第34話
何も言わず、ユーインは会議室を出た。ちょうどこの後は休憩時間なので、頭を冷やすためにも静かな場所で休みたい。
「……あっ、ユーインさん……」
廊下の陰から、なよっとした男の声が聞こえる。
誰の声だろうか、とぼんやり考えたのは一瞬のことで、かっと殺気立って振り返ったそこには、体を縄で縛られた格好で立つ茶髪の青年の姿があった。
直接彼と話をしたことはないが、正体は知っている。
この青年は――
「……貴様!」
「落ち着くんだ、ユーイン。ここで喧嘩をしないでくれ」
今にも魔法を放ちそうなユーインをなだめたのは、青年の後ろに立つアラスターだった。彼の右手にはきらきら輝く紐が握られていて、その先は青年を縛る縄にくっついている。
アラスターに窘められたユーインは拳を握り、今にも攻撃魔法を放たんとして集めていた魔力を霧散させる。
そして縛られた青年をじとっと見た後、それまでの態度が嘘のようなにこやかな笑みを浮かべておじぎをした。
「……あなたがザカライア殿ですか。お初にお目に掛かります、ユーインと申します。うちのお嬢様が……それはそれはお世話になったようですね」
物腰と口調は丁寧だが、下手をすれば一瞬で牙を剥くだろう危険を孕んだ様子に、ザカライアはひっと息を呑んだ。
だがぷるぷる震えながらも彼は居住まいを正し、縛られたままでもできる限りおじぎを返す。
「は、はい。その……キーリお嬢様から、あなたのことは伺っていました」
「ああ、はい、そうですか。……それで、私に何のご用で?」
貴様とお喋りするほど心の余裕はない、ということを言葉の裏に込めて問うと、ザカライアはごくっと唾を呑んだ後、頭を垂れた。
「こ、こんなことを言うのはおかしいし、言ったからといって俺の罪が償われるわけじゃないと、分かっています。でも……本当に、申し訳ありませんでした! お嬢様を売ったのは……俺です」
「ええ、知ってます。分かりきったことをわざわざ言いに来たのですか?」
ぴしり、と笑顔の仮面にひびが入りそうになりながら問うと、ザカライアはアラスターに頼んで右腕だけ動かせるようにしてもらい、ズボンのポケットの中を探った。
「……お、俺は、家族を養いたくて……異世界の使者様を一番に見つけて報告した者に多額の賞金を与えるって、宰相様に言われて……。お嬢様のことは、本当に素敵で優しいお方だと思っていました。でも、俺はそんなお嬢様を売った上に、仲間に殺されかけて……。……あの方が楽しみにしていたものをダシにするような真似もしました」
ユーインの片眉が吊り上がる。
ザカライアはポケットから手を出した。そこに何かが握られているというのは、気配で分かる。
――その時、ユーインの頭の中で様々なものが繋がった。
キーリがザカライアを屋敷に招いたこと。
彼との打ち合わせの場に、ユーインを同行しなかったこと。
そして……盛花祭の夜に時間を取ってほしいと言ってきたこと。
だからユーインは、「やめなさい」と言った。
そして、驚きの眼差しで見てくるザカライアの視線から逃げるように、顔を背ける。
「今あなたの手の中にあるのはきっと、キーリ様があなたに依頼した品でしょう。それを受け取るのは私ではなく、キーリ様です」
「えっ? でも、これは――」
「余計なことは言わないでくれます? ……キーリ様は私に内緒で、何かをしていた。キーリ様は盛花祭の日、私に会いたがっていた。……その答え合わせを、今する必要はありません。キーリ様から直接聞き、もらうものがあるならあの方からもらいたい。あなたは余計なことをしないでください」
「……」
「それに……制作者がきちんと依頼者に品を渡してこそ、交渉は成立するものです。まだあなたとお嬢様との交渉は終わっていない。だから、今あなたの手の中にあるものは、あなたがキーリ様に渡し、その上でキーリ様がしかるべき相手に渡すというのが商売の基礎なのではないですか?」
からかうようなユーインの言葉に、ザカライアははっとした。そして握られたままの自分の拳を見ると、再びポケットに入れた。次にポケットから出した手には、何も握られていない。
「……分かり、ました。俺、ちゃんとお嬢様に依頼の品をお渡しします。……俺にそんな権利があるのかは分からないけれど、とんでもない悪人だけど……これでも商売人の端くれだから、きちんと契約は果たします」
「はい、そうしてください。……話は以上ですか? 私はちょっと疲れているので、休憩に行ってもいいですか?」
「……あ、あの、ユーインさん」
まだ何かいいたいことがあるのか、とユーインは面倒くさそうに振り返った。
ザカライアは唇を引き結び、意を決したように口を開く。
「……こんなの俺が言うまでもないと思うのですが、俺に依頼をしてくれた時のお嬢様は、とても幸せそうに笑ってらっしゃいました。注文の品を届けに行った時は、本当に嬉しそうで……きっと、この品を渡す相手のことが大好きなんだろうな、ってことが分かりました」
「……」
「俺は、お嬢様がこの品を誰に贈るつもりだったのか知りません。でもきっと、お嬢様をあんなに笑顔にできる人なら、これから先もずっとお嬢様のことを大切にしてあげるんだろうな、って思いました」
それだけ言うと、ザカライアは俯いた。話は終わりだと判断したらしいアラスターが紐を引っ張ると、ザカライアは大人しく彼について廊下の奥へ消えていった。
ユーインは、しばらくその場から動けなかった。
そして、リベリア人にしては癖の少ない自分の前髪をくしゃっと掻きむしる。
ジャレッドにしてもザカライアにしても、大切な作戦前にいともたやすくユーインの心を乱すことを言ってくれたものだ。
だが、決心はいっそう固まった。
「……キーリ様、もう少しだけお待ちください。必ず、御身を助けに参ります」
もう一度、あの笑顔を取り戻すために。
しかるべき手段によって、「例の品」を受け取るために。




