか?」
「どうぞ?」
「あいつは誰だよ」
「元彼です」
予測はついていたが、あっさり返ってきた答えは、無性に弘樹をイラつかせた。
「何で元彼が・・・つか今日は、俺との約束じゃねぇのかよっ!」
顔を上げた弘樹が急に声を荒げたせいで、横を通り抜けようとしていた通行人がビクリと身体を震わせた。車道と街路樹で仕切られた歩行者専用通路は2Mほどの幅があるから、こうして立ち止まっていても、辛うじて通行の妨げにはならないが、いざこざの気配に、否応なく周囲の視線は集まる。
「橘さん、場所を変えませんか?」
「話を逸らすな!」
「逸らしてません。私の部屋に場所を移しませんか?」
「なつきっ!」
しばらく続いた睨み合いは、先に弘樹が目を伏せたことで決着がついた。とうとう視線だけではなく足をとめる見物人まで現れ、弘樹も周りを気にしないわけにはいかなくなったからだ。
「行きましょう」
淡々とそう言い放ち、歩き出した奈月の後を、弘樹は歯がゆさを噛み締めつつ追う。それと同時に、二人の姿をハラハラしながら見守っていた者や、野次馬根性丸出しの見物客も、各々の行く先へと散って行き、通りは平穏な日常の風景を取戻した。




