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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第七章 甘味の王と姫騎士さん
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第五十九話





翌日。


僕は西都の西側、温泉宿やらホテルやらの居並ぶ道をずんずんと進み、やがて山登りの風情になって源泉地へと向かう。


「残念だったなあ、勝てるように計算して用意したメニューだったんだけどな」


登るのは僕と亜久里先生。姫騎士さんは剣道部で忙しいし、黒架には今回の異変のことは伝えてないのでこういうメンツになる。先生はさすがにメイド服ではなく赤褐色のジャージ上下である。登山用の杖を両手に持ちながら岩場を進む。


「やっぱり勝ちに来てたんですね……」

「そりゃそうだよ。別に私、あのケーキ屋さんを勝たせる約束とかしてないから」


というより、と先生は杖を持ち上げ、それで雲をかき混ぜるような仕草をした。


「私、あのご主人がハンターだとか信じてないから。魔法なんてあるわけないし」

「またそんなことを……」


ソワレも桜姫や橘姫がロボットであることを認めてなかったし、このかたくなな感じは何なのだろう。


「先生の言う重奏アンサンブルでしょう。魔法の世界もあるし超科学の世界もある、それは重なり合って存在してるってだけでしょ」

「おっと源泉が見えてきたね、たぶんあれだ」


露骨に話をそらされた。なぜそこは折り合おうとしないのだろう。


とはいえ源泉である。茶褐色の岩肌が露出した岩場に硫黄の匂い、白煙が何かの行列のようにゆっくりと斜面を下っていく。


僕たちが目指したのはいくつかある源泉の一つ。地面に直径80センチほどの穴が空いており、その脇にポンプ装置が置かれてパイプが穴の奥へ伸びている。周囲にはフェンスなどは無い、割とシンプルな作りだ。


「これだね」


その穴からはもうもうと湯気が噴き出しており、穴の周囲に黒カビのようなものが付着している。よく見ればカビは穴のずっと奥まで伸びている。


「私の方でも無限堂さんの湯ごねパンを分析した。そして確信できたのは、このスターターとなる菌は一種類じゃない。二種類の菌がほぼ五分五分で混ざり合っている」


先生はカビのようなものを採取しながら言う。


「はあ、そうなんですね」

「ここもっと驚くとこだよ」


先生は不満そうだった。そう言われても何がおかしいのか分からない。


「あのね、発酵を促すイースト菌とか酵母ってのは基本的には一種類の菌でしょ。コウジカビでも納豆菌でもそう、菌が何かをかもすってのは、ただ一種類の菌による王国なのね」

「まあそうですね」

「ところが無限堂さんの使ってたスターターは違った。二つの菌が常に同じバランスで存在している。互いに捕食しあいながらせめぎ合っている。普通はこういうことはありえない。菌を混合状態で放置しておけば、必ずどれか一つが生き残るか、コロニーを形成して互いに住み分けるようになる」


なるほど、姫騎士さんの見せたあの風景、無限に戦いが続くような世界はその菌の世界なのか。


無限堂さんはその菌をこの黒カビから見出してパンに使ったわけだ。

しかし、普通に考えてこんなカビを使おうと思うだろうか。あるいはそこが、菌の意思が介入したポイントなのか。


「姫騎士さんは菌が意思を持ってると言ってました。無限堂さんを操って自分を運ばせ、あの会場から世界中に広がる計画だったとか」

「科学者としてはとても信じられないんだけど……まあ姫騎士さんに関してはお手上げな部分もあるから、異論は言わない」


先生は更にサイコロのような機械を穴の中に落とす。それが手元の箱型端末にデータを送っているようだ。


「何を落としたんですか?」

「カメラ。コロニーがずっと奥まで続いてるね……もう光はないはずだし、80度近い高熱の源泉の中なのに」


僕もその映像を見る。なるほど縦穴の中は黒カビで覆われている。機械が照らす光の中で、そのコロニーは黒い絨毯のように毛足を伸ばしていた。ざわざわとうごめくように見える。

カメラはさらに沈降、パイプを横に見つつ進めばやはり壁は黒カビの眺め。数十メートル、あるいはもっと奥まで。


そして唐突に画面が消える。


「どうしたんですか」

「圧潰したみたい……おかしいな、まだ20メートルも潜ってないよ。大した水圧じゃないはず」


西都は温泉の湧出量が安定しており、江戸時代からずっと変わらないらしい。そして温泉源の深さは1000メートルとも2000メートルとも言われている。


「予備のカメラはあるけど……まいいや。今日はサンプルだけにしとこう」


先生はそそくさと荷物を片付け始める。それは何かの不気味さを感じ取ったがゆえか。

あの穴の底には何があるのか。菌だけの繁栄の世界。人類がまだ見ぬ生態系。それにわずかなおそれを抱いたのか。そう考えてしまう。


「あれですかね。海の底で温泉を浴びて生きる生物とかのあの話」

「うわあ雑な言い方。答えたくないなあ」


僕と先生は下山に移る。実のところ源泉は立入禁止なのだ。町会の見回りもあり、この登山はそのスケジュールの隙間を縫って行われている。


「熱水噴出孔でしょ。深海で高温の熱水が噴き出すポイントがあり、周囲の海水やミネラルが反応して原初の生物が発生したって話」

「それと似たようなことですかね」

「条件が何もかも違う。せいぜい言って、温泉の環境下で菌が特異な進化を遂げたってぐらいかな。信じがたいけど、二つの菌のうち片方が制圧されず、コロニー化もせず、いわば一心同体、戦い合うことでバランスを取るような特殊な存在となった……共生関係? いや、それとも違う……人間の男女のようなもの? いやいやまさか……」


独り言のようになってきた。そろそろついていけなくなってきたので話を変える。


「管理はしっかりお願いしますよ」

「はーい、それと、その石灰の袋はちゃんとゴミに出すんだよ」


バレてたか。

僕はリュックを背負い直す。中身は5キロの石灰の袋だ。菌のコロニーを消毒するつもりだったが、どうやら量が足りないらしい。


「心配しなくても、これは生態系が特殊なだけでただの菌だよ。世界をどうこうできるものじゃない」


そうだろう。姫騎士さんももう危険はないと言っていた。コロニーを全滅させようとしたのは、それが可能ならばの話だ。


「その菌の大将は姫騎士さんと一緒に退治しましたからね。もう世界が滅んだりはしないでしょうけど、気をつけてください」

「世界が滅ぶ、ねえ」


先生はどこか投げやりな気配だった。遠い空に視線を伸ばしながら歩く。


「そうですよ。姫騎士さんの力で滅びを回避したんです」

「当たり前のように言ってるけど、世界ってそんなに紙一重のものだったっけ。もし今回、姫騎士さんが盲腸か何かで入院してたらどうするの。さっき言ってたみたいに世界のすべてが甘くかもされて・・・・・終わるの?」

「そうはなりません。姫騎士さんは病気に倒れたりしない」


それに、と僕は続けざまに言う。


「先生だって見たでしょう。先日の遊園地の件、掛け値なしに世界が滅びかけた。勝てたのは姫騎士さんの力です。その前の……先生が知ってるものだと桜姫がハッキングされた件、あれだって世界の危機に繋がりかねなかった」

「それはまあ」


人知れず世界は何度も危機を迎えていて、姫騎士さんのような存在がそれを防いでいるのか。

しかしそれは通常、感知できない。重なり合った世界の物語。姫騎士さんはそんな重なり合った世界の守護者なのだろうか。


「ある意味では、全てが幻かもしれない」


先生は夢の話をするように言う。


「私はただの科学好きの養護教員で、あのソワレって人はただのケーキ屋さん。黒架さんは髪を金色に染めただけの美少女。姫騎士さんは剣道少女。昼中くんはその二人との三角関係に悩む若者」

「茶化さないでください」

「悩ましいよねえ。私なら二人と同時に付き合っちゃうけど、あの二人を相手にそれは難しそうだ。君にどちらかを選ぶなんて出来るわけないし、かといって両方を諦めるには遅すぎた」


魔法も科学も、すべてが幻でも。僕の置かれた状況だけは現実。そんな気がする。

僕には逃げ場がなく、選択のしようもなく、悩むことを止めることもできない。

最後に僕がどうなるのか、まるで見通せない。 


だがそんなことも、些末なこと。


世界が滅ぶという予言。その圧倒的で支配的な言葉の前に、僕のそんな悩みすら卑小なものに成り下がる、それもまた絶望的。


だが受け入れる。

受け入れると決めたのだから。


何があっても姫騎士さんのそばにいる。黒架のそばにもだ。それが矛盾だと分かっていても、この身が二つに裂けても。


「恋とは不安定な天秤のようなものである」


先生は唄うように言う。


「どちらかに傾けばそれは結婚とか家庭とかに変わるだろう。揺れる天秤が傾くまでの一瞬の光景、あるいは左右に振れる絶妙なバランス。そんな喜劇的な光景こそ恋である」

「からかってるんですか」

「私が思うに、もっとも危険なのは姫騎士さんだね」


空気がぴしりと締まるような感覚。鼻をかすめる硫黄の匂い。


「とても不安定な状態だ。恋に悩んでるというだけじゃない。何か物理的な危機が姫騎士さんを襲う気がする」

「どうしてですか」

「姫騎士さんが強すぎるからだ。世界を滅ぼす意思があるとするなら、姫騎士さんを何とかすることが絶対条件。逆を言うなら、その手段が存在するからこそ滅びの予言が生まれた」


……なるほど、道理だ。

だが存在するのだろうか。姫騎士さんを何とかできるほどの存在なんて。ジャスティスマスクの時は地球を丸ごと武器にしたほどなのに。


「僕が守ります」


僕のやることは決まっている。姫騎士さんを守る。戦いがあるならその役に立つ。たとえ姫騎士さんに比べれば象と蟻ほどの差があるとしても。


「そう……」


先生は少し言葉が重くなってるように思えた。何か気になることでもあるのだろうか。


「今度、富前霧街道に行くんだっけ」

「ええ、もう三日後です」

「たぶんまた何か起こるんだろうけど、気をつけてね。そして昼中くんも自分の身を守るんだよ。むやみに危険に身を晒したりしないように」

「それは」


抗弁しかけたか、思い直す。


「わかりました」


姫騎士さんを守りたい。だが同時に姫騎士さんを悲しませたくない。


ああ、何もかもが二律背反。


天秤はどちらにも傾かない、不安定に揺れているだけの刹那的な日々。これが青春だと言うなら、なんと危うげで果てしない日々なのか。


西都の町が見える。

温泉が彩る古い町。さびれているけど歴史を秘めてる、新しい何かが生まれようとしている町。


その町で、僕たちはどこへ向かうのか。


何も分からない。分からない日々を積み重ねる。


今はただ、この胸の痛みだけを愛す。


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