24 ベアトリクス
そよ風が頬に当たるように暖かい波が俺の髪を撫で、そして目覚めた。海底に注ぎ込む光が砂で乱反射していている。海底一面に真珠をまき散らしたようだった。まるで揺り籠の中で眠っているような感覚だった。ぐっすりと眠ってしまったせいか、意識が覚醒せず、まだどこか夢心地だった。暖かい海の底は、真冬の中の布団を思い起こさせる。このまま、寒い外には出ないで、ずっとこの暖かい布団の中に居て二度寝をしたいという誘惑を起こす。
しかし、俺の意識をハッとさせた。
俺が寝ているのは、おっきな貝殻の中だった。俺の体がすっぽりと収まるような大きなホタテ貝の貝殻の中で俺は寝ていたのだった。貝にこのまま挟まれたら死ぬ、という危機感が俺を飛び起きさせた。
俺は飛び起きて、海底の砂浜に着地した。勢いよく着地したせいで、何年も掃除をしていないで埃がたまった部屋のように砂が海中を舞い上がった。
自らの体勢を整え、周囲が安全であるかの確認をした。俺はどうやらウォロペーレア城の中にいるらしいということは分かった。そして、俺が寝ていた大きなホタテ貝の貝殻の横には、小柄な貝殻が置いて有り、その中にアインセールがとても気持ちよさそうに寝ていた。
どうやら俺達は、寝てしまっていたようだ。ルーティアさんとベアトリクスさんと話をしている途中で俺の記憶は途切れている……。
この宮殿で仕えている人だろうか、その人達が持って来てくれた海藻のサラダを口に運ぶ。緑々として茎わかめ、食欲を誘う赤や青や白のトサカ。程よい酸っぱさに味付けされている。肉厚のわかめの食感と、そこから噛めば噛むほど染み出してくる旨味。海底ならではのごちそうなのだろう。エインセールも、満足そうに食べている。
「私は、もう少し塩気があった方が好きです」とエインセールは何気もなさそうに言った。しかし、改めて考えてみると、ここは海の中のはずだ。サラダの味を感じることができるのに、海のしょっぱさを感じないということはどういうことなのだろうか。不思議である。
「おはよう…… よく眠れたかしら……」と、ルーティアさんとベアトリクスさんが、宮殿の上を泳いで俺の所までやってきた。冷静に考えてみると、このウォロペーレア城は、部屋が無い。天井が無く海だし、部屋を仕切るような壁も無い。大理石で出来た支柱が規則正しくならべているだけだ。広大な海の中を仕切っても意味はないとか、そういう事なのかも知れない。良く言えば開放的である。人魚であるルーティアさんやベアトリクスさんの服装も開放的である理由が分かった気がする。
「おはようございます。昨日はお話の途中で寝てしまって申し訳ありませんでした」と俺は言う。
「いいのよ。昨日は相当疲れている様子だったから、ルーティアの歌で眠って休んでもらったのよ。疲れも取れて、お腹も膨らんでいるところで、元気出してヴァングロットの穴へと行こ~! さあ、こっちよ」とベアトリクスさんが言った。
「ベアトリクスさんも行くの?」と俺は思わず聞いてしまった。ベアトリクスさんの装備を見る限り、普段着というのか、胸を隠しただけだけの服装をしている。危険なところに行くような恰好ではない気がするのだが……。
「もちろんよ。私の魚たちが困っているわけだし。それに、ヴァングロットの穴の場所によっては、歩いていくことができない場所があるわ。デジレさんは魔法の効果で呼吸ができたりとか、陸地と変わらない行動が出来るようになっているけれど、穴に落ちたら落ちるし、崖があれば登らなければならないわ。それに、場所によっては泳いで行かなければならないわ。私がデジレさんを抱えて運ばなければならない場所もあるし」
「ですが、危険ではないですか?」
「あら、海の中での私たちを知らないわね。陸に上がった魚とは違うのよ?」と不敵にベアトリクスさんは笑った後、螺旋を描きながら海面に向かって高速で泳ぎ回った。得物を見つけて急降下してくるハヤブサよりも速いのではないかと思えるような速度だった。そして、その一瞬で海面に水流の竜巻が発生し、エインセールは流されまいと、「あわわわわ! 」と叫びながら俺のマントを必死に掴んでいる。
「どう? 想像以上に速いでしょ?」と海中を泳ぎ回ってからベアトリクスさんは戻って来て得意顔で言う。高速で泳いで俺たちの目の前で彼女が急停止したため、彼女が起こした水流が遅れてやってきた。ベアトリクスさんやルーティアさんの長い髪が、発生した海流で海藻のように揺れている。
海中では、人魚であるベアトリクスさんの方が地の利があるのだろう。攻撃なども彼女の速度があれば回避できるし、危険なことが起こっても充分に逃げ出すことが可能だろう……。むしろ、身の危険があるのではないかと心配するべき人は、ベアトリクスさんではなくて、エインセールの方ような気がしてきた……。
「分かりました。では、行きましょう」と俺は言った。
「お願い……」と、ルーティアさんは祈るような姿で、俺たちを心配そうに見送ってくれたのだった。




