第二十八話 【百眼の蛇の途吊れ夜市】2
「なんだか……妙な場所だね。こんな風に遠景が闇というのはあまり記憶にない」
確かに。空に星は見えるが、星座などは見つからない。どこか義務的に散らばっているだけ。この場所は現実世界と地続きという感じがしない。
そこで気づく、僕は手ぶらだ。桜姫は連れてこれないようだ。
「この場所……衛星をキャッチできないな。GPSが使えない。地磁気も存在しない……」
先生は箱型端末を駆使して情報を集めている。だが手応えがないようだ。僕はスマホに呼びかける。
「姫騎士さん、敵がここにいるんだろうか」
「おそらくは……」
姫騎士さんの声が遠い。遠いというより、複数の声がかぶさってるように聞こえる。いくつかの言語で同じことを喋っているような。
「昼中さん、この通話が命綱です。私が戻ってと言ったら、そちらの通話音声のボリュームを上げてください。最大になってもさらに上げ続けて。それで帰還できます」
「わかった。ありがとう姫騎士さん」
僕はスマホを胸ポケットに突っ込む。姫騎士さんからどう見えてるのか分からないが、いちおうカメラが前を向くようにした。
「屋台街だね……なんだか大陸風だな。看板も。台湾にある夜市ってやつかな。行ったことないから曖昧だけど」
先生が周囲を撮影しつつ言う。確かに看板や料理は日本のそれではない。
屋台の料理は美味そうに見える。豚の角煮だとか、ビーフンと野菜の炒めもの。ひき肉を丼に仕立てたような料理。イノシシの串焼き……。そんな眺めだ。
「変わったお店もあるね、家具屋に子供服。テレビが積んであるのは電化製品かな……あっちは本屋か、本の屋台って珍しいな」
僕はしばらく歩いてみる。飲食の屋台だけでなく、服や小物、占いや似顔絵の店、射的や輪投げもある。立方体の提灯で飾られてるのが中華風というか台湾風というか。
先生は妙に調和して見える。メイド服の持つ魔力か、どんな場所でも自分の立ち位置を守る鎧なのか。それともミニスカを堂々と履きこなす先生の脚線美のためか。
「お店以外の建物がないですね……二階建てになってたりもしない」
「あのハッカーがどこかにいるはずなんだけどね。隠れてたりすると面倒になるな」
無数の鎖によって吊られる道は、網目のように複雑に絡み合っている。しかし立体性はなく、坂や階段は無い。
歩いてる人は話しかけても反応がない。恋人風に手を繋いでいるペアもいるが、子供や老人は見えない。これも何というかNPC的だ。何もかも人工的で完成度が低い世界、という印象。
「……どうしましょう。一軒ずつ虱潰しに探しますか」
「ううん……なんだか妙だね。相手のリアクションがない。それに時々見かける蛇は何なんだろう」
それは小さな蛇で、視線を送ると即座に隠れてしまう。食材の上を這っていたり、道行く人の襟元から潜り込んで、足元からぼとりと落ちたりする。
「……」
「手がかりがないよ昼中くん。どうしたものか……」
「いえ、先生、相手からリアクションがないのは良いことです。少なくとも向こうから一方的に攻撃される事態よりは良い」
そもそも、この場所は何だ?
先生に記憶のない場所なら、桜姫に関連する場所でもないだろう。桜姫は起動してからまだ半年と聞いている。
この場所は、桜姫を覗いていた誰かの世界だろう。
「ここはきっと、桜姫に干渉している人物の内面か、そいつの操っているコンピュータに関連した重奏です。ここにある本は、敵の情報環境の具現化です」
「メモリーという意味? だとしても結構な数だよ、ここから情報を手に入れるのは……」
「姫騎士さん、何か方法はないかな」
「……」
わずかな沈黙。そこにためらいの息遣いを感じる。
おそらく姫騎士さんには僕以上にこの世界のことが見えている。何か方法があって、それは言いたくないことなのだろう。
「お願いだ、姫騎士さん」
「では……どこかでペンを調達してください。そして、本屋さんに」
店の並びはそれなりに把握できてきた。文房具を売ってるお店があったのでペンを拝借。そして本屋へ。背表紙を見る限りは中国語の本のようだ。
「その中に数字がありますか? それを適当な数字に書き換えてください」
言われたとおりに。適当な本の適当なページを開いて、数字を適当に書き替える。
足元が揺らぐ。
大きな振動と、地の底から突き上げるような叫びだ。人間のものとも思えない高音の叫びが聞こえる。
「……苦しんでる、みたいな声が」
「これ……もしかしてレジストリを書き換えてる? そうだ、これ独特な言語だけどプログラムだよ」
先生は本のいくつかを抜き出し、左右に持ってすごい速さでページをめくる。
「なるほど、見えてきた。じゃあこのへんの数字を極端に大きくしたら」
かきかき。
またも振動。空間全体が波打つようだ。そして地面がぞわりとうごめく感覚。何か紐状のものが視界に入る。
蛇だ、何匹かの蛇がもんどりうって苦しんでいる。吊り橋のような道の上で暴れ、落下していくものもいる。
店舗の影から、あるいは道行く人の着物の中から、ぼたぼたと蛇が落ちてくる。膿が染み出してくるように。
蛇の眼が。
赤く、縦筋の入った眼が僕を見ている。恨みがましい視線を向けたかと思うと、その口が上下にぱっくりと開く。
「てめえら何やってやがる。どうやって俺の腹の中に入った」
蛇が言葉を話すという異様さに驚くよりも、そののたうつさまに奇妙な憐憫を覚える。蛇からはどのように見えているのか、どのような痛みを感じているのか。
「説明の必要はない。お前が乗っ取っている端末を解放しろ、そして二度と手を出すな」
「ふざけろクソナードが、ドライブごとデリートしてやる」
がくん、と足元が傾く。
「! 先生、走って!」
店の外へ、その視界の端でちぎれた鎖が落下していく。そして背後で崩落の気配。一瞬、足元の板が無重量状態になって鳥肌が立つ。
区画が。数十の店舗を巻き込んで屋台街の一区画が落下していく。通行人も店主も何の反応も示さぬまま、闇の奈落へ。
引きずられて消えていく提灯の行列、何匹かの蛇。
「初期化……いや物理消去したな。クラック小僧のやつ相当焦ってる」
先生の言葉と同時に、背後に気配。
「何か……」
それは蛇の尾を持っている。
両手はハサミで、くちばしも長く鋭くハサミのよう。人の間を這いずって動き、鎖を切断している。全体はザリガニのような。腕のある蛇のような半端な印象。
「あれって、どこかで見たような」
確か、網切りとかいう妖怪だ。鋭いハサミのような手とクチバシで、漁師の網を切るという妖怪。
切る……なるほど、僕の認識の問題か、あるいはそれの性質が形を持つのか。混沌にひそむ異能は妖怪のような姿になるのか。
じゃこん、と先生が右腕を思い切り伸ばす、そこに黒い筒が。え、ちょっと待っ。
ばあん、と物凄い音圧。超音速の物体に空気が押しのけられる音だ。網切りが上半身を弾けさせ、背後の建物が爆弾でも浴びたように吹き飛び、灰のように崩れる。
「先生、前もって言ってください!」
というかなんだそのゴツい銃は。銃身の太さがリコーダーぐらいある。よく見れば排気塔のようなものがトリガー部分から飛び出ている。まさか制動のための反作用装置か。
「というか銃なんか持ってていいんですか」
「これゴム式だよ。超圧縮したゴムの反動で実体弾を打ち出す。私の開発したゴムで270キロの反発力がある。ゴムで打ち出す場合は法には触れないの」
そういえば炸薬の音はしなかった。とはいえ屋台が全壊して、中にあった果物とかがコナゴナになっている。
「とんでもない威力出てましたけど」
「まあそれはうん、男の子ってこういうの好きでしょ」
「そんな上目遣いで言われても」
ぎしり、と鳴き声が。
そして敵意の風が。
見れば蛇が無数にいる。それらはネズミを吞んだように胴体が大きく膨れ上がり、全体が肥大化、先端が三つ又に分かれて腕を形成し、さらに口が大きく裂けて、伸びる。
網切り、それが数十体も生まれて町のあちこちに散っていく。
「! やばい! 根こそぎ消す気か」
その妖怪たちが建物を、鎖を、板の足場とそして人間たちを切り刻み始める。ハサミを受けたものは瞬時に灰色に染まり、砂のように形が崩れていく。
「こいつ!」
先生が銃をブローバックする。排出されるのは縦長のゴム塊だ。そしてすぐさま次弾射出。打ち抜かれた網切りがコナゴナに吹き飛ぶ。
「だめだ先生! 数が多すぎる!」
崩落が始まっている。板の間から見える闇に区画ごと落下していく。
僕たちは走る。網切りはこちらを襲ってはこない。ただ町を、鎖を切り刻むのみ。
やはり、こちらを直接は襲ってこない。ここが体内に等しいから暴れられないのか。それとも手を出すのを恐れているのか。
「このままじゃすべての区画が落ちるよ! どこかで迎え撃とう、一区画だけでも守らないと!」
「……いや、敵の本体を探すべきです。そいつは動き回ってますが、メインデバイスは一つのはず、そこに逃げ込むはずです」
最初から、こいつが桜姫の口を借りて喋っていた時から感じている。
その直情性、言動の粗暴さ、強がってる割に逃げ隠れする臆病さ。
そこから見えるのは、幼児性だ。
つまり、こいつは本当の子供じゃないのか。だとすれば。
僕は先生の手を引いて走る。そして至るのは子供服に玩具、子供向けと思われるエリア。
積み重なったテレビで外国の子供番組が流れ、お菓子の甘い匂いがして、丈の短い服が並ぶエリア。
「……やっぱりか」
そいつはそこにいた。ひときわ大きなザリガニのような姿。ハサミの手を持ち、長いくちばしを持つ肥大した体、それが屋台に半分もたれかかっている。
「なんなんだよお前ら! わけわかんねえ! なんでここに来るんだよゴミどもが!」
他のエリアがすべて落ちていく、世界にはこの小さな屋台だけ。僕たちと網切りだけ。足元には奈落へ向かう流星群。
「簡単だ、お前が覗いていた店のメイドさんはみんな大人びている。お前の趣味の傾向だろう。なのに子供服のエリアがあるのは不自然だ。特殊な趣味でないとすれば、お前の個人的な生活環境の象徴に違いない。つまりお前にとって一番身近なデバイスだ。男物の服が多かったしな」
「ぐっ……」
それだけで特定できるものでもないだろう。だが当たった以上はとことん強気に出るべきだ。こいつからもっと激昂を引き出さねばならない。
「もうお前の負けだ。お前の操っている少女のロボットを解放しろ」
「ふざけんな! この××××どもが!」
がち、と、そいつはハサミを鎖にあてる。
「全部デリートしてやる! てめえらみたいなクソ××××にナメられるもんかよ!」
がちん、とハサミが食い込み、鎖の輪がひしゃげる。
「昼中さん、危険です」
胸元のスマホから声が。
「戻ってください。もう相手には力がありません。あとは現実世界で対処できます」
確かに、こいつは持てるデバイスを物理的に消去している。レンジで熱したのかドリルで破壊したか、もう桜姫を奪還するのは簡単だろう。
「やってみろ」
だが僕は呼ばわる。もう少しだけ、あと少しだけこいつに肉薄したい。
「すべてデリートしてしまったら、お前はもう何もできなくなるぞ。どうせネットで色々やらかしてたんだろう。それが残らず露見する。お前はコンピューターがなければ何もできないクソガキだ。分かっているのか、自分の力を捨てることの意味が。怖い大人がお前の家に押し掛ける。部屋のドアを蹴破って、太い腕でお前を押さえつける。襟首を捕まえてお仕置き部屋に連れていくぞ。お前はブタのように泣きわめくことになる」
「ぐ、う……」
「昼中さん、挑発はやめてください、そこが落とされたら……」
落ちたら、僕は意識を失うだろうか。
植物人間にでもなるのか。
だが仕方ない。僕は覚悟の上でこいつを挑発している。やめろと言われればヤケになってやる、そういう奴だ。もはやこいつのパーソナリティは見切った。
僕はこいつが許せない。桜姫に干渉したことも、卑劣な盗撮行為を行ったことも、安っぽい挑発も。
そして、こいつの異能が。
怪物になってしまったこいつが放置された時に、送るであろう不幸な人生が許せない。
「なめ、るな」
網切りは、その自我が肥大しきった怪物は、眼を灼熱に燃やしてハサミを閉じようとする。
ようやく理解できた。なぜこの件にあれほどこだわったのか。何が僕を動かしていたのか。
そう、覗きとは怪物。
こいつは妖怪であり、異能であり、人の世界から外れようとしている。僕の部屋を覗いていた一つ目の怪物のように。
「昼中くん、何を」
僕はスマホのボリュームを最大に、それを脇にいた先生の耳に押し当ててさらにボリュームアップの物理ボタンを押し続け。
こいつを引きずり出す。闇から、異能の領域から、こいつのデバイスすべてと、僕自身を道連れにして。
姫騎士さんが僕にそうしたように。僕もまた誰かの異能を。
「なめんなこのクソ野郎があああああ!!」
鎖がぎちりと切られて、壁が、あらゆる物体が、僕と網切りの体も崩れて闇の底に堕ちていって――。




