第七十五話 【十理遺されし白墨の街】2
遠景は白霧にかすんでいる。
僕と先生は雪を踏みながら歩く。寒さはさほどでもないが息のすべてが真っ白に染まり、僕の内面の熱をすべて吐き出してしまいそうな錯覚に陥る。
「先生、なるべく僕から離れずに、橘姫の本体が僕たちを襲うかも」
「頼りがいがあるね……でも大丈夫、自分の身ぐらい守れるよ」
先生の袖から筒が出ている。いつぞやのゴム式の銃だろうか。先生のことだしさらに改良されてそうだが。
「それにしても奇妙なビルですね……」
有機的と言うのか前衛的と言うのか、その姿は大蛇のうねるようで直線というものがない。枯れ木のような、あるいは竜の死骸のようなビルが林立している。
「これはまだ中途段階、建築における力学というのを想像しきれてなかった頃の産物」
「そうなんですか?」
「君が何百年もあとの未来人だとして、こんな変なビルに住みたいと思う?」
それはまあ、住みたくない。
何しろ何階建てかも分からないし、内部にどう階段や廊下が配されてるのか想像もつかない。
そのような奇妙なビルの区画はやがて変化する。
現れるのは今度は円柱型のビルだ。全周に風車の羽のような、あるいは靴べらのようなものが生えており、ビル全体が何かの撹拌装置にも見える。
「あれが完成形だね。やはりこの区画もあるのか」
「あれが……」
歩き続ける。何時間も歩いてるようでもあるし、数分のようでもある。遠くから金属が激しくぶつかり合う音、爆発音、大量の雪が吹き上がる音などが聞こえてくる。桜姫が戦っているのか。
ここは円筒の世界。
無数の羽を生やしたビルがいくつも並ぶ。ビル同士を直線で結べば六角形を敷き詰めた眺めになりそうだ。
「あのビルは何なんですか? ランドマークタワーみたいに都市機能がぎゅっと詰まってるとか?」
「それはある意味で正しい。あれは自己完結しているビルだ。周囲の羽は風力発電の風車だよ。数千枚の羽で風を受け、内部にエネルギーを供給している」
なるほど、よく見れば羽根はくるくると回転している。単独できりもみ回転する風車なのか。
「内部には商業区、居住区、工業区、そして農業工場や畜産プラントを持っている。必要なものをすべて内部で製造できる」
そういう妄想は僕もやったことがある。
ノートに大きなお城を書いて、工場だとか農場だとかを区割りしていく妄想か。
……いや、でも、先生がそんな遊びを?
「ライオットラウド!」
声が響く。同時にビルに突き刺さる雷光。僕は稲光の中で目を見開く。連続する雷撃、音速で膨張する空気が大気を引き裂く。光の中心にいるのは桜姫。
「あれは……橘姫の攻撃か、あれだけの電撃を……」
「あんてな!」
背後に展開する雪の結晶のような構造物。雷撃がその先端から放たれる。そして背後のビルに突き刺さり、小爆発を連鎖的に起こす。
「クラウディドーター!」
飛来する無数の影、橘姫の集団だ。桜姫が大剣を構え、突進をかけるそいつらを斬り飛ばす。どんな刃をしているのか、橘姫の分身たちに触れた瞬間にはバラバラに分解、斬るというより砕くような眺め。
すさまじい数が襲っている。桜姫はジェットで全身を回転させながら叩き落としていく。
「ギャラルガンズ!」
橘姫たちが集まる。その体が一度細かく砕けて再構成。一秒とかからず形成されるのは二連の長大なレール。その間を高速で行きかう雷気、そしてレールの間には人の頭ほどの金属球。
次の瞬間、球体は世界から消失。音速をはるかに超える速度で金属球を打ち出す兵器か。
桜姫は回避が間に合わずまともに食らい、ベクトルを全身で受けてそのまま背後のビルに突き刺さる。
「桜姫!」
「レールガンか。あのシンプルな造形であれだけの質量を射出できるとは。橘姫の演算性能もかなり上がっている……」
大丈夫なのか、まともにビルに突き刺さったように見えたぞ。
その、僕の目の前で。
ビルが変形している。どてっぱらに巨大な穴をあけられた格好。
だが奇妙なことには瓦礫が降ってこない。それどころか窓ひとつ割れていない。全体が柔らかく歪んでいるように見える。ドミノ倒しのような質感がビルの表面を走っている。
「あれは……」
「私は当時、こう考えていた。建築物を生命だと仮定するなら、その倒壊は死だろう。では死に抵抗できる建築物とは何か。答えは全体を単一なユニットで組み上げ、結着も接着もせず自由関節によって自立させること。あのビルはすべての衝撃をユニット間で受け渡し、自己修復のエネルギーとして吸収する。それは液体に似ている。液体に穴を開けても次の瞬間には元に戻るように、あのビルは衝撃や破壊を柔らかく包みこんで無効化する」
信じがたい眺めが展開される。ビルに空いた穴の衝撃がビル全体をゆっくりと走り、全体を一周して戻ってくると、穴が液体のように自然にふさがっていくのだ。
「不死のビル、それが私の結論だった。あの中にいる人々は外に出る必要もなく、物資も、技術も、文化も内部で生産できる。あれは一つの生命であり、一つの惑星」
「そんな事が……」
ジェットの音、桜姫が飛び出してくる。激しく回転しながら背面ジェットの推進力でビルからビルへと飛び移る。橘姫は自分の分身を捕まえて大口径砲、誘導ミサイル、大型機銃などに一瞬で加工して迎撃。
だが桜姫が速い、ジグザグの軌道で攻撃を避け、橘姫の分身を撃ち落としていく。
「よし、桜姫のほうがスペックで凌駕してきている、勝てるよ」
先生は言っていた。あの2体は自己進化するロボットだが、桜姫のほうが上手くできた自信があると。
橘姫は何年も自己進化を重ねているが、桜姫のほうが成長速度は上なのか。その差が出てきているのか。
「インビンシブウォール!」
数十体の橘姫が集まり、形成されるのは四角い板。
光を反射しない真っ暗な板だが、その表面では金属の火花が上がっている。何か、メカニズムがぎっしりと詰め込まれている気配が。
その板が桜姫めがけて飛ぶ。桜姫は迎撃しようとしたが、何かを感じて回避。
行き過ぎた板はビルの側面にぶち当たり、あろうことかそのまま壁面を削り取りながら直進する。
「おそろし!」
「桜姫! そいつに触れるな! 回避しながら本体を叩け!」
破壊的な構造を圧縮したシールドマシンのようなものか。あの不死身のビルを削るとは。
だがビルの方も尋常ではない。削られた部分を中心に表面が裏返っていくような連鎖現象が起き、その波が返ってくると傷の表面が少し縮む。
そしてまた連鎖の波、あれを繰り返して傷口を塞いでいくのか。その動きは脈動のよう、それとも脱皮を繰り返す線虫のようだ。
「昼中くん、あっちのビルへ」
先生が言う。体に力が入っておらず、僕にもたれかかるように歩いている。どうしたんだろう、疲れ果てるほどは歩いてないと思うが。
「大丈夫ですか先生、メイド服だと寒いんじゃ」
「この服は空調機能を搭載してるから心配いらない。それより、あのビルは……」
ロボットたちの戦いを避けて、ビルの一つへ。
内部はごく普通の商業ビルに見える。先生は中央にあったエレベーターに乗り込み、僕も同行する。
「何か……変な感じだ、頭が重い」
僕に体重を預けて言う。
「振り返るのは嫌なのに、思い出さずにいられない。内的衝動が外から与えられてる感じだ。この重奏では私の記憶が「外」にある。目を閉じても五感の全てで感じる。逃げ場がない……」
「先生……?」
「昼中くん、君も見てくれ、一人で見るのは耐えがたい」
ふと気づいた、エレベーターの外が見える。
エレベーターが完全にクリアーな素材になっており、上昇していく中ですべてのフロアが見えるのだ。
最初はオフィスだとか会議室のような眺めだったが、段々と素朴な、畳敷きの部屋に変わる。
四畳半の小さな部屋、ガラクタで半分埋まって、あらゆる家具に文字のような傷がつけられた部屋。エレベーターは速度を増し、部屋は無限に連なって、ストップモーションアニメのように連続性を持つ。
少女がいる。黒髪は腰より長く、擦り切れたシャツとやせ細った手足。画鋲の先で板切れにがりがりと文字を刻む。
窓の外には雪が降っている。だがいつもの白い街ではない。外には他の家も見えていた。どの家も電飾で着飾ってお祭りの気配。軽快な音楽が聞こえる、笑い声も。
「6歳の頃のクリスマスだ。私はいつものように部屋にいた。母は恋人と会っていて家におらず、私は窓の外から不死のビルを夢想していた」
「……」
「この頃には私は家を出る決心をしていた。がらくたを組んでハム無線のようなものを作り、電波で世界に呼びかけていた。電波には私のいる場所と、いくつかの数学的なアイデアを織り込んだ。世界にはこの微弱な電波を聞き取って、私を必要と思ってくれる人がいると考えた。いないのならば、私がこの世界でやるべきことは何もない、そう思った」
それはアンテナの生えた箱のような機械だった。手回しハンドルで電気を起こし、二股のアンテナから電波を飛ばしているようだ。
階下から音がする。小さな音だが、なぜかシンバルをかき鳴らすように巨大な音に思える。
「私は母へのプレゼントを用意していた。母にはそれが必要だと考えた。クリスマスに、母に何かを与える人はいなかったから」
倒錯がある。
だがそれは先生にもうまく言語化できず、したとしても聞くに耐えないものだっただろう。先生は母親にプレゼントを与えて、この家を出るつもりだった。それについて、深く読み解くべきではないのだろう。
少女のほうの先生が手に取る、それは造花だ。プラ版に熱を加えてひねったもの。それを複数まとめて百合の花のようなものを作っている。一枚の花弁はプロペラの羽のようなカーブ。あの不死のビルに生えた羽根と似ている。
「あれは雛形だよ。不死を生み出す起点であり、回転することで衝撃や腐食を受け流せるユニット。あの形状には一つの完成された世界がある。あれは不死の王国の歴史書であり、設計図だ」
少女が階段を降りていく。ストップモーションの世界の中で視点が切り替わり、階下の居間へ。
女性が一人、テレビを見て笑っている。赤くて分厚いコート。投げ出されたヒールの高い靴。むしり取られたように散らばるゴールドのネックレス。
さほど年かさでもないのに濃い化粧をして、酒に酔った顔は真っ赤だった。顔にはどことなく喜の感情が潜み、にやにやと何かを思い出し続けるような薄ら笑いを浮かべている。
黒髪の少女が降りてくる。少女は階段を降りるなと言われていたはず。
僕も一瞬緊張したが、怒鳴られたりはしなかった。派手な化粧の女性はきわめて上機嫌で、少女の髪をくしゃくしゃにいじって笑う。
先生は百合の花のようなものを手渡す。それはブラスチックの板でできた素朴な贈り物。不死の秘密が隠された宝。
派手な女性はにたにたと笑い、空のコップにそれを置いた。
「私はこの時、完全に絶望したんだ」
「え……」
絶望、それはやはり、先生が母親と違っているからだろうか。あの羽根の秘密を理解できなかったから。
僕がそう言うと、先生は首を振る。
「違う、あの女には理解できていた」
「! まさか……」
「間違いない。彼女には羽根の秘密が分かっていた。この女はあるいは私以上の天才だった。理解できているのに、なぜ大きな世界に出ていかないのか。なぜこんな小さな町で、つまらない男との逢瀬に溺れているのか理解できなかった。母は羽根の入ったコップを窓辺に置き、それきり興味を失ったようだ。私はこの女に恐怖した。私の理解を超えたものがあった。大いなる断絶、その距離に絶望したんだ」
その時。
どかんと押し開かれる扉。黒いスーツを着た男たちが何人も入ってきて、黒髪の少女に群がる。
「その時ちょうどお迎えが来た。どこかの誰かが私の電波に気づき、私をここから連れ出してくれると分かった」
母親は。
先生の母親であるはずの人物は、特に抵抗はしない。酒に酔った赤ら顔で、恋人との一時を思い出すようなにやけた顔で、頬杖をついて少女を見つめている。黒服が何かを説明していたが、右から左に聞いてるのが分かった。
そして、ただ一言。
口を大きめに動かして、声なき声を発する。
――ばかな女、と。
衝撃と轟音。
天井が破られたのだ。景色は一瞬で切り替わり、コンクリート張りのビルの内部となる。
「見つけた……これが1つ目のアイテム」
橘姫だ。体のあちこちから白煙を上げ、メイド服は焼け焦げている。その足元には砕けたガラスのコップ、そして白手袋をはめた手には、あのカーブを描く羽根が。
「橘姫……」
エレベーターも消えている。いや、すべてのビルもだ。
ここは雪原の只中。すぐそばには乗ってきた木製の橇がある。
まさか、僕たちは一歩も動いていなかったとでも言うのか?
この雪原で、妄想のような時間を過ごしていただけだと……。
「その羽根から技術を取り込んで、それでどうする。ロボットであるお前に不死なんて大した意味はないだろう」
「ロボットのイモータリティなど言うほど万全ではありません。100年もムーブを続けるマシーンは無く、電子基板は10年も持たない」
そこに飛来する大剣、橘姫は瞬時の反応でそれを弾く。
「まるでバッファロー、トークもできません」
橘姫はつま先の力だけで飛び上がり、ジェットをふかす。僕たちの眼前で雪が舞い上がり、そして橘姫は高空へ消えた。
「昼中くん、橇に乗るんだ」
「……」
「桜姫、戻っておいで、やつを追うよ」
この世界、紛れもなく先生の過去。思い出したくもない嫌な記憶。
サンタクロースは何を考えて僕たちを送り込んだんだ。
先生はもう子供じゃない。嫌な過去を振り切って、西都で新しい人生を送っていたのに。
この旅の果てに、何があると言うんだ……。




