第31話
盛花祭の日は例年であれば、ブラッドバーン家の者たちも華やかに着飾って祭の行列に加わる。
だが、今年に限ってはそうもいかなかった。
「いやぁ……危機一髪だったな」
「軍も、派手にやらかしますこと。本当に、宰相にこびへつらう爺は手荒で粗雑な連中ばかりですね」
ブラッドバーン家の兄妹が、のんびりと話している。彼らは青空に溶け込むような青いマントを羽織っており、民家の屋根に腰を下ろしていた。
彼らの視線の先には、軍に包囲されるブラッドバーン家の屋敷が。国は魔法使いたちを大量に送り込んできたようだが、既に屋敷の中に人の気配はない。
だが家族や使用人たち全員で強力な守護の魔法を掛けて逃げてきたので、その魔法を破るので四苦八苦しているようだ。
魔法を破り、中が無人だと分かった頃には既に、皆は遠くに逃げているだろう。
「生まれ育った家が蹂躙される様は、なかなか見るのも辛いものがありますね」
「ああ。……とはいえ、いつか誰かの代でこうなることは分かっていた。それが偶然父上の代だったというだけの話さ」
アラスターはそう言うとぽん、と妹の頭を撫で、立ち上がった。
軍にブラッドバーン家が包囲されているというのに、町はお祭騒ぎだ。皆も、豪商ブラッドバーン家が反逆罪に問われていると聞いて不安にも思うだろうが、祭は楽しみたいのだろう。
別に、悲しいとは思わない。一般市民だって、必要以上にブラッドバーン家に関わったがために共犯者の疑いを掛けられたくはないだろう。
むしろ、リベリア王国の柱の一つが折れようとしていてもたくましく生きる民の姿を見て、アラスターたちは安心しているくらいだった。
それに、にぎやかな方がこちらも行動しやすいものだ。
「アラスター様、セリーナ様、こちらにいらっしゃったのですかー」
ほんわかした女性の声に振り返ると、器用に屋根の上を伝って歩いてくるシャノンが。
アラスターたちと同じ空色のコートを着た彼女はドレスではなく、動きやすくするために体にぴったりフィットした服を着ている。
「旦那様が探されてましたよー。そろそろキーリ様の救出計画を立てるから、戻ってこいとのことですー」
「了解だよ」
「ああ、あとユーインですが……結構荒れてますねー」
シャノンの報告にアラスターとセリーナは顔を見合わせ、ため息をついた。
ブラッドバーン家の者や使用人は皆、こうなる覚悟を固めていた。幸運にも軍の到着が思ったよりも遅かったため夜のうちに逃げ支度を整え、朝日が昇る前には全員屋敷から姿を消すことができた。
いざとなったら着の身着のままの覚悟もしていたので、日用雑貨や食料も運び出せたのは本当によかった。
だが、一人だけ平静を保てていない様子の男がいた。
それが、カジノのディーラーでありブラッドバーン家の従僕であり……そして令嬢キーリの「先生」だったユーインである。
「……やはり荒れているのか。僕が入った方がいいか?」
「そうですねー。ものを破壊するとか八つ当たりするとかではないんですが、後ろ姿がかなり殺気立ってます。むしろ、早まって単身で城に殴り込みに行かないよう、見張っておいた方がよさそうですねー。あっちにいますよー」
「それならやはり、僕が適任だろう。打ち合わせなら後で話を聞くだけでもいいが、彼が暴走すると厄介だ。行ってくるから後は任せた、セリーナ」
「了解しました。お気を付けて、お兄様」
セリーナに言われ、アラスターは苦笑した。
そしてコートのフードを深く被ると、とん、とん、と軽い足取りで民家の屋根を飛ぶように渡っていった。
こういう時、アラスターたちは絶対に魔法を使わない。魔法は便利だが、どうしても足が付いてしまう。魔力の流れに敏感な者だと、祭の最中に屋根を跳び回る不審者がいることに感づくだろう。
それくらいなら少々疲労しようと、自信の身体能力だけに頼る方が安全だった。
妻に教えてもらった方へ行くと、三角屋根の間に埋もれるようにして座る男の姿が見えてきた。
頭までフードを被っているが灰色の長い髪が見え隠れしているし、彼の全身から不機嫌のオーラが噴き出しているのが目に見えるようだ。
「やあ、ユーイン。苛立ったからといって、町を焦土と化したらだめだからね」
「……分かっています。焦土にするとしたら、城だけにします」
「いやいや、それもだめだから。というかそれを今やったら、キーリまで灰になっちゃうだろう」
「では、キーリ様を助け出してから城を灰燼に帰します」
「そういう問題じゃないからね」
ぽんぽんと軽い調子で言葉をかわしているようだが、実際アラスターはかなり神経を尖らせている。
ユーインは、優秀な魔法使いだ。
おそらく――あの「裏切り者」の子孫である自分たちよりもずっと、強い魔力を持っている。
本人は魔法をぶっ放すより、カードを切ったり給仕をしたり人をからかったりする方が好きらしく、魔法を使うとしても日常生活でちょっとの不便を便利にするくらいだ。だがその気になれば本当に、町の一つくらい燃やし尽くせるだろう。
我ながらとんでもない男を使用人にしているものだと、アラスターは思う。
「それをキーリに言ったら多分泣いちゃうよ。君、キーリの泣く姿は見たくないんだろう? だったら気持ちを落ち着けて、確実にキーリを助けられるようにしてくれないといけないからね」
「……はい、分かっています」
アラスターの言葉はちゃんとユーインの心に響いたようで、少しだけ口調が穏やかになった。
それにほっとしたアラスターは彼と並ぶように腰を下ろし、盛花祭でにぎわう町を遠目に見やった。
「……ザカライアでしたか。四番街の工房の下っ端。奴は今、どこへ?」
「父上が保護しているよ。……なあ、ユーイン。彼に腹立つ気持ちも分かるが、絶対に傷つけるなよ」
ユーインの方は見ずに、アラスターは忠告する。
――昨夜、門の前でキーリが何者かに連れ去られた。異変を感じた門番が駆けつけたところ、街灯の灯りに照らされるように血まみれで横たわる青年の姿があった。
すぐに屋敷に運び込まれ、かろうじて一命を取り留めた彼は、自分のしでかしたことを告白したのだ。
「ザカライアたちを統率していたのは、宰相――あの欲まみれの爺だ。ザカライアは家族が生活に困窮していて、異世界の使者を連れてきたら報酬をもらえると聞いていた。それで……親しくなったキーリに触れたことで異世界の使者だと分かり、泣く泣く情報を提供したんだという」
「……いつ、その男がキーリ様に触れたのですか」
「前に一度、キーリと話をするためにうちに来ただろう? ほら、君の代わりにシンディを同伴した時。その時に首筋に触れて気づいたらしい」
ユーインが黙った。少し俯き、息を吐き出す。
「やはり奴を殺してもいいですか」
「だめだってば。それに彼がキーリの首に触れたのも――ああ、いや、これはまた今度にしよう。とにかく彼だって悩んだし、僕たちに情報を提供してくれただろう?」
「弱者はいつでも保身のために嘘をつき、昨日の敵に擦り寄って秘密をばらします。生かしておく必要はありません」
「そういうことを言えるのは、僕や君が強い人間だからだ。ザカライアは経済的にも能力的にも、僕たちよりずっと弱い。力のない者には彼らなりの生き方があるということ、君なら分かっているんじゃないか?」
「……」
「それに……そんなことをするときっと、キーリが悲しむ」
その言葉は、絶対だった。
淡々と物騒なことを言っていたユーインはその一撃で嘘のように静かになり、顔を上げた。
彼の青紫の目は空を向いているが、きっとその景色なんて一つも頭の中に入っていないのだろう。
アラスターも驚くほど、この男はキーリに入れ込んでいる。それは従僕として、「先生」としては失格だろう。
だが、今は彼のこの想いを打ち砕いている場合ではないのだ。
「そもそも、ザカライアのような子どもを生み出したのは国の上層部、そしてこの国を歪なものにしたのは過去の王族だ。歴史の波に流され、流れ着いてきたものに縋ることでやっと生きていけている者を潰していくことが正義ではないはずだ。……それは君もよく分かっているはずだよ」
「……」
「さて……父上たちは作戦会議をしているそうだ。……宰相たちのことだから、もう既に一度はキーリの魔力を吸引しているだろう。あれはかなりの生命力を削られるという。二度目が起きるまでに、助け出さないと」
「……もちろんです」
ぎり、とユーインの白い手がローブの生地を掴んでいる。
……アラスターたちとて、キーリに嘘をついていたという後ろめたさは感じている。
だが、それも全ては彼女を守るためだった。
自分が魔力なしではなく――実は凄まじい魔力を擁する逸材なのだと分かれば、彼女はきっと混乱する。
その素肌に触れればその膨大な魔力を感じることができるのだと分かれば、彼女は自分という存在にすら怯えていたかもしれない。
アラスターたちは、嘘をついた。
だが、それはキーリに平穏無事な一生を過ごしてほしかったから。
ブラッドバーン家の協力者の家に嫁ぎ、なるべく人目に晒されないよう、夫以外に触れられないように一生を過ごしてもらう。そうすると「異世界の使者」を探せない国の上層部は混乱し、アラスターたちの悲願も達成できる。
――二百年続くこの国の歪みを、自分たちの代で終わらせることができるのだ。
「ナサニエルにも連絡が行っている。彼が城の情報を伝えてくれるから、隙ができ次第僕たちも動く。ユーインも準備をしておいてくれ」
「……かしこまりました」
ひとまず言葉は届いたようなので、アラスターは立ち上がってユーインに背を向けた。
「……さて。可愛い妹のために、僕も頑張りますかね」
大魔法使いの子孫はそう呟き、不敵な笑みを浮かべた。




