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現実ってこんなもんだね

 ● 2011年:6月頃(現代・別の日)


 仕事が終わり帰り道を急いでいるところに突然、敦子に声をかけられた。

 「京ちゃん、お腹すいてない?」

 「いや、あんまりすいてないなぁ」

 「え?そうなんだ?私はお腹すいたなぁ」

 ばったり会った帰り道のたった5分間に、私の耳がつぶれるくらいに散々しゃべっていたのが原因じゃないのか?と言いたかったが、明らかに食事に誘ってほしいというアピールだと分かった。

 しかし、私はとにかく彼女と話すのも聞くのも嫌になっていたので、全く気づいていないフリをした。

 すると彼女は、とうとう痺れを切らしたようで『この近くの安いうどん屋へ行こう』と私を誘った。夕飯は一人でゆっくりと食べたかったが、結局、延々と話し続けるこの子と食べる羽目になってしまったと、心の底から残念でならなかった。


 うどん屋へ入ると、セルフサービスのようでトレーを持ってメニューを注文した。それから、サイドメニューが必要ならば、会計までの間に並んでいるてんぷらやおにぎりを専用のお皿に入れていく。

 密かに常連客だった私は、いつもの釜玉おろしうどんを頼み昆布入りのおにぎりを選んだ。敦子は冷たい冷やしゆずうどんとてんぷらを2品を選んでいる。

 敦子の選んだうどんは、注文からしばらく時間がかかるそうでテーブル席待つことになった。当然、私のうどんは伸びきっていることが前提になる。

 彼女の注文品を待つ間も彼女の恋愛話は続く。どうやら彼女は私がそういう話題が大好きで、恋愛に関するアドバイスをほしがっていると思っているようだ。 正直、かなり不服で不必要な思い込みだ。しかし、彼女は思い込んだら猪突猛進状態なので、今更訂正することも思い込みを払しょくさせることもできない。

 おかげで彼女と話すときは、適当な相槌と『へぇ、やっぱりすごいなぁ』とか『大人だね、敦子ちゃん』と、彼女を失望させないためにあらゆる相槌を使った。だからこそ、敦子に下らない誤解を与えてしまう結果となったのだろうと後悔した。


 ちなみに、私にはそんな退屈なときに必ずおこなう一人遊びがある。それは昔からやっている遊びで『影遊び』と呼んでいる。遊び方はごく簡単で、手や足を左右に激しく振り続け、影が疲れて追いつけなくなる…まで頑張る遊びで、実際に影を負かしたことはない。

 この遊びは一人で居るとき、もしくはテーブルの下で足首だけをゆらゆら揺らすなど、人目につかないように細心の注意を払って行う遊びだ。そして、見つかったら必ず妙な目つきで見られる遊び。


 そんな無意味な遊びを幼い頃に、一度だけ他人に見つかったことがある。

 実家近くの公園で私が一人で地面と向かい会い、鬼のような形相で必死に右手をブンブン振っているのだ。犬の散歩途中であった婦人たちには、さぞかし気味の悪い光景だったことだろう。あの時は一心不乱に自分の影に勝つことだけを考えて行っていたので、まさか人が公園の中を横切るなんて想像していなかったのだ。あれ以来、遊び場所を近所の公園から、家の裏にある工場所有の空き地で行うことにしたのだった。


 敦子が注文したうどんが届くまでの間、話を聞くフリをきながらずっとテーブルの下で『影遊び』に明け暮れていたが、結局は私の生足が疲れるだけに終わってしまった。昔から変わらなず連戦連敗状態で、当たり前の結果であるが残念で仕方なかった。


 「ねぇ、京ちゃんはどんな人が好きなの?」

 影遊びがひと段落した頃、急に敦子に話を振られた。ああ、ほらいつもの話が出たなと思った。私の好みのタイプを聞いて、自分の周辺にそれらしい人物がいたら紹介するという迷惑な提案をするつもりだ。

 過去に一度だけ、彼女の言う「あなたにぴったりのタイプ」を紹介してもらったことがある。

 その男性は弱虫というか後ろ向きな発言が多い反面、自意識過剰で会話が続かないタイプだった。それに私とは全く目を合わせてくれない。あの時の苦くて苛立ちばかりが募った思い出が蘇り、「いい加減にしてくれ」と心が叫んだ。

 そんな頃にようやく注文していたうどんが運ばれてきた。いいタイミングで注文品を持ってきてくれた素敵な男性店員に心の中で激しく感謝した。

そしてようやく伸びきったうどんを口に頬張った。うどんが伸びているのに全く美味しさを損なわないところが、何ともありがたいと感じてしまった。

 「うわ、美味しい!」

 「ほんと?よかったね」

 「うん、やっぱり、ここのうどんは安いし一番美味しいわぁ」

 「うんうん。京ちゃんが嬉しそうで良かった。何だか元気なさそうだったから」


 この敦子に『元気がなさそう』と言われるほど、私は落ち込んでいるように見えるのだろうか。たしかに私は、どんなものにも興味がなくなっているし、好みの男性が目の前を通り過ぎても何にも感じない。

 原因は、私がずっと可愛がっていた愛犬が死んだことだろう。彼女のおかげで、1人暮らしでどんなに辛いことがあっても、仕事で苦しい局面に立たされても、生活が苦しくて死にたいなんて思うことがあっても、彼女がいたおかげで何とか今まで生きてくることができた。

 「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ」

私がそう言うと、敦子は「ふぅん」とだけ言い、目の前の食事に集中しなおした。敦子も身勝手なところが多い反面、踏み込まれたくないところについてはすぐに察知してくれる。言いたくないと拒むと、それ以降、絶対に根掘り葉掘り聞き出そうとはしない。そういう性格は大変ありがたかった。ただし、本当に極稀にしてくれる気遣いだった。


 最寄り駅について、敦子からの強烈な質問攻めに疲れ切っていた私はぼんやりとしながら改札口を出た。切符の自動販売機の前を通り過ぎようとしていたところで、小銭が落ちる音が聞こえた。貧乏症のせいなのか、音のした方向を見ると

ほんのりと頬が赤くなっている長身の男性が、力の入らない手から小銭入れを落としたようだった。

 恥ずかしさもあるのか、顔がますます赤くなっているようだった。私の足元にまで小銭入れから落ちた5円や10円が転がってきていた。よくみると、四方に小銭が散らばっている。

 気が付くと私は自分の手近に転がってきた小銭を拾い上げて、彼のもとに行った。かがみながら小銭を拾っていた彼に「どうぞ」と拾った小銭を渡した。

 彼は急に話しかけられたことに驚き、私を見上げて「え?」と聞き返した。

 「私が見た限りではこれだけでした」

 「あ、ああ。すみません」

 彼はまだ驚いたままの表情で私をじっと見ていた。私は無言で会釈をすると、そのまま家に向かった。


 家に帰ると、玄関の小さな小物入れには未だに愛犬用のリードがかけられていた。いい加減に処分してしまわなければいけないはずなのに、処分してしまうことで、彼女の存在が永遠に消えてなくなってしまうと思ってしまい処分することができないのだ。

 電気も点けずに部屋の中央に座り込み、ボンヤリとベランダ越しに空を眺めていると、右半身に温かい感触がふれたような気がした。同時に体が重く、腕を動かすのも難しい状態に陥った。

 ゆっくりと振り返ると、身に覚えのない女の子が座っていた。女の子は私の顔を心配そうに見つめている。咄嗟に「白昼夢だな」と思ったが、今は夜だから「白昼夢」という表現は合わないなと感じた。

 『辛いの?』とか細い声がした。女の子が私に聞いているようだ。私は小さく頷いた。すると女の子は私から視線を外して、しばらくの間、じっと前を見ていた。とても意志の強い瞳をしている。

 彼女の次の言葉を待っていると、彼女は何も言わずに玄関のほうへ歩いて行った。身体の重さがなくなり、慌てて玄関に向かった。

 すでに女の子の姿はなかった。玄関のドアの開閉音がなかったということは、いわゆる幽霊だったり、もしくはただの夢だったりと、色んな憶測が頭をよぎった。それでも、あの女の子を怖いとか、恐ろしいものという存在には到底思えなかった。


 入浴を済ませて布団にもぐりこんだ時、ようやく彼女の正体に気が付いた。

 彼女は10年以上前の私だ。根暗で誰も信用しない、友達なんて暇つぶしのただの話し相手だけと思っていた頃の私だ。

 どうして、急に今の私の前に現れたんだろうか。何か言いたいことがあったんだろうか。そして、もう一度会えるのだろうか。そんな事を考えながら夢の世界へ徐々に引き込まれていった。

 夢の世界には、愛犬の姿があった。彼女がまだ元気に過ごしていた頃の時代にに夢の世界で戻ることができたんだと、心が弾んだ。


● 2003年 (20代前半)


 その日は、今まで生きてきた中で最も最低・最悪の日になった。その日が訪れるまでの間も、母との折り合いが日々悪くなっていくし、祖父母宅に住んでいる父親との関係も悪化し、祖父母ともほとんど連絡を取らない日々が続いていた。

 そんな時に母方の祖母が入院したというので、お見舞いに行くことになった。 母が珍しく『あんたも昔は少しだけでもお世話になったんやから、一回くらいは行ってくれへん』というので、仕事帰りに行くことにした。

 こんなとき、いつもの母ならば『病人の見舞いなんて、こっちが暗くなるから行かんでエエよ』と言ったものだ。新しい男にいい影響を受けたのだろうか。少しだけでも母の心境の変化があり、常識らしきものを学べているということを垣間見えたことに喜びを感じた。

 祖母が入院しているのは、兵庫県の大きな総合病院と母から聞いた。

 滋賀県からどういう経緯で兵庫県に移ることになったのかについては、誰も何も教えてくれないし、私も深く追求するつもりはなかった。

 兵庫県の土地勘が全く無い私は、母に見舞いに行くために病院への行き方を教えてもらいたかったのだが『そんなの聞かなくてもあんたなら何とかするでしょ?』と、一切の情報を教えてもらえない状態だった。

 なんとか親戚の実家近くだということだけは情報としてもらえたので、塚本駅まで行って駅員に病院までの道を尋ねた。

 そして携帯電話のGPS機能を使って、塚本駅周辺の地図を開いた。

 とにかく、先に進まなければ何もできないと気を引き締めた。不安に駆られながらも、私は慣れない街をひたすらに歩きはじめた。

 案の定、ゲームの世界のように何かに導かれるように進んでいくこともできなかった。しかも、なりふり構わずに家に入ってアイテムを手に入れたり、住人に話を聞くなんてことも、引っ込み思案な私には勿論できない。私は散々迷った挙句、おおよそ1時間くらいで、ようやく祖母のいる病院にたどり着くことができた。

 あとから親戚に道順を聞くと、塚本駅から徒歩15分ほどでたどり着く一本道があるということを教えてもらった。


 病院内の案内表示を頼りに階段を上がり、入院棟にあるナース・ステーションへたどり着く。祖母のいる部屋を訪ねて言われた方向へ歩いた瞬間だった。

ちょうど入浴を終えて病室に帰ろうとしている祖母と、それに付き添っていた叔母に出くわした。祖母と叔母とは約十年ぶりの再会だった。

 叔母はすぐに私が京であることに気付いたが、祖母は一瞬迷ったような顔をした。たしかに10年という時間は子供を大きく成長させるもので、大人同士の再会のようにすぐに相手を認識できるわけではないことは私も理解できていた。

 だから祖母に『私のことを覚えているか?私が誰だかわかりますか?』と聞いた。案の定、祖母は首を横に振り「姉のほうなのか、妹のほうなのか、どちらかわからない」と答えた。

 叔母に聞くと、痴ほう症も徐々にでていると言っていた。私はそんな祖母をみて「これが老いというものか」と切なくなった。私は努めて明るく祖母に聞いた。

 「うちは、妹と姉とどっちと思う?」

 「せやな。あんたは、妹の友ちゃんのほうか?」

 「違うわ、残念やなぁ。姉の京のほうや」

 「そんな顔しとったか?」

 「あの時に比べて大きくなったから、多少は顔も変わるわ」

 叔母である飛田は専業主婦と聞いていたが、今は看護助手をしていて祖母や他の患者の入浴やシーツの取替えなどの雑用を担当しているという。

 遠方から一人でよく来てくれたと言われ、なおかつ『友ちゃんはお母さんと一緒に来たのに、やっぱりお姉ちゃんとなると違うなぁ』と感心したように何度も頷き褒め称えた。「1人で来た」のではなく、「1人で行かされることになった」と訂正したかったが、この人に話したところで騒ぎが大きくなるだけなので何も言わないことにした。

 飛田さんは、勤務終了のために次の担当者へ引き継ぎをしてくると言い残し、祖母と2人で小さくて質素な病室で待つことになった。

 私は改めて一度祖母に向き合った。子供の頃に持っていた大柄でよく笑う印象は消えうせて、暗い表情で死を待つことだけを望んでいるような瞳をしていた。 たしか脳梗塞で倒れたと母から聞いた。意識は回復したものの半身不随で、今までのような生活を一人では会話も何もできなくなっていると、事前に母から尾ひれと背びれと色んなものをつけられた誇張された説明を受けていた。


 やがて飛田さんが病室へやってきた。すでに普段着に着替えており、このまま3人でゆっくり話をしないかと提案された。

 私も久しぶりの再会に浮かれており「もちろんです」と、つい承諾してしまった。実は飛田さんも母と同様に作り話や嘘が多く、人から聞いた話をかなり歪めて他の人へ話を伝え歩く性格の持ち主だ。

 「そういえば、広美にまた新しい男ができたんやって?」

 飛田さんが探るような目で私を見ていた。『広美』とは私の母の名前で、どうやら飛田さんと祖母は、妹と母が見舞いに来た際に新しい男を紹介されていたらしい。

 母曰く「今度の相手とは真剣に付き合っている、再婚を視野に入れている。」「娘たちとも仲がよさそうだし、再婚については何とか説得するつもりだ。それに2人の娘は、もういい大人なのだから母の人生に口出しすることはないだろう」という内容の話をされたという。

 飛田さんの言ったことが嘘か本当か全く判別できないが、たしかに今度の相手とは長く付き合っているし、それなりに楽しそうにしているので再婚もありえるだろうなと私も妹も薄々感じていた。


 しかし、私は母とも新しい男とも関係が悪い状態で、正直に言えばあの男には信用できないところがいくつもあった。

 妹とも仲がいいとは決して言えないし、そもそも私たちを説得するなんていうことをあの母親がするわけが無いだろうとはっきりと確信していた。

 「あの人、そんなにエエ奴なんか?胡散臭い顔してたけど?」

 「私は、あの人と母が再婚するんなら出て行こうと考えています」

 「でも、広美はみんなで暮らすって言うてたよ?」

 「あの男の人は、母は全幅の信頼を持っているようですが、私は正直信用でしていません。」

 「そうなんか?よく京ちゃんとは2人で仲良く夕飯を食べたり、遊んだりしてるって聞いたよ?」

 私は思わず「そんなことは絶対にない」と大声で言い放ち、新しい男について飛田さんと祖母に今までのことを簡単に話した。話し終えたところで、「この人を相手に言いすぎた」と後悔した。飛田さんと祖母がまともに話を受け取るわけがないことを知っているからだ。

 案の定、飛田さんはあり得ないくらいの涙を目に溜めてこう言った。

 「なんて酷い女なんやろう。子供を差し置いて自分のことばっかり考えて、親らしいことを何にもしてへんのか」

 「いつものことやから今更です。それなりに母親らしいことはしていたと思うけど、それでも私はあの男は信用してない」

 「おばちゃんも、あの男は信用できへん。態度は悪いし横柄やし。あんな男に引っかかるなんて・・・信じられへん」

 正直、気持ちがいいほどに意見が一致したので安心した。というのが半分で、もう半分は、この叔母が暴走してしまうともっと大変なことになると思った。

 その後は飛田さん宅に案内され、久しぶりの従妹との再会を喜んだ。その後は適当に色んな話をしてそのまま帰宅した。そして妹は従妹とも頻繁に連絡を取り合っていたようで、何かにつけて助けを求めているそうだった。

 助けを求めるってどういうことなんだろう?と思ったが、追求すると帰りが遅くなると思ったので早々に切り上げた。


 家に帰ると、母と新しい男がリビングのテーブルに座っており、電話で誰かと揉めているようだった。怒鳴り声も部屋中に響き渡り、何も理解できない私はとりあえず自室へ戻りぼんやりとテレビを見ていた。すると母親が部屋に入ってきて、飛田さんからの電話だったと言い、母からは私が帰宅するまでの間の出来事を散々聞かされた。

 『飛田一家は母の新しい男を気に入っていない。それについては、私も同じ意見で、私たち2人はおろか兄を含めた3兄妹に対する態度も掻い摘んで聞いたが、人としてありえない人物ではないか。そんな男と再婚なんて祖母も含めて、全員が反対している。』

 というような内容と、私が飛田さんと祖母に話した内容を勝手に作り変えて、罵詈雑言を2人に浴びせて電話を架けてきたというのだった。


 私はあきれ返り『それ、ホンマに叔母さんからの電話なんか?』と聞きなおした。母もあの男も当初は、呆れ状態でキンキン声の飛田の話を聞いていたそうだ。だが、お酒が入っていた男は徐々に飛田の話を真実と受け取り始め、母も「あの人が本当のことだっていうから、本当なんでしょう?」と、嘘を真実として受け取り始めたようだった。母の口臭にはお酒の匂いが混じっている。かなり飲んでいるようで、呂律もあまりまわっていない。


 あの男と付き合うようになってからというもの、母は休みの日は1日中、仕事のある日は帰ってから眠るまで、ずっとビールや焼酎を浴びるように飲んでいた。

いつだったか母に体に良くないと注意するとこう言った。

 「私にとってはお酒は水のようなものなの。多少飲んだところで、酔うこともないから車の運転だって平気やねんから」

 呂律の回らない口調と、酔っ払い特有の座った目をしながら言い放った。そして「子供のくせに親に意見するなんて、100年早い」と怒鳴った。

 

 その2年後には、その男が結婚詐欺師とわかり、飛田や祖母に助けを求めたり、私に泣きながら電話を架けて助けを求める羽目になる。最終的には男と男の妻に多額の慰謝料の請求や、隣近所・会社にまで嫌がらせを受けることになった。それはまたいつかの話だ。


 男は電話を切ると、大声で叫びながら家を出て行った。階段をドンドンと踏み鳴らしながら近所迷惑も関係なく「屑野郎の住む最低な住宅やないか」と叫んでいた。やがて車のエンジン音が大きく鳴り、そのまま何処かへ行ってしまった。

 母はベランダで男の様子を見届けてから、再び部屋に戻ってきた。

 「あんなに怒って、かわいそうにねぇ」と呟いた。どうやら近所迷惑だと言う事には、全く気が付いていないらしい。その証拠に真向いの玄関扉が開いて、何事かと話している声を気にしている様子がなかった。

 そのまま母は私を見てこう言った。

 「あんたと、あの人とは仲良うできると思ってたけど、とんだ思い違いやったわ」

 「思い違い?仲良くできる?」

 「うん、あんたはとんだ親不孝もんや」

 「あ、そう。そうなるんやね」

 「再婚するなら出て行くって言ったそうやけど、そんなんも聞いてへんよ」

 「貯金が貯まってから言うつもりやったんや」

 「貯金なんてしてたん?そのお金をお母さんや、家に入れてくれへんの?それでうちとあの人が遊びにいけるかも知れへんのに」

 「家にはそれなりに入れてるやん。」

 そう私が反論すると、母は「たかだが5万をいれてるぐらいでいい気になるな。」と言い放った。

 そして、だれのおかげで今まで生きてこれたのか、学費を誰が出してやったのかとか、子供なら親のために金を稼いで、一生かけてそれを貢ぐのが普通だろうがと散々叫んだ。

 ようやくすっきりしたところで、「出ていく日が決まったら早めに行ってよね」と言い、部屋を出て行った。


母はそれ以降は、私の顔を見れば「いつ出ていくの?」「引っ越し費用は自分で出すんやろう?」「生活費は自分で稼ぐんやで」「もうここに戻ってくることはないんやろうね?」と何度も確認するように聞いた。

 そのたびに「はいはい」と適当に答えては、母が眠るまで自室に籠っては、家族中が寝静まってから夕飯や入浴を済ませるようになった。

 そのころの妹は、私や母の傍でずっと言い合いを見て聞いている。

 そしてわが身への火の粉を防ぐために、母と同じようになって『京ちゃん、いつ引っ越すの?』、『どんな部屋に住むの?』と聞いてくるのだった。それでも妹は『引っ越すときは手伝うから言ってな。休みとるから』と優しい言葉をかけてくれた。妹なりの罪悪感からくる言葉だったのだろう。私はありがとうと伝え、無理に休まなくても大丈夫だが決まれば報告はすると返した。そしてそのときに、私と一緒に家を出ることになったのが愛犬ビスだった。

 彼女との出会いは、インターネットの里親探しのサイトだった。親犬で子犬たちは他の家庭にもらわれたことが記載されていた。近所で引き取り手を探しているが誰もかれも引き取れそうになく、このままでは保健所へ連れて行くしかできないとあった。私は写真に写る愛らしい姿にひと目で気に入った。早速、飼い主へメールでコンタクトをとり、彼女を引き取って育てることになった。


 そんな彼女を連れて引っ越した先は実家から車で1時間半、電車と徒歩で2時間弱の場所にあった。

 吹田市のちょうど摂津市寄りに位置する岸辺という場所は、目の前の道路を山のほうへ上がっていくと万博公園があり、のんびり歩きながら散歩するにはうってつけの場所だった。

 引越し当日は兄も手伝いに来てくれて、洗濯機の設置やテレビの設定、実家から引越し先までの車の運転もすべてやってくれた。本当に優しい兄だとつくづく思い、そんな兄と結婚した姉もまた、食器の片付けや家具の移動を手伝ってくれて本当に感謝してもしつくせないほどだった。

 妹も結局休みをとり、愛犬の世話や重いものの移動を手伝ってくれた。

 母は仕事があるからと言い、引っ越し前日から家に帰ってこなかった。おそらく、男の家に泊まっているんだろうと考えていた。

 しかし自室のドアには張り紙をきちんとしており『部屋の片付をしてから、忘れ物なんてしないできちんと出て行ってくれ』という伝言が書いてあった。いつかの父親の行動が思い出されて思わず吹き出してしまった。


 そして引っ越し作業が終わるころ、母からメールが届いた。

 『一人で暮らすなんて大変だろうけど、あなたの選んだことだから。頑張ってね。』

 

 この文面を見て、心底鳥肌がたった。私はこの母から『出て行ってくれ』『いつ引っ越すの?』と、毎日、朝から就寝まで再三言い続けられたおかげで、精神的に参ってしまい、仕事の合間にバイトをして何とか貯金を増やして、ようやく引っ越しにこぎつけたのだ。

 何をどんな風に解釈すれば『私が一人暮らしをすると言って出て行った』と受け止めることができるのかと首をかしげた。


 たしかに高校時代に『一人暮らしにあこがれている』と言ったことはある。母の脳内は自分にとって好都合なことを記憶として残し、不都合なことは脳内から葬り去るようになっているようだ。

 そして、自分は不器用だけど子供思いの良い母親というアピールをすることで、私との関係を全て水に流れて消えていくと思っている。そして、メールを見た私が涙を流して感動して、母に何かあれば駆けつけて助けてくれるとでも思っているのだろうか。それとも、離れていても生活費を送ってくれるとでも思っているのだろうか。いや、生活費ではなく、豪遊費を貢いでくれると思っているのだ。

 そういえば、母の愛読書は啓発本が多く『偉人達の名言』『涙が出るほど感動するメッセージ』という本もコレクションの中にあったことを思い出した。その本の中の一部を使用したのだろう。そう思っている矢先に、さらに追い打ちをかけるようにしてメールが届いた。


 『いつも、いつも、あなたには迷惑をかけてきたかもしれない』

 『こんな不器用な母親でごめんね』


 残念ながら私はすでに母に対しては失望と幻滅以外の何の感情も持っていない。ただ、ひとつ感想をもつとすれば『めんどくさいし、鳥肌が立つくらいに気持ち悪い』くらいしかなかった。


 吹田に来てからの私と愛犬ビスとの生活は、とても楽しかった。

 1人と1匹。お互いのことしか見ない、お互いの面倒を見合う生活。苦しいけれど、毎日毎日、仕事と彼女の世話に追われているけど、不思議と幸せな気分ばかりだった。ストレスですぐに体調を崩していた実家暮らしのあの頃とは違い、健康体そのもので仕事も楽しくて私自身も正直なところ驚いていた。

 そしていつの間にか、犬である彼女が私の育ての親のような存在になっていた。相手のために行動することや、相手を思いやる気持ち、同じ時間を共有し、同じものを「美味しいね」と楽しむということ。


 そして、彼女が逝なくなったあの日から私の時間は停まったままだと気がついた。


 ● 2011年:6月頃(現代)


 休みの前日の夜だった。突然、敦子からの着信があった。夜の10時を過ぎたところで、大きなボールを使った簡単なストレッチをしていたところだった。

 一瞬、無視してしまおうかと悩んだところで着信が途絶えた。「何だったんだろう?」と思った瞬間、メールの受信を知らせる音が鳴り、そして再び敦子からの電話着信が表示された。ストレッチの体勢では敦子の長電話には付き合えないと思い、ボールを脇に置いたところで着信がまた切れた。

「遊ばれているのか?」と思い、再びストレッチに戻ろうとすると、また敦子からの着信と表示された。

 メールを確認させてもらえず、取ろうと思うと切られてしまう。徐々にストレスが溜まり、部屋にいるにも関わらずマナーモードに切り替えて、しばらく無視することにした。

 ストレッチを終えたのが11時過ぎで、何気なく携帯の画面を確認すると不在通知が10件とあった。そして、メールの着信が5件あった。もちろん、すべて敦子からだった。ここで折り返し電話を架けてしまうと、面倒なことになると思いメールだけを確認することにした。幸いにも留守電にメッセージを残すということはしていないようだった。


 『今、家にいるの?電話とれるよね?』

 『明日、彼との予定がなくなったから、京ちゃんと遊ぼうと思ったんだけど、何時が良いかな?』

 『昼頃に集合して、洋服とか買い物しようね』

 『駅についたら連絡ください。もう遅いから私は寝るね。おやすみ』

 『あ、あと。鈴音ちゃんも誘っておいたからね』


 私は全てのメールを読み終わった後、大きなため息をついた。私の予定を聞く気は全くないようだ。私に予定があればどうするんだろう?と思った。彼女は大いに慌てるのだろうか?それとも『予定が大事なの?私のほうが大事じゃない?』とか訳の分からないことを言いそうだと苦笑した。

 そしてメールを1件だけ返して電源を切った。

 『ごめん、今気が付いた。明日は実家で家族と過ごすので遊べません。おやすみなさい』


 本当は実家に帰る予定などなかったが、妙に苛ついたので予定を無理やり入れることにした。明日は大いに祖母や叔母と買い物や世間話でストレス解消しようと考えた。

 そのまま布団にもぐりこみ、ふと天井を見上げると白くて殺風景な天井と照明器具が見えた。私が初めて男と寝た部屋も同じように殺風景な天井で、飾り気のない照明器具があったことを思い出した。あの時の男は、今どこで何をしているんだろうか。元気に他の女と暮らしているんだろうか。それとも、まだまだ現役で遊び歩いているんだろうか?


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