婚活します(前)
―――― あと、5人
縦一列、横に三列並べられた長テーブルを挟み、複数の男女が向かい合う。テーブルの上に置かれたA5サイズの紙には、それぞれのプロフィール。前方でマイクを持ち司会進行を勤める男の声が、ビルの一室であるパーティー会場に煩く響いた。
お時間です。隣の席へ移動をお願いします。
――――これであと、4人
プロフィールカードを手に移動するのは、男たちだけだ。それは最初に司会の男から説明があったので、不満はない。不満なのは、一人の女と話せる時間がたった5分だということ。たった5分で、次のフリータイムのために道慣らしをしなくてはならないということ。大きなため息を吐き出し、橘弘樹がテーブルを指で数回鳴らすと、向かいに座るおとなしそうな女が、びくっと身体を震わせた。
「あー・・・すみませんねぇ。うるさかったっすか?」
「い・・・いえ」
女を怖がらせているのは、キンキラ輝く髪か、それとも181cm、85キロの巨体か、つりあがった目なのか、足を組みだらしなく座っているせいなのか、その全てなのかもしれないが、弘樹にはどうでもいいことだ。この会場に来るまでは、少なくとも司会の男がパーティーの始まりを告げるまでは、どうでもいいなんて、そんな贅沢を言える立場ではなかった。いや実際、今現在もそうなのだが、他を見る余裕が全くと言っていいほどなくなってしまった。
「あのー・・・」
「はい?」
「いえ・・・」
おかげで口調もつい、ぞんざいになる。とうとう俯いてしまった女のプロフィールカードにちらりと目をやった弘樹は、再度溜息を吐き、天を仰いだ。
最終学歴は高卒。職業:自営(農業)、二人兄弟の長男、32歳、母親と2人暮らし、当然同居希望。
これっぽっちも恥てはいないが、結婚の条件としては、嫌がられはしても喜ばれはしないだろうことは分かっていた。しかし、女のプロフィールカードに踊る、別居、年収500万以上、なんて現実を見てしまうと、頭の芯がずきずき痛む。
容姿なんかどうだっていい。こちらの条件を呑んでくれるのなら、都合のつく限り相手の条件は呑んでやる。だから、家のことをやってくれる女、母親と同居してくれる女、母親に可愛い孫の顔を拝ませてくれる、優しい女。
仏壇の前に背中を丸めて座る、母親の姿が浮かんだ。
昨年父親が他界したあと、それまで元気に家を仕切っていた弘樹の母親は、嘘のように気力を失ってしまった。家事はなんとかこなしてくれているものの、それ以外の時間は仏壇の前に張り付いて動かない。口数が減り、笑うこともなく、まるで別人のような母親を、弘樹はなんとか元気づけてやりたいと思っていた。
だから、時間に都合をつけて温泉に連れて行き、都心で働く弟に声をかけて食事に行き、あれこれと手を尽くしてきたわけだが・・・、その度に、ごめんねと、申しわけなさそうに笑みを浮かべる母親は痛々しく、逆に悪いことをしているような気分になった。
そんなときだ。弟が電話口でぽつりと零したのは・・・。
孫でもいれば、賑やかになって母さんもちっとは元気になるんだろうけどなぁ・・・
その時は、まぁ、なぁー、なんて苦笑しながら返したが、よくよく考えてみれば、その通りだ。まだ父親が健在のころ、近所のおばさんが孫娘を連れて散歩をしているのを見る度、父親と母親が、はやく自分たちにも孫の顔を見せろなどと、冗談交じりに話していたのを思い出した。
結婚なんていつか時が来ればするものだと思っていたが、弘樹もそろそろ32歳。結婚して子供の一人もいてもおかしくない歳だ。それならば、と重い腰を上げ周りを見渡してみて、愕然とした。周りにいたのは、すでに人の物になっている女。もしくは、都心に出たキャリア組で農家の嫁になんておさまりそうにない女ばかり。つまりは結婚したくとも、相手がいなかったのだ。
見合いを勧めてくれそうな知り合いもおらず、勿論、交際している女もいない状態。ふと目にしたテレビのバラエティー番組で、血眼になりながら結婚相手を探す男たちを見て、冗談だろ、と思わず呟いていた。
馬鹿か、お前は。農家の嫁事情ぐらい把握しとけ。
そう呆れながら言ったのは、弘樹の古くからの友人で、高校を卒業してすぐに今の嫁と結婚、すでに二人の子持ちである川口という男だ。弘樹と同じ年齢ながら、5歳は上に見える川口は、焼酎の瓶を片手に何度も、お前は馬鹿だと繰返した。あまりにしつこいからその時は流石に殴ってやろうかと思ったが、家から3駅離れたこの町での見合いパーティーに、参加してみろと電話をくれたのも川口なのだから、参加費5千円は痛手だったけれども、嫁が見つかった暁には酒ぐらい奢ってやろうかと思っている。
――――あと3人・・・いや、2人か・・・・
事情が事情だけに、本当はもっとがっつかなくてはならないのだ。選り好みしてる場合ではない。だから普段はぼさぼさの頭をワックスでがっつり後ろに流して、2着しかないスーツの冠婚用の方を身につけてきたのではないか。何度も自分に言い聞かせるが、弘樹の視線はずっと一人の女を追っている。開始時刻に5分遅刻してきた上、会場の男たちの視線を釘付けにした女。この場にいる誰よりも華やかで、明らかに交際相手にも結婚相手にも困ることはなさそうな女。
サクラか、やらせか、おそらく会場の男たちが皆、心のどこかで思っているに違いない。弘樹も例外ではなく、一応、警戒はしている。だがどうしても期待を捨てきれない。もし、サクラでもやらせでもなかったら・・・
――――あと、ひとり
赤いカーディガンが映える肌は白くて、滑らかだ。くっきりとした二重。意思の強そうな瞳。小ぶりな鼻に、ぷるんとしたさくらんぼ色の唇。胸元でくるりと巻かれた栗色の髪が、窓からの光できらきら輝く。
ショート丈のひらひらとした白いスカートからは、細い足が伸びていた。全体的な線が細く胸は些か残念な感じだが、尻と太ももは結構よかったと、女が会場に入ってきたときの立ち姿を瞼に浮かべる。服装や肌の艶から見て、まだ若いのだろう。そう思っていたのだが、
お時間です。
座っていたテーブルとパイプ椅子が、ガシャンと派手な音を立てたが、それを気にする時間さえ今は惜しい。まだ話し足りない様子の隣の男を押しのけ、弘樹は席に着く。
白石奈月、27歳、職業:福祉関係
さらっと見たプロフィールで、意外と年齢差がないことに驚きも喜びながら顔を上げると、向かいで奈月が、面白がるような、挑発するような目で弘樹を見ていた。
「はじめまして、橘です」
自分のプロフィールカードをテーブルに置き、若干身を乗り出すような格好で、弘樹は話しかける。
「はじめまして、白石です。」
それに返ってきた声は高すぎず低すぎない耳に優しいもので、膝の上で拳を作る掌に、じわりと汗が滲んだ。
「あの、自分の家は農家で、一応持ち家ですが恥ずかしながらあんまり綺麗とはいえない代物で、あーでも農家の家だから広いのは広いんすけど、古いので嫁さんもらうまえにはちっとは手入れした方がいいかと思ってます。それから・・・あっ、お袋も一緒に住んでるんですがね、お袋は自分のことは自分でできるんで、あんまり苦労かけることはないと思うし、仲良くやってほしいというか、だけど別に無理してとかそういうんではないんで、そんなに気にしてもらわなくてもよくて・・・んぁーと、その・・・くそっ」
もはや自分でも、何を言っているのか意味不明である。順番待ちの間に考えていた会話の内容は全部吹っ飛び、気持ちばかりが先行する。そのあまりのヘタレ具合に唇を噛みしめると、向かいの席からは、クスクスと小さな笑い声。
「橘さん、とりあえず落ち着きましょう? ]
「いや、あんま・・・時間がないんで・・・」
「それはそうですけど、とりあえずこちらに目を通していただけますか?一番下のフリースペースだけでいいですから」
まさに白魚のような手が、桜貝のような色の爪が、スッと紙を弘樹の前に差出した。




