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第42話

 宰相がブラッドバーン家の襲撃を命じた際、経営するカジノにも国の手が伸びた。


 既に従業員たちは貴重品を持って逃亡していたけれど、以前私がミルズ領主と会った最大級のカジノは兵に押し入られており、中はぐちゃぐちゃになってしまったそうだ。


 今は国の制度見直しに力を入れているから、カジノの再建は後回し。無事だった他のカジノも、国の情勢が安定するまでは休業することになった。


 使用人たちは全員無事だけど、家庭教師になってくれた三人はどうなったのだろうか、と不安になった。でも、三人とも早めに王都を離れていて、息災のようだ。家庭教師の契約も、その時に切ったらしい。


 マダムは地方にある息子の領地に赴くらしく、「結婚の時には一報ください」という手紙が届いた。

 森本先生はしばらくの間は夫の家で過ごし、王都の情勢が落ち着いた頃にまた家庭教師の仕事を再開するつもりだから、いずれ王都で会おうと約束した。

 富田さんは地方で子ども向けの寺子屋のような場所で働くそうだ。彼には字の上達を見てほしいから、これからも文通をすることにしている。


 三人の先生方への手紙の郵送手続きをした私は、さて、と時計を見上げる。

 もうそろそろ、帰ってくる頃だろうか。


 庭に出る。門から外には出ないから、安心して、と侍女に伝え、私はラッピングした袋を手に部屋を出た。

 窓の外はほんのり夕方の色に染まっている。町の人たちも、そろそろ家路に就く時間だろうか。


 真昼を過ぎると、夏の日差しもかなり弱まってくる。

 真夏でも、この国は日本よりもずっと過ごしやすい。その分冬の寒さはかなりのものになるそうだけど、初めて過ごすこの世界での冬が、今から楽しみだ。


 門が見える日陰で待つことしばらく。

 銀色の光が踊り、私は日向に出る。


「ユーイン!」

「……キーリ様? どうかなさったのですか!?」


 駆け寄ったら、門をくぐったばかりのユーインはぎょっとした様子で少し身構えた。

 彼はここしばらく、魔法使いとしての手腕を生かすべく町のあちこちに飛んで回っていた。本来はブラッドバーン家の従僕兼ディーラーだけど今はそう言っている場合ではなく、問題解決のために外泊したまま帰ってこないこともしばしばだった。


 そういうこともあり、実は起きてから彼とまともに話すのも初めてだった。

 今日の彼はいつもの従僕服ではなく、作業のしやすいシャツにズボンというラフな出で立ちだった。多分、この後自室で着替えや湯浴みをしてから従僕の仕事に戻るつもりだったんだろう。


 ……どうやら彼は、久しぶりに見た私が走ってくるものだから、異常事態だと思ってしまったようだ。

 キキッとブレーキを掛けて止まった私は、首を横に振る。


「何かが起きたわけじゃないわよ。ユーインが帰るのを待っていたから、姿が見られて嬉しくて」

「……」

「おかえり、ユーイン」

「……ただ今戻りました、キーリ様」


 挨拶は返してくれたけど、ユーインの顔色はあまりよくない。さっきから視線を逸らしているし、表情もよくなかった。


「……ユーイン、お仕事で疲れた? それなら、すぐに休みましょう。話があったけど、それは後でいいから……」

「いえ、ご用事があるのなら今伺います。……こちらへ」


 顔を上げたユーインは、そっと私に手を差し伸べた。

 元の世界のヨーロッパと同じく、男性が女性をエスコートする時の合図だ。


 彼の体調が気になりつつも、私は彼の左手に自分の左手を乗せた。するとユーインはすいっと私の体を抱き寄せ、右手を私の右肩に乗せて歩き出した。

 これがリベリアでの正しいエスコート手順なんだけど、今まで実践したことはほとんどなかった。


 マダム相手に練習して、たまにアラスターが復習のために相手をしてくれるくらいで……ユーインの体温や匂い、力の強さが伝わってきて、変に肩に力が籠もってしまう。


 彼もそれに気づいたのか、歩きながら頭上でふっと小さく笑う声がした。


「……緊張されているのですか? こんなに肩に力を入れて、ふるふる震えて……リスのように可愛らしくてあどけないお方ですね」

「……わ、私を愛玩動物扱いしないでくれる!?」

「これは失礼しました。キーリ様はリスではなく、気まぐれな猫だったようですね」

「猫も愛玩動物じゃない!?」

「私は猫、好きですよ?」

「聞いてない!」


 相変わらずのらりくらりと私の反撃をかわす男だ。抗議の意味を込めて左手の甲をつねってやったけど、「可愛い抵抗ですね」と笑みを返されるだけだった。


 ……そんな言葉のやり取りも、私は嫌いじゃない。

 それどころか……かなり、好きだ。


 レスバでは絶対に勝てないけど、彼とぽんぽん言葉をぶつけ合うのは、楽しい。

 やっぱり彼は会話上手だし、本当に私が嫌がることはしないし、さりげなく褒め言葉を挟んだり紳士らしくリードしてくれたりする。


 なんだか彼の手の平の上でころころと踊らされているような気もするけど、ユーインならまあいいかな、と思ってしまう私はひょっとして、Mの気質があるのだろうか。

 自分はどっちかというとSだと思ってたけど……。


 ユーインが私を案内したのは、裏庭にある休憩所だった。ここは正面玄関側の庭と違ってどことなくひっそりしていて、建物の立地上日陰になりやすい。


 でも今みたいな夏だといい感じに涼しい陰ができて、パラソルの下で冷たいお茶を楽しめる。直射日光を嫌う花が咲く花壇や蔦植物が絡まる煉瓦塀など、この裏庭だからこそ楽しめる光景もあるので、私はここも結構好きだった。


 ユーインは鉄製のベンチに私を誘い、ポケットから出したハンカチを敷いた上で私を座らせてくれる。彼も隣に座るのかな、と思ったけど、私の斜め前で立ったままでいるつもりみたいだった。


「お話があるとのことですが……まず、謝らせてください」


 さてどのようにして切り出そうか、と思っていたら、ユーインの方から口火を切った。

 しかも……謝らせてください、って?


「えっ、何か謝らないといけないこと、した?」

「……あなたが長い間自室で休養せざるを得なかったのは、私が原因です」


 ユーインはその場に跪き、頭を垂れた。私の位置からは、彼のつむじしか見えない。


「吸引装置を破壊し、二度と異世界人の魔力吸引が行われないようにするため、という名目があったとはいえ、私はあなたの魔力を利用した。……吸引がどれほど辛く、怖く、恐ろしいものか分かった上で。申し訳ありま――」

「はい、待った」


 行儀がよくないと分かっているけれど、ユーインの言葉を制する。

 おそるおそる顔を上げた彼を見、私はぴっと人差し指を立てた。


 ……もしかすると彼は、このことをずっと気にしているかもしれない。そう考えていたから、私はすぐに対応することができた。


「今、ユーイン本人が言ったでしょう? あのでかい水晶を壊すためには、並大抵の魔法じゃどうにもならない。だからあれを破壊し、これ以上残酷な儀式が行われないようにするためには、私の魔力を使うのが得策だった。それには、私を助けに行けるだけの身体能力を持っていて、なおかつ優秀な魔法使いであるあなたが適任だった。……それだけのことじゃない?」

「そうかもしれませんが、御身を傷つけたことには代わりありません。……急激に魔力を吸い取られれば体が傷つき、後遺症が残る可能性も高くなると分かった上で、私はあなたを使いました」

「何度も言うけど、そうするしかない状況だったの。あなたが躊躇っていれば水晶は壊せなかっただろうし、宰相が反撃してもっと被害が出たかもしれない。……あなたは約束通り、この国に正しい秩序を取り戻してくれたでしょう?」

「……」

「……それに、さ。私、言ったよね? ユーインならいい、って」


 青紫の目が戸惑いに揺れるのを、私はどこか凪いだ気持ちで見る。


「他の知らない人だったら絶対嫌だけど……あなたなら、任せられる。吸い取られるのは気持ち悪いし、怖いけど、戦っているのはユーインなんだから、これくらい我慢できる。だから、あなたに全部をあげてもいい、って思えたの」


 きっと駆けつけてきたのが養父やアラスター、セリーナでも、同じように力は差し出しただろう。


 でも、こんなにも強い気持ちで「全てを差し出したい」と思えたのは、ユーインだったからだと思っている。


 この人は絶対に私を見捨てない、力を間違った方向に使わない、という絶対的な安心感があったからこそ、私は彼を信じることができた。


 私の気持ちは、伝わってくれただろうか。

 そう思って彼を見つめていると、やがて彼の目尻が垂れ、柔らかい笑みが象られる。


「……あなたにそう言っていただけて、光栄です。もちろん、あなたを守ると豪語しておきながら辛い思いをさせた自分を許せない気持ちは、ずっと残りますが……あなたも望んでくれていたのなら、少しはこの罪悪感も薄れるでしょう」

「……うん! それならよかった」

「はい。……とはいえ、ですね」


 優しい笑みを浮かべていた彼の口の端が、ほんの少し吊り上がる。

 それだけで、どことなく危険を孕んだ蠱惑的な微笑に移り変わっていき――あ、これやばい。


「……あなたも必死だったのでしょうし、元々無自覚なところもあるからあの場では聞き流しましたが……キーリ様」

「は、はいっ!?」

「いくら焦っていたからとはいえ、男に対して『全部をあげる』と言うのはいかなるものでしょうかね?」

「……を?」


 ……えっ? それ、私、実際に口に出していた?

 全然記憶にないんだけど!?


「わ、私そんなこと言ってたかしらー?」

「シャノン様の真似をしても無駄です。確かに言っていました。まあ、『全部の魔力をあげる』という意味だとは分かりますが……あまりよろしくない表現ですよね?」

「ひぃっ……!?」


 こ、これは甘く優しい口調ながら叱るという前兆だ!

 この後、ユーインはぐっと距離を詰めて耳とか首とかに息を吹きかけて――


 ……と思いきや、彼はすぐにいつもの穏やか笑みに戻り、立ち上がった。そして、慣れた仕草でおじぎをする。


「……と、まあ、これ以上は言わなくてももう分かりますよね? あなたはもう立派な淑女なのですから、わざわざ私が言わなくてもご理解なさっているはず。近いうちに結婚されるのですから、いつまでも私が手取り足取り指摘するのもおかしいですからね」

「……。……あの、さ。ユーイン」

「はい」

「ここに座って」


 とんとん、とベンチの隣の空いている箇所を突いて言うと、とたん彼はすっと表情を引っ込めた。

「それはできません」と言うのが目に見えていたので、すかさず言葉を続ける。


「命令です。座りなさい」

「……お嬢様の仰せのままに」


 少々反抗的な目をしつつも、ユーインはおじぎをしてから私の隣に座った。ベンチは大きめだからかなりゆとりがあるのに、彼は私と最大限距離を置いて座っている。

 いつも「授業」してくる時はぐいぐい距離を詰めるのに……変に律儀だ。

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