お宅訪問です(2)
顔のほてりが治まってから入ったファミレスでは結局、ドリンクバーの分しか奢らせて貰えなかった。それが弘樹は非常に不服だが、奈月からすれば感謝からくる十分な譲歩だった。弘樹との関係を考えるなら、少なくと今はまだ、対等でありたいと奈月は思っている。その中には勿論、金銭の話も含まれる。
「・・・すごいですね」
当初の予定通り時間を潰した後、弘樹の家へ向う道中。ハンドルを握りながら不貞腐れ気味の弘樹の隣で、窓の外を見ていた奈月がぽつりと口を開く。
「何が?」
「たった3駅しか離れていないのに、風景が全然違う」
「あぁ・・・」
比較的賑わっている駅の周辺を抜ければ、目の前には広大な田畑。遠くには大型のビニールハウスがいくつも並び、今走っている車道から1M弱下もまた、両側が田んぼだ。この時期、米の収穫を終えた田んぼは、来春のために藁などをばら撒き土作りにかかっているところが多いので、青々とした風景というよりも、冬の寒空に似合う枯れた景色が広がる。申し訳程度の街路樹と、箱型の建物ばかりが目立つ奈月の住むと場所とは、まるで異なる景色だ。
「3駅つったって結構距離あるし、向こうと違って特急も快速も素通りだからな。こんなもんだろ」
生まれ育った場所だから愛着はあるが、生まれ育った場所だから奈月のような新鮮な感動もない弘樹は、あっさりしたものである。しかし、純粋な感想は、弘樹の内側をほんのり温める。
「ここ曲がったらすぐだから」
不貞腐れ顔を一転して機嫌の良いものへと変えた弘樹はそう言うと、ハンドルを右にきった。
車一台通るのがやっとな幅の小道を東に進むと、道の両側に古い住宅が何軒も連なる場所へ出た。さらにその奥へと車は進み、いつの間にかコンクリートの道が砂利道へと変わる。そうして道の終着地点に辿りついた奈月が見たものは、1ヘクタールほどの畑と、左右に長い平屋建ての家。その家とさして変わらない大きさの、納屋だった。
「古くて驚いたか?」
車を停めた弘樹に問われ、奈月は いえ、と首を小さく左右に振る。
「立派なお宅ですね」
「そうかぁ?パーティーん時も話したけど、広いだけのボロ家だからな。本気でそろそろ手、入れねーと・・・」
肩を竦めた弘樹が、軽く溜息を吐く。
外観には時代の趣があるものの、築60年を超えた木造の家は、過ぎた年月の分だけ劣化も進んでいる。建替えるまではいかないにしても、リフォームぐらいは、という考えは、以前から弘樹の頭にあった。つい面倒で先延ばしにしてきたが、そろそろ本格的に実行に移さなくてはならないだろう。
「行くか」
運転席のドアを開けながら促す弘樹に はい、と奈月が頷く。50メートル程の砂利道を二人で並んで歩き、弘樹が玄関の扉を開くと
「お袋、ただい・・・ま・・・」
そこにはもう、外行きの服を身につけた、準備万端の弘樹の母親がいた。
「お帰りなさい、弘樹。いらっしゃい、奈月さん」
「こんにちは、初めまして。すみません、お忙しいところおしかけてしまって・・・」
「そんなの全然構わないのよ。さぁさぁ、上がって」
これを、お好きだと聞いたので宜しければ召し上がってくださいと、事前に弘樹からリサーチし、ずっと手にしていた紙袋から菓子の箱を取り出す奈月に まぁまぁ、ご丁寧にどうもと、母親が上機嫌で返す。それから、母親に再度家に上がるよう促され、
「ありがとうございます。お邪魔します」
靴を脱いで、それを綺麗な動きで玄関の端に揃える。母親が用意したスリッパに足を通し歩き出すのは、母親と弘樹の後から。そんな一連の動作を垣間見ると、奈月がきちんと年齢を重ねた女性なのだと実感できる。ぎこちなさがなく、下手をすれば見逃してしまうほどの自然な行為は、経験を重ねているからこそだ。
「奈月さん、飲み物は日本茶と紅茶とコーヒーのどれがいい?」
「どうぞお気遣いなく。ですが、日本茶が好きです」
居間に通されてからの質問に、にこりと奈月が答え、母親は嬉しそうに顔を崩した。
「日本茶なら直ぐに用意できるから助かるわ。どうぞ好きな場所に座っててね」
「はい。ありがとうございます」
奈月からの土産を手に、台所へ軽やかな足取りで歩いてく母親の背中を見て、弘樹は苦笑する。
「悪いな。お袋、奈月が来るって知った途端に張り切りだして、よくわかんねぇーけど、喜んでるみたいだ」
「いえ、嫌な顔をされるよりは、いいですから」
「そりゃまっ、そうか。座れよ」
「では遠慮なく」
昔から居間として使っている16畳の和室は、家族が減った現在は広すぎて、中央に置いているテーブルのサイズ大きくしたり、テレビの大きいのを置くことで、何とか隙間を埋めている状態だ。だから別に、近づいて座る必要もなかったのだが、奈月が座った座布団の隣に弘樹も腰掛ける。
「このおうちに二人だけというのは、確かに寂しいでしょうね」
事前に弘樹の家族構成なども聞いていた奈月は、ざっと部屋を見渡し、眉尻を下げた。
「だろ?昔は爺さんと婆さんも一緒に住んでたし、親父と弟もいたから、んな広くは感じなかったんだけだけどなぁ・・・」
「弟さんが結婚して戻っていらっしゃる予定はないんですか?」
「さぁーわかんねぇけど、たぶんねぇな。結婚自体考えてねぇのもあるけど、あっちで仕事してんだから結婚してもあっちで暮らすだろ」
「そうですか」
頷く奈月の表情に大きな変化はない。横目でそれを確認した弘樹は、一度呼吸を整え口を開く。
「なぁ、」
「はい」
「あんたは、結婚相手の親との同居は、大丈夫か?」
本来ならば、目的達成のために一番確認しておかなければならなかった事だが、何となく躊躇ってきた質問だ。条件にもなかったし、奈月なら大丈夫だろうと思いながら、けれどもし、という可能性が脳裏をかすめ、タイミングを見計らっていた。
「大丈夫か、大丈夫ではないのか、それは現時点では分かりかねます。同居にも別居にもそれぞれ、メリットもデメリットもあるでしょうから、両方を経験してみなければ、比べることすら難しいのではないかと思います。ただ、相手方のご両親と同居するか否かは、私の結婚相手に求める条件にはない、ということだけは、言えますね」
貰えた答えはけして満足と言えるようなものではなかったが、それでも弘樹の心は浮き立つ。
「そうか・・・」
気を抜けば緩みそうになる口元を、片手で覆い隠した。
その後すぐに母親がお茶をいれて戻ってくると、居間は女2人のトークの場になった。話題は主に弘樹の過去の失敗談。面白おかしく、時には誇張してそれを話す母親を、弘樹は恨めしげに見るが、奈月がケタケタ笑って続きを促すものだから、母親の勢いはとまる気配がない。母親が湯呑のお茶を三度注ぎ足した頃には小一時間ほど経過していて、弘樹は疲労から赤い顔をテーブルに突っ伏した。
「そうだ奈月さん、アルバム見る?」
「いいんですか?」
「もちろんよ。私の部屋にあるから、一緒に行きましょう」
「はい、ぜひ」
「あー、弘樹はうるさいから来なくていいわよ」
「どんな写真見せる気だよ」
「さぁさぁ奈月さん、行きましょう」
「はい」
奈月を連れ立ち居間を出ていった母親に、正直、嫌な予感しかしない。けれど、弘樹にはもう止める気力もなく、というか止めたってどうせ聞かないのだからと、畳に大の字に転がる。弘樹は昔から、母親には敵わないのだ。




