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幼かったあの頃の出来事

 ● 1989~1990年頃:幼少期(約20年前)


 小学生の私や兄は、当事者たちが思っている以上に、「不倫」という言葉を十分に理解していた。私たちの母は幼い子供が気を使ってしまうくらいに、毎日色んな男を家に連れ込んで遊んでいた。

 そして兄妹3人ともに、母の行いは後ろ暗いことで都合の悪いことだし、父には絶対に知られてはいけないことなんだと重々承知していた。

 父の実家から少し離れた場所にある、この木造文化住宅に家族5人で暮らすようになったのは、私が小学1年生の頃だ。

 家族5人で生活していくから、少しでも金銭面に余裕がほしいという名目で、引っ越しがひと段落してから母もパートタイマーで働くことになった。父は父で、母の提案に何の疑問も持たなかった。

 父一人の収入だけで、贅沢はできないがそれなりの生活ができるだろうし、実家からの支援も多少なりともあった。しかし、これから先に何が起こるかなんてわからないし、父の収入と父方の実家からの支援だけでは兄妹3人を進学させるのに苦労するかもしれないと思ったのだろう。

 それに活発で明るい母の性格上、家の中で家事に専念させるよりも社会に出て働いてもらうほうが父の苦労も少しは理解してくれるのではないだろうか?と思ったのだろう。

 父は日ごろから、母の社会経験の乏しさを危惧していた。18歳で結婚した母は、彼女自身が思っている以上に子供っぽくて我儘なところがあったそうだ。思春期特有の「親が嫌い」という反抗精神を大人の証拠だとか、一人で生まれて生きてきたと平気で言えるところが、父にとっては頭の痛いところだったそうだ。

 だからこそ、社会常識が身についたしっかりした人間になってほしいと望んでいた。

 父と母の出会いは、小さな印刷会社だった。母が高校卒業後に就職した印刷会社で父は営業マンとして働いていた。そして、知り合って半年で交際が始まり、交際1年足らずで母が兄を妊娠し、そのまま結婚することになった。

 父は、母の1年足らずの社会経験は社会人スキルとしては乏しいと判断している。

 なおかつ、母は女子校出身なので父以外の男性との付き合い方やコミュニケーションの取り方を知らない。女社会だけでなく、男女混合の社会について学んでほしいと願ったのだろう。

 でもその父の前向きで母を信頼したうえでの考えが、結果的に母の不倫生活のきっかけを作り、5年後の離婚につながることになった。

 そして、昔ながらの文化住宅というのは、隣近所の家庭内事情なんて筒抜け状態だ。母の不倫は閑静な集合住宅ではかなり有名なゴシップとなり、おかげで母の性癖を知らない人間なんていない状態になっていた。


 「今日の相手は昨日と違うみたいだ」

 「家に連れ込むとは、なんて堂々としているんだ」

 「次の男は何日続くのかな?」

 「まあ、長くて3ヶ月ぐらいちゃうかなぁ」

 「でも、今度の子は若いなぁ」

 「どうやったら、あんなに男をつかまえられるんやろうねぇ」

 隣人達の噂話は、私にとって本当に恥ずかしいもので、私たち兄妹についても『一体どの男の子供なんだろう』とか『全員、父親が違うんちゃうかなぁ』なんて囁かれていた。私も好奇心が旺盛な子供であったので、子供ながら可能な範囲で彼らの言う話の意味を調べて情報を集めて回っていた。おかげで近所の方たちの言っている意味がとても良く分かった。

 大人になって改めて聞くと、とっても楽しい話題で『あっはっは。凄い想像力ですね。でも、私たち兄妹の顔、どこをどうとっても父親と母親の顔そっくりですよ』と言うことができただろう。

 でも当時の私たちには、『父親が違う』や『どの男の子供』という言葉は非常に傷つく内容だった。私の父親は目の前で一緒に食事を取っている人物ただ一人で、父親が兄妹それぞれで違うということは『兄妹ではない』のか?と内心ドキドキしていた。そして、毎日放送されているドラマやバラエティ番組、挙句の果てには図書館へ足を運んでは「正しい意味」を探し続けていた。


 私たち兄弟が、自分たちの家庭の状況を少しずつ理解できるほどまでに成長すると、今度は私たちも母親の男関係を同じように話題にすることが多くなった。

 いつだったか、兄は母が別の男といるときに偶然にも出くわし、兄の想像以上に激しく叱責される事件が起こった。

 そして兄妹にも誰にも他言無用と胸倉を掴まれた上で言われたそうだ。子供心に、兄が大好きで仕方がない母が兄を厳しく叱りつけたことは大事件に近かった。

 「ほんまに?どんなふうに怒られた?」

 「腕を引っ張られて外に追い出された」

 「それで?それで?」

 「みんな見てるのに、めっちゃ怒鳴られた」

 「そんなん、他の人にばれるやん」

 「もう知ってるやろ?おかげで、水野さんの家でお菓子食べられたけどな」

 「うわ、めっちゃええなぁ」

 「うん。でもなぁ…怖くて仕方なかった」


 その後、私も同じような状況に遭遇することになった。私の場合は、家の中にいる男の存在を確認することができなかったが、やはり激しく叱責されてしまい「この家から出て行け」と、Tシャツをむちゃくちゃに引っ張られ、家の外に文字通り投げ飛ばされた。

 勢いで地面にたたきつけられた私は腕と膝に怪我をしてしまい、思わず泣き声をあげてた。その泣き声がさらに母の逆鱗に触れてしまった。

 突然、玄関のドアが開いたと思うと、赤いランドセルが物凄い勢いで私に向かって飛んできた。

 頭に大きな衝撃を受けたあと、恐る恐る額を触ると大きなたんこぶができている。ショックと恐怖で再び泣きべそをかいた私は、母の逆鱗に触れないために今度は声を押し殺していた。すると、一部始終を目撃していて不憫と思った隣の水野さんは、『うちに新しいお菓子買ってあるんよ。よかったら家においで』と誘ってくれた。

 それからも度々知らない男が家にいるとは知らずに、呑気に帰宅しては怒鳴られ、追い出されては水野さんにお世話になるということを繰り返していた。

 そんなこともあってか、日が経つにつれて近所の人たちは「今帰ったらあかんよ」と忠告してくれたり、「うちの子と留守番してくれへんかな?」と何かと気遣って母の暴力から守ってくれていた。

 兄や妹は、毎回のように引っかかる私の状況をどこかで聞いて知っていたようで、帰宅がいつもより早くなりそうで、この曜日は男がいることが多いと推測すると、家から10分くらい先にある祖父母宅へ行き、しばらく時間を潰しては、頃合いを見計らって帰宅していたそうだ。


 その頃の私と母は、母の不倫騒動とは関係なく昔から幾度とない衝突や地味な言い争いを繰り広げていた。母は自分のなかに溜まったストレスのはけ口を探していたのだろうと思う。

 だからと言って、毎日夜遅くまで仕事をしてくれて、なおかつ男と遊ぶ金や生活費を稼いでくれる父には当たることができないし、兄は可愛いからきつく当たることができない。妹は小さくて可愛いからそんな事ができるはずもない。

 私はといえば、それなりに成長していて兄や妹のように素直な性格ではなく陰気で内向的だったから、口封じも簡単だし八つ当たりにもちょうどよかった。

 母はよく私を睨んでは、口を動かさずに歯をぎりぎりと鳴らしながら「変なこと言ったらどうなるかわかってるやろうな?」と度々言っていた。あのにらみや脅しのような言葉にどれほど恐怖を感じていたのか、母は全く知らないんだろう。

 私なりに祖父母や叔母に相談しようと考えていたが、母は実に巧妙に私と家族や隣近所の住民との距離を取らせるために方々に手を尽くしていた。

 「あの子は陰気で人との付き合いが苦手だ」「精神的な病気がある子で、私以外とは上手に話すことができない」「学校でも問題ばかりで大変だ」「社会に馴染めるのか心配だ」とありもしないことを吹聴して回っては、「刺激しないでほしい」と言って回った。

 もちろん、隣の水野さんや付近の住民は「嘘」と見破っているおかげで、「あんたも大変やねぇ」と気の毒そうな目で私を見ていた。


 そういえば母の不倫については、なんと父も気づいていたようだ。 

 それでも母を責めることもなく、一緒に暮らしていたことを考えると、どれだけ母の事が好きだったのだろうかと関心を通り越して尊敬してしまう。

 父いわく『争いごとは好きではない。面倒なことはできるだけ避けたい』

でも、その無関心で無言の了承が逆に相手の行動をエスカレートさせてしまうこともあるということに気付くことができなかった。


 あるとき母は、祖父母宅から歩いて数分の場所にある工場内の食堂で働いていた。そして、私たち兄妹に同じ食堂で働いている先輩男性を夕飯に招待した。好青年でとても人懐っこく、私たちの相手もよくしてくれた。

 そんな彼に母は、これみよがしにもたれ掛かる様に座り、食事の感想や普段の生活を矢継ぎ早に彼に質問していた。さすがの彼も表情が引きつり、「はぁ」や「ええ」などと相槌を適当に打っては、何とか母を交わそうと必死になっていた。

 彼の心境としては、本当にただの付き合いで夕飯の世話になろうと思っただけで、まさか母が我が子の前で、恋人同士のような行動をとるとは思わなかったようだ。

 母自身は私たち兄妹が幼いから何も感じないと思っていたのかもしれない。残念ながら、私たちの周囲はとても噂話が好きなものだから、小学生では知る必要もない情報も入るというものだ。

 おかげで、その後、この青年と母がどんな風に仲良くなり、そして時々私たちと食事をすることになったのか何となく理解していた。

 しかし、その彼とは数ヶ月で関係が終わったようだった。年上の家庭のある女よりも年下の可愛らしい女性のほうが、安全で面倒なトラブルが起こることがない。好青年で頭の良い彼は、比較的リスクの少ない相手を選んで安心した付き合いを望んだんだろう。


 その後も、同じ職場で別の男を釣り上げては同じく夕飯に招待した。そして、数か月、早い時は数日で別の男に変わっていった。


 恐らく5人目の彼だったと思う。彼は見た目から非常に印象が悪くて、なおかつ言葉の訛りが酷かった。髪型も古めかしいリーゼントで、子供心に不細工な人だし、言葉は汚いし、関わりたくないと思った。

 しかし、何度か会うにつれて、外見とは裏腹に好青年で今までの男性とは違って私たちにも気さくに話しかけてくれた。彼は上阪したばかりで、田舎には私たちと同じ年くらいの弟や妹がると言っていた。しかも料理が大好きで、今の会社の食堂で腕を磨き、やがては自分の店を持ちたいと夢を語ってくれた。

 彼の名前は武田と言い、年齢は23歳でゲームやアニメの話題と私たちとの共通項が多かった。それに、私たち兄妹とはほとんど話さない仕事人間の父よりも、共通の話題が多い彼のほうに徐々にではあるが親近感が沸いてきていた。

 武田は車でボーリングやカラオケ、ファミリーレストランなど、色んなところへ連れて行ってくれる人だった。母も徐々に子供たちと仲良くなりつつある武田と一緒になりたいと願い始めていた。

 「武田君は若いけど、それでもあんたたちの事も含めて好きになってくれてんで」

 「そうなんや」

 「だから、お父さんよりもあんたらの事を良く分かってくれてるわ」

 と母は必死に私たちを説得するものの、私たち兄妹にとっては、所詮父は父で、武田は武田なのだ。母が何を言わんとしているのかは分からなかったが、母側としては子供たちの気持ちが思い通りにいかないということで、イラついていたように思える。


 そんなある時、仕事が大好きで残業続きの父が予想以上に早く帰宅する日があった。父は残業をすることが会社への最大の貢献だと感じており、定時で帰宅することがまずなかった。母もそれをよく理解していたので、20時までは不倫相手と家や近くのホテルで仲良くしていることが日常になっていた。

 その日、家にいた母と不倫相手と私たち兄弟は、父の『ただいま』の声に驚き、そして一斉に母を見た。母の目は泳いでいたが、子供や武田の前ということで冷静でいるように見せかけていた。そして彼に耳打ちをしたあと、父を玄関まで迎えに行く。母の体は小刻みに震えていた。

 恐らく、ばれてしまった後のことを考えているんだろう。金づるがいなくなる。このままでは、今まで通りに遊んで暮らすことができない。などなどを考えていたに違いない。

 だからこそ、母は父を玄関までお出迎えするという奇妙な行動を起こした。

 母としてはそれで父を騙し通せると思っていたに違いないが私は、その行動こそが父に猜疑心を生んでしまう原因になると予感した。

 母はそんなことを全く考えておらず、父には彼は職場の友人で大変良くしてくれているので食事に招待したと説明した。

 もちろん、私たち3人は真相を知っているので、そわそわドキドキしながら様子を伺っていた。

 「はじめまして、奥さんにはいつもお、お世話になっています」

 「いえ、こちらこそ。妻がお世話になってます」

 「この人ね、すごい料理が上手なんよ。男の人やのに」

 「そうかぁ。そんで色々習ってんのかぁ?」

 「せやね。魚のさばき方とか・・・色々ねぇ」

 私はあの時の3人の表情と話し方のぎこちなさ、そして挨拶を早々に済ませ帰宅した不自然さを未だに忘れることができない。あれは確実に、父が決定的な不倫現場を確認し、なおかつ子供の前で堂々としている母と彼に呆れ返った瞬間だ。

 そして、お互いに動揺しているものの、子供の前では事を荒立てることなんてできないと必死で堪えた父と馬鹿な2人の冷戦が始まった。

 母はそれ以降、目立ったことを自宅付近ではしなくなった。『自宅付近』ではしなくなったものの、離れた場所にあるホテルや武田の家で会うことが多くなり、帰宅も遅くなることが多くなった。

 父や私たちを心配する祖父母には「人が少なくなって残業が多くなった」と言い、夕飯も祖父母に任せたり、学校から帰ると「これを食べなさい」というメモと一緒にインスタントラーメンや、冷え切った惣菜屋の弁当が家に置いてあることが多くなった。


 そんな中、私が車に轢かれるという出来事が起こった。友人と遊んだ後の帰り道で自転車に乗っていたときのことだ。

 トラックにぶつかった時についた怪我と、車に轢かれた跡が残った服も髪もドロドロで泣きながら帰宅した私を見た兄は仰天し、母に連絡を取ろうとした。しかし母が何処にいるのか、いつ帰ってくるのか分からないので、祖父母に連絡をとることにした。

 電話が終わった数分後に、真っ青な表情をした祖父母と叔母が急いで家に駆けつけてくれた。

 祖父母は会社にいる父と連絡を取ってくれた。肝心の母がいないということに祖父母は驚き、パート先に連絡をしてみようかと受話器を取り上げた時、いいタイミングで母が帰宅した。

 母は祖父母や叔母が家にいることに理解できず、困惑しながらも男と遊んでいた痕跡がないかと不自然に身なりを正していた。

 祖父母は事情を説明し、私を病院へ連れて行こうと言った。そして子供を長時間放置しなければいけないのなら、祖父母宅で母や父が帰宅するまで預かろうかなどと提案をしていた。

 「いえいえ、今日はたまたまなんです」

 「何を言うてんの?晋太郎とか友ちゃんから、毎日遅いって聞いたで?」

 「重なるときもあるんです」

 「重なるって、あんただけで会社切り盛りしてるんとちゃうやろう?」

 「まあ、そうですけど」

 「今回はうちらが駆け付けたからよかったけど、次はこううまくいかへんで?」

 「わかってます。気を付けます」

 「そんなに残業お願いされるようなところに勤める必要もないやろ?パートなんやし」

 「ええ、でも。」

 「別のパート先探して、子供らをちゃんと面倒見てやれるようにせな。それが親としての務めやろう」

 「はい。でも、働かないと今のように安定した生活ができないんです」

 「でも、3人とも心配で泣いてるんやから、たまたまでも可哀想やないか」

 その後もしばらく3人は話し合ったものの、平行線のままで話し合いは何の進展も見せなかった。やがて叔母が3人の間に入って仲裁してくれたおかげで、それ以上は話が大きくなることも喧嘩に発展することもなかった。

 しかし、祖父母たちが帰宅した後に言った母の言葉が衝撃だった。

 「適当に言い訳とか言っといてくれたらいいのに。近所の片山さんの家にいるとか」

 「でも、京ちゃんが怪我して帰ってきたのに。」

 「そんなん、適当に水で洗ったら治るわ。あほらしい」

 「車に轢かれたのに?病院行かんでええの?」

 「病院なんていかんでエエやろ?どうせ、交通事故なんて、被害妄想のでっち上げやねんから」

 「でも、服がボロボロやし。タイヤの跡とか」

 「子供のくせに3人揃って口答えせんといて」

 今なら母は本当に自分のためだけに生きている人で、自分以外の思い通りにならないものには意味もなければ生きる価値もないと感じていた人だと他人事のように分析できる。 

 自分が嘘で作られた生活をしているから、真実も何もすべて信じることができなくなってきていたのかもしれない。でなければ、子供が3人そろって怖くて泣いていること事態を嘘だと言い放ち、自分が母親失格なんて思われたくないために、色んな妄想話を、さも本当のように近所中に言い回すことはなかっただろうに。


 それから数日後、母が突然『今から遊びに行こう』と私たち3人を誘った。何事かと思ったのと、遊びなら拒否する必要はないと喜んで車に乗った。やはり、不倫相手の武田がいた。

 いつも通りのボウリングに外食をして武田を家まで送り届けたところで、私は驚愕した。私たちの家から徒歩数分の場所に彼は住んでいるのだ。彼の話によると、最近になって私たちの家の近くに引越しをしたそうだ。

 そして、今は彼の部屋が2人の逢引の場所になっている。なるほど、私が交通事故に遭い、兄が動転して妹が泣いていた頃に2人はここで楽しんでいたのかと思うと、子供ながらに『母親失格だな』とつくづく思ってしまった。

 それに武田も家の近くに引っ越してくるなんて、ずいぶん冒険心があるなぁと感心した。

一通り遊んだ後、帰宅し家のドアの鍵を開けるが、半分以上もドアが開かない。

 よくみると、ドアチェーンが掛かっていた。慌てて母にそのことを伝えると、どうやら父がこの日も早くに帰宅していたようで、私たち4人がいないことに激怒し締め出したのだと分かった。

 父の反撃がこの日から始まった。父も私の交通事故の件を知っていて、祖父母から散々責められたそうだ。

 それでも父も私に「おばあちゃんやおじいちゃんに、あんまり電話するな。めんどうやろ」と叱りつけるだけで、心の底から心配してくれることはなかった。 父も祖父母や叔母に責められた時のストレスが十分に溜まっており、なおかつ、近所で噂の母の不倫に我慢の限界に達していたようだ。


 勝手口には父の字で張り紙があり『4人そろって外で野宿でもしろ』と書いてあった。母が勝手口のノブをゆっくり回すと扉が開いたので、そのまま室内へ入り、玄関のドアを開けて私たちを家に入れてくれた。どうやら父は、勝手口のドアのカギを閉め忘れていたようだ。

 母と父は2階で話し合いをしているようで、時折怒鳴り声がした。怖くて2階に行くこともできず、テレビをつけることもできずに3人そろってお風呂に入った。

 お風呂にはいることを提案したのは兄だった。兄として、怖がっている妹たちを助けようとしたのか、それとも怖がりの兄だから自分を守りたい一心だったのか。とにかく、兄の精一杯の気遣いに感謝しながらも、浴室のドアから漏れ聞こえる喧嘩を聞いていた。

 「じゃあ、あんたが今まで私らを遊びに連れて行ってくれたことあるの?」

 「それなりに遊びに連れて行ったり、俺やなくてもじいさんたちと遊んでるやろ?」

 「そういう問題とちゃうの。父親として何にもしてくれてへんっていうてるんやろう」

 「誰が金稼いでこの家支えてると思ってるねん。恥ずかしいと思え」

 父の一言は、母に相当のダメージを与えたのだと思う。それきり母は黙りきり、たった一言『あの子らは巻き込まんといて』と言ったのを記憶している。


 私は子供なりに、こんな母親と父親にはなりたくないし、出会いたくないと星や月に願った。どうか、隣の水野さんのような母親や、物静かでも威厳のある人に出会いたいと願った。今思えば、私はかなり大人をなめきった、非常に面倒な子供だったんだなとつくづく感じる。


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