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最終話

 さて、晴れてユーインと結婚――を前提としたお付き合いをすることになった私だけど、日々のスケジュールにそれほど大きな変化はない。


 勉強をして、セリーナやシャノンに連れられて視察や散策に行く。

 カジノが再開したらそっちにも顔を出し、使用人たちの仕事ぶりを観察する。


 ……でも、以前よりもユーインと一緒に過ごす時間は圧倒的に増えた。まあ、彼は今でも私の先生なので、よく一緒にいるのは養父も公認だから、おかしなことじゃない。


 ……おかしくはないけど。


「……んっ……あ、あのっ、ユーイン!」

「ん? どうかなさいましたか? ほら、足を前に出して。もっと私の体に身を預けて……そう、いい子ですね」

「ひっ……! み、耳元で喋らないで……!」

「おっと……」


 とうとうがくっと脚が折れて、床にへたり込んでしまいそうになった体を、ユーインがすぐに支えてくれる。

 ……いや、支えて「くれる」っていっても、この人が原因なんですけどね!?


 ユーインはそのまま私の背中と膝裏に腕を回すと、ひょいっと持ち上げた。……どう考えても彼が楽に持ち上げられる体重じゃないから、多分魔法を使っているんだろう。


 それでも、女の子がときめくシーンを再現してくれる彼はいい男だ。

 ……いや、これも全てこの人が原因だけどね!


 ユーインは私をソファに座らせると、バランスを崩した拍子に少し乱れてしまったドレスのスカートを直し、ふわっと微笑んだ。


「お疲れのようですので、少し休憩しましょう」

「や、まだ疲れてはないし、誰が原因だと」

「お茶でもお持ちしましょうか? ああ、それともお菓子がいいですか? なんなら両方でも、すぐに持ってきますよ」

「……どっちもいらないから、ここにいて」

「はい、お嬢様の仰せのままに」


 かいがいしく世話を焼こうとしたと思ったら、嬉しそうに顔を緩めて私の隣に腰を下ろす。

 今日の彼はダンスレッスンの相手をするために、動きやすいパンツとシャツ姿だった。脚のラインにぴったり寄り添うパンツは、彼の脚の長さを際立たせている。……この人、股下何センチなんだろう……?


 これまで私の家庭教師になってくれていた人たちは全員契約解除になったから、今はユーインが私に礼法からダンスから文字まで、全部教えてくれている。

 そこまでしなくていいと言ったんだけど、ユーイン本人が養父に申し出て、養父も彼のカジノでの仕事を一旦お休みにして私の教育に当たるよう言ったそうだ。


 ユーインは博識だし、運動神経もいいからダンスも上手だ。字もきれいだし、ぶっちゃけ私を淑女に鍛えるよりユーインが女装すれば全てが丸く収まるんじゃないかと思うくらい。


 そして、彼は教えるのがうまい。褒めるところは褒め、間違った時にはちゃんと指摘してくれる。

 それも、私が拗ねたり機嫌を損ねたりしないような言い方をしてくれるから、こっちも楽しく真面目に頑張れるので、助かっている。


 ……ただ一つだけ、問題があるとしたら。


「……あのさ、ユーイン。ずっと思っていたのだけど、授業中は口説くのをやめてくれない?」


 私は思いきって指摘した。

 そう、彼と恋人同士になってから、やたら口説かれるようになったのだ。


 朝は頬へのキスから始まり、廊下ですれ違うたびに恥ずかしくなるくらいの愛の言葉をぶつけられる。

 私がちょっとでもふらついたらすぐに飛んできて、大げさなくらい世話を焼く。


 夜になったら、おやすみの挨拶。私は「おやすみ」って言って、ぎゅっと抱きしめてもらうくらいで十分嬉しいのだけど、ユーインはそれで終わってはくれない。


 顔中にキスされて、「早くあなたと一緒に眠りたい」「あなたの寝顔をいつまでも見ていたい」「ベッドの中であなたの可愛い声を聞きたい」と切なそうに訴えてくるものだから、あーあー、聞こえませんー! また明日ー! と強引に追い出すまでが一連の流れ。


 終わった時にはぐったりで、おかげさまなのか毎日よく眠れた。弊害として妙な夢を見ることが多くなったけど……それはまあいいや。


 セリーナやシャノン曰く、「恋人ができた男はこんなもの」とのことだけど、私には……あまりにもステップアップがすごすぎて、心が疲れる。いや、決して嫌じゃないんだけどね。

 嫌じゃないけど……。


 でも! 授業中くらいは、やるべきことに集中させてほしい!

 そしてこの人は、自分のでろ甘ボイスで私の腰は簡単に砕けるということを、早く理解してほしい!


 けれども、指摘を受けたユーインはきょとんとした。

 あ、この表情は結構レアかもしれない。付き合うようになって彼はわりと色々な表情を見せてくれるようになったけど、この顔は結構幼そうに見えて可愛いかも。


 ……と思っていたら、徐々にその顔が悲しそうに歪んでいくものだから、私はぎょっとしてしまった。


「……そんなに迷惑でしたか? 分かりました。お嬢様の迷惑になるのでしたら、控えます……」

「い、いや、あのね、迷惑とかいう問題じゃないの。あなたに口説かれるのは嫌じゃないけど、ほら、さっきみたいにダンス中だったらこけるかもしれないし、勉強中だったらせっかくあなたが教えてくれるのに、頭に入らないかもしれないし……ね?」


 ……本当はもっと強気にばしっと言ってやろうと思ったのに、あんなにしょぼんと言われたら勢いが削げるし、なんだか私の方がとんでもなくひどいことをしているみたいじゃないか!


 だからまごまごしつつ言葉を選びながら言ったのだけど、とたんユーインはにっこりと微笑み、私の頬にちゅっと軽くキスをした。


「そういうことなら、安心しました。……俺の恋人は、とても可愛くて恥ずかしがり屋だということですね」


 う、うん?

 そういう結論でいいの? 違う気がするけど……。


 それに、一人称が「俺」になっている。どうやら彼の素はこっちらしく、よほど驚いた時、もしくは――これから私をベタベタに甘やかす時に、「私」が「俺」になると、私は学んでいた。


 つまり、やばい。

 身の危険を感じる。


「あ、あああああの! ユーイン、やっぱり私、お茶が飲みたいなぁ……なーんて」

「お茶なら、後でいくらでも作って差し上げます。それよりも今は、あなたの可愛い顔をもっと見ていたい。愛しいあなたを抱きしめたい。……だめですか?」

「だっ……」

「……」

「…………お手柔らかにお願いします」

「はい、ありがとうございます」


 またしても私、敗北。

 多分これから先ずっと、レスバやにらめっこで彼に勝てる日は来ないだろう。


 私の言質を取ったユーインは、「失礼します」と断ってから私の体を抱き上げてくるっと横向きにし、自分の膝の間に座らせてから抱きしめてきた。

 彼は背が高いから、私の体は彼の腕の中にすっぽり収まってしまうし、案外居心地がいい。


 ……ま、まあ、今日くらいは許してあげてもいいかな!


「……キーリ様。俺は、あなたに一秒たりとも寂しい思いをさせたくないのです」


 私のつむじに顎を乗せていたユーインが、静かに言う。

 どう見てもふざけている様子ではないので、私は彼の胸に身を預けて次の言葉を待った。


「あなたは、この歪で優しくない国に無理矢理連れてこられ、肉親やご友人と引き離されてしまった。……きっとあなたは、それは俺たちの罪ではない、とおっしゃるでしょう」


 私はこっくり頷く。

 確かに、もう二度と故郷に帰れない、両親にも、友だちにも会えないというのはかなり身に堪えた。この世界に来たばかりの頃は、泣き明かしたし八つ当たりもした。


 でも、それを皆のせいだとはちっとも思わない。むしろ皆は、この歪んだ国を変えるために、奔走してくれたのだ。


「だから俺は、あなたを側で支えたいのです。俺にできることなら何でもして、あなただけを見つめ、あなただけを一生口説き、悲しい思いをする暇がないくらい、俺で包み込みたい」

「……」

「……キーリ様?」


 ユーインが戸惑ったような声を上げる。それもそうだろう。

 真面目な話をしているというのに、私が肩を震わせて笑っているからだ。


「……ふふ。つまりユーインがいつでも私を口説くのは、私が寂しくないようにするためなのね?」

「それもありますが、一番は俺自身の欲望のためですね。まあ、今すぐどうこうしようとは思いませんが、俺はいずれあなたの家族になりたいと思っています」

「家族……」

「はい。この世界に来てよかった、と思うのは難しいでしょう。でも、結婚する相手がユーインでよかった、とは思ってほしい……思わせたいのです」


 私は、少し身じろぎした。

 ユーインの腕も私の動きに会わせて少し緩み、私が寄り掛かりやすいように体の位置をずらしてくれる。


「……ねえ、ユーイン。一つ確認と、一つお願いがあるの」

「はい、なんなりとどうぞ」

「……もう、私以外の女の子を口説いたりはしないよね?」

「絶対に、この命に懸けてでもしません」


 ものすごくすっぱり言い切ってくれたので、ほっと安心してしまう。

 そんな私は案外、独占欲が強くて業突く張りなのかな。


「……前、あなたが門の前で女の子を口説いているところとか、カジノできれいな女の人に迫られているのを見たことがあって、モヤモヤしていたの。考えてみれば、その時から私はあなたのことが好きだったのね」

「門? ……ああ、あれですか。ありましたね。あとカジノでは、目が合いましたよね」

「……うん」

「あれはどちらも社交辞令です。もう二度と遊びませんし、他の女性も口説きません。そもそも、あなたほど魅力的で可愛くておもしろい女性はそうそういませんからね。浮気なんて絶対にしません。誓います」

「最後の一つは余計。……それから、お願いね」

「はい」


 私は一つ呼吸を置き、「桐花」と呟く。


「私の本当の名前……桐花、っていうの。知ってた?」

「……いえ。俺があなたと接するようになった時には既に、キーリ・ブラッドバーンの名を与えられていたので」

「そうよね。床次桐花、が私の本当の名前。……もうお父様たちも忘れているでしょうね」


 二十一年間、付き合った名前。

 きっとこの世界ではもう二度と、誰も呼んでくれることはないだろうフルネーム。


「あなたはきっと、私のことをキーリと呼べと言っても遠慮するでしょう。でも……二人きりの時だけでいいの。桐花、と呼んでくれたら嬉しい」

「……あなたの真名を、俺が呼んでもいいのですか?」

「うん、呼んで。もちろん敬称も何も付けずに、ただの桐花って呼んでほしい」


 それくらいしか、私が彼に差し出せるものはない。


 これからキーリ・ブラッドバーンの名を墓場まで持って行く覚悟はできている。でも、生みの親が付けてくれた名前を死ぬまで忘れず……誰か一人にだけでいいから呼んでもらいたかった。私はキーリであるけど、桐花でもあるのだと覚えていたかった。


 ぎゅっ、とユーインの腕が私を抱きしめる。


「……かしこまりました。……キリカ、愛しています。これからは、からかいの言葉も愛の言葉も、全てあなただけに」

「……うん。私も大好き、ユーイン。私が口説かれて恥ずかしくなるのも、嬉しくなるのも、あなただけだからね」


 顔を上げ、見つめ合う。青紫の双眸に自分がくっきり映り込んでいて、その目が優しく細められた。


 静かに唇が重なり、お互いの指と指を絡め合う。吐息をする暇さえ惜しむように、何度も何度も、触れあう。


 柔らかな初秋の日差しが降り注ぐ中、寄り添い合う私たちの髪にはそれぞれ、お揃いの髪紐が踊っていた。

これにて完結です。

お読みくださりありがとうございました!

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