28 暴君グラゴーネ
両手を岩に手をかけ、崖を登っているとき、それは起こった。海底の底から突風が噴き出してきたように、海流がヴァングロットの穴の底から押し上がってきた。そして、爆音が響く。穴の底からの音により、海が震えているのが分かる。
「あわわわ! 何が起こっているんですか? 噴火ですか?」と突然の海流に押し流されたエインセールが俺達の所に戻って来て言った。下は、須永舞い上がっていて視界不良となっている。
「このあたりは火山帯ではないわ。何かが下で起こっているわ。見てくるわ」と言って、ベアトリクスさんは猛スピードで砂霧の中へと入って行き、俺の視界から消えた。
「下はすごい砂埃です……。ベアトリクスさんは大丈夫でしょうか?」とエインセールは心配そうな顔をしている。
「すぐに戻ってくると思うけど……」と俺がそういった矢先、ヴァングロットの穴の底から、穴の入口に向かって垂直に上っている炎の矢が俺たちを横切った。
「あれはさっきのベアトリクスさんが放っていたスキルじゃないですか?」
「間違いない。そして…… ベアトリクスさんがアレを放った意味は、救難信号だ! 降りよう!!」
俺とエインセールは、穴の底へと戻り急いだ。
・
・
砂が舞い上がって視界がクリアに見えない中、ベアトリクスさんは何かと戦っているようだった。ベアトリクスさんは回避したが、彼女を叩き落とそうと鞭のように触手のようなものが振り下ろされた。その触手の太さは樹齢数千年を経た大木のような太さだった。あれが手だとしたら、相当な大物だろう。
「エインセール、急ごう! ベアトリクスさんだけでは無理だ」と俺は戦いの場へと向かう。
「来てくれてありがとう! イーグル・アイ」とベアトリクスさんは息を切らしながらスキルを唱えた。彼女のスキルが俺たちを包み込み、そして砂埃で見えなかった視界がクリアになった。
「なっ! なんだあの化け物は……」と俺は叫ぶ。どす黒い赤い色をした皮膚。異様に大きな頭部。蝙蝠の目を想起させるようなギョロギョロと動く両目。八本の手。そしてその大きな手には、白いクラゲが付着しているような、皮膚のぶつぶつのような物が多数ある。先ほど出会ったシーラカンスなどの深海魚たちとは違った異形。海の化け物と形容するのにふさわしい、そして生理的に気持ちが悪いように思える生物だった。それに、骨が中に入っているとは思えないようなクネクネとして変則的な動きをしている。8本の手がそれぞれ意志を持った大蛇のようだ。
「あれはおそらく、伝承に伝わる魔物、暴君グラゴーネよ」と、ベアトリクスさんが矢を放ちながら叫ぶ。ベアトリクスさんの放った矢は、化け物に刺さってはいるが、あまり有効な攻撃になっていない。化け物の手に刺さった矢も、化け物は自らの手で器用に矢を掴んで抜いていく。
相手の手数が多すぎる! 手を先に片付けないと、倒すのは無理だ、という判断を俺はした。
「ベアトリクスさん、手は俺がなんとかします! 相手の目を狙ってください」と俺は叫び、化け物に向かって突進をする。
俺の後ろから、化け物の目を目がけて、炎の矢が突き進んで行く…… が、それは化け物が5つの手で、目を庇った。しかし、それは俺の想定の内だ。
俺は、一本の化け物の手に向かって大降りで、剣を振る。
「シャープ・スラッシュ」
化け物の手を一刀両断する気概で剣を振るったのだが、まるで分厚いゴムを切ったかのように俺の剣は、化け物の皮膚によって衝撃を吸収されてしまった。化け物に傷ひとつ付けられなかった。
ちっ、と俺は舌打ちをして、一旦化け物から距離を取ろうとする。化け物が俺に対して追撃をしようとするが、俺が後退するタイミングでベアトリクスさんが再び化け物の目に向かって矢を飛ばす。化け物は自らの急所を守る姿勢となり、俺への反撃ができないでいた。本当に、ベアトリクスさんは良く周りが見えている。一緒に戦い易い!
化け物の手を切った際に付着した、剣の切れ味が悪くなるようなヌルヌルをマントで拭き取り、「ベアトリクスさん、もう一度行きます!」と俺は叫ぶ。
同じようにベアトリクスさんが矢を放つ。化け物も、目を防御しようと自らの手を動かすが、今度は防御に回した手は2本だった。
化け物が防御に回す手が5本から2本に減った……。やっかいな相手であることを俺は感じ取る。そして、この化け物は、明確な知能が備わっていると俺は確信をした。ベアトリクスさんが弓矢で牽制し、俺が近づいて手を斬り落とす。前衛と後衛に分かれて戦おうということをその化け物は明確に感じ取っている。
俺を近づけまいと、2本の手が鞭のように上と右から襲う。それを俺は回避し、化け物の1本の手にスキルを放つ。
「リペル・ブレイド」
俺は、相手の物理防御をほとんど無視して攻撃を与えることのできるスキルを発動し、全身の筋肉の力を剣に伝えて化け物に斬り付けた……
が……。
先ほどとは違い、化け物に切り傷を与えることはできたが、あの化け物からしたら皮の一枚を切られた程度だ。大してダメージを与えられていない。
俺が再び化け物と距離を取ろうとした瞬間、化け物の周り魔方陣が現れる。
こいつ……魔法も使える……だと? と思った瞬間、俺の体に水流が直撃し、俺を押し流す。海水を津波のように俺に当てる魔法のようだが、硬い岩をぶつけられたかのように全身が打撲したような痛みが走る。痛みで意識が飛びそうになる。
そして、さらに悪いことに、その水流は、俺の体を海中に浮かせたまま俺の体を運んでいく。やばい、このままだとヴァングロットの穴の岩壁に衝突して押しつぶされる……と自分の命の危機がわかっているが、波に流されるままで、どうすることもできない。
「デジレさん!」と、激しい水流の中をベアトリクスさんが泳いで俺を抱きかかえる。ベアトリクスさんの胸の谷間にエインセールが挟まっていた。どうやら、エインセールは救出されて無事なようだ……。
だが、ベアトリクスさんも流れに逆らって泳ぐことはできないようで、ヴァングロットの穴の岩壁と俺たちとの距離は小さくなっていき……
バキっという音が聞こえた。骨が折れた音だ。俺とエインセールを岩壁との衝突から庇うために、ベアトリクスさんは背中から岩にぶつかってしまったようだ。
「ベアトリクスさん!」と俺は呼びかけるが、すでに意識はない。
「クイックヒール!」とエインセールが回復魔法を何度も唱えているが、意識は戻っていない。
ズ、ズ、ズという砂が引きづられる音が近づいてくる。振り返ると、俺たちのすぐ後ろにはあの化け物が迫っていた。化け物は8本の手を左右に大きく広げ、俺達が左右に逃げれらないようにとしている。後ろは壁。前には、化け物。逃げ道は上だけだが、ベアトリクスさんが意識不明の状態では、逃げることなんて出来ない。
俺がいま、できる最善のことは……。
俺は、「アビューズ」のスキルを唱えた。このスキルで、化け物の注意は俺の方に向かうはずだ。俺が注意を引きつけて化け物をけん制している間に、ベアトリクスさんの意識が戻ることに賭けるしかない。もっとも、先ほどの背中の骨が折れた音からすると、意識が戻っても彼女が泳げるまで回復するには時間がかかる。時間稼ぎすら無駄な状況。絶対絶命という言葉が、俺の脳裏に浮かぶ。
しかし……そんなとき、俺達の頭上から助けがやってきた。それは、意外な人物であった……。




