第43話
「結婚の話は一旦置いておいて……ずっと渡せなかったものがあるの」
「……」
何のことですか、とは問われない。きっと彼も大体の予想は付いているのだろう。
それでもポーカーフェイスを貫くから、さすがディーラーと褒めたくなる。
「もうだいぶ過ぎちゃったけど……盛花祭の日の夜、時間をもらいたいって言ったよね。これをあなたに、渡したくて」
そう言ってスカートのポケットからラッピングした袋を出し、彼に差し出す。ユーインはほんの少しだけ戸惑うような眼差しをしつつも、差し出されたそれを受け取った。
「開けて」と言うと、丁寧な手つきで袋のリボンを解き、中に入っていた髪紐を取り出した。
「……これは、髪紐ですね」
「ええ。四番街の工房の職人に作ってもらったの。……ほら、これ」
そう言い、私は首を横に向ける。このために今日、侍女に頼んで例の髪紐で髪を括ってもらっていたのだ。
私の黒髪をまとめるのは、銀色の布地に黒の糸で刺繍がされたもの。はっとした様子のユーインが手にしているのは、黒地に紫の刺繍が入ったもの。
同じ職人が作って、同じデザインの刺繍が入った、世界で一つだけの――一組だけの髪紐だ。
「その人がね、リベリアでは仲のいい人同士なら同性でも異性でもお揃いのものを身につけるのは、おかしなことじゃないって。私も髪紐ならほしいなって思っていたし、ユーインとお揃いのものを身につけられるのは……う、嬉しいから、一緒に作ってもらったの」
「……」
「あ、えっと……もしお揃いが嫌だったら、私は使うのをやめるから! それにユーインも、髪紐としてじゃなくても、鞄に付けるとか他の用途でも――」
「……本当に、俺がもらっていいのですか?」
掠れた声が、私の下手な言い訳を遮る。
ユーインは、揺れる青紫の目で私を見ていた。髪紐を掴む手は……私の気のせいじゃなければ、少し震えている。
私は微笑み、頷いた。
「ユーイン、いつもありがとう。あなたが先生になってくれて、本当によかった。それは、あなただけのものだから。私の……大好きな人への、贈り物なの」
ひゅう、と夕暮れ時の風が吹く。
……。
……い、言っちゃった!
なんだか色々勢い任せなところもあるけど、言っちゃった! ひゃあ!
自分で言ったくせになぜか体がうまく動かなくて、私は強張った笑みを浮かべ、彼を見た。
ユーインはしばらくの間硬直していたけれど……。
やがて、はぁぁぁぁ、ともはや深呼吸かと思うくらいどでかいため息をついた。
「……あなたが立派な淑女になったと思った私が、馬鹿でした」
「……え?」
「お嬢様、あなたはそういうことを軽々しく口にしてはなりません」
「なんで」
「なんで、って……さっきも申しましたが、あなたは遠からずどこかに嫁がれるのです。ミルズ領主だかなんだか知りませんが、いずれ高貴な方に嫁がれるご令嬢が、言葉の綾とはいえ男性使用人に大好きなんて言ってはなりません」
「ああ、それならお父様から話を伺っているのよ」
私が言うと、こんこんと説教モードに入っていたユーインが怪訝な目をする。
この様子からして……養父はあのことを、まだユーインには言っていなかったみたいだ。
「この前、色々あったでしょう? その結果、ミルズ領主を始めとした方々との縁談は白紙になったの」
「……はい?」
ユーインは不思議そうにしているけれど、養父にその話を告げられた時の私も同じような反応だったと思い出す。
そもそも、私が早いうちにどこかに嫁入りしなければならなかったのは、私が異世界人であることがばれないようにする必要があったからだ。
私が結婚して王都を離れ、長生きすればするほど宰相たちの勢力を削げられる。それが養父たちの目的だった。
でも宰相は罷免され、王様が権力を取り戻し、でかい水晶は破壊された。異世界人召喚魔法は未だに残っているけど、私が生きている限り次の異世界人は呼べない。
そして私が寿命を迎える頃には王様の統制によって召喚魔法を使える者は途絶えており、二百年間続いた忌まわしき慣習はこれにて完全消滅することになるのだ。
……つまるところ、私を急いで嫁がせる必要は全くない。
それどころか、相手の身元がちゃんとしていて私を守れるだけの力があるなら、領主や貴族じゃなくてもいい。
そういうことだから、今の私が誰に「大好き」と言っても咎められることはない……はずだ。
私の説明を、ユーインは目を丸くして聞いていた。でもだんだん彼も納得がいったようで、「……言われてみれば、確かに」と呟く。
「召喚魔法は陛下が禁じればよく、もしそれをしぶとく使う者がいても、あなたが生きている限りは意味がない。あなたの存在を隠す必要はないので、旦那様もあなたの結婚を急ぐ必要はなくなったのですね」
「そういうこと。……だから、その」
説明している間はちゃんと言葉が出てきたのに、今になって変に緊張してしまい、私はきゅっと唇を閉ざした。
ユーインはと言うと、手の中の髪紐をじっと見た後それをポケットに大切そうに入れ、私を見てきた。
夕日を浴び、青紫色の目が淡く染まっている。
その眼差しは真剣で、私の喉がごくっと鳴った。
……何度も思っているけれど、ユーインはとても顔の造形が整っている。そしてリベリアの男らしく口説き文句もスマートで、迫ってくる時の微笑みは色気が爆発している。
仕事ぶりも真面目で何事もそつがない、色っぽい大人の男って感じだ。
そんな彼が今、私をじっと見ている。熱が籠もっていて、同時に少し寂しそうでもあり、路頭に迷う子どものような頼りなさも感じられる、切ない眼差し。
どうして、そんな目で私を見るんだろう。
「……ユーイン?」
「……キーリ様。私は――」
「……じょうさま。キーリお嬢様、どちらにいらっしゃいますかー!?」
少し嗄れた女性の声がして、私たちははっと我に返る。そしてユーインはすぐに立ち上がるとベンチの後ろに回り、数秒の後にはベンチで休憩する私の護衛をする忠実な従僕の顔になった。
屋敷の外壁沿いの小道から、数名の侍女がやってきた。私を捜し回ったのだろう、声は嗄れているし、足取りも妖しい。
「ああ、こちらに! お嬢様、すぐにお戻りください!」
「何かあったの?」
立ち上がって問うと、駆けつけてきた侍女はゼイゼイ息をつきつつ頷き、とんでもないことを言った。
「国王陛下がいらっしゃったのです! お嬢様に、とても大切な話があるということなのです!」




