第五十八話
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「合計43点! なかなかの高得点です! 『コーヒーショップひなげし』の自家製マドレーヌでした、みなさん拍手をー!」
司会者の女性は灰色のアフロのようなかぶり物に茶色い縦縞のツナギ。桶に溜まった湯の花を表現してるとかで、西都ではお決まりの衣装だ。
僕は会場へと戻って黒架と合流し、しばらくコンテストを観戦していた。
審査は50点満点、5人の審査員がそれぞれ10点満点で審査する。西都の町長に商店街の組合長、それに姫騎士さんもいる。
「去年はたしか無限堂が優勝したっすよね」
「そうだな、今年の花に見立てた饅頭も美味しそうだった」
無限堂の審査はすでに終わっている。姫騎士さんの満点を含む46点という好成績だが、現時点では3位だ。これも先ほどの戦いの影響だろうか。
「パンと白玉饅頭の中間の食感……興味わくっすよ」
黒架はトマトジュースをすすりながら体を揺らす。僕たちは会場の端の方で車止めに腰掛けていた。
さて次で14番目か。参加者が15組だったはずなので、残り二組は先生とソワレだ。
「あ、亜久里先生っす」
傘のように水平方向に広がるスカートに、高いヒールで強調された脚線美。スマホが一斉にシャッター音を鳴らしてカメラマンも先生へと寄る。
「はいこちら、西都に今年オープンしましたメイド喫茶『はんど☆メイド』の店長さんです!」
司会者の女性があれこれ話しかけるのに対して、先生はなぜか真剣な眼差しをしている。
「さあ今回はどんなスイーツをお持ちいただきましたか!」
「はい、私たちのお店ではパフェやケーキ、プリンなど様々なものをお出ししていますが、それは町のケーキショップでも食べられるものです。メイド喫茶ならではの食べ物といえば、私はオムライスだと考えます」
なぜか堅苦しい口調である。町会長さんなど中高年もいるからメイドのノリは控えているのか、それとも勝負への意気込みの現れか。
「オムライスですか? なるほど、それを甘ーく仕立ててるんですね」
「はい、ではこちらをどうぞ」
クロッシュ……料理にかぶせられる銀色のドームを取り除く。カメラマンが料理にぐぐっと近づく。
それは、チキンライスだ。
ケチャップのビビッドな赤色、ぴんと米の一粒一粒が立つような炊きあがり、やや大きめの鶏肉がごろっと転がり、グリンピースが緑のアクセントを添える。
「ふうむ……? これはただのチキンライス……いや、これは」
審査員の5人の前にも同じものが並べられ、仕掛けに気づいた者から順に驚愕の顔を見せる。
「そう、これはソースで描いたトリックアートのチキンライスです」
町会長がチキンライスにスプーンを入れる。それはメレンゲと卵白で作られた白っぽいオムレツ生地、そこにソースでチキンライスを描いているのだ。
「な、なんという!? これはラズベリーソース! それでここまで写実的な絵を!?」
紋付袴姿の町会長さんが手を震わせ、先生はそちらに体を向ける。
「はい、特殊なインクジェットプリンタにソースを詰めて印刷しました。図案であるチキンライスはオムレツの形状に合わせて自動生成されます。ラズベリーソースにイチゴジャム、グリンピースの緑はピスタチオソースです。陰影はチョコなどで付けています」
おおお、とやや遅めのどよめき、その時間差が先生の仕掛けの凄まじさを物語る。頭で理解できてもすぐには信じられない技術だ。
「しかも中に詰まってる白いもの! これはライスではない!」
町会長さんも立ち上がりつつ叫ぶ。
「その通り、圧力と熱で米を糖化させたお菓子、いわゆるポン菓子です」
二段構えの驚きか。
チキンライスを崩すと白米が出てくるわけだが、ブイヨンとチキンを予感してた舌には少し興醒めな眺めだ。しかし先生は米をポン菓子にすることでさらなるエンターテインメントを仕掛けたのか。
「な、なるほど、チキンライスの絵を描いておいて、中身がやはりチキンライスというのは何とも芸が無い、中身にまで意外さと楽しさを詰めているのかっ!」
「しかもメレンゲの多いオムレツにポン菓子がよく合う、なんという完成度……!」
確かにすごい、先生の技術力が遺憾なく発揮されてるし、メイド喫茶らしい楽しさもある。と言うか町のスイーツコンテストのレベル超えてないかな。
「先生これ本気で勝ちに来てるな……」
「ほええ、食べてみたいっす。昼中っち、今度一緒に行くっすよ」
「さあ! これは高得点が期待できそうです! 審査員の皆様、得点をどうぞ!」
そして上がる10点の行列。
いや、一人だけ。
「10点10点10点9点10点!! 合計49点! ここまでの暫定トップに躍り出ましたー!」
先生は胸の下で腕を組む。少し不満そうだ。それも理解できる、あのオムライスは完成度といい新しさといい一流だったからだ。減点の要素など思いつかない。
9点を上げたのは……審査員の一人でスーツ姿の女性だ。司会者はコメントを求める。
「確かに素晴らしいオムライスでした。しかし卵黄をほとんど使ってないことで卵らしさが削がれた気がします。メレンゲオムレツの軽い口当たりと、ポン菓子の軽い味わいはソースの重厚さがあっても少し物足りなさを覚えました。限りなく10点に近い9点です」
先生はまだ不満げだったが、メイドらしく清楚な礼を残して去っていく、波のような拍手がその背中に降り注いだ。
「あの人って誰っすか?」
「ええと、パンフレットによると西都病院の院長先生だって。ゲストに招いたらしい」
まだ若いしかなりの美人だけど、冷徹というか凛々しいというか隙のない眼をしている。そうか、西都病院の新しい院長ってあの人か。
ちなみにここまで10点を出す率が一番高いのは姫騎士さんだ。ほとんど全部の店に出してる。
ちゃんと全部完食してるし、姫騎士さんの料理への愛は海のように深い。
「さあ次が最後のお店です。同じく今年、西都に出来たばかりのケーキショップ、『Flamme blanche』のご主人です!」
現れる、そのダンディズムの化身みたいな姿にまず黄色い声が上がった。古びた柱時計のような落ち着きと、雪に閉ざされた国のような見事な白髪。黙ってればまあ色男だろう。
「初めましてご主人、フランスから来られたと聞いていますが、なぜこの西都にケーキショップを開こうと思われましたか?」
「ここは良い町です。日本らしい懐かしさのある町並みと、豊かさを感じる温泉の匂い、住む人々もみんな優しい、旅行でこの町に立ち寄ったときに、一目で気に入ってしまったのです」
その流暢な日本語に感心したような声が上がる。そういえば気にしてなかったけど、アクセントでかろうじてネイティブではないと分かるぐらいで、ソワレの日本語にはまったく不自然さがない。まあ伝説のプロらしいし、そのぐらいやれるだろう。
「私はフランスで菓子職人をしておりました。この町でケーキを通じて、少しでも文化の架け橋になれればと思っています」
「よく言うっすよ、本職はハンターのくせに」
「ほんとにな、仕事はぜんぶ金が目的だって言ってたぞ」
黒架は露骨に渋い顔になって、なぜか僕に体重を預けてくる。車止めの上でもつれつつ、黒架の食べてたポップコーンを少しもらう。
そしてクロッシュが取り除かれ、現れるのは緑色のケーキ。司会者が尋ねる。
「これは何でしょうか? 抹茶とかですかね」
「これはほうれん草を練り込んだケーキです。ほうれん草の自然な甘さを活かすため、砂糖は一切使っていません」
「砂糖を使っていない……」
審査員は目に見えて空気が重くなる。ほうれん草が西都の名産なことはみんな知っているが、それにしてもそのケーキは色が濃すぎた。椿の葉かと思うほどである。どんな青臭さが潜んでいるかとフォークの先が鈍くなる。
「おいしいです」
声につられて町長さんと組合長が目を向ける。それは姫騎士さん。上品な所作でケーキをそっと口に運んでいた。
「とても濃厚でこってりとした甘さです。これがほうれん草とは信じられません。まるで練乳のようです」
そのコメントを受け、他の審査員も口に運ぶ。
そして町長さんと組合長の髪が、ぞわりと逆立った。
「こっ……これは!?」
「甘い! なんちゅう甘さか!」
「使ったのは寒締めのほうれん草です」
ばさり、とソワレが取り出すのはほうれん草の束。束を閉じてあるテープに外国語が見える。
「一般的なほうれん草の糖度は3前後、特に甘い品種で4から5。しかし冬の間に寒さに晒す寒締めのほうれん草の場合、その糖度は7から10に高まります。栽培方によってはブドウに匹敵する17から20まで上げることもできるのです。しかも、えぐ味の原因となるシュウ酸はむしろ減少します」
「し、しかし寒締めの野菜は冬の終わりにしか収穫できんはず。西都でそんなほうれん草を作ってる農家もないはずだ」
問うのは商店街の組合長さん。さすがというべきか西都の野菜にも精通している。ソワレは落ち着いて頷きを返す。
「その通り、今回使用したものはアルゼンチンから空輸しました。寒締めのほうれん草を作っていた探究心旺盛な農家がおられたのです。南半球は今、冬ですからな」
地の底から響くようなどよめき。
「私は世界各地を旅しました。その中で様々な野菜も見てきた。寒締めのほうれん草は日本でも作られていますが、15度以上に糖度を上げる農家は多くありません。野菜としての用途が限られてくるからです。しかし皆さん、お手元のケーキはどうでしょうか」
言われて、組合長もはっとなる。
「そのケーキを一例として、私は多くの人に考えてほしいと思っています。すなわちスイーツとしての野菜です。西都の町は歴史も古く、鉱山を含めて数多くの産業を経験し、街道筋として多くの文化的交流のあった土地。新しいものを生み出す可能性を秘めた町なのです。そんな新しさを予感させる味として。そのケーキをご用意させていただきました」
胸に手を当て、うやうやしく礼をする
沈黙――そして拍手が。
観客から散発的な拍手が起こり、それはまたたく間に会場全体に伝播した。会場の外側を歩いていた通行人までが足を止め、ステージにいる白人男性を見る、その謙虚で慎ましい姿に我知らず拍手を送る。
「くう……ソワレのやつ完全に会場を味方につけたっす」
「ああ、さすがだな、ケーキもメッセージ性があって良い出来だったけど、こういう人心掌握術もハンターとしての技術なのかも……」
そして、評点。
「10点10点10点10点10点、出ました50点満点! これが最後の組ですので、『Flamme blanche』の優勝決定でーーーす!」
「つまんないっす! 昼中っち、もう行くっすよ!」
「わかった、バス停のほうで西都中の吹奏楽部が演奏してるらしいし、そっちを見てからゲーセンにでも……」
鳴り止まない拍手と喝采。ステージには参加者が全員上がってきてカーテンコールの眺めである。
「……?」
いま、目が。
誰かと目が合った気がした。
誰だろう。ソワレではなさそうだし、姫騎士さんでもない。無限堂のご主人なはずもない。
「昼中っち、トマトジュースもう一杯買うっす」
「まだ飲むのか? おなかタプタプになるぞ」
「うわなんか懐かしい言い方っす……」
そうか、黒架は目立つからな。
金髪で赤目のその美しさは群衆でもひときわ目を引く。彼女に向けられた視線が僕の視線とかち合っただけか。
いずれにしても黒架の不機嫌をなだめないといけない。今日はファミレスで肉でも食べようか。それとも公園を二人で散歩しようか。
拍手はまだ止まない。
僕たちは拍手から逃れるように、町の隙間へ潜り込む。そして二人だけの夜を待つ。




