38 Dance With Fairy
眠っているエインセールを両手に乗せて、俺は神聖都市ルヴェールの広場の中心にある噴水の脇のベンチに腰掛けてた。そこで、エインセールが起きるのを待つ。
耳に入ってくるのは、後ろで噴き出し流れ落ちる噴水の音。行き交う馬車は人のざわめき。そして、エインセールの寝息。エインセールは疲れが溜まっていたのか、深く呼吸を繰り返し、気持ちよさそうに寝ている。寝顔を眺めると、エインセールは羽が生えていて体が小さいだけの人間に見える。子供が遊ぶような人形に羽を付けたようだ。
「不思議な妖精がいたものだな……」と俺は思い起こす。竃の近くで見かける火の妖精は、いつまでも消えない火の粉のようにずっと空中を漂っている。俺が料理をしようと、水瓶に溜めてある水を鍋で掬うと、自分にかけられるのかと思って、竃の隅にに隠れてしまうほど臆病だ。火の妖精に薪の欠片をあげると、美味しそうにその薪を燃やし、満腹になると窓から夏の蛍のように何処かへ飛んでいってしまう。火の妖精はそんな奴だった。火の妖精は、人の姿をしてはいなかった。
夕陽が山の背に隠れはじめる。神聖都市ルヴェールの広場を行き交う人の足も心なしか速くなり、みんな家へとその足を急がせている。広場で野菜を広げていた人達も、広げていた絨毯を丸めて店じまいをする。店じまいする寸前のお店で買ったトマトは、夕陽のように真っ赤で、水水しく、酸味の中に甘味が混じっている一品だった。エインセールが寝ているから独りで全部食べてしまったが、それをエインセールが知ったら、エインセールが膨れてしまうんじゃないかと、その姿を想像したら、少し可笑しくなった。穏やかな彼女の寝顔からは想像できない。いや、しょっちゅう頬を膨らまして怒ってはいるけれど……。
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すっかりと陽は沈んだ。広場は暗くなった。家から洩れる明かり。そして一際大きな明かりが城の窓から漏れている。そして城から聞こえて来る音楽が広場まで響き渡る。舞踏会は音楽で盛り上がっているようだ。音楽が鳴り終わったあと、大きな拍手まで聞こえて来る。
「う〜、うぅ〜ん」と、エインセールが目を覚ました。まだ寝たり無さそうに目を擦っている。
「おはよう。エインセール」と俺は両手の上で寝ぼけているエインセールを左手に移し、右手で彼女の頭を撫でて、寝癖を直す。
「あわわわわ! 私寝てしまっていたようです! 雪の女王の所へ行くはずだったのですよね!?」と、エインセールは慌てている。
「雪の女王は、雪原ルイヒネージュにいるらしいよ。エインセール、案内頼める?」と俺は言う。
「もちろんです! でも……。アリスさんも一緒に行くはずだったのでは?」とエインセールは首を傾げる。
「彼女は、急な用事で行けなくなってしまったんだ。2人で行こう!」と俺は言う。アリスさんに、無理矢理眠らされていたということはエインセールに言わない方がよいだろうと俺は思った。
「そうですか……。私としてはその方が気楽で良いですが……」とエインセールはどこかほっとしたように言う。やはり、エインセールは、アリスさんのことを気にしていたのだろう。教会の町アルトグランツェで最初に対面したときから2人は犬猿の仲の様だった。まぁ、エインセールが一方的に嫌われているというような感じではあったけれど……。
「エインセール。見てご覧」と俺は、中の光が窓から洩れ、うっすらとルヴェールの夜空に浮かんでいる城を指差した。
「うわぁぁ。綺麗ですね。まるで星空の中に浮かんでいるようです」とエインセールは言う。
「それに……。綺麗な音楽ですね」と、エインセールは、両手を両耳に当てて、城から漏れ聞こえる音楽に耳を澄ませいる。左手に乗って、流れてくる音楽に耳を澄ませているエインセールの表情は、城の中で優雅に催されている舞踏会に想いをはせているようだった。
『舞踏会ですか! 素敵です! 私も一度でいいから踊ったりしてみたいです』というエインセールの言葉を俺は思い出した。
俺は、立ち上がり、襟を正す。そして、首を傾げているエインセールに向かって俺は言った。親父から習った通りに……。
「お嬢さん、僕と一曲踊っていただけないでしょうか?」
目を見開いて踊ろうエインセール。そして、満開の薔薇のような笑みを浮かべて、そして目には涙を溜めてエインセールは言う。
「ええ。喜んで……」
俺とエインセールは、ルヴェール城から洩れる光と音楽を頼りに、噴水の周りで踊る。噴水の水面も、ルヴェール城の輝きを映し出していた。
「ふふっ。デジレさん、覚束ないステップですが、私の足を踏まないでくださいね?」とエインセールは、俺の一差し指を両手で抱えながら、空中をステップしている。
「エインセールこそ、転ぶなよ?」と俺は笑って言い返す。
城からの音楽が止んだが、俺達のダンスは終わらない。
ルヴェール城のテラスが騒がしくなる。どうやら、城内にいた人達がテラスへと出てきているようだった。
「アレアレアレ? いつの間にか、観客が増えているようですよ?」とエインセールは、城のテラスに集まった人達を一瞥して微笑む。
「エインセールのダンスに見惚れているんじゃないかな?」と、俺は、親父から教えてもらった社交会での定型句を言う。ダンスの仕方や作法を親父から教えてもらってはいたが、使う機会なんて無いと高をくくっていた。いつか必要になるかも知れないと親父が言っていたから学んだけれど、実際に言うには、とても恥ずかしい。『俺は、舞踏会で踊る母さんに一目惚れをしたんだ。自分が舞踏会の警備中だということを忘れ、一念発起してダンスを申し込んだ』と、親父が俺の母親との出会いを話してくれたことを思い出す。
ヒュルルルル。ドーン。ドーン。
神聖都市ルヴェールの夜空に花火が挙がった。薔薇を象った花火だった。薔薇の花火が夜空一面に咲き乱れる。その花火はすぐに散ってしまうが、次から次へと薔薇が打ち上げられる、星空の下ではずっと満開の薔薇が咲き続けている。永遠に枯れることのない薔薇の花束のようだった。
俺が、夜空に咲き誇る薔薇の花に見とれていると、
「ダンスの最中によそ見をするのは、マナー違反ですよ?」と、俺の顔の前まで飛んできたエインセールが言った。そして、その小さな唇が、俺の唇と重なった。
キス……というものが俺は初めてだった。エインセールの小さな唇でもその柔らかさは充分に伝わり、今まで味わったことの無いような感触が、俺の唇から頭、背中、そして足の爪先まで電流が走ったように流れる。
「ダンスの最中に、よそ見はダメですよ?」とエインセールは言う。その顔は真っ赤だった。
「ご、ごめん」と俺は言って、エインセールの瞳に吸い込まれながらダンスを踊り続けた……。俺とエインセールのダンスは、花火が終わり、そして城の明かりが消えるまで続いた。




