第46話
「……ご存じの通り、私は貧しい生まれです。今も家族に仕送りをし、旦那様のご厚意でなんとかブラッドバーン家に身を寄せられている身です」
「……」
「しかし、私には力があります。私の魔力であなたの生活をよきものにし、私の武術であなたを害する者からあなたを守ります。そして――あなただけに愛の言葉を囁き、あなただけを想います」
……どくん、どくん、とかつてないほど激しく胸が高鳴る。
前に、セリーナから教えてもらったことがある。リベリアの男は恋愛に対して非常にオープンだけど、たった一人の愛する人を決めたら絶対に他の女性を口説かないし、浮気もしない。男たちは、一生この人だけを口説きたいと思う女性を妻にするのだと。
顔が無茶苦茶熱い。多分、みっともないくらい赤面しているんだろう。
さっきから目元が熱くて、だんだん目の前が潤んでくる。
いよいよ水の中にもぐったかのように視界がぐちゃぐちゃになったところで、清潔な布が目元に押し当てられ、柔く微笑むユーインの顔をやっと見ることができた。
「……私は女性を泣かせる趣味はないと、以前言いました。しかし……涙を流すあなたは、とても可愛らしい」
「っ……! 可愛くなんか、ない……!」
「いいえ、とても可愛くて、いじらしくて、抱きしめたくなります。……お嬢様。私はあなたのそんな顔を、他の誰にも見せたくないのです。もしあなたが泣くとしたら、私の胸の中だけであってほしい。あなたを慰められるのは、私だけであってほしい。……そう思っています」
「……私、だって……こんな顔、ユーイン以外に、見せたくない……!」
「嬉しい言葉をありがとうございます」
ユーインは、笑う。
釣られて私も、不細工ながら笑ってしまう。
……ああ、本当に。
私はこんなに、ユーインのことが……。
「……私と、結婚してください」
まるで祈りの言葉のように、限りない優しさを込めて希われた。
断るはずがない。断れるはずがない。
「……はいっ」
「キーリ様……」
「私……ユーインがいい……ユーインに、家族になってほしい……! ずっと側にいて、今までみたいに意地悪を言って、励まして、側にいてほしい……!」
「……もちろんです。これからは、意地悪な言葉も、愛の言葉も、全て……あなただけに」
ユーインが私の両手を取って重ね、自分の額に押し当てた。
シャノンが教えてくれた、男性が恋人だけにする愛情の仕草。
ユーインがそれをし、私がそれを許したと分かった瞬間――
パチパチパチ! という大音量の拍手が響き、私たちはぎょっとして音のした方を見やる。
「おめでとう、キーリ、ユーイン! ああ、いいものが見られたよ! そうだろう、ジャレッド?」
「……そうですね」
王様に意見を求められた養父はぼそっと言い、葉巻を吸った――けれどとっくの昔に火が消えていたようで、それに気づいた彼は渋い顔で火を付けている。
「ジャレッドはやはり、可愛い娘が結婚するとなって寂しがっているようだね。……ああ、そういうことで、キーリ。君は心の中にいる人ときちんと想いを通わせられたようだし、この勝負はユーインの勝ちだね。私は大人しく引き下がるよ」
「……えっ、あ、あの、陛下。もしかして陛下は――」
――最初から、こうなることを見越していたのですか?
そう問いそうになったけど、立ち上がった王様は唇に人差し指を当て、微笑む。
「……これくらいでしか、私は君に感謝の気持ちを伝えられない。でも、君が私にとって大切な人であるというのは、これからもずっと変わらないよ。……それじゃあ、フられた男は潔く退散するとしようか」
「陛下……」
ユーインも気遣わしげに、王様を呼んでいる。
周りの家臣たちが、最初からこうなることが分かっていたかのように手際よく退出の準備をする中、ふと、王様は私たちを見て微笑んだ。
「それと……私たちの結婚の話はなくなったけど、国としては全く問題ないから気にしないでくれ」
「え?」
「私は国内の貴族と婚姻を結ぶ気はないと言ったが、それだけだろう? 他国の王侯貴族を始めとして、いくらでも候補はいる。まあ、いつか君にも私の妃を紹介すると思うから、その時にはどうか仲よくしてやってほしいな」
あまりにもあっさり言われ、私はしばし呆然とし――それもそうだ、と今になって気づいた。
王様は何も、国内の娘と結婚しなければならないわけじゃない。隣国の姫や有力貴族と結婚すれば他国と強い結びつきができるし、このご時世なら他の上流市民階級の娘との結婚だってあり得るだろう。
それに――まあこれを口に出す気はないけど、どうしてもブラッドバーン家の娘というのなら、独身のセリーナがいる。何も、私じゃなくてもいいのだ。
「それに、キーリがよそに嫁ぐのなら護衛とかが大変だけど、ユーインと結婚するのならつまり、嫁入りじゃなくて婿入りだろう? だったら君たちはこれからも、ブラッドバーン家の強力な庇護のもとで暮らせる。ジャレッドはもちろん、アラスターだって妹を守るだろうし……そうだよね、アラスター?」
王様に問われ、それまで放心していたアラスターはセリーナに背中をひっぱたかれ、やっと覚醒してこくこく頷いた。
「は、はい、もちろんです! 私も妻のシャノンも、キーリを家族としてこれからも守り続けます!」
「うん、そういうこと。それじゃ、部外者は退散しようか。……また今度、キーリ」
王様はそう言うと、大勢の家臣たちを引き連れて颯爽と去っていった。
ブラッドバーン家の使用人たちも、国王陛下一行をお見送りしたり片づけをしたりと動き始め、私はぽかんとして周りを見渡していた。
……なんだか、嵐のような時間だった。
「キーリ」
名前を呼ばれ、そちらを見る。
葉巻を灰皿に捨てた養父は私を見、肩を落とした。
「……君を養女に迎えた時は、まさかこのようになるとは思ってもいなかった。君は本当に、ユーインのことを愛していたのだな」
「……すみません、お父様。ご恩に背くような――」
「キーリ! それは、言ってはならん! 君を見初めたユーインの愛情を足蹴にすることになる!」
いきなり大声を上げられたから、私のみならず周りの皆もびくっとし、養父を怖々見やった。
そんな中でもユーインは怖じ気づかず、私の手をそっと取って微笑んだ。
「お嬢様は、いつまで経っても恥ずかしがり屋で、ちょっと自己肯定感が低いですね。私は大丈夫ですよ。……あなたの気持ちは、誰よりもよく分かっているつもりですから」
「……う、ううん。ごめんなさい、滅多にもないことを言って……」
ユーインは慰めてくれるけど、確かに今のは私の浅慮だった。それに、養父がユーインのことを認め、尊重してくれているという証だ。
それなのに必要以上に卑屈になった私が、間違っていたんだ。
謝った私をいたわしげに見つめた後、ユーインは養父を見つめる。
「……順番が間違ってしまったような気がしますが、旦那様。キーリ様は私が生涯を掛けてお守りします。ですのでどうか結婚……あ、いえ、まずは結婚を前提にした交際から始めることをお許しください」
「ユーイン?」
なんで、わざわざ言い直したんだろう。一応私も、その……プロポーズを受けたんだから、覚悟はできているつもりだし……それなりに。
ユーインは私を見、きゅっと優しく手を握った。
「……私は思うのです。あなたは春よりは成長なさいましたが、まだまだ教育の余地があると」
「…………うん?」
おやっ、なんだか嫌な予感がするぞー?
「ですので、これからは私があなたの恋人として、しっかり教育を施します。これまではどこかの誰かの花嫁になるために『授業』をしていましたが……これからはあなたが私の花嫁になる準備として、時間をかけてあなたを調きょ――いえ、教育するべきだと思うのです」
ちょっと待て。今、「調教」って言おうとしたな?
私はやっぱり小動物か鳥か何かなのか? うん?
さりげなくやばい発言を噛ましたユーインだけど、養父は見て見ぬ振りだし、セリーナとシャノンは頬を赤くしてはしゃぐ始末。唯一アラスターだけはすごく物言いたげな視線をユーインに注いでいるけれど、本人は素知らぬ顔だ。
……あれ? なんだかユーインって結構、みんなに気に入られている?
じとっと見上げると、いつもの不敵な笑みを浮かべたユーインに見下ろされ、悔しいけれどその眼差しにどきっとしてしまう。
……多分私はこれからもこの人にからかわれ、翻弄され、調――じゃなくて教育されるんだろう。
でも、なんだかんだ言ってこの日々を楽しむんだろうし、彼の真面目な顔や優しい態度に溺れて……どんどん好きになってしまうんだろう。
「……ユーイン。大好き」
まさか、今の今で私がこんなことを言うとは思っていなかったのだろう。
ユーインの余裕そうな表情が崩れ――私の見間違いじゃなければ、今、彼の耳がほんのり赤くなった。
さりげなく髪をいじって隠されたけれど。きっとそうだ。
「……本当に、あなたには勝てませんね」
「普段は私が負けっぱなしだから、たまには勝ちを譲ってくれればいいでしょう?」
そうでしょう? 意地悪で、つかみ所がなくて、飄々としていて……でも誰よりも優しくて素敵な、ディーラーさん?
私が囁くと、参った、と言わんばかりにユーインは笑った。そして――
「……愛しています。私の可愛い……お嬢様」
皆の前で抱き寄せられたと思ったら、唇同士が重なった。
互いの皮膚の感触を楽しむような、温もりを分け合うような、生まれて初めての優しい触れあいに酔いしれていた私は、周りでセリーナたちが歓声を上げたのにも、アラスターが悲痛な声を上げたのにも、養父が片手でガラスの灰皿を粉砕したのにも、意識が向かなかった。




