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第29話

 鳥の鳴き声が、真っ暗な世界に響く。


 少し肌寒くて、私は目を閉じたまま上掛けを引き上げた。

 肩まですっ込んでから、寝返りを打つ。


 ……変だな。枕がいつもより硬い。

 それに、嗅ぎ慣れない匂いもする――


「……っは!?」


 一気に覚醒して、私は飛び起きた。いきなり体を動かしたので心臓がばくばくと文句を言っているけれど、仕方ない。


 私は、知らない部屋の知らないベッドに寝ていた。周囲を見回して妙に怖いと思ってしまったけれど、その理由はすぐに分かった。


 知らない場所に寝ていた、ということ以上に、この部屋が異様だった。床のカーペットも壁紙もカーテンもクローゼットも、全てが白で統一されていたからだ。


 白い調度品を置くと部屋の中が明るく感じられる、とは聞いたことがある。でも、何から何まで白一色の部屋は、明るいを通り越して気味が悪かった。


 目がチカチカしそうな視界から少しでも身を守るべく、私は布団に頭からすっ込んだ。

 そして、寝起きの頭を必死に働かせる。


 私は……そうだ。盛花祭にユーインに贈る髪紐を受け取るため、門の前でザカライアと話していた。

 明るい場所で紐を確認しようということで、街灯のところまで行って――


 気が付いたら、青白い光で溢れる部屋に移動していた。布団の中でそっと右足首に触れてみると、少し皮膚が擦れたようになっている感覚が。

 足首に鉄球付きの鎖を巻かれ、動きを制限されていたのは夢ではなかったようだ。


 不気味な男に引っ張られ、無理矢理謎の球体に触れさせられた。

 そうすると頭の中が真っ白になって、意識が飛んで――


「……お目覚めですか、使者様」


 布団の向こうから女性の声がする。多分「使者様」というのは私のことを指しているんだろうけど、ロボットのように感情の込められていない声で呼ばれても返事をする気になれない。

 そもそも私は「使者様」なんて名前じゃない。キーリ・ブラッドバーン、もしくは床次桐花と呼ばれないと返事はしたくない。


 私が黙りを決め込んでも、相手は特に気にしなかったみたいだ。ベッドの周りでなにやら作業をしているらしく、かさこそ、カチャカチャという音が聞こえるのみ。

 このまま放っておいてくれればいい。けれど――


 ぎゅうぅ……と、私のお腹が正直に欲求を伝える。

 慌てて腹部を押さえたけれど時既に遅し、「朝食にいたしましょう」という声が聞こえた。


 ……ここがどこか分からない。あの後、何が起きたのか分からない。

 そんな状況でのんびり食事なんてできない。でも、絶食し続けることはできないとも分かっている。


 ひとまず籠城を続け、私はあの夜の記憶を必死に掘り出す。


 確か……意識を失う直前、ザカライアが申し訳なさそうな声で「すみません」と言っていた。

 ということは、私がここに連れてこられたのも、あの青白い部屋で嫌な体験をしたのも、ザカライアが原因なのだろうか……?


『魔法を使えない異世界人は、見せ物にされたり売り飛ばされたりする』


 その言葉が、ずんっと重く私の体にのしかかってくる。


 そうだ……あの青白い部屋で、私は「異世界の使者様」と呼ばれていた。

 ということは、私が異世界人であるということがばれてしまったんだ。もしかするとザカライアが私の正体に気づいて、どこかに連れて行って……?


「朝食の支度ができました。使者様、こちらへどうぞ」


 さっきの無機質な女性の声が聞こえる。掛け布団越しに焼いたパンやスープのような匂いが届き、またしても私のお腹が空腹を訴える。


 ……でも、食べ物に釣られてホイホイ出てくるなんて、嫌だ。できるところまで突っぱねて、せめてもの抵抗をしてやる!


 ……と思ったけれど。


 急に、私を守っていた掛け布団が飛んでいった。

 そう、布団が吹っ飛んだのだ。


 ぎょっとして顔を上げるけれど、私の布団を剥いだ人物は見当たらない。そうこうしているうちに私の体がふわりと宙に浮き、まるで見えない台座に乗せられているかのように滑らかに空中を滑った。


「うっ、わ……!?」

「さあ、こちらへ」


 声のする方を見ると、真っ黒のドレスを着た女性がいた。女性だと分かったのは声と、ドレス越しの体型で判断したから。


 彼女は顔の前に、黒い布を垂らしていた。多分被っている縁なし帽子に黒い布がくっついているのだろうけど、正面から見ても全く透過性がなく、顔の造形が分からない。

 真っ白の部屋に浮かび上がる黒い影は不気味で、彼女が生きた人間でないかのように感じられ、思わず顔を背けてしまった。


 おそらく私は彼女の魔法で強制移動させられているのだろう。空中移動した私はそのまま、女性が引いた椅子にすとんと着地した。まだ白い寝間着姿だけど、胸元と膝の上に女性が紙製のナプキンを付けてきた。


 食事は、普通においしそうだ。パン、スープ、サラダなどはブラッドバーン家でも見たことがある。

 でも――


「……どうして、これが」


 パンの隣の皿に載っていた、「ある料理」。

 それの正体が分かり、私は息が止まるかと思った。


 長方形の浅い皿。そこに二つ乗っている、白い三角形の食べ物。その脇には、少ししなびた黄色いものまで添えられている。


 おにぎりと、たくあん。


 ヨーロッパ風の文化で栄えるリベリア王国では絶対に見られない――見られるはずのない料理に、私の腹部がさっきとは別の意味でぎゅうっと鳴った。


 この世界に米があったのか? あったとしても、どうしてこの形をしているんだ?

 そして、なぜさも当然そうに黄色いたくあんが添えられているんだ?


 懐かしい形状の料理を前にしても、私は手を動かさなかった。

 さすがに魔法で無理矢理食事をさせるつもりはないようで、黒い女性は黙ったまま側で控えている。


 ……あのおにぎり、どんな味がするんだろうか。おいしいのかな。懐かしい味なのかな。


 たくあんは本当に大根でできているのかな。おばあちゃんが作っては送ってくれたあのたくあんと、同じ味がするのかな。


 ……いや、違う。


 見た目はおにぎりとたくあんだけど、あれを食べたからといって日本に帰れるわけじゃないだろう。

 あれを食べたら安心できるわけでもないだろう。


 結局私は強固な姿勢を貫き、食事に一切手を付けなかった。やがて女性も諦めたらしく、一切手つかずの料理を全てワゴンに乗せて持って行ってしまった。


 ……お腹、空いた。でも、安全の保証のないものを食べたくはない。

 あのおにぎりだって、油断してかぶりついた瞬間に中に入っていた猛毒で死んでしまったかもしれない。この世界が思ったよりも安全ではないというのは、私もよく知っていた。


 しばらくすると、さっきの女性が戻ってきた。その手にはさらっとした長い布を抱えている。


「使者様、お着替えをいたしましょう」


 どうやらその布はローブのような着替えらしい。

 またしてもストライキを起こそうとした私だけど、着ていた服が一瞬で吹っ飛び、下着一丁にさせられてしまった。くそっ……魔法を使うなんて卑怯だ!


 あっという間に私は、白いローブに着替えさせられた。手触りはつるっとしていて、肌寒ささえ感じられる。

 デザイン性は皆無で、装飾や飾りが一切ない。ただひたすら真っ白なロング丈のドレスは、ちっとも素敵だと思えなかった。


「いきなりのことで使者様も混乱されているでしょう。少し、使者様のおつとめを説明させていただきます」


 ベッドに座ってぶんむくれる私に、黒い女性が話しかけてきた。

 返事はしないけれど内容はすごく気になるのでじっとしていたら、女性は抑揚のない口調で話し始めた。


「今から二百年前、リベリア王国は隣国との戦争に疲弊していました――」


 ……あれ? それってリベリア王国の歴史だよね?

 王都の中央広場の石碑にもあったし、セリーナやマダムからも教わっている。


 既に聞いたことのある内容なので半分以上聞き流していたけれど、途中からどうも雲行きが怪しくなってきた。

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