第33話
「ナサニエルから連絡が来た。キーリの魔力が回復するまで、あと二日ほどだという」
人差し指と中指の間に小さな紙切れを挟んだアラスターが言うと、続いてシャノンが挙手する。
「わたくしは、お屋敷の方を見てきたわー。ちょっと前に守護魔法が破られて、中がもぬけの空だってことがばれたみたい。今は見張りの兵だけ残して、ほとんどの勢力は城に戻っている様子よー。多分近いうちに宰相が、町中を捜索するよう命じるんじゃないかしらー?」
「わたくしは、盛花祭の様子を見てきました。住民たちはブラッドバーン家取り潰し疑惑を聞いて少々動揺しているようですが、祭自体は例年通りのにぎわいを見せたようです。彼らが動くとしたら……祭の余韻が過ぎ去った、明日の午後以降ですね」
「皆、よく動いてくれた。感謝する」
セリーナの報告も聞き、ブラッドバーン家当主であるジャレッド・ブラッドバーンは鷹揚に頷いた。
今、彼らがいるのは王都のはずれにある古びた物置だ。見た目こそ今にも崩れそうなあばら屋だが、使用人たちの魔法によって内部は驚くほど広大で快適な秘密基地ができあがっている。
宰相たちはこれから、ブラッドバーン家の者たちを血眼になって探すだろう。ここがばれるのも時間の問題だろうが、見つかるよりも先にキーリを救い出せばいい話。
後のことはどうにでもなるから、今は目先の問題を潰さなければ。
ジャレッドが座っているのは小さな布張りの椅子だが、彼が堂々たる様子で腰掛けているとそれがまるで王城の玉座であるかのように感じられる。
ジャレッドは平民だが、人を惹き付けるカリスマを持っているのだ。
今この室内には、ジャレッドたちが連れてきた使用人たちも二十人ほど集まっている。宰相たちは、カジノの下働きなども含め数百人単位の者がかくまえるような場所から探していくだろうが、無駄だ。
ジャレッドがこの秘密基地に連れてきたのは従業員の中でもとりわけ、「ブラッドバーン家の秘密」に触れている者のみ。他の者は既に暇を出し、王都の外に避難させている。
名簿なども全て持ち出したから、無関係な彼らは巻き込まれることなく、安全に身を隠せられる。
「我々の目的はキーリの救出はもちろんのことだが、二百年間続くこの国の歪みを正すというものもある。……我々の先祖である大魔法使いサイラスは、異世界人を誘拐するという魔法を編み出したことを、最後まで後悔していた。そしてあの戦争を機に、リベリアの民は異世界人がもたらす魔力に頼り、溺れてきた。……そこに、いったい何人の命が奪われてきたのか、知ることなく」
ジャレッドの言葉に、その場にいる者たちは沈痛な面持ちになる。
彼と同じく大魔法使いサイラスの血を継ぐアラスターやセリーナ、覚悟を持って嫁いだシャノン、そして彼らの決意を知った上で忠誠を誓う使用人たちは、この国の歪みと真実を知っている。
長い時の中で、真実を知る者、そしてサイラスの血を継ぐ者は次々に粛正され、淘汰されていった。
国にとって、彼らの存在は非常に厄介だからだ。
やっと巡ってきた機会を、ふいにするわけにはいかない。
「そのため……救出作戦の決行は、二日後――キーリの二度目の魔力吸引の日とする。彼女が吸引をされる時に突入するのだ」
「……お待ちください、旦那様。発言しても、よろしいでしょうか?」
ほぼ全ての者が納得の表情を浮かべる中、ただ一人だけ険しい眼差しの者がいた。
灰色の髪の従者は立ち上がると、周りの視線をものともせずにジャレッドからの発言の許可を求める。
ジャレッドが視線で先を促したので、ユーインは優雅に一礼してから顔を上げた。
「旦那様のおっしゃるとおり、キーリ様が二度目の魔力吸引を受ける際に儀式の場所に殴り込めば、キーリ様の救出だけでなくブラッドバーン家の悲願も達成し、大魔法使いサイラスの無念を晴らすこともできると存じております。しかし……いくらナサニエル殿の助力があるとはいえ、魔力吸引が行われるよりも前に我々が駆けつけられるとは限りません」
異世界人は、溢れかえるほどの魔力を生み出すことができる。その恐ろしさは、ユーインも身を以て感じていた。
キーリの手に触れると、体中が粟立つような感覚に襲われる。それは高揚感にも似ていて、甘美で、蠱惑的で――ともすればキーリの魔力を根こそぎ奪い、多幸感に浸りたいとさえ思ってしまうくらいの。
だが、体内に保有する魔力を外部に流すというのはひどく体力を消耗する。魔力吸引でなくても、魔石に魔力を流し込む時も同様だ。
だから道具に付いている魔石に魔力を流し込む時は、一度にあまりに多い量の魔力を流さないように、と言われている。一度にできる限度を超したら、よくて気絶、最悪死に至ってしまうからだ。
「もし間に合わなければ、キーリ様は再び魔力吸引をされてしまいます。もし間に合ったとしても、魔力吸引の場所に行くだけでもキーリ様のお心を傷つけます。それくらいなら、明日の夜にでも救出作戦を決行した方がよいのではないでしょうか」
「おい、ユーイン……」
アラスターは友人のような間柄である使用人を窘めようとしたが、父親に止められた。
ジャレッドはユーインを見、葉巻を吸――おうとしたが手元にないことに気づき、意味もなく手を握ったり開いたりしながらため息をつく。
「ユーイン、君の言いたいことはよく分かる。我々とて、好きでキーリを傷つけたいわけではない。できることならこれ以上あの子を傷つけることなく、安全に助け出したい」
「……では!」
「だが、何度も言うがこれは二百年間でかつてないほどの好機会なのだ。サイラスの後悔を受け継ぎ続けた我々の先祖のためにも、魔力で好き放題する貴族たちから市民を救い出すためにも――悪習慣の打破を一番に考えねばならないのだ」
「……」
ジャレッドはやんわりと言うが、つまるところユーインの申し出は却下されたのだ。
ユーインが拳を固め、ぎりっとグローブが軋む。だが彼は反論することなく、「承知しました」と述べて腰を下ろした。
その後、今後の役割分担が確認され、ジャレッドの解散の合図によって一旦会議はお開きになった。
食料調達を命じられた者は変装して市場に向かい、見張りの交代に宛われた者は簡単に武装して基地を出て行く。
「ユーイン」
立ち上がったら、他ならぬジャレッドに呼び止められた。
振り返ると、殺人者のごとき顔立ちながら人格者のジャレッドが、静かな眼差しでユーインを見ている。
「……作戦は作戦だ。君は優秀な魔法使いで、体術の心得もある。だから君をキーリの救出作戦に連れて行くことに異論はないが、勝手な行動だけは慎むように」
「……はい」
「だが……ああ言ってくれて、私はとても嬉しい。キーリのことを一番に思ってくれたこと、感謝する。君のような青年に想われるキーリは、幸せ者だな」
ユーインにしか聞こえないような小声で囁かれたその言葉には、相槌を返せなかった。
硬直するユーインを見ると、ジャレッドは微笑んだ。
子どもが見れば泣き出すほど、恐ろしい絵面だった。
悠々と歩き去っていった主人を呆然と見やっていたユーインは、はっと我に返った。そして、自分の胸元に手の平を当てる。
鉄壁の笑顔には自信があった。
だが、孤児だったユーインを見出し、使用人として鍛えてくれた恩人には、全て筒抜けだったということか。
自分がキーリに対して抱く、この想いの名前を。
決して許されない恋情に気づいていて、それでもなおジャレッドはユーインを雇ってくれていたのか。
嫁入り前の大切な娘に何を、と罵倒されても仕方のない感情を抱いてしまったというのに。




