お宅訪問です(4)
「そんなに楽しいですか?」
古めかしい木の丸椅子に腰掛けて、足をぶらぶらと投げ出し、奈月は尋ねる。
「あぁ、楽しいな」
行儀の悪い姿勢に気づきもせず、目の前の赤いバイクだけに集中して答える弘樹の丸まった背中が、少しだけ憎たらしい。
「ここ寒いですね」
「まぁ、納屋だからな。家に戻っとけよ」
「橘さんは戻らないんですか?」
「俺はもうちょっと・・・」
最後まで言い終わらぬうちに立ち上がり、近くの、やはり古い木の棚からスプレー缶を手に取った弘樹を見て、奈月は溜息を吐いた。
質問に丁寧に答えてくれた弘樹の母親に礼をいい、二人で居間に戻ると、弘樹が今にも寝てしまいそうな顔で大の字に転がっていた。そんな弘樹の頭を叩き、奈月さんにご自慢のバイクでも見せてきたら?と起こしたのは、母親だ。夕飯はお寿司をとるから食べていってねと、満面の笑顔の母親に見送られて、二人で外に出た。
納屋に向う前には、約束した車の荷台に乗せてもらい、そこからの景色を堪能し、その時点で奈月は満足だった。けれど、納屋にはいり、奥にひっそり並ぶ3台の大型バイクの姿を認めた途端に、弘樹が大股で歩きだし、ほこりでも見つけたのか、棚においてあるプラスチック製の籠から古布を取り出してから、かれこれ30分以上経過している。
コンクリートの床でがらんとした薄暗い納屋には、出入口に扉がなく、外からの冷気がはいりこむ。ここに歩いてくるまでの間、トラクターや、謎の機械、洗い場に、冷蔵庫のような重厚な扉も見つけて、視覚的にも冷える。枯れ草の匂いをかき消す機械油の臭いに、奈月は眉を顰めた。
「橘さんの子供も、きっとバイク好きになるんでしょうね。親子で時間も忘れてバイクを磨いていたりして」
半分嫌味をこめて奈月が言うと、
「ガキは好きだから、多い方がいいな。んで、一人でもバイクに興味もったら、俺が教えてやるし、他のもんに興味があるなら、好きなだけやらしてやりてぇ。だけどそしたら、今よりもっと稼がなきゃなんねぇだろーから大変だなぁ」
弘樹はバイクから目を離さないまま、のんびりとした口調で返してくる。
「・・・そうですね」
これっぽちも大変だと思っているようには聴こえない上に、背中に語られるのだから面白いはずがない。
「あんたは、何かあんの?趣味とか、好きなもんとか」
なので弘樹の質問にも、奈月は憮然と答えた。
「映画を見るのは好きです」
「あぁ、いいな。俺はアクションものぐらいしか見ねぇけど」
「いかにも、ですね」
それすら気に留めることなく、だろ? と笑う大きな背中。まるで興味が無いように見えたのに、
「オススメの映画があったら、教えてくれよ。つか、今度一緒に映画見にいくか」
「いいですよ。私はアクションはあまり見ませんけど、それでもよければ」
「あんたの好きなジャンルでいいよ。あんたがどんなもんが好きなのか、知っときたいし」
思いがけぬことを言われ、奈月は目を見開く。
「知って、どうするんですか?もしかしたら、明日にも関わりがなくなるかもしれない人間のことを」
「変なこと訊くな?俺を知ってから結婚を考えたいって言い出したのは、あんたの方だろ」
「そうですけど、そうなんですけど・・・」
「世の中に知ってて損なことはねぇよ。知ってりゃ分かることも、知らなきゃ分かんねぇだろーが」
確かにその通りだ。
けれど、仕事でもプライベートでも聞き役のポジションに立つことが多いせいか、ストレートに知りたいなどと言われてしまうと、どう反応していいのか分からなかったのだ。
「なんてな、俺も興味ないことは知ろうともしねぇし、偉そうなことは言えねぇーな」
よっと立ち上がった弘樹が振り向き、奈月を見下ろす。鋭い目つきは変えようがないが、黒い瞳の中に柔和な光を見つけて、奈月の視線がそこに集中した。
「んだよっ。あんまっジッと見んな」
目を背けた弘樹の顔が、ほのかに赤く染まる。
「橘さんって・・・」
「んだよっ」
「見た目でだいぶ損してますよね」
「・・・悪かったな」
弘樹がガックリ肩をおとし、奈月は噴出す。
「戻るぞ」
「はいっ」
膨れっ面で歩き出した弘樹の後に、奈月は笑いながら続いた。
end




