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第36話

 私は枕の上で頭を動かして、王様を見た。

 王様も、暗闇の中できりっとした眼差しを私に向けている。


「この格好のまま聞いてくれ、キーリ。君は今、これから自分がどうなるのかと不安に思っていることだろう。だが、既にブラッドバーン家の者は動いている。彼らは次に君が魔力吸引される日を狙い、君の救出と魔力吸引装置の破壊を決行する」

「……マジで?」


 あまりのことについ、素が出てしまった。


 つ、つまり、これまでの王様の行動は全部芝居で……本当は切れ者だし、ブラッドバーン家とも繋がっていたということなの!?


「君の意思を無視してこのような状況を作り出してしまい、申し訳ない。だがこうでもしないと、宰相たちの聞き耳が届かない場所で君と語らうことはできないと思ったのだ」

「……え、えっと。その、ナサ――いや、陛下は傀儡じゃなかったんですか?」


 思わず聞いてしまったけれど、これってよく考えなくても失礼極まりない質問だ。

 でも王様はふっと笑い、それまで私をぎゅっと抱きしめていた腕を解いた。


「……そうだな。宰相たちは私の父の代から既に、傀儡政治を行っていた。あのままであれば私も兄も、父と同じ運命を辿り、異世界人がもたらす魔力に溺れ、民を顧みぬ愚王となっていただろう。だがジャレッドと知り合ったことで、私は変われた」

「……お父様のことですか?」

「ああ。私と兄はジャレッドから民の様子を聞き、それまでは当然だと思っていた異世界人召喚の愚かさにも気づいた。……残念ながら、即位した兄は出す手を誤り、宰相たちによって追放されてしまった。だから私は愚者を演じ、宰相たちの言いなりになっているふりをしながら密かにアラスターたちと連絡を取り合っていた。君がブラッドバーン家に保護されたということも、かなり前から知っていたのだよ」


 ……それは、知らなかった。

 でも――


「……あの、でも、魔力吸引装置を壊すとか……それでリベリアは大丈夫なのですか?」

「全く問題ない。……異世界人の力を頼るのは、二百年前の一度で十分だった。いや、それすら間違いだったのかもしれない。代々の王は異世界人の生み出す魔力に溺れ、権力欲を満たすためだけに王城を空中に浮かせた。そして便利な器具を発明する傍らで常に異世界人を拉致し続け――魔力を生み出せなくなるまで酷使したら最後には、ボロ雑巾のように捨てていた」

「……えっ?」


 思わずがばっと身を起こしそうになり、「ああ、待ってくれ。魔法の範囲から出ないでくれ」と、シーツに逆戻りさせられた。


 王様に慰めるように肩をさすられながら……私の胸は、緊張とショックでばくばくと鳴っていた。


 酷使した?

 ボロ雑巾のように捨てていた?


 その言葉ががんがんと頭の中で響き、私の心を崩壊させんとする。


「……で、でも私、おつとめを終えたら……帰れるって……」

「……君を従順にさせるための、連中の嘘だ。本当に心苦しいのだが……それはできない。特定の条件と多大な魔力を要するとはいえ、異世界から何かを呼び寄せることはたやすくとも、こちらから送り出すことはできないのだ……」


 王様は私の心中を慮ってか、優しく諭すように言ってくれる。

 でも、私はつい感情の赴くまま、彼の寝間着の胸元をぎゅっと掴んでしまった。


「な、なんで!? えっと、それじゃあ今までの使者は……?」

「……記録に残っている限りではほぼ全員、国内で死亡している。歴代の国王は異世界人の犠牲をものともせずに召喚を続けさせ、使者の魔力を搾取し続けた。魔力吸引できるまで酷使したら、最後には角が立たないように葬る。……中には国に捕まることなく逃げた者もいたが、おそらく彼らのほとんども長生きはできなかっただろう。この世界は……君たちにとって非常に生きにくくて、冷酷なのだ」


 王様の言葉は半分以上、頭の中に入ってこなかった。


 帰れない。

 それだけでなく、私はいずれ、魔力を搾り取られ続け、最後には燃えかすのように捨てられる。


「いつかきっと」という甘い言葉で騙され続け、何度もあの青白い部屋に放り込まれ、抵抗しても魔法で無理矢理体を動かされる。

 使えなくなれば捨てられ――そうなれば「替え」として、次の犠牲者が呼び出される。


 自分の胸元を掴んだまま震える私を、王様はぎゅっと抱きしめた。

 よくも知らない異性に抱きしめられるなんてとんでもないのだけど、今は少しでも私に寄り添ってくれる人の温もりが嬉しくて、縋りたくて、嗚咽を上げないよう腹筋に力を込めながら寝間着を握りしめた。


「……本当に、申し訳ない。私たちの先祖は、君たちに末代まで憎まれても仕方のないことを続けてきた。だが……私はこの歪んだ歴史の連鎖を、今ここで止めたいのだ」

「……」

「異世界人の魔力に頼らずとも、この国は十分やっていける。それどころか、宰相を中心とした重鎮の大半や貴族は魔力に酔いしれ、民を虐げ続けている。……キーリ、私たちに協力してくれ。君に恨まれても仕方ないとは分かっているが……これ以上、君のような人を増やさないためにも」


 王様の声は優しい。

 きっと私が罵声を浴びせても、殴りかかっても、平然として受け止めただろう。


 本当は、大声を上げて暴れ回りたい。

 ふざけんな、と当たり散らしたい。


 でも……王様だって、必死なんだ。この国の歪みを正したくて、ずっとずっと愚王のふりをしていた。

 きっとこれまでひどいことも言われてきただろうけど、耐えて――


 ――ふわりと、私の脳裏に優しく笑う人の姿が浮かぶ。


 こういう時、あなたならなんて言うだろう?

 私がどのような判断をすることを、望んでいるだろう?


 ……もう、元の世界には帰れない。このままだと、私は過去の使者たちと同じように使い捨てられ、朽ち果てる。

 そして今は逃げられているブラッドバーン家の皆も、捕まって殺されてしまうかもしれない。


「……陛下。私、私にひどいことをする奴らが、大嫌いです」

「うん」

「そいつらにざまぁ見ろ、クソ食らえ、って言ってやりたいんです」

「う、うん? クソ……いやまあいいや。つまり、やり返したいんだね?」

「……私が陛下たちに協力すれば、少しでもやり返せるでしょうか? もう二度と異世界人は召喚できない、おまえたちの天下はここまでだ、って言ってやれますか?」

「うん、私はそう信じているよ」


 王様の言葉で……ぽっ、と私の胸に炎が宿った。


 それは、義憤とか正義感とかといった崇高なものではない。

 もっとどろどろしていて、人間くさくて、醜い感情。でも、今の私を奮い立たせるには最適の思い。


 こんな炎を胸に灯す私は、美しくないだろう。

 でもきっと皆なら……私の決意を肯定してくれるはず。


「……陛下。私、諦めたくない。自分の命も、自由も、みんなのことも、捨てたくない」

「キーリ……」


 魔法の結界から出ないように気を付けつつ、私は体を起こした。

 同じように身を起こした王様と向かい合い、しっとり濡れた自分の頬を拭う。


 びいびい泣くのは、一旦終わり。


「私、自分にできることなら何でもします! ちょっと痛くても、気持ち悪くても、我慢します! だから……あなたたちに、協力させてください……!」


 全てが終わった時には、みんなで笑い合えるようにするために。












 結局、私は王様と今後の相談だけして眠った。


 ……いや、正直全然眠れなかったけどね! 秘密の打ち合わせが終わった後、王様は私と距離を置いてベッドの端に寄ってくれたから、さっきまでのように密着する必要はなくなった。


 さっきは焦りとか怒りとか嘆きとかで胸がいっぱいだったけど、冷静になった今、私はとんでもなく破廉恥なことをしているのだと気づいて頭を抱えたくなった。


 不可抗力だと分かっていても、成人男性と一緒に寝るなんて! しかも相手は一国の王様なんて! おまけに、あんなに麗しい美貌持ちなんて!

 ああ……ユーインが知ったら、変な顔をされそう……。「痴女ですか?」って言われたら、軽く死ねる。


 ぎゅっと、シーツを握る。

 ユーインに、会いたい。


 もちろん、もう二度と会えないと断言された家族も恋しいし、養父やセリーナたちのことも慕わしいけど、ユーインは皆とはちょっと違う位置にあるような気がする。


 これが……好きって感情なのだろうか。


「よくできましたね、お嬢様」と、あの如才ない笑みで言われたい。

「可愛い人」と、冗談でも社交辞令でもいいから言われたい。

「何を言っているのですか」と、呆れたように言われたい。


 もし作戦がうまくいったとしても、私はブラッドバーン家の娘で、彼は従僕だ。

 彼と主従以上の関係になることは、許されないだろう。


 でも……結婚するまでは。

 ミルズ領主にしても誰にしても、結婚相手が決まる前なら。


 ほんの少しだけ、彼に想いを寄せても許されるだろうか。

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