第28話
明日は、盛花祭だ。
いよいよ王都はにぎやかになり、既にたくさんの出店が並んでいる。宿は満室らしく、出発するのが遅くで宿を取れなかった人たちが嘆いているとか。
盛花祭に向けて、ブラッドバーン家の屋敷も飾り付けられていた。養父はあの容貌だけど花が好きらしく、いつも以上に屋敷は花で溢れている。
カーテンやランチョンマットなどの小物も花柄に取り替えられ、使用人たちもどことなくうきうきしている様子なのが伝わってきた。
盛花祭当日は、家族のいる者は有休を取り、家族サービスするよう養父が勧めているらしい。
明日に向けての贈り物も、ほとんどが揃った。当日は家庭教師もお休みになるので、先生たちには今日のうちに渡しておいた。
マダムはしっとりと笑い、森本先生は驚きつつも照れた様子で、富田さんはボロボロ泣いてしまった。ちょっと意外な反応をされたりもしたけど皆に喜んでもらえて、よかった。
……そしてあたりが暗くなった頃、私がずっと心待ちにしていたものも届いた。
「すみません、お嬢様! 遅くなってしまって……」
「いいえ、気にしないで。それより、こんな遅くまでありがとうございます」
夏の夕日が落ちて、既に夜の気配が漂いつつある。
そんな中、ザカライアが来たという知らせを聞いて私は急ぎ門に向かったのだ。
門の前で彼は、平べったい箱を手にしている。
「遅くなりましたが……お約束の品、ちゃんと仕上げてきましたよ」
そう言って彼は、私に見えるように箱を開いた。
確かに箱の中には、ミサンガのような紐が二本、並んでいるようだ。でもあたりが暗いから色や形がはっきりしない。
「……ありがとうございます。でもちょっと、暗くてよく分からないですね」
「そうですね。あ、じゃあこっちに来てください。街灯があるから明るいですよ」
そう言って彼は、門の近くに立つ街灯の方を手で示す。あの街灯ももちろん魔法の力で光っている。
確かにあの下なら、紐の出来を確認できるだろう。
早く、ユーインへの贈り物を確認したい。
私とお揃いになっている髪紐を、じっくり見たい。
ただでさえ予定よりも遅れて届いたのだから、私は焦っていた。
……その焦りが、私から正常な思考を奪っていたのだと思う。
冷静に考えれば、別に門から離れて街灯のところまで行かずとも、魔法使いである彼が手の中に光を灯せばいい話だった。
私は魔法には詳しくないけど、「光を灯すくらいなら、子どもでもできます」とセリーナは言っていたし。
でも私は頷き、門番のいる場所から自発的に離れた。
そしてザカライアから渡された箱を手に、急ぎ街灯の方へ向かい――
「……んうっ!?」
いきなり背後から何者かに口を覆われ、箱を取り落とした。
あっ、と思った瞬間には目の前の薄暗い邸宅街の景色がぶれ、歪み、私の意識は夜の闇よりも暗い場所へと落とされていく。
「……ごめんなさい、お嬢様」
最後に聞こえたのは、絞り出すようなザカライアの苦しそうな声だった。
――かしゃり、と足元で鎖が鳴る。
私の両足首を戒める漆黒の鎖は重く、その先にはバスケットボール大の鉄球が括り付けられている。
その様はまさに、奴隷。
だというのに私を取り囲む面々は私を見てひれ伏し、まるで神々しいものを扱っているかのように謙っている。
「さあ、異世界の使者様。こちらへ」
真っ白のローブを着た男が恭しく手を差し出したので、私はその手に遠慮なく噛みついた。嫌な触感だけど、せめてもの抵抗の意を表したかった。
男は驚いたように手を引っ込める。噛みついたからといって血が出たりはせず、私のきれいな歯型がくっきり付いただけだった。
男は一瞬、帽子の隙間から見える目に憎悪の炎を灯した。
でも一呼吸置いた後には胡散臭い笑顔に戻り、私に噛まれていない方の手を伸ばして私の首根っこを掴んできた。
「いくら使者様とはいえ、おいたが過ぎますよ」
ねっとりと優しい声で言うから、私は反抗的な目でそいつを睨んでやった。
何が、「おいた」だ。おまえなんかに言われてもちっともときめかない。
ユーインを見習え。彼なら一撃で私を沈没させるような極甘ボイスで、「おいた」って言うぞ。
……ユーインのことを思い出すと、呼吸が苦しくなった。
心臓がぎゅうっと絞られたかのように痛く、額に脂汗が滲む。
そんな私を猫の子でも扱うように掴んでずるずる引っ張った男はそのまま階段を上がり、台座のような場所に私を連行した。
周りが青白い不気味な光で溢れるそこには、でかい水晶玉のようなものが据えられている。
大きさは、バランスボールくらいか。表面はつるつるしていそうだけど、まるで宇宙から地球を見ているかのように、雲のようなものが中で渦巻いている。
そして、それを見るだけでなんだか気分が悪くなり、近づくにつれて吐き気が強くなってくる。
気持ち悪い。
その丸い物体が、怖い。恐ろしい。帰りたい。
「さあ、使者様。お手を」
誰が出すもんか。ぷいっとそっぽを向いてやったけれど、強引に右腕を掴まれて手の平を球体の方に引っ張られる。
嫌だ、怖い。
それに触れたくない。近づきたくない。
抵抗しようにも、男の力には勝てない。うんうん唸りながら両脚を突っ張るけれど、ずるずる引っ張られてしまう。
そして――私の指先がその球体に触れ、ひんやりとした触感が伝わってきた瞬間、私の頭の中に白い光が弾け、意識が飛んだ。
――暖かい日差しを感じる。
『おはようございます、キーリ様。ご気分はいかがですか?』
光の帳がめくれ、灰色の髪の従僕が私を見下ろして笑っている。おかしいな、彼は男性使用人だから、私を起こしに来ることはあり得ないはず。
でも、今はそんなことどうでもよかった。
目の前に、ユーインがいる。いつもと変わらない笑みを浮かべ、私に声をかけてくれている。
それだけで十分だ。
『お嬢様……震えているのですか? 寒いですか?』
ユーインが心配そうに顔を覗き込んで、私の両手を取ってくれた。
彼の温かい手の平に甘えたい……と思ったけれど、触れあった手はとても冷たくて、がっかりしてしまう。
あなたの手、冷たい。と呟くと、彼は少し悲しそうに微笑んだ。
『そうですね……すみません。私では、あなたの体を温めることはできそうにありません』
あ、違うよ。別に責めたいわけじゃない。
ただ、寂しくて、怖くて、不安だという気持ちを伝えたかったんだ。
不思議だね、ユーイン。私さっき、とても怖い夢を見た気がするんだ。
知らない場所に連れて行かれて、なんだかよく分からない人たちに囲まれて、怖いことをさせられたんだ。
そう言うと、ユーインは微笑んだ。
少しだけ憂いの籠もった眼差しで私を見つめると、私の額に掛かっていた前髪をそっと払いのけてくれる。
『そうでしたか……でも大丈夫です。私が付いていますから』
ずっと? でも、ずっと側にいることは無理なんじゃないの?
『いいえ、お側にいます。……これから先も、ずっと』
ユーインが微笑む。彼の手を借りて体を起こした私も、自然と笑顔になる。
そうだね、きっと大丈夫だよね。
あの怖い夢も、もう見なくて済むよね――




